そして、新一の策略どおり、真犯人自らに凶器の隠し場所へ案内させる事には見事成功。
真実をまざまざと突きつけられた天野は、洗いざらい全てを白状した。
心無い言葉で相手に殺意を抱かせるまでに至った被害者を自業自得だと思うか、一時の感情を抑えきれずに犯行に及んだ犯人を哀れだと思うか、それは一概に言えることではない。
天野の懺悔を聞いたところで、誰も何も言う事はなかった。
衝動的で計画性のない犯行は、証拠隠滅の隠ぺい工作に他人の書いた脅迫状を利用したという点で、少々複雑身を帯びたが、こうして終焉を迎えた。
目暮警部に連行されていく犯人を、新一達は無言で見つめる。
彼らの姿が消えたところで、快斗は新一の方を向いた。
肩で息をしている新一は今にも倒れそうなくらい蒼白で、よくここまで頑張ったと褒めてやりたいくらいだが。
「さて、真犯人も無事逮捕したし、これで一件落着だね?」
もちろん快斗にとっての本番は、組織の奴等が動き出すであろうこれからだが、まさかそれをここでいうワケもない。
1人ニヤリとする快斗をよそに、新一は頷きそれから哀を見た。
「・・・とにかくだ。灰・・・あ、いや、お前は・・・警察に紛れてこのホテルをすぐに出ろ。目暮警部には話は通してあるから・・・パトカーに乗せてもらうんだ。いいな?」
そう言って、哀に目暮警部の後を追うように促す。
哀は新一を真っ直ぐに見返していたが、黙ったまま言われたとおりにする。
新一は快斗にも声をかけた。
「・・・黒羽も・・・いろいろつき合わせちまって悪かったな・・・。お前もすぐここから出てくれ。オレ達と一緒にいると、また危険な奴等が現れる・・・かもしれないからな・・・。」
「了解。」
にっこり笑顔で返した快斗だったが、もちろんそれが本心のはずはない。
いざとなったら新一を撒いて、このホテルに居座る気は満々。
ここに居さえすれば、組織との接触は必然なのだから。
───いや、むしろ彼女と一緒に居た方が、確執は高いか?
前を行く哀を見つめる快斗の瞳が、興味深そうな色を浮かべて細められる。
そんな快斗の視線に気づくこともなく、哀はただ目暮警部の後を少し間隔を空けて歩いていた。
大人しく自分に従う哀に安心したのか、新一は彼女を追い抜かし、目暮警部と肩を並べて歩き始めた。
哀は前方の新一を見てから、肩越しに背後の快斗を振り返った。
快斗は笑顔を送ったが、もちろん哀がそれに答えることはない。
無表情のまま再び前を向いた哀の足取りは、先ほどより幾分ゆっくりになっていた。
哀の歩みが遅くなるたびに、新一との距離が少しずつ増していく。
快斗は目だけで哀を見つめ、少し口元だけで笑うと、意図して彼女を追い抜かしていく。
やがて、1番後ろになった哀はそっと足を止めると、そのまま姿を消した。
快斗はそれを背後で察知する。
しかしニヤリと笑うだけで黙認した。
先を歩く新一は、体調不良もあって目暮警部と話しながら歩くのが精一杯なのか、哀が消えたことに気づいてはいない。
そして。
快斗の足もピタリと止まった。
不敵な笑みを浮かべた快斗は舞うように踵を返すと、哀に続いて新一の背後から姿を消したのだった。
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閑散としたホテルの中、哀は1人、再び誰もいない厨房を訪れていた。
目的は1つ。
パティシエにケーキの材料を確かめられないのなら、せめて厨房に何が置かれていたのか、使われた可能性が高いものだけでも、確認しておきたかったのだ。
手当たり次第、材料になったであろう洋酒を紙袋に詰めていく。
しんと静まり返ったホテル内には、いつ組織の人間が現れてもおかしくはない。
彼らが動くのに充分な環境は、もう整っているのだ。
危険は承知の上。
それでも諦めきれないのは、科学者としての血がそうさせるのか。
バカなことをしているという自覚は、哀にも充分にあった。
ふと、哀の動きが止まる。
何の前触れもなく、いきなり硬いものが背中に突きつけられたのだ。
・・・・銃口っ?!
殺気には人一倍鋭いはずなのに、何の気配も感じる事が出来なかった哀は息を呑むしかない。
・・・・まさか、こんなにあっけなく最期を迎えるなんて。
死を意識した哀は、堅く目を閉じる。
しかし、彼女の耳に聞こえてきたのは、「バーン!」と銃声を真似た少年の声。
即座に振り返って、哀は目を見開いた。
そこにいたのは、ピストルの形を象った手を翳し、にっこりと笑顔を向けている快斗だった。
哀はまじまじと快斗を見つめる。
悪い冗談にも程がある。いや、本当に冗談なのだろうか?
何か感じるのだ。
心のどこかで、この少年は危険だと。
「こんなところで寄り道してると、また名探偵に怒られるよ?」
「・・・貴方には、関係ないわ。」
「そういえば、今夜のデザートのケーキだけど。見習いのパティシエが材料の配分を間違えたものだったらしいね。」
「どうしてそれを・・・。」
眉を潜める哀に、快斗はクスリと笑って、棚に置かれているリキュールの瓶の1つへ手を伸ばす。
そして、手にした瓶を眺めながら快斗は言う。
「
残念ながら、正確なレシピがない以上、全く同じモノを作るのは難しそうだけど。その幻のケーキには、一体どんな魔法がかけられていたんだろうね?」
確信めいたその台詞に、哀は不審げな瞳を向けた。
やはり、この少年は何かを知っている。
快斗に対する不信感が一気に増し、それは哀の警戒心を呼び起こさせた。
「・・・・貴方は、一体・・・?」
2人の間の空気が、俄かに緊迫していく。
だが、それは長くは続かなかった。
その場に新一が現れたのだ。
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「・・・何やってんだっっ!?お前らっ・・・っ!!」
もとからの具合の悪さも手伝って、走って来たらしい新一の息は酷く荒いものだった。
「もう・・・奴らがそこまで来てるかもしれないんだぞっ!!いい加減にしろっ・・・!黒羽・・・、お前まで・・・!!」
ギロリと新一に睨まれると、快斗は「ごめんね」と口先だけで謝る。
「どうしても、ケーキが気になるっていう彼女を放っておけなくてね。」
言い訳する快斗を、哀は何も言わずに冷ややかな眼で見ていた。
と、新一は乱暴に哀の腕を掴んだ。
「・・・とにかく、脱出するんだ!行くぞっ!!」
新一はそう声を上げると、哀の手を引いて厨房から出て行く。
快斗も新一達に続いた。
ホテル内を走りながら、快斗は途中、着ていたジャケットの内ポケットから携帯を取り出すと、すかさずそのまま電話をかけた。
前を行く新一と哀は、快斗のそんな素振りには気づかない。
ただ、新一の体はもう限界を超えていた。
時折、ふらつく体を必死で支えながら、何とかエレベーターホールまで辿りついた。
現在、新一達がいるのは2F。
当然、ホテルから出るには地上に繋がる1Fへ下りる以外、道はない。
だがもしかして、今このタイミングで下へ降りたら、組織の連中と鉢合わせてしまうかもしれないと思うと、新一は、エレベーターのボタンを押すのを躊躇った。
薬の作用で思うように動かない体では、哀を守りながら奴らと渡り合うことなど、困難に等しい。
・・・どうしたらいい?!
だが、そんな新一の目の前で、快斗が何のためらいもなしにボタンを押す。
上層階へ行く方をだ。
「・・・お、おいっ!お前・・・っ!!」
驚いた新一に、快斗はウインクした。
「実はさっき警察に電話して、このホテルの屋上にヘリで迎えに来てくれるように頼んでおいたんだけど。」
「・・・いつの間に?!」
「一刻も早くここから出るなら、ヘリが1番かなと思って。警察には名探偵の名前を出したら、すんなりOKしてもらえたよ。」
正確に言うと、新一の声色を使ったのだが。
とりあえず、その機転の利いた快斗のアイデアに、新一は目を丸くした。
確かに、上へ行った方が組織の連中と遭遇する確立は低い。
怪盗キッドじゃあるまいし、彼らが空からこのホテルに潜入する事はありえないのだから。
と、ちょうどエレベーターが到着し、扉が開いた。
新一は痛む胸を押えながら、とりあえず哀を中へと押し込んだ。
「黒羽も・・・。早く乗れ。」
快斗も指示に従って、エレベーターへ乗り込む。
「貴方も早く・・・!」
「ああ・・・。」
哀に急かされて、エレベーターへと足を踏み出した新一の体が、大きく揺らめいた。
「工藤君っっ!!」
「・・・くぅっ・・・!!」
胸を押えながら必死に痛みを堪える新一は、肩で息をしながら2人を見た。
「・・・そろそろ、タイムリミットだ。」
言いながら、新一は左腕の時計型麻酔銃を構える。
瞬時に放たれたそれは、迷わず快斗の首もとへ吸い込まれた。
エレベーターの中で、快斗の体は力なく崩れていく。
即効性の麻酔薬の効き目は相変わらずだ。
何か言いたげな哀に、新一は苦笑した。
「・・・仕方ねーだろ・・・。コイツの前で、コナンの姿に戻るわけにはいけねーからな・・・。それにお前だって、そろそろヤバいかもしれないしな・・・・。」
「・・・・そうね。寝ていてもらった方が安心だわ。」
どこか油断のならないこの少年には、特に───。
穏やかな寝息を立てている快斗を見、哀はそう思った。
「とにかく、工藤君。貴方も早く・・・」
その時だった。
不意に物音がした。
そして、次には響き渡る人の足音。
だんだんと近づいてくるそれが、誰のものかわからないはずはなかった。
エレベーターの戸口から離れた新一が、振り返って遠くまで見渡す。
目の端に映った黒い影を、新一は見逃さなかった。
「・・・ヤツだ!」
「早く・・・早く乗って!!」
「いや・・・、エレベーターが動けば、奴らが追ってくる!オレが残って奴らの目を引くから、お前は行くんだっ・・!」
「ダメっ!!貴方も一緒に行くのよ!!」
「・・・心配するなって・・・。何とか奴らを撒いたら、オレもすぐお前らの後を追うから・・・。」
「ダメよっ!そんなの、絶対にダメ!!貴方が行かないなら、私も・・・・っ!」
思わず、エレベーターから飛び出そうとした哀の肩を、新一はぽんとつき返すと、扉が閉まる様ボタンを押した。
「・・・工藤君っ!」
「・・・今度こそ、ちゃんと脱出しろよ。それから、コイツにも適当に謝っておいてくれ。」
「ダメっ!工藤君!お願いだから・・・っ!」
「じゃあな、灰原。」
エレベーターの扉が閉じていく。
笑顔の新一を残したまま。
「工藤君っっ!!」
哀の叫びは、もう新一には届かなかった。
動き出したエレベーターの中で、彼女は愕然と跪く。
「・・・どうして・・・。」
あんな体で、組織を相手にどう戦うつもりなのか?
あまりにも無謀過ぎる。
このままでは、新一は───
「死んじゃうかもね。」
突然、背後からした声に哀は驚いて振り返った。
哀の後ろで倒れていたはずの快斗が、体を起こして座っていた。
しっかりと哀を見据えている快斗は、麻酔から覚めたばかりとも思えない。
「・・・貴方、どうして?彼に麻酔銃を撃たれたはず・・・。」
「ああ、実はオレって、麻酔とかあんまり効かない体質らしくて。」
にっこりとそう返す快斗に、哀は目を見張る。
阿笠博士の作った麻酔薬は、結構、強力なもののはずだった。
それが効かないなんて。
だが、事実、クスリに対して耐性のある快斗の体には効いていなかった。
つまり、快斗は最初から寝たフリをしていたのだ。
「それより、名探偵が心配?」
「・・・え?」
「まぁ、そうだろうね。相手は人を殺すことなんて何とも思わない奴らだし?おまけにあんなフラフラな体じゃ、ロクに応戦もできずに殺されるかも。」
快斗の物騒な物言いに、哀は眉を寄せる。
だが、それは事実を述べていた。
言葉を失くす哀を前に、快斗は人差し指を翳して微笑んだ。
「───助けてあげようか?」
「・・・え?」
「取引をしよう。オレの質問に答えてくれたら、名探偵を助けてあげるよ。」
思いがけない快斗の申出に、哀は息を呑んだ。
目の前の少年は、ただ不敵に笑っている。
その瞳の奥が鋭く輝いているのを、哀は見た。
やはり、この少年はただ者ではない。
「・・・貴方、一体、何者なの?」
「さぁ?それはお互い様だと思うけど?」
微笑をたたえる快斗の前で、哀は体中の血が冷えていくのを感じていた。
To be continued