やがて警察が到着すると、ホテルは物々しい雰囲気となった。
やって来たのは、新一にとってはお馴染みの警視庁捜査一課の面々。
新一は自ら目暮警部に接触し、事件の概要などを説明している。
その様子を、快斗は遠巻きに見つめていた。
・・・おいおい。人目につきたくないんじゃなかったっけ?
けれども新一はまるでお構い無しに、一課と供に捜査をする気のようである。
そんな新一のもとへ、阿笠博士から携帯に連絡が入った。
哀がどうしても帰らないと言っているらしい。
溜息1つ電話を切った新一は、遠目に快斗を見つけると手招きした。
「悪いけど、お前から目暮警部に事件が起きた時の詳しい様子を話しておいてくれないか?」
「構わないよ。オレもステージがなくなって暇だし?」
「すまない。オレもすぐ戻ってくるから、それまで頼む。」
お安い御用と快斗は快諾した。
新一がこの場から席を外す理由を、快斗はわかっている。
だから、現場から去ろうとする新一の背中にニヤリと笑って言った。
「そういえば、例の彼女はデザートに興味があるみたいだね。ケーキを作ったパティシエを探して、厨房の方へ行ったみたいだったけど。」
その快斗の台詞に、新一は足を止めて振り返った。
笑みを浮かべた快斗の瞳に、新一は何かを感じる。
ふと、何もかもバレているような気がしたのだ。
・・・いや、まさかな。
頭に過ぎった感覚を即座に打ち消すと、新一は事件現場を後にしたのだった。
その頃、哀は1人厨房で、調理用に置かれている酒を物色していた。
確認したところ、問題のケーキを作ったのはホテルの専属パティシエではなく、見習いの調理人で、誤って実際のレシピとは異なった材料配分で作ってしまったらしい。
当の本人に話を聞ければよかったのだが、あいにく既に帰宅済み。
仕方なしに、自力でケーキに使われていそうなリキュールを探していたのである。
そんな哀の姿を見つけた新一は、声を荒げた。
「灰原!」
けれども彼女は新一を振り向く事もなく、洋酒が置かれている棚へと手を伸ばしていた。
「・・・食べた量も違うのに、貴方と私でほぼ同時に症状が現れた。男女の性別の差が関係しているのかもしれない。どうしてもサンプルが欲しいの。」
「今はそんなこと言ってる場合じゃない!一刻も早くここを脱出するんだ!」
その新一の声は、快斗の耳にも届いた。
頼まれていた目暮警部への説明をさっさと済ませた快斗は、新一の後をこっそり追っていたのである。
快斗は二人のいる厨房へこっそりと忍び込み、気配を殺して二人の様子を窺うことにした。
見たところ、双方の言い分は相変わらず平行線を辿っているようである。
「貴方は5分の1で危険が迫ってるって言うけど、これは5分の4のチャンスでもあるの。貴方と私は運命共同体。逃げるのも一緒。調べるのも一緒。それ以外に道はないわ。」
毅然とした表情の哀に、快斗はへぇ?と目を細める。
どうやら、相当、肝の据わった少女らしい。
と、新一が小さく溜息をつきながら言った。
「確かにお前の言うとおり、あのケーキの成分が分かれば、もとの体に戻るヒントになるかもしれない。だがそれも、お前が無事に研究を続けられることが大前提の話だ。」
「・・・わかってるわ。彼らが裏切り者の私を生かしておくはずはないもの。そして、例のクスリの開発者である私が死ねば、全ては水の泡。貴方も一生、もとの姿に戻る事はできないかもしれないわね。」
「だから、お前に何かあったら困るんだよ。お前も研究を続けたいなら、まず身の安全を第一に考えてくれ。」
その新一の台詞を最後に、二人の間に沈黙が訪れる。
快斗にとって、そんな二人のやり取りは実に興味深かった。
───要するに、幼児化しちゃう厄介な薬を作ったのは彼女で、しかも何者かに裏切り者として追われているワケだ。名探偵や彼女が姿をさらしちゃヤバイのは、つまりソイツらってことかな。
大体において事情を把握してしまった快斗は、その瞳を光らせる。
・・・にしても、彼女。ただの科学者じゃないな。何者だ?
しばらく哀を見つめていた快斗は、意図して凍りついたままの新一達の前へ出て行く。
不意に現れた快斗に、新一も哀も弾かれたように視線をぶつけた。
「お、お前っ!いつから・・・・っ」
驚いて声を上げた新一に、快斗はまさかずっと様子を窺っていたなどと言うワケもなく、「たった今来たばかり」とウソをついた。
「言われたとおり、目暮警部には説明してきたよ。で、阿笠博士だっけ?彼が名探偵のこと呼んでたけど?ホテルの入り口に車を用意してるから、彼女を連れて来いってさ。」
「・・・あ、ああ、サンキュ。」
新一は視線を哀へ流すと、彼女の腕を軽く引いて快斗の前に差し出す。
「悪いけど、彼女を博士のとこまで送ってもらえるか?」
「もちろん。」
「頼む。」
「じゃあ、行こうか?」
笑顔で差し出された快斗の手を取る事もなく、哀は新一を一瞥してから、厨房を出て行く。
快斗はそんな彼女に苦笑し、そのまま後を追った。
一人残された新一は溜息1つ、今度こそ、哀が無事にホテルを出てくれることを祈ったのだった。
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ホテル前は、事件のために駆けつけたパトカーで騒然としていた。
ざわつく人の波の中、快斗は哀と並んで歩く。
快斗が盗み見た哀は、ただ冷めた瞳をした少女だった。
「ケーキ、好きなんだ?」
快斗がそう話題を振ると、哀は驚いたように快斗を見返した。
「いや、だって。わざわざ厨房までケーキの作り方を聞きに行くくらいだからさ。よっぽどあのケーキが気に入ったのかと思って。」
何も知らないフリをする快斗であるが、哀は不審げに眉を潜めた。
なんだか、この少年は引っかかるのだ。
そんな哀に構わず、快斗は会話を続ける。
「レシピどおりに家で作ってみようとか思ったわけ?」
「・・・別に。」
と、不意に哀が足を止める。
何かを感じたように立ち止まって辺りを見回す彼女に、快斗も眉を寄せた。
「どうかした?」
訊ねる快斗の声も、哀には届いていない。
両腕を抱きしめるように、哀はただ怯えていた。
すると、突然、人ごみから銀色のナイフを持った黒尽くめの男が姿を現した。
目を見開く哀に向かって、男は鈍く光るナイフを突き立てる。
だが、次の瞬間、男の手からナイフが落ちた。
快斗が哀と男の間に割って入り、ナイフを持つ男の手をひねり挙げたのである。
まさか、邪魔が入るとは思ってなかった男は、慌てたようにその場から逃げていく。
黒尽くめの男は、あっという間に人の波に溶け込んで消えてしまった。
哀は愕然とした表情のまましばらく立ち竦んでいたが、そのまま何も言わずにホテルへ走って戻っていく。
快斗は、そんな彼女をすぐ追おうとはしなかった。
彼もまた、その場に立ち尽くしていたのだ。
その顔には、全くと言って表情がない。
ただ冷え冷えとした空気だけを纏って。
それは押し殺した殺気だった。
そう。
快斗は気づいたのだ。
哀を襲った黒尽くめの男が、自分が追っている組織の人間であることに。
・・・・驚いたな。
っていうことは、彼女はもしかしないでもオレが追っている組織の人間で、名探偵達は奴らに追われている。いや、もしかして名探偵も奴らを追っているのかな?
それにしても、思わぬところでとんだ情報を得られたものである。
快斗は唇の端を持ち上げて冷笑した。
「まさか、ここで名探偵と繋がるとは思ってもみなかったけどね?」
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ホテル内ロビー。
再び阿笠博士に呼び出された新一は、ロビーにいる哀と快斗の姿に眉をつり上げた。
「まだいたのか?!」
「ああ、新一。実はホテルのすぐ外で、ナイフを持った男に襲われたらしいんじゃ。」
博士の言葉に新一は眼を見開く。
両腕を抱えてソファに座る哀は、ひどく怯えた様子だった。
哀を襲う人物など、例の組織の人間の他にいない。
新一は、「ちょっと」と哀をその場から連れ出すと、事情を問いただした。
「・・・ヤツらか?」
「ええ。既にここは囲まれているってことね。それより・・・」
哀は肩越しに小さく振り返って、博士と談笑している快斗を見つめた。
「・・・・彼、一体、何者なの?」
「アイツがどうかしたのか?」
「刃物を持って襲ってきたのは組織の人間。つまりプロなのよ?それを全く動じる事もなく、追い払うなんて。彼の動き、とてもただの高校生には見えなかったけど。」
目を細めて言う哀の言葉に、新一も口をつぐんだ。
確かに新一から見ても、快斗はちょっとタダモノではないフシがある。
命の危険を伴うような状況でも、まるで平常心。
しかも、プロの殺し屋を相手に平然と渡り合える。
まるで、そんな状況にはとっくに慣れているようなタフささえ、感じられるような。
・・・いくら世界的に有名なマジシャンの子供であったとしても、不自然過ぎか。だけど、今はそれよりもだ。
快斗が何者かはわからなくても、とりあえず組織から哀の身を守ってくれたことには違いない。
それは新一にはありがたいことだった。
新一は、しばらく快斗に向けていた視線を哀に戻す。
「とにかく、組織の連中にお前の居場所がバレてしまった以上、不用意には動けない。もう1人で勝手な行動なんかするんじゃねーぞ。」
「でも私と一緒にいたら、それこそみんなを巻き込むことにもなりかねないわ。」
眼を伏せる哀に、新一は笑った。
「心配ないさ。このホテルには、今、警官がうろうろいるからな。さすがにこの状況で奴らが手出ししてくるとは思えない。とりあえず、そういうことだから事件解決まではオレと一緒に行動しろ。その後は、オレが警部に頼んで警察と一緒にお前を上手く逃がしてやるから。」
そんな新一の言葉に、哀は素直に頷く事も出来ず、ただ見つめ返すだけだった。
そして。
新一と哀の様子を遠めに伺っていた快斗は、ひっそりとその眼に笑みを浮かべたのだった。
To be continued