キッドが阿笠邸に押しかけてきた翌日、大きなあくびをしながら、オレは阿笠邸の門をくぐった。
「・・・はよ。」
「・・・・・・もうお昼だけど?
休日とはいえ、ずいぶんのんきなものね。」
リビングのソファで1人雑誌を読んでいた灰原に、そう冷たく出迎えられる。
確かに時計の針は正午を回っていた。
オレがソファに腰掛けるのと同時に灰原は腰を上げ、そのままキッチンに向かうと、コーヒーメーカーのポットを取って来てくれた。
「博士はどっか出かけてるのか?」
「ええ、朝早くから学会の集まりとかでね。」
暖かいコーヒーの入ったカップとサンドイッチがオレに差し出される。
どうやらオレが来るのを見越して、博士が用意してくれていたらしい。
オレは「サンキュ」と言ってから、コーヒーを喉に流し込んだ。
「目が赤いわね。もしかしないでも、例のエンディミオンの件を徹夜で調べていたとか?」
「・・・まぁな。」
あくびを噛み殺しながらオレがそう答えると、灰原は呆れたように息をついた。
「よくやるわね。まるで砂漠の中からダイヤを探すような話だと思うけど。」
「・・・・・・まぁな。」
サンドイッチを頬張りながら同じ台詞を繰り返すと、再びソファに腰を下ろした彼女はオレに冷たい視線を向けた。
「大体、そこまで労力を費やす価値があるのかしら?組織に繋がる有力な情報なら、あの怪盗さんがわざわざ貴方に託す時点で胡散臭いと思うけど。」
そんなことは言われなくてもわかっていた。
エンディミオンという不老不死を研究している秘密結社の存在、そしてそれに例の組織が加担しているかどうか。
全てが不確かだし、極めて曖昧な情報である。
そもそも、キッドがオレに丸投げしてきたくらいだ。
「要するに、オレにやらせておいて万が一にもヒットするようなことがあれば、ラッキーってことなんだろ。」
コーヒーカップの中の琥珀色の液体を見つめながら言うと、灰原は神妙な顔をする。
「いいように使われているようにしか見えないけど、それで構わないの?」
それにはオレは、唇の端を斜めに持ち上げた。
「別に。大人しく使われてやるつもりはないさ。もし、オレが何か掴んだとしても、それをアイツに教えてやる義理もないだろ。」
そんな約束もしてないしなとオレが笑うと、灰原も「あ、そう」と頷いてから、その瞳を細めた。
「まぁ実際、そんな有力な情報を掴めるかどうか・・・。」
彼女のその台詞には、オレは無言で返すしかない。
星の数ほどある企業の中から、果たしてエンディミオンに繋がりのあるものを見つけることができるのか。
そしてそこから、例の組織への関連性を導き出すのが容易な事だとは、到底、言えるわけもない。
それでも、奴らに繋がる可能性が少しでもあるのなら。
「とにかく、やれるだけやってみるさ。何もないよりはマシだからな。」
笑顔を作ったオレに対し、目の前に座る少女はその細い眉を寄せた。
組織に関わろうとするオレを、どうにも灰原は良く思っていないらしい。
ヤツらに近づくことで、オレやオレの周囲の人間に危険が及ぶことを懸念しているのだろうけど。
・・・これ以上、コイツに心配かけるワケにもいかねーな。
オレがそう思った時、ふと上着のポケットに入れっぱなしだった携帯が着信音を奏でた。
───まさか、キッドのヤツじゃねーだろうな?!
昨日の今日でそれもないと思うが、以前、非通知でいきなり電話をかけてきたことがある以上、その可能性は否定できない。
覚悟を決めて携帯を手にしてみると、液晶には表示されていたのは高木刑事だった。
・・・事件か。
一呼吸置いてから、オレは電話に出る。
「工藤です。ええ、はい。大丈夫です。・・・・わかりました。では、今からそちらにお伺いします。」
会話を終え、素早くソファから立ち上がったオレを灰原が見上げた。
「捜査の依頼?」
「ああ、殺人事件らしい。ちょっと行って来る。」
「徹夜明けなのに、ご苦労様なこと。」
行ってらっしゃいと手を振る灰原にオレは苦笑し、朝食兼昼食の礼を告げてからリビングから出て行く。
そういうわけで、エンディミオンの調査に後ろ髪を引かれつつも、オレは連絡を受けた事件現場へと向かったのだった。
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そこは閑静な住宅街だった。
事件が起きたというその家は、白く高い塀で囲まれていて外観からでもかなりの豪邸である事が窺える。
パトカーが固めている屋敷の門を通り過ぎようしたところで、オレはふと気になって視線を留めた。
・・・監視カメラか。いやに数が多いな。
ここまで豪邸なら、確かにセキュリティを充実させたいのもわかるが、それにしてはちょっと厳重過ぎじゃないか?
少々度が過ぎるそのセキュリティ設備に、オレが違和感を覚えていると、屋敷の扉が開いて中から人が出てきた。
高木刑事だ。
「あ、工藤君!こっちこっち!目暮警部がお待ちかねだよ。」
「すみません。お待たせして。」
「いやぁ、こっちこそせっかくの休日に呼び出しちゃって申し訳ないんだけどね。ぜひ工藤君の力を借りたいと思って。」
「僕でお役に立てることでしたら。それより、ずいぶん立派な屋敷ですね。」
「ああ、サプリメント通販の会社社長宅だからね。自宅兼会社オフィスだそうだよ。にしても、この豪邸を見る限り、かなり儲かっていたんじゃないかなぁ。」
うらやましいと零す高木刑事に現場を案内してもらいながら、オレは事件の詳細を聞いた。
被害者は、この家の主、広渡 優人(ひろわたり ゆうと)さん、32歳。
3年ほど前にネットによるサプリメントの通販会社を設立し、今では年商数億にも及ぶいわゆる実業家だ。
今日は彼の誕生日パーティが開かれると言う事で、友人達が訪ずれていたのだが、パーティ開始時間を過ぎても現れない主役を探したところ、自室で死んでいるのが見つかったらしい。
オレは高木刑事に連れられて、被害者の遺体が見つかった自室へ向かった。
自室と言っても寝室ではなく、社長室だ。
鑑識の人達に軽く会釈してから、オレは高木刑事に続いて中に入った。
小奇麗に整えられている部屋は、書籍が並ぶ本棚と中央のデスクにノート型のパソコンがあるだけ。
室内は特に荒らされた形跡はなく、ただデスク脇の床におびただしい血とともに被害者が横たわっていた。
「えっと、被害者は後頭部を鈍器で殴られて撲殺。凶器はこの部屋にもともとあった灰皿ということだけど。」
高木刑事に誘導され、オレは被害者の傍へ行きあたりを見渡すが、特段、何かトリックを使った形跡などは見受けられない。
ただ、気になるところと言えばだ。
オレは背後を振り返った。
社長室の出入り口付近に1人立つあの男性。
さっきからずっと部屋の様子を観察しているようだけど、一体何者だ?
「高木刑事、あの人は?」
「ああ、彼は被害者の経営していたサプリメント会社の役員の伊東 康之(いとう やすゆき)さん。亡くなった広渡さんの片腕だったらしいんだけどね。事件を聞いてかけつけたみたいなんだけど、現場が社長室だと知ったら、会社の機密情報があるから迂闊に触って欲しくないとか言い出しちゃって・・・・。」
「・・・なるほど。だから、あそこで鑑識の人達の様子を窺っているワケですね?」
苦笑する高木刑事に、オレは頷いた。
・・・にしても、わざわざ監視しに来るなんて。
捜査の段階でもし会社の機密情報を知る事があったとしても、それを世間に公表することなど警察がするわけないのに。
オレは少し目を細めて、その男性を見つめた。
「あ、工藤君。そろそろ別室で目暮警部が関係者の事情聴取を始めるようだよ。」
「わかりました。」
オレは高木刑事に促されると、現場をあとにした。
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事件は、あっという間のスピード解決だった。
犯人は今夜の誕生日パーティの出席者の1人で、被害者の古くからの友人でもある男性。
結果から言うと、過去の交友関係のもつれによる突発的な殺人だった。
計画的で無かったことから、その偽装の手口はあまりにも
粗雑だったため、あっけなく逮捕にいたったわけだが。
事件解決に1番安堵した様子だったのは、例の会社役員の伊東さんだった。
彼は真っ先に目暮警部に詰め寄っている。
「目暮警部、無事、犯人逮捕できたようですし、社長室への私達の出入りはもう許可していただけますか?それから、犯人の狙いは企業スパイなどではなかったのですから、備品を証拠品として押収されるなんてこともないですよね?!」
「・・・あ、ああ、ええっと、そうですな。鑑識の方で現場のデータは取りましたから、社長室へはもう自由に入っていただいて結構です。室内の物でこちらがお預かりするのは、凶器となった灰皿のみと言うことで大丈夫でしょう。」
目暮警部のその言葉に伊東さんは頷くと、すぐさま部屋をあとにする。
すれ違うその彼の様子をオレは目だけで追いかけたが、本人は気づいた様子もなく社長室へと消えていった。
・・・あの人、ちょっと引っかかるんだよな・・・。
「工藤君?どうかした?」
オレの目線の先が気になったのか、高木刑事が声をかけてきた。
「・・・あ、いえ。それより、思ったより早く片付いて良かったですね。」
オレが笑顔を向けると、高木刑事もくしゃっと笑った。
「いやぁ、工藤君のおかげだよ。本当にいつもご苦労様。自宅まではきっちり僕が送らせてもらうからね。」
無論、ありがたいその申出にはにっこりと微笑んだオレだが。
現場となった被害者宅から引き上げる警察関係者の人波の中で、オレは1人立ち止まった。
「・・・すみません。ちょっと忘れ物をしたので、先に行っててもらえますか?」
オレはそう告げると、屋敷の中へ引き返した。
向かった先はもちろん例の社長室。
オレがドアを開けようとノブを引くと、思いの他、勢いよく扉が開いた。
どうやら内側からもドアを開けようとしていたようで、扉のすぐ向こうには伊東さんが立っており、彼はドアの外に居たオレに突進した形となって、手にしていた書類やらディスクならを
派手に床にぶちまけた。
「あ、すみません。大丈夫ですか?」
「ああ、いいんだ!触らないでくれ!!君は確か、高校生探偵の・・・。まだ居たのか。何か用でも?!」
膝を折り床に屈みながら、伊東さんは慌てて書類を拾う。
彼が必死でかき集める書類の中で、ふとある単語がオレの目の端に飛び込んできた。
『Endimion』
オレは目を見開く。
・・・見間違いか?いや、でもまさか───
ほんの一瞬だけ見えたそのワードは、あっと言う間に伊東さんが抱える資料の山に飲み込まれてしまって、最早確認する事も出来ない。
ようやく資料をすべてかき集めた彼が、改めて訝しげな目でオレを見返した。
「警察の方々にはお引取りいただいたと思ったが。この部屋に何か?」
「・・・あ、ああ、えっと。ちょっと中に忘れ物をしたみたいで。」
そう適当なことを言ってみたが、今はそんなことよりも彼の持つその資料の方が気になる。
「たぶん現場検証をしている時に、うっかり置き忘れてしまったんじゃないかと・・・。」
オレが笑顔で取り繕うと、伊東さんは仕方がなさそうに息をつき、再び社長室へと入っていった。
彼に続いてオレも中に入る。
もちろん忘れ物しただなんて、社長室に入るための口実でしかなかったが。
オレは心の内でぺろっと舌を出し、部屋の中を見渡した。
中は先程来た時と、特段、変わった様子はなかったが、彼が抱えている資料はきっと被害者のデスクにあったものなのだろう。
ディスクもあるから、もしかしてPCのデータを持ち出した可能性も。見せて欲しいけど、まさか頼んだところで見せてもらえるワケもないか。
オレはそう思いながら、被害者のデスクに置かれたままのPCを見つめた。
「忘れ物はあったのあったのかね?」
「・・・あ、いえ。すみません。僕の勘違いだったようです。失礼しました。」
さっさと出て行けと言わんばかりの声色に、オレは笑顔で返した。
いろいろ気になるところもあるが、今日はこれ以上長居をすることもできない。
オレは仕方なく、社長室を後にした。
とにかく、今の段階で言えることは、だ。
まだ確定はできないが、もしかしたら被害者の経営してたサプリメント会社が、例のエンディミオンを何らかの関わりを持っていた可能性があるということ。
まさか、こんな偶然があるとはな。
今日、この事件に呼んでもらえたことを感謝しなければ。
オレは背後の豪邸を振り返った。
「・・・・とりあえず、調べてみる価値はありそうだな。」
そう呟いて。
2008.05.13
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