犯行日当日、秀峰美術館。
上空にはヘリが飛び、美術館内もその周辺も既に物々しい警備体制が敷かれている。
例によって目暮警部の口添えで捜査に加わることができた新一は、中森警部らとともに、今夜のキッドらのターゲットが展示される部屋を訪れていた。
「今回の防犯システムは、発明好きのこの美術館の館長によって考案されたものでな。全面硬質ガラスで覆われたケースを高圧電流の流れる鎖で宙に吊るしてあるんだよ。」
展示室中央に設置されたその仕掛けを指差し、中森警部がそう得意げに説明するのを、新一は黙って聞いていた。
それは一見、大掛かりな仕掛けなようで、実は高圧電流さえ何とかなればどうにでもなるように新一には感じられたが。
・・・ま、実際問題、アイツにかかれば役にも立たなそうなシステムだな。
という台詞は心の中だけに留めておくとして、新一はその天井から太い鎖で吊るされたガラスケースの中身に注目した。
これから宝石が置かれるであろう台座ギリギリまで、透明の液体が入っている。
「あの液体は?」
「水だ。何でもブラック・オパールは乾燥に弱いらしくてな。館長の指示で入れている。」
なるほどと新一は頷いた。
「館長さんのお名前は確か近藤さんでしたっけ。そういえば、彼の姿が見当たりませんが、今、どちらに?」
「・・・それが、あのハゲオヤジ、腹が減っては戦はできぬとか言って、食事に出とるらしいんだ。まったくナメてるだか、大物なんだか・・・。」
忌々しそうに中森警部がそう答えるのを、新一は苦笑する。
それから、思い出したように話題を転換した。
「ところで今回の件に関して、キッド本人からの予告状は届きましたか?」
「ああ、そういえば来ないな。あれじゃないか?ナイトメアからの犯行予告で共同声明ってことで済まされてるとか・・・。」
「そうかもしれませんが、でももしかして、ナイトメアが勝手にキッドと組んだ気になっているだけだったとしたら、面白いですね。」
「まさか、キッドのヤツが盗みに来ないとでも?」
目を丸くした中森警部に、新一はにっこりする。
「例えばの話ですよ。大体、キッドが誰かと共謀するなんて、らしくないと思いませんか?」
「そ、そりゃまぁ確かにそうだが・・・。」
「実際、キッドがここに現れたとしても、本気でナイトメアと組んでいるのかどうか、怪しいものですよ。」
「言われてみれば・・・。」
うーむと唸りだした中森警部に、捜査員の1人が近寄った。
「警部、ICPOの方がいらっしゃいました。」
その声に中森警部は新一との会話を中断し、やや気難しい顔を作る。
やがて、数人の捜査員に誘導され、展示室にそれらしい人物が入ってくると、警部は咳払いを1つ、襟を正す。
「遅くなってすみません。」
出会い頭にそう頭を下げたのは、スラリとした長身の紳士的な男性だった。
見た目はもちろん完全に外人だが、実に流暢な日本語である。
そんな彼に、中森警部も恐縮そうに言う。
「ああ、いえいえ。しかし、お1人で来られたのですか?」
「私の部下は外で待機を。警備体制については先日、入念に伺っておりますし、我々はあなた方地元警察に協力させていただくだけで、逮捕権はありませんから・・・。」
と、そこで灰色の瞳が中森警部の横にいた新一へと向いて、不審そうな色を浮かべた。
「あの・・・。そちらの少年は?」
「ああ、えーっと。彼はですね・・・・。」
「工藤新一、探偵です。」
自ら新一がそう名乗ると、ICPOの捜査官はその細い目を僅かに見開いた。
「探偵?」
「はぁ、まぁその。彼はまだ高校生なんですが、探偵としての推理力は非常に優秀で。我々警視庁でも事件解決に時々協力をしてもらっとるわけなんですよ。怪盗キッドの予告状の暗号解読など、特に。」
「・・・ほぉ?それは頼もしいですね。」
ICPOの捜査官は興味深そうに新一を見据えて、それから改めて右手を差し出す。
「初めまして。私はジャック・コネリーと言います。今はナイトメアを追って、世界中を飛び回るのが仕事です。」
求められた握手に、新一も笑顔で応じた。
「日本語、お上手なんですね。」
「妻が日本人でね。もう3年前に亡くなりましたが。」
するとその時、警備員が小さな子供を連れてやってきた。
「警部、子供が館内に忍び込んでいました。」
「パパ〜!」
「ケ、ケンタ?!」
場違いな子供の登場に一瞬、騒然となるが、コネリー氏が慌ててその子を部屋の隅まで連れて行って話をしている。
「な、何なんだ?あの子供は?!」
眉をつり上げた中森警部に、新一も隣で口を開く。
「どうやら、コネリー氏のお子さんのようですけど。」
ひと通り話がついたのか、コネリー氏が申し訳無さそうな顔を作って戻ってきた。
「すみません。息子のケンタです。仕事柄、私が面倒を見ることができないもので、日本で施設に預けているのですが、どうやら抜け出してきてしまったようで・・・。今すぐ、帰らせますから。」
しかし、子供は帰りたくないようでダダをこね始めた。
普段、離れ離れで暮らしている父親に会うために、決死の思いで施設を飛び出してきたらしく、何とか父親の傍にいさせてもらおうと懇願している。
しかし、かわいそうだが、この状況でそれを聞き入れてやるわけにもいかなかった。
父親であるコネリー氏は、息子を必死になだめる。
「仕事が終わったらすぐ会いに行くから、とにかく今は施設に戻りなさい。
大体、また頭が痛くなったらどうするんだ?安静にしていなさいといつも言っているだろう?さぁ車を手配するから、それに乗って帰りなさい。」
まだ納得していない風な小さな子供は、そのまま警備員に引きずられるようにして展示室を去って行った。
「お騒がせして、本当に申し訳ありませんでした。」
頭を下げるコネリー氏に、中森警部は「いやいや」と首を横に振った。
「かわいい息子さんですな。よほど貴方に会いたかったんでしょう。それより、息子さん、どこか悪いのですか?」
「・・・ええ、実は、生まれつき重い病を患っていまして。良い医者を見つけて手術を受けさせてやりたいんですが、なかなか・・・。」
「それは・・・大変ですな。」
妻に先立たれ、更に病気を抱えた息子がいるとは、何とも気の毒なことだと、中森警部は眉を寄せた。
それからコネリー氏は一応息子を美術館の入り口まで見送ると言って、展示室を出て行った。
「じゃあ、僕も少しその辺を見回ってきます。」
中森警部にそう許可を取って、新一も展示室を後にした。
犯行予告まで、まだ少し余裕はある。
キッドが『暗黒の騎士』(ダーク・ナイト)を盗むつもりなら、既に館内に忍び込んであの防犯システムに何らかの仕掛けを及ぼす可能性は充分にあった。
「・・・ま、ブレーカーを落としちまえば、高圧電流も何もないけどな。」
そう呟きながら、新一は展示室のあるフロアから1Fへと非常階段を使って下りて行った。
美術館の正面入り口が見えたところで、ちょうど息子を見送ってきたらしいコネリー氏が新一の視界に入る。
何やら、入り口の警備員ともめているように見えた。
・・・何してるんだ?あの人?
不思議に思って、新一は近づいてみる。
と、コネリー氏も新一に気づいた様子で振り返った。
「どうかしたんですか?」
訊ねる新一に、コネリー氏は笑顔を作った。
「ああ、いや。事前に警備態勢について資料をもらっていたんだが、今日、実際の警備と多少違うところがあったのでね。ちょっとそれを確認していたんだよ。」
「どこか変わっていたんですか?」
「警備員の配置が少しね。」
「配置・・・ですか?」
警備態勢については予め新一も頭には入れているが、さしたる変更点は聞いてはいない。
実際、コネリー氏の話を聞いてみると、配置の変更というほどのものでもなかった。
多少、陣列に乱れがあったというだけのことだ。
「ずいぶん細かいところまで、見られているんですね。」
感心したように新一が言うと、コネリー氏はさも当然のように言い放つ。
「何しろ相手はナイトメアだ。こちらとしても完璧に警備態勢を把握しておく必要があるのだよ。この厳重な警戒を突破するべき道があるかどうか、考えねばならないのでね。」
「なるほど。確かにそのとおりですね。」
新一はにっこり頷く。
本当は多少思うところがあったのだが、それ以上何も言わず、館内を巡回しに行くコネリー氏の背中をただ黙って見つめていたのだった。
警察の警戒態勢を破り、盗みの手口や逃走経路を完璧に組み立てるという計画師のナイトメア。
それは警察の情報を完全に入手していなければ、出来ないワザである。
情報を手に入れるための1番オーソドックスな方法と言えば、盗聴や内部に潜入するなどといったものだが。
「警察に内通者がいるか、それとも・・・ナイトメア自身が警察関係者の可能性も捨て切れねーな。」
新一は1人、そう呟いたのだった。
□□□ □□□ □□□
新一が再び展示室に戻ると、これから例のケースの中に『暗黒の騎士』(ダーク・ナイト)を入れるところらしく、ケースの周囲にたくさんの警備員が集まっていた。
その中には、先程はいなかったはずの近藤館長までいる。
警備員によってブラック・オパールのイヤリングが運ばれてくると、その場に居た全員がその美しさに息を呑んだ。
「はぁ〜。ブラック・オパールっていうくらいだから、黒い宝石かと思ったんですがね。」
実際は黒ではなく、青々と輝く宝石を目にし、中森警部がそう言った。
すると、館長がにっこりと笑った。
「ブラック・オパールは母石が黒、またはグレーの上に様々な色が出るもののことを言うんじゃよ。『遊色効果』といって、レッド、オレンジ、イエロー、グリーン、ブルー、インディゴライト、バイオレットの七色が浮かび上がることが特徴でのぉ。」
確かに、石には光の角度によって、幾すじもの色が見える。
新一も中森警部の横から、その様子を見て感心していた。
「ブラック・オパールは世界各国で産出される他の宝石とは違って、オーストラリアのライトニングリッジという鉱山からしか産出されないことでも、非常に貴重なものでの。古くは古代ローマ時代の皇帝一族や、後にはヨーロッパの王室でも愛用された由緒ある石なんじゃよ。と、いうワケでこの美術館にとっても非常に大切なものなんじゃから、ぜひとも頼みますぞ、警部!」
そう言って、最後には館長は中森警部の肩を叩いた。
やがて、警備員の1人が慎重に宝石をケースの中の台座に置くと、最終的な確認を済ませた館長自身がケースの蓋を閉める。
その様子を、一部始終新一は見ていた。
蓋を閉め終わった館長がケースを持ったまま、危なっかしくよろけて見せたところで、新一の目が僅かに細められる。
やがて、ケースが鎖に吊るされて行くと、館長は満足げな微笑みを浮かべて、その場を去って行く。
それを新一はすかさず追った。
館長の姿は、どんどん人気のない非常階段の消えていく。
誰もいない階段の踊り場まで来て、新一はその館長の背中に声をかけた。
「よぉ、怪盗キッド。細工は流々ってとこか?」
すると、館長の足が止まって、ゆっくりと後ろを振り返った。
その顔は明らかにこの美術館の館長のものだが、少しも動じた風でない笑顔はもはや、怪盗独特のものだった。
新一は、唇の端を持ち上げる。
「オレの前で堂々とあんな仕掛けしやがって。あのアクリル板、今から外しといてやろうか?」
「それは困るなぁ。」
もはや、化けの皮を剥いだ怪盗は、ちっとも困って無さそうな顔でそう笑った。
「にしても、驚いたぜ?まさかお前がナイトメアと手を組むとはな。友達はちゃんと選んだ方がいーんじゃねーか?」
意地悪くそう新一が言ってやると、館長の面を被ったキッドも苦笑した。
「そりゃもちろん、友達を選ぶ権利はこっちにもあるしね。」
「じゃあ何だ?共謀するにはワケがありそうじゃねーか。弱みでも握られたか?」
実際、このふてぶてしい怪盗に弱みがあるとは、新一にはとても思えなかったが。
それには、館長の姿のままのキッドもそっぽを向く。
「弱みねぇ?まぁ確かに、一応向こうは脅してるつもりではあるみたいだけど、正直、別に。」
怪盗キッドの正体についての脅しをしてきたナイトメアに対し、実はキッドはまるで脅威と捕らえてはいなかった。
何しろ、決定的な証拠があるわけではない。
確かに、ナイトメアが掴んだネタは真実ではあったが、それを闇に葬る術はキッドにはいくらでもあったのだ。
キッドが何をどう脅されていたのかわからない新一は、少々小首を傾げるが、それでも会話を続けた。
「で?それでも、ナイトメアの脅しが効いたフリをしてやってるのは、どういうつもりなんだ?」
それには、キッドは「ああ、それはね」とニッコリした。
「『暗黒の騎士』(ダーク・ナイト)はもともと目をつけていた獲物でね。よその盗賊の手に渡るより、自分でいただきに行った方が手間が省けるって思っただけ。」
確かに『暗黒の騎士』(ダーク・ナイト)がキッドの獲物であるならば、それが1番手っ取り早い方法なわけで。
「・・・・やっぱり、ナイトメアと手を組んだわけじゃなかったのか。っていうか、向こうが勝手にお前と組んだ気になってるだけなんだな。」
新一の言葉には、キッドはニヤニヤしているだけだ。
と、キッドは胸元から何かを新一の方に投げた。
瞬間的に右手で受け取った新一は、それが白い封筒であることを確認する。
それは、お馴染みのキッドの予告状によく用いられるものだ。
「・・・何のつもりだ?」
「改めて、今夜の予告状。とりあえず『暗黒の騎士』(ダーク・ナイト)は、いったん、オレの手に預けてもらいたい。その方が、警視庁にも素晴しいプレゼントができると思うんだけどね。」
ニヤリとする怪盗の顔を見据えた新一は、手にした封筒の中身を開ける。
そこには、キッドが後にナイトメアで落ち合う場所が記載されていた。
「・・・ナイトメアを逮捕させてやるってことかよ。確かに、それはお前にとっても都合だろうな。」
新一がそう言うのを、キッドはただ笑みを浮かべたまま黙っていた。
封筒を手に、新一は溜息をついた。
「・・・わかった。この場は見逃してやる。けど、後で会ったら、その時はナイトメア同様、お前も捕まえてやるから、覚悟しとけよ?」
新一はそれだけ言うと、館長の顔をしたキッドの脇を通り過ぎて行く。
そんな新一を、キッドは目だけで追った。
「さすがは名探偵。いっそのこと名探偵が相手なら、手を組んでもいいような気もするけどね?」
去っていく新一の背中に、キッドはどこまで本気なのか、そう小さく呟いたのだった。
To be continued
例のサンデーの「まじ快」 ダークナイトの巻。
一応、後編を読んだ上で、話を書いております。ナイトメアの正体を変えるわけにはいかないので、
まぁこんな感じで進めてみました・・・(汗)