やがて、先に会話を切り出したのは、キッドの方だった。
「そういうワケだから、あとは任せてもらおう。名探偵は体調も優れないようだし、退場してくれて構わないよ。」
マントを翻して言うキッドに、新一は眉をつり上げた。
「・・・・なっ!何言って・・・っっ!!お前、奴らを知ってるのか?!」
「
そっちこそ。名探偵にあんな物騒な知り合いがいたとはね。驚いたよ。」
その台詞は、そっくりそのままキッドに返したい新一だったが。
「・・・お前、一体・・・?!奴らと会って、どうするつもりなんだ?」
「さぁ?それは名探偵には関係ない。」
ピシャリと言い切られて、新一は思わず唇を噛むが。
直感的に、何か複雑な事情があるのだろうとはわかる。
込み入った事情があるのは、新一も同じだ。
お互い様かと新一は一息ついた。
「・・・どんな事情があるか知らねーけどな。いきなり勝手に乗り込んできたヤツに、あとを任せられるワケねーだろ。」
その瞬間。
部屋の外で銃声が木霊して、即座に新一とキッドはドアの方を振り返った。
どうやら、連中がこのフロアまでやって来たらしい。
部屋を片っ端から強引にぶち開けているようであるが、そうなるとここまで辿り着くのも、時間の問題ということになる。
新一はキッドを振り返って、不敵に笑った。
「残念ながら、オレ1人退散するには、もう手遅れみたいだな。」
「そうみたいだね。」
苦笑するキッドをよそに、新一は重い体を引きずってベッドから下りると、寝室の更に奥へと向かう。
キッドもそんな新一の後について来る。
「どうするつもり?」
「・・・どのみち逃げ場はないんだ。せめて顔だけは隠しておかねーと。今ここでオレの素性がバレるのは、いろいろと都合が悪いんだよ。」
一際暗い窓辺に佇んでそう答える新一に、キッドは「ふーん?」と頷くと、その隣を陣取る。
暗闇でなおかつシルクハットを目深に被っているキッドの顔は、横にいても新一にはよくわからない。
顔の見えない怪盗に、新一は言った。
「・・・っていうか、この状況だと、何かお前と関係あるみたいに思われそうじゃねーか?」
「・・・かもね。ま、でも名探偵が奴らに面を割らせるつもりがないなら、大した問題でもないんじゃ?」
「いや、オレじゃなくて・・・・。」
新一が言いたいのは、哀のことだったのだが。
「心配しなくても、それについてはちゃんと奴らに釘を刺しておくよ。実際、オレがここにいるのはオレの勝手だしね?」
キッドがそう笑った時だった。
いよいよ、新一達のいる部屋のドアに銃弾がめり込んだ。
そして間髪入れずに、ドアが蹴破られる。
明かりの落ちた部屋の中に入り込んできたのは、闇よりもさらに黒い大きな影が2つ。
影は怒声を放った。
「さぁ、観念しなっっ!」
□□□ □□□ □□□
明かりの落ちた部屋に、殺気がみなぎる。
「もう貴様に逃げ場はない。大人しく我が銃口の前に跪け。」
いよいよ迫ってくるジン達に窓辺で息を殺していた新一は、出て行こうとしたキッドを制すると、代わりに口を開いた。
「───そいつはどうかな?」
暗がりに響いた新一の声に、ウォッカが慌てて明かりをつけようとスイッチを触るが、主電源は先程キッドが落としておいたので、つくはずもない。
苛立つウォッカに対し、さらに新一は続ける。
「・・・聞こえねーか?この音・・・。」
新一の台詞の後に、確かに何か聞こえてきた。
それは、ヘリのプロペラが回る音のようである。
事態に気づいたらしいジン達に、新一はニヤリとすると荒い息を整えて言った。
「・・・オレの呼んだ警察の特殊部隊、20機のヘリの音だ。」
新一のその台詞には、キッドも眼を向いた。
・・・っていうか、ヘリを呼んだのはオレなんだけど?
もちろん特殊部隊でもなければ、20機なワケもないことは誰よりも承知している。
警察には違いないが、
来るのはたった1機で哀を救出するため、ホテル屋上へと向かっているはずである。
大したハッタリだとキッドは苦笑した。
ただ、そのハッタリがどこまで通用するか───。
モノクルの奥で、キッドの瞳が輝く。
とりあえず、キッドはこの状況を見守る事にした。
「・・・じき、この部屋に総勢50人あまりの隊員がやってくる。観念するのは、そっちの方だ。」
新一がそう言うと、慌てた素振り見せるウオッカをジンは笑った。
「真に受けるな。ハッタリだ。もし本当なら、ヘリの音と同時にこの部屋に突入していたはず。大方、パーティを中継していたTV局のヘリなんだろうぜ?」
残念ながら、TV局のヘリではないのだが。
どちらにしても、新一のハッタリはさすがにジンには通用しなかったようである。
そして、ジンの持つ懐中電灯の明かりが、とうとう新一の立つ窓辺を捕らえた。
横に立つキッドは、眉を潜める。
いつでも飛び出せる準備は出来ていた。
ジンの照らすライトが、ゆっくりと新一を足元から照らして行く。
「・・・何者だ?」
尋ねるジンに対し、新一は不敵に笑うと、いつものお決まりな台詞を口に乗せた。
「───探偵さ。」
そして、いよいよ新一の顔にライトが向けられる。
と、同時にキッドが飛び出した。
その瞬間。
まばゆい閃光が部屋に立ち込めた。
新一の顔を照らしたはずのジンの懐中電灯の光も、かき消されてしまうほどの圧倒的な光。
目もくらむ眩しさの中、さらに逆光となった新一の顔は、最早ジン達に見えるわけもなく。
新一とジン達の前に立ちはだかったキッドの姿も、シルエットでしかない。
ジン達は舌打ちする。
「・・・くそっっ!もう1人、居たのか?!」
すると、キッドは優雅にマントを翻して「こんばんわ」と一礼して見せた。
白く舞うそのマントに、ジンとウォッカの目が見開かれる。
「・・・貴様っっ!!怪盗キッドだと?!どうしてここに!?」
ウォッカに銃口を向けられてもなお、キッドは微笑を称えていた。
「さぁ?ここに居合わせたのは、ほんの偶然だったんですけどね。どうやら、今夜はツイているみたいで。」
「・・・相変わらず、フザけた奴だ。ってことは、そのハッタリ野郎はお前の仲間なのか?!」
思ったとおりのウォッカの反応に、新一が意義を唱えるよりも早く、キッドが言った。
「とんでもない。先程、彼は貴方がたに名乗りませんでしたか?自分を“探偵”だと。私はご存知のとおり“怪盗”です。どちらかというと、相対する関係だと思いますが。」
キッドの笑いを含んだその答えに、ジンは眉を顰める。
と、その横でウォッカが声を上げた。
窓の外で待機しているヘリに「POLICE」の文字を見つけたのだ。
本当に警察のヘリが来ていたと知ると、ジン達は慌てて踵を返す。
窓辺に佇む新一をよそに、キッドは逃すまいと後を追おうとする。
が、その直後、部屋を去る前にジンは黒い塊を室内に落としていく。
そのとんでもない置き土産に、新一は目を見開いた。
───手榴弾っっ!?
急いでそれに駆け寄ろうとした瞬間、ずっと我慢していた胸の激痛がとうとう限界を超えた。
「・・・・うぅっ・・・!!」
胸を抱え込むようにして、新一はベッドに倒れこむ。
さすがにタイムアウトである。
だが、そんなことは言っていられない。
事態は急を要するというのに、新一はもう視点すら定まらなかった。
───は、早く・・・・っ!アレを何とかしないと・・・・・・
朦朧とする意識の中、ついに新一の目の前は暗転した。
ベッドに沈む新一を、キッドは黙って見つめていた。
本当なら、このまま組織の連中を追いたいところだが───。
「・・・・さすがに、この状況で置いていくわけにもいかないか。」
そう呟くと、キッドは意識のない新一の傍へとやってくる。
冷や汗で張り付いた前髪をそっと払ってやると、口元だけで小さく微笑んだ。
「今回はいろいろオイシイ情報もゲッドできたし、それでヨシとさせてもらうよ。」
□□□ □□□ □□□
不意に暗黒から引き戻されるような感覚で、新一の意識が浮上する。
と、同時に自分の体を纏う衣服の感覚に違和感を感じた。
───服が大きい。
いや、自分の体が小さいのだ。
・・・ああ、そうか。また小学生の姿に・・・
目に映った自分の小さな掌に溜息1つ、新一はゆっくりと上体を起こす。
と、視界に白い怪盗が入った。
「気がついた?」
「・・・キッド・・・。お前、まだここに・・・・。」
言いながら、新一は顔をしかめる。
急激に幼児化した体は、あちこちが筋肉痛をおこしたかのように少々痛んだ。
ダルさの残る体に重苦しい息を吐いて、新一はキッドに尋ねた。
「・・・ヤツらは?」
「逃げたよ。」
「そうか・・・。」
と、そこまで言って、新一はふとドアの床の上に転がってる黒いものに目が行く。
そうだった。
こんなのんきにしている場合ではなかったのだ。
「おいっ!オレはどのくらい意識を失ってた?!」
「さぁ、ほんの数十秒ってとこかな。」
「手榴弾は・・・・っ!?」
「ああ、アレね。たぶんもうすぐ爆破すると思うけど。」
緊張感の欠片もなく返すキッドに、新一は眉をつり上げる。
「てっ、てめぇ、何を流暢に構えてやがるっっ!?」
「・・・ヒドイな。せっかく名探偵の変身が終わるのを待っててあげたのに。っていうか、ホントにあっという間に縮むんだな。間近で見てちょっとビックリ。どんなマジックも敵わないね。」
キッドは相変わらずおどけた口調である。
だぶだぶの服を手繰り寄せて、新一はベッドの上で立ち上がった。
「・・・ったくっっ!余計なことしてないで、とっとと逃げりゃいいものを。そういや、お前、ヤツらに用があったんだろ?追わなくて良かったのか?」
「───まぁ、そうしたい気持ちも山々だったんだけどね。」
言いながら、キッドはスタスタと新一の傍に寄ってくる。
そのキッドの行動に、今はもう大き過ぎるジャケットを体に巻きつけるようにして、新一は後ずさるが。
キッドはにっこり笑って言った。
「約束だから、守らないとね。」
「・・・約束?」
何のことだと、新一は目を見開く。
と、その隙にキッドは左手を伸ばすと、ヒョイと新一を抱え上げた。
そして、その小さな体を小脇に抱えると、そのままツカツカ歩いていく。
「お、おいっっ!何する気だっっ!?」
新一は必死でジタバタするが、小さな体ではどうにもならない。
やがて、その行き着く先が、部屋の壁に設置されているクリーニング用のシュートボックスだと気づくと、キッドを見上げた。
「・・・もしかして、オレにそこから脱出しろっていうんじゃ・・・!?」
「時間もないしね。それに今の名探偵には、ちょうどいいだろ?」
言うなり、キッドはシュートボックスを開けると、新一を投げ入れる体勢に入った。
「おいっ、ちょっと待てっっ!!約束って何だっっ!一体、誰と───・・・!!」
「またな、名探偵。」
「キッド───っっっ!!!」
小学生の甲高い声がシュートボックス内に響き渡る。
急激な角度の滑り台を下りていく中、必死に振り返った新一が見たのは、「じゃあね」と手を振る小憎らしい怪盗の笑顔だった。
□□□ □□□ □□□
程なくして、ホテルの20Fから轟音と同時に炎が上がった。
地上では、ホテルから避難した人々や警官らが、突然のその爆発に悲鳴を上げる。
その中に、警察に無事保護された哀の姿もあり、傍には駆けつけた博士もいた。
激しく燃え盛るその炎を哀が見つめていると、博士が心配そうに耳打ちした。
「・・・お、おい、哀君。あの爆発は一体!?新一は、大丈夫なんじゃろうか?」
「・・・おそらく組織の仕業ね。工藤君もきっとあのフロアに・・・。」
「そんなっっ!!それじゃあ新一はっっ!!」
「・・・大丈夫よ、博士。約束したもの。」
「約束?」
「・・・そう。“彼”と───。だから、工藤君はきっと無事に帰ってくる。」
「彼って?一体、誰のことじゃ?哀君?」
と、その時だった。
不意に、哀の携帯が着信音を奏でる。
それは紛れもなく新一からのものだった。
「もしもし、工藤君っっ!?」
『・・・ああ、灰原。良かった。無事みたいだな。』
いつもの新一の声色に、哀は安堵の溜息を漏らす。
が、その眉をきゅっと顰めると会話を続けた。
「・・・・・・その台詞は、そのまま貴方にお返しするけど?」
『まぁな。あのホテルが、各部屋にクリーニング用のシュートボックスを作っておいてくれたおかげで、間一髪脱出できたってとこだ。』
「じゃあ、そのボックスへ逃げ込んだというワケ?」
『・・・いや、正確に言うと投げ込まれたんだけどな。まぁ、詳しい話は後だ。とりあえず、オレの小学生用の服を持って来てくれるように、博士に頼んでくれねーか?』
そうして。
無事、博士と合流した新一はいつもどおりの小学生スタイルに身を包むと、消火活動などでまだざわめいているホテル前に姿を見せた。
ホテルにいたはずの高校生探偵 工藤新一の行方については、無論、博士と示し合わせて、目暮警部には誤魔化しておくとして。
ひと段落したところで、新一は、ひと気のない場所へ博士と哀を誘うと、中で何があったか簡単に話して聞かせた。
当然、怪盗キッドと出くわしたことも含めて。
「しかし、どうしてキッドが!?」
驚く博士の問いには、新一も首を横に振った。
「それはオレにもさっぱりだ。ただ間違いなく言えるのは、どうやらアイツも組織を追っているってことだな。」
「ええっ!?キッドが組織を追ってるって・・・?それは一体何でまた・・・・」
「さぁ、そこまではな・・・。もともと何を考えてるかわからないヤツだし・・・。ただ、キッドが組織を追っているとなると、今夜ヤツが現れたのは、組織の連中がここに来る事を何らかの方法で掴んでたってことになるかもしれねーな。」
そんな新一の推理を、哀は無言のまま聞き流していた。
瞳を伏せたままの哀は、ただ黙って決して新一の目を見ることはなかった。
哀のその様子に気づいた新一が、声をかける。
「・・・灰原?どうかしたのか?」
「・・・いいえ、別に。それより、貴方こそ左腕をどうかしたの?」
すかさず怪我を見抜かれた新一は、肩を竦めて「ただの掠り傷だ」と笑った。
と、博士が心から安心したように大きな溜息をついた。
「いやぁとにかく、2人とも無事で何よりじゃよ。」
「とりあえず、警察のヘリが来てくれたおかげで命拾いしたよ。もともとは灰原を救出するために、黒羽が呼んだヘリだったけど、思わぬところで役に立ったな。・・・って、そういや黒羽の姿が見えないけど、アイツは?」
「あれ?そういえば、さっきからずっと見かけないようじゃが・・・。」
辺りを見回す博士を遮るようにして、哀が口を挟む。
「彼なら帰ったわ。貴方によろしくって。」
「・・・え?ああ、そっか。まぁ、それならいーんだけど・・・。」
何となく腑に落ちない感じがある新一は、ちょっと小首を傾げるが。
そんな新一と哀の肩を博士が両手で抱え込んだ。
「よし!じゃあ、ワシらも帰るとしようっ!!」
博士のビートルは、ホテル脇の道路に停まっていた。
後部座席に乗り込もうとする哀の肩を、新一は軽くつつく。
「どうした?何かさっきから様子が変じゃねぇか?」
「・・・別に。いろいろあったからから、ちょっと疲れただけよ。」
「そうか?ならいいけど。それより、お前、あんまり驚かねーんだな?キッドのこと。」
そう覗き込んでくる新一の瞳から、哀はすっと視線を逸らせた。
哀には、言えなかった。
あの時、新一と別れた後、エレベーターの中で何があったのか。
あの黒羽快斗と名乗る少年と取引をしたことなど。
『取引をしよう。オレの質問に答えてくれたら、名探偵を助けてあげるよ?』
『・・・貴方、一体、何者なの?!』
『さぁ?それはお互い様。さて、あまり時間もないと思うけど、どうする?取引に応じる?』
この時、哀に選択の余地はなかった。
新一を助けてくれるというのなら、どんなことでも厭わないと思ったのだ。
『・・・・・何が聞きたいの?』
『君が知ってる事、すべて。』
『それ、どういう意味・・・?!』
『君がいた組織の事だよ。』
そして、哀は話せる限りのことはすべて話した。
代わりに、キッドは新一を助けると哀と約束を交わした。
取引は成立した。
それが良かったのかはわからないが、それでもこの得体の知れない少年なら、きっと新一を救ってくれるという妙な確信が哀にはあった。
それを証拠に、エレベーターから降りた快斗が白いコスチュームを身に纏ったのを見た時、哀は驚きよりもむしろ納得したのだ。
ああ、そうだったのかと。
「・・・おい、灰原?」
「ごめんなさい。やっぱり疲れてるみたい。車で寝たいから、そっとしておいてもらえるかしら?」
哀はそれだけ言って、さっさと車に乗り込んでしまう。
新一もそれ以上は会話を諦めて、助手席のドアへと手をかける。
ふと夜空を仰ぐと、真っ黒い空には、大きな月が浮かんでいた。
「何か、今夜はわからないことだらけだったな・・・・。」
そう呟くと、新一も助手席に乗り込んだのだった。
The end