自分の感情を隠すなら、お手のもの。
こと『怪盗キッド』と普通の学生という二足わらじの生活を強いられる今となっては、ポーカー・フェイスなど意識せずとも
既にしっかり染み付いてしまっている。
仕事柄、その時々によって付け替える他人の仮面。
他人を演じているうちに、『自分』という人間を演じていくことにもすっかり慣れた。
“良い人”の仮面をつけたり、計算高く“悪人”を演じて、本当の自分をごまかすことに。
・・・けど、長時間、プライベートまで自分を飾り続けるのはなかなかツライんだよな・・・。
校舎屋上の給水塔の上で仰向けに寝転がり、青く澄んだ空を見ながら、快斗は小さく溜息を漏らした。
快斗が白馬と一緒にいるようになって、約半年。
このままの状況がお互いによろしくないとわかっていながら、それを止められない自分の甘さ。
それを打破するために、快斗はずっと心に抱えていた後ろめたさを、昨夜、白馬に暴露した。
彼と真正面から対峙するために。
だが、白馬を絶望のどん底へ突き落とすだろうと思って言ったはずの快斗の言葉は、思ったほど効力を発揮しなかった。
・・・・・もともと、アイツの気持ちなんて、オレが『怪盗キッド』だっていう思い込みからスタートしたようなもんだしな。
相手は謎を解明することにしか、興味を持たない探偵。
『怪盗キッド』の正体を突き止めたことで、白馬の興味はもうすでに自分からは薄れてしまっていたのかもしれない。
「・・・なんかヤな感じだな。フッたのはこっちなのに、何でオレがフラレたような気分になるんだよ?」
モヤモヤと浮かんできた感情に、快斗はあからさまに眉を寄せ一人ゴチた。
と、不意にポケットに突っ込んだままの携帯がブーン電子音ともにバイブする。
素早く携帯を取り出した快斗は、液晶に映し出された発信者の名前を確認し、そのまま電話に出た。
「あ、寺井ちゃん?何?何かあった? ・・・ああ、その宝石の件なら知ってるよ。 いや、今回は見送ろうかと思っただけ。
だって、あんま『パンドラ』くさくないしさ。 ・・・・・うん、まぁ、そーなんだけどね。」
横になっていた体を起こしながら、快斗は乱れた髪をかきあげる。
寺井からの電話はもちろん仕事の件である。
近々、展示される予定のあるビッグ・ジュエルの話。
快斗は、こないだ行った情報屋のBarですでにその話は掴んではいたものの、『パンドラ』である可能性のあまりの低さに
乗り気ではなく、仕事をするつもりはなかった。
寺井もそのへんはよくわかっていて、今回の電話はその意思確認のためだったと言える。
だが。
ふと、快斗は思い直したように視線を彷徨わせると、寺井に告げた。
「・・・いや、やっぱ気が変わった。今夜、いただきに行っちゃおうかな? 可能性はゼロではないしね。」
□□□ □□□ □□□
「いたぞーーーっっ!!怪盗キッドだぁぁ!!!」
非常ベルがけたたましくなる中、いつもの中森警部の怒声が響き渡る。
夜空に颯爽と白い翼が広がった。
高層の建物のフェンスに白い怪盗が足をかけ、今にも闇へダイブしようとしたまさにその時、彼の背後に良く知った
気配が一つ現れた。
白馬である。
「・・・キッドっっ!!」
その声にキッドはゆっくりと振り返った。 いつもの怪盗らしく悠然とした笑みをその唇に張り付けて。
『快斗』を捕まえることができても、現場で『キッド』を捕まえる事は一度としてできない白馬である。
探偵と怪盗という立場における勝負は、今のところ、快斗の全勝だ。
正体がバレていようが、二人の関係がどうなろうが、快斗は決して勝負に手を抜く事などなかったし、もちろん白馬に
協力してもらおうなどと微塵も思ってはいない。
それは白馬とて同じ事。
だからこそ、白馬はいつだってこの真剣勝負には必死である。
キッドが振り返った先の白馬の瞳は、やはり切ないくらいに真剣な眼差しだった。
熱いほどの視線をキッドに送りながら自分へ近づいてくる白馬に、キッドは逃げもせず、ただじっと見つめていた。
とうとう白馬の手がキッドの腕を掴むか掴まないかという、その瞬間。
キッドがフワリと宙を舞う。
逃げられると思った白馬が慌てて一歩足を前へ踏み出した時、その胸倉を白いシルクの手袋をしたキッドがグッと掴んで
自分の方へ引き寄せた。
・・・え?!と白馬が思う間もなく、右目をモノクルに隠されたキッドの顔が近づき、次には羽のようにその唇を白馬のそれに
掠めて行った。
「・・・・キ、キッド・・・・?!」
驚いて白馬が声を上げた時には、もうキッドの姿はなく。
白馬は一人、屋上に佇んでいたのだった。
翌日、江古田高校。
屋上へと続く非常階段を上り終えた白馬は、ドアの向こうに一つの影を認めてホッと安堵の溜息をついた。
眠っているのか、目を閉じているだけなのか。
遠目にはわからなかったが、気持ち良さそうに横たわっている快斗の姿はいつものソレを何ら変わりない。
「・・・よかった。昨夜はうちに戻ってこないので、何かあったのではないかと心配しましたよ。」
白馬は彼の背後から、そう声をかけた。
その声に快斗は視線だけこちらに向け、一瞬、縄張りを荒らされた猫のように眉をひそめたが、また何事もなかったように
目を閉じる。
白馬はそんな快斗の態度には慣れているので、大して気に留める風でもなく、そのまま快斗の方までやってきて
その隣に静かに腰を下ろした。
その気配に、今度こそ快斗は目を開け、思いっきり不機嫌そうな声を出した。
「・・・・何で、オレの傍にくるんだよ?」
「いけませんか?」
にこやかにそう笑いかける白馬に、快斗は舌打ちをすると体を起こし、ガシガシと頭を掻いた。
「・・・お前さ、こないだ、オレが言った事、ちゃんと聞いてなかったワケ?」
「まさか。君の言葉なら一つ残らず、きちんと頭に叩き込んでありますよ?」
「・・・だったら・・・、」
「ええ、おかげですっきりしました。」
白馬の言葉に、快斗は幾分その目を丸くする。
「すっきりしたって、何がだよ?」
「いえ、だから。君のずっと心に秘めていることがわかって。」
そうにっこり笑って答える白馬に、快斗も自嘲気味に笑った。
「そうか。よかったな。」
白馬はやはりいつもどおりの笑顔を快斗に向けると、今度は視線を高い空へと移した。
「君に何を言われようと、全然何も変わらないんですよ。 同じなんです。」
「・・・そうだな。」
“同じ”というのが、探偵と怪盗という立場の事なのか、それとも二人のプライベートな関係に対する気持ちの事なのか。
あるいは、その両方を含めた意味合いなのかもしれないが。
快斗は白馬の言わんとしていることが、わかるような気がしていた。
どちらにしても、自分は白馬にとってその程度の存在だったと、そういうことなのだ。
快斗はそう思っていた。
だが。
白馬は再び視線を快斗へ戻すと、ふわりと優しい笑顔を浮かべて、こう言った。
「・・・たとえ、君が僕の事を本当に好きじゃなかったとしても、僕は君の事が好きですから。」
言われた言葉に、快斗は呆然としてポカンと口を開けてしまう。
頭に即座に浮かんだ言葉は、コイツ、バカじゃないのか?というものだった。
しかし、白馬はそんな快斗に構わず続ける。
「何を悩んでいるのかは知りませんが、今回、君が出した結論はあまり感心するものではありませんね。
僕の事を嫌いだと言えば、僕が君から離れるとでも?」
少しだけ声のトーンを落とした白馬に、快斗はグッと詰まる。
あの時言った快斗の言葉は、そんな単純なことではない。
だが、結果から見ればそう思われても仕方が無いかもしれなかった。
「・・・それに。君は僕のことだけでなく、自分自身のこともまだよくわかってはいないようだ。」
「・・・何が言いたいんだよ?」
「つまり。 君は本当は君は僕のことが好きなのに、自分ではよくわかっていないということですよ。」
一瞬の間。
次には、快斗は腹を抱えて笑い出した。
だって、笑わずにはいられない。 こんなオメデタイ人間を前に。
何で、こう全てを自分の都合のいいように解釈するのか。
その前向きさには頭が下がる。
結局のところ、人間、幸せなな気持ちでいられる方が勝ちなのだ。
ひとしきり、笑い終えた快斗は白馬を見てニヤリとした。
「・・・だから、お前は嫌いなんだよ。」
「でも、嫌いっていう顔していませんよ?黒羽君。」
言いながら、白馬は快斗に軽いキスをした。
唇が離れた瞬間、快斗は白馬の目を見て言う。
「思い込みの激しいヤツには何を言っても無駄だな。」
「ええ、そうですよ? だから、君が何を言っても僕は君から離れない。」
白馬も快斗の目を真っ直ぐに見返して言った。
快斗は、ずっと緊張感を取り戻したいと思っていた。
いつだって、死と隣り合わせであるという自分を忘れてはならないと。
たった一つの目的さえ果たす事ができれば、他には何もいらないはずだった。
他に大事なものなど作るなんて、足元をすくわれることになるのはわかりきっている。
何を自らリスクを背負う必要があるのか。
そんなことをするのはバカげている。
なのに。
・・・・結局は、オレもそのバカってことか。
快斗は苦笑すると、もう一度唇を白馬に寄せた。
「・・・・・白馬。オレの傍にいたいなら、一つ約束しろ。」
「何です?」
「死ぬ時は、オレの傍で死ね。」
「何ですか?それ。プロポーズの言葉ですか?」
「バーカ!んなワケねーだろ? お前も探偵なら意味をよく考えろ。」
わかったようなわからないような複雑な顔をしている白馬の唇に、快斗はそっと自分の唇を押し当てる。
冬空の下で重なった二つの影を、真昼の月が静かに見つめていた。