夜になり、雨が降り出した。
日付が変わりそうな頃、森に佇む死羅神様の小屋には、再び快斗が姿を現した。今度は変装を解き、自身の顔をさらしての登場である。
「遅くなってすまないね。みんなが寝静まるのを待って、眠りの小五郎のおじさん本人と入れ替わってきた。で、名探偵がここで夜を明かすにはツラいだろうと思って、一応、毛布とか持ってきてみたんだけど。」
「おう。悪いな、いろいろ気を使わせて。」
毛布を受け取りながら新一が礼を言うと、快斗は「いや、なに」と笑って見せた。そして、早速、本題に入る。
「───で、事件現場に行って来たけどね。例の屋田誠人っていう人物の幼馴染や、東都新聞の記者まで登場してくれちゃって、なかなか興味深かったよ。」
「東都新聞の記者?ああ、河内さんか。」
「ちなみに。名探偵の指摘されてる推理ミスとやらもわかった。」
快斗がそう面白そうに笑うと、新一は渋い顔をして問いただす。
「・・・何だよ、推理ミスって?」
けれども、快斗はすぐには答える気はない様で、話題を逸らした。
「それより、例の事件だけど。村長夫人は刃物で刺殺、村長はベランダからの転落死。凶器の刃物は見つからず、宝石類や骨董品もなくなって、残ったのは犯人らしき人物の足跡だけなんだってね。状況からして、強盗殺人だという見解が多いようなんだけど?」
しかし、新一は即答だった。
「いや、あれは無理心中だ。」
確信を持ったその新一の答えに、快斗はふーん?とその瞳を細める。
「じゃあ、村長の無理心中の動機が医者にガンを告知され、自暴自棄になった為っていうのは?」
快斗がそう言ってやると、新一はその秀麗な眉を僅かに寄せて俯いた。視線を逸らした新一に、やはり何かあるなと感じ取った快斗は、そのまま続けた。
「問題になってるのは、1年前に名探偵が公表したその真相みたいでね。何でも、後日、病院の看護婦が村長のガンは良性で、手術をすれば完治できるものだったと口を滑らせたらしい。要するに、心中する動機には当たらないってワケだ。」
しかし、新一は「そうか」とただ俯いただけだった。押し黙ってしまった新一を前に、快斗は更に続ける。
「温厚で人望も厚かった村長が夫人を手にかける訳がない。動機も不十分で、心中なんてありえないと。村長の森の再開発計画が死羅神様の怒りをかったんじゃないか、なんて噂も出てる
けど?」
言い終えて、「ま、それは冗談として」と付け加えて笑う。そして、改めて新一をじっと見据えた。
「名探偵が無理心中って言うなら、そうなんだろう。つまりあの事件にはトリックがあると?」
すると、ややあって新一は重い口を開いた。
「───湖だよ。日原村長は奥さんを刃物で刺した後、凶器や宝石類を一緒に湖に沈めたんだ。」
「湖?あの家から湖までは30メートルはあると思うけど、足跡もつけずにどうやって?」
「あの家から無くなったのは、凶器や宝石だけじゃない。お前も見てきたはずだ。」
「ああ、そう言われれば。金メダルの紐や輪投げの輪もなくなってたな。あと気になったのは、仁王像が片方だけ・・・。」
金メダルと言えばだ。あの村長が陸上競技の選手でオリンピック候補だったという話をふと思い出して、快斗はピンときた。
「───もしかして、ハンマー投げで湖に捨てたとか?」
それは最早トリックと言うべき程のものではない。確信を持って告げた快斗の言葉に、新一は正解と言わんばかりに頷いて見せる。
「そう。錘にする仁王像と一緒に凶器や靴、宝石類を一緒に袋に詰め、取っ手代わりに輪をつけた金メダルの紐を、その袋に結びつけたんだ。ハンマー投げの要領で、ベランダから湖まで投げ飛ばす為にな。」
「仁王像が1つ残ってたのは、2つでは重過ぎたってことか。───で、それを裏付けるために、ちゃんと湖からブツは回収できたわけ?」
「袋も輪も紐も、全て湖から回収済みだ。もちろん、袋の中の凶器の刃の部分からは奥さんの血が、柄の部分からは村長の指紋も検出された。」
新一の話に、快斗はふむと頷いた。
「つまり、強盗殺人に見せかけた無理心中・・・。」
「ああ。強盗殺人に見せかけたのは、おそらく彼の息子に悟られないようにする為。」
なるほどと快斗はその瞳を細めてニヤリとした。
やはり、
当然のことながら、新一の推理には1つのミスなどない。ただ、公表された動機が事実と異なるだけで。つまり、そこに新一が隠し通している真実がある。快斗はそう確信した。
「で?敢えて公表した動機がウソって事は、何か理由があるんだろう?」
快斗の問いに、新一は目を伏せた。そこには言ってはならない真実が確かに隠されていたのだ。重々しい口調で語る新一の話に、快斗は目を丸くした。
何と、村長のガンの告知の後に新たな問題
が発覚したというのだ。それは、血液検査で明らかになった村長自身の血液型。村長一家は全員O型だと信じていたのに、実は彼の血液型だけAB型だという事実が判明した。
新一は言った。
「お前も知ってるだろ?メンデルの遺伝の法則。」
「ああ、AB型とO型の間にはO型
の子供は生まれない。ってことは、あの少年は・・・。」
「そうだ。彼は日原村長の実の子供じゃない。」
そこまで聞いて、快斗もやや目を伏せた。
「・・・なるほど。確かにそれは大したスキャンダルだ。」
「息子さんはまだ幼い。彼がこの村で生きていくには、事実を公表するのは酷だろうということで、表向きは村長のガンの告知の件が動機とされた。真実は、オレと捜査に関わった警察関係者の一部しか知らないことだ。」
そうだったのかと快斗は全てを納得した。となればだ。あの偽者の“工藤新一”はその真実を知らないがために事に及んでいるということになる。考えてみれば、何とも哀れだ。
「それで?名探偵はそろそろあの偽者の正体も気づいてるんだろう?」
その快斗の問いには、新一は黙って首を縦に下ろした。偽者の正体なら、快斗にも心当たりはある。というか、最初からそれしかありえないと思っていたが、ここにきてそれは確信に変わった。快斗が頭に浮かんだ名を言う前に、新一は自ら言葉にした。
「あの手紙の差出人、屋田・・・いや、日原誠人さんで間違いない。」
「だろうね。だけど、彼は村長の養子だったんだろう?家族なんだし、彼くらいには真実を教えてやっても良かったんじゃ?」
「もちろん、そのつもりだった。オレは警察関係者には事件の真相については口止めをしたが、彼だけには真実を伝えるように頼んだはずだったんだが───。」
新一の顔色が曇る。
恐らく彼には真実が正しく伝わっていないのだ。眉を顰める新一に、快斗は「まぁ、それは今更、仕方がないけど」と腕組みした。理由はともかく、問題はこれからだ。
「───で、どうする?彼、何か物騒なこと企んでるみたいだけど?」
「とりあえず、お前は旅館に戻って、彼に目を光らせておいてくれないか?何か動きがあったら、教えてくれ。」
それでは甘いのではないかと快斗は思った。あの偽者が何を企てているのかは知らないが、とっとと幕を引いてやればこの件はジ・エンドだ。そうしないのは、できれば事を荒立てずに解決したいという新一の心遣い。偽者のことを思ってのことなのだろう。
快斗は仕方がないなと溜息をつくと、「了解」と応じて小屋を後にした。
闇に包まれる森の中、快斗はふと新一を一人残した小屋を振り返る。
今回の事件の背景を思えば、誰が悪いとは言い難い。だが、きっと、新一は1人自分を責めているのだろう。そう思うと、快斗は何だか無性にやるせない気持ちになった。
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翌日、快斗が新一のもとを訪れたのは、夜も明けきらない早朝だった。小屋のドアを開くと、新一は毛布に包まったまま、眠ってはいなかった。どうやら一晩中、起きていたらしい。
「動いたよ。今、例の新聞記者の女性と一緒に、村長宅に向かってる。」
「河内さんと?何で彼女と・・・」
「さぁ?ただ昨日、彼女、何かを知っていそうな口振りをしてたから、もしかしてその件かも。彼女の泊まってるホテルまでわざわざ彼が出向いてね。話があるとか何とか言って、彼女を連れ出したみたいだけど?」
何故、こんな時間に例の事件現場に行く必要があるのか。そう考えると、どうにも不穏な気配がする。新一は僅かに眉を寄せた。
「オレも村長の家に向かう。お前は一度旅館に戻って、服部を連れて来てくれ。」
「じゃあもう一回、眠りの小五郎のおじさんに変装しないと。」
「別に村長の家に行くのは、お前じゃなくても構わねーから。」
平次だけ連れてきてくれればいいと言いたげな新一に、快斗はちょっとむくれてみる。確かに、事件の真相解決には探偵役がいるのだろうが。
「ヒドイなぁ。オレにも見物させてくれたっていいだろ?」
「好きにしろ。ただし、余計な手出しはするなよ?」
「わかった、わかった。」
快斗は両手を広げてそう言うと小屋を出て行った。そして小屋に残った新一は、机に置いてあった死羅神様の白髪のカツラに手を伸ばす。
そうして、死羅神様の格好をした新一は、森を駈け、1人村長の家へ向かったのだ。
彼を止めるつもりだった。
彼が何かしでかす前に。
しかし、事件は起きた。新一が見ている前で、何とあの“工藤新一”は刃物で河内さんを刺してしまったのだ。
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───やれやれ。何だか面倒臭いことになった。
小五郎の顔をした快斗は、そう思いながら森を走っていた。快斗としては一刻も早く新一と合流したいところだったが、そうはできない事情があった。
あの“工藤新一”の記憶喪失をどうにかしたいという一心で、森に死羅神様を探しに入ったらしい蘭を、平次達と目下捜索中なのだ。
「神頼みしたところで、どうにかなるもんでもないけどね。ってか、実際、今、死羅神様は名探偵だし?」
誰もいないことを見計らって、快斗はボヤいてみる。と、茂みの向こうに目ざとく人影を見つけて、その影に近づく。何とそれは蘭を背負った死羅神様、つまり新一だった。
「名探偵・・・・!彼女は?」
「大丈夫。気を失っているだけだ。おそらくケガも掠り傷程度だとは思うが。」
とにかく、まずは手当てが必要ということで、新一は死羅神様の格好のまま蘭をおぶって、快斗とともに小屋に帰る事にした。
快斗から提供された救急箱で、とりあえず蘭の手当てを終えて、新一もほっと息をつく。被ったままだった白髪のカツラをようやく外して言った。
「一体、何故、森になんか・・・。」
昼間とはいえ、たった一人で森に入り込むのは危険だ。どうして、彼女がそんな無謀なことをしたのかワケを知らない新一は眉を顰めた。
なので、快斗は言ってやった。
「死羅神様に会うためだよ。“工藤新一”が記憶喪失なのは、死羅神様の祟りのせいかもしれない。どうにかしてもらうためには、死羅神様に会ってお願いするしかないって村の人に言われたらしいからね。とんだ迷信だけど、神にもすがりたい気持ちだったってのはわかるだろ?」
新一は言葉もなく、ただ目を伏せた。無論、快斗も新一を責めるつもりはない。なので、さっさと話題を変えることにした。
「ま、それはそれとして。現状は結構、厄介なことになってるよ。」
「・・・・河内さんの容態は?」
「幸い、命に別状はない。とはいえ、立派な傷害事件だ。駆けつけた西の高校生探偵も、大慌てでね。まさか“工藤新一”が犯人なわけがないって、現場に急行した警察関係者から偽者を隠し、今はみんなで口裏を合わせてるけど、こんなウソがどこまで通用するか?」
ぺろっと舌を出して言う快斗に、新一も「そうだな。」と頷くしかない。そもそも偽者が真犯人である以上、庇い立てなどしても無駄なのだから。
「友情に厚いのはいいけど、探偵としては彼は失格だな。」
現場保存は捜査の鉄則。何より、1番の容疑者候補を連れ出すとはあるまじき行為だ。快斗がそう人の悪い笑いを浮かべると、新一は腕組みして言った。
「そう言うな。服部もオレを思ってのことだろう。」
・・・へぇ?さすがは同業者同士。仲がおよろしいことで。
快斗は唇の端を持ち上げた。
「───で?要するにあの偽者の目的は、名探偵に成り代わって罪を犯すことだったと。」
「ああ。おそらく、オレを人間的にも社会的にも抹殺するつもりだったんだろう。」
「確かに高校生探偵 工藤新一が犯罪を犯したとなれば、それまでの輝かしい功績に泥がつくどころか、致命的だな。だが、この計画は穴だらけだ。実際、ちゃんと調べれば、彼が工藤新一本人じゃないことくらい、すぐにバレるんじゃないのか?」
「そうだな。彼がオレに似せているのは顔だけ。おそらくは指紋も───」
やれやれと、快斗はうなだれた。もともと見せ掛けだけとは思っていたが、浅知恵にも程がある。新一に復讐したいのなら、何故、もっと上手くやらないのか。ツメが甘いとしか言いようがない。
「・・・まったくお粗末にも程があるね。とんだ出来損ないのレプリカだ。」
快斗のその言葉に、新一はただ黙っているだけだった。
「それで、この先、どうするつもり?どうやら頼みの西の高校生探偵は、あの偽者の無実を証明するって、間違った方向に頑張り始めちゃってるみたいだけど?」
そもそも、あの偽者を新一だと信じて疑わないから起きている弊害だが。これについては、本人が姿を現せば、全ては解決する。平次の推理など待たずして、いっそのこと新一が出て行けさえすればいいと思う快斗だったが。新一はそうは思ってはいないようだった。
「心配しなくても、服部ならすぐに真実に辿り着く。アイツもオレと同じ探偵だからな。」
そう不敵に笑って見せる新一に、快斗はふむと鼻息をつくしかない。すると、新一はこれからの段取りを快斗に示した。
「とりあえず、オレはいったんここを出るから、お前は蘭を探しているフリをして、服部達を上手く小屋へ誘導しろよ。」
「了解。死羅神様に助けられたってことにしとけばいーんだろ?いくら西の高校生探偵でも、この小屋のあの部屋を見れば、何か気づくだろうしね?」
「そういうことだ。じゃあ頼んだ。」
小屋を出て行こうとする新一は、ふと快斗を振り返った。
「・・・悪かったな。いろいろと手伝ってもらって。」
「いやぁ、別に。こっちもちょっとした興味本位で首をつっこんだだけだし?でも、オレ以外に名探偵の変装をできるヤツはそうそういないとわかって、一安心ってとこかな。」
「・・・・・言ってろ。」
新一は苦笑して、そのまま小屋を後にした。
やがて小屋で意識を取り戻した蘭のもとに平次達が訪れる。
新一の思惑通り、真相に気づいた平次が例の事件現場で推理ショーを始めると言い出したのは、それからすぐの事だった。
The end