「じゃあ、何?彼女は誘拐されたんじゃなく、自分からあの広間を出て行ったってこと?」
「そういうこと。」
東さん宅に向かうタクシーの中、オレは黒羽に第二の誘拐の真相を話して聞かせた。
「広間の明かりが落ちる直前、蘭がこれをオレの手に押し当てたのが何よりの証拠だ。」
言いながら、オレは赤く汚れた掌を黒羽に見せる。
オレがドアノブに触れたせいで、無残な広がりを見せる赤いインク。
それがもともと象っていたものとは。
黒羽はオレの掌を凝視する。
「・・・・もしかして、それって鍵の形?」
「───そ。あの広間の合鍵だ。おそらく、KIDNAPPERは何らかの形で蘭を脅迫し、事前に鍵を渡しておいたんだろう。そして、犯行時刻に蘭、自ら広間を出て行くよう指示し、持っていた合鍵で
、外からドアの鍵をかけさせたってワケだ。」
「なるほどね。確かに、それなら犯人が直接、現場に出向く必要もない。・・・けど、そんなの、密室トリックでも何でもないような・・・。」
黒羽のツッコミに、オレも溜息をつく。
「・・・仕方ね─だろ。事実なんだから。」
「───にしても、こんなにべっとりインクがつくまで鍵を塗りつぶすなんて、彼女もずいぶん頑張ったんだね。」
自分から広間を出て行くこと(=合鍵を持っていること)をアピールする方法なら、他にもあったろうにと、黒羽は言いたげだ。
・・・・・・ま、言いたい気持ちはわかるけどな。
「蘭は蘭なりに、精一杯、オレに伝えようとしたんだろう。」
「大体、ドアノブにまでついちゃうほど乾きの悪いインクなのに、名探偵の掌に鍵の形が残っている事の方が奇跡だね。」
「・・・・ま、最悪、このインクが鍵の形を象っていなくても、蘭が鍵を持っていただろうことは、アイツの手を触れた時の感触を考えれば、推理できなくもないからいいんだよ。」
蘭のヒントの出し方はともかく、きちんとオレに伝わったのだから問題は無い。
タクシーの後部座席でオレの横に座る黒羽は、まだ納得のいかない顔色だが。
ヤツがまた何か言う前に、オレは携帯を取り出した。
とりあえず、限られた時間は有効に使わなければならない。
電話帳から呼び出すのは、警視庁捜査一課、目暮警部の番号だ。
「お忙しいところ申し訳ありません。工藤です。実は、目暮警部に折り入ってご相談したいことがあるんですが───。」
そう切り出すと、オレは警部に今回の事件の概要を簡単に説明した。
もとより、オレと信頼関係がある警部は、親身になって話を聞いてくれる。
もちろん、それを見込んで今から頼みごとをするつもりなのだが。
「すみません、わがままを言って。県警の協力を得られないので、ぜひ目暮警部にお力をお借りしたくて───。」
当然、快い返事をしてくれた警部に、オレは“西田麻衣”という人物とその周辺を、大至急、調べてもらうよう依頼した。
彼女がオレの関わった事件の関係者なら、話は早い。
電話を終えたオレを、冷やかすように黒羽が軽く口笛を吹く。
「何だよ?」
「いやいや、さすがは名探偵。警視庁を顎で使うとは、恐れ入ったね。」
「お前な・・・。人聞きの悪い言い方をするな。オレはただ、丁重にお願いしただけだ。」
「へぇ?“お願い”ねぇ?」
その黒羽の含み笑いに、オレが咳払いをしたところで、タクシーは目的の東さんのマンションへ到着する。
急いで東さんの部屋まで駆けつけ、インターフォンを鳴らしてみるが、応答する気配はない。
嫌な予感がして、オレがドアに手をかけると、案の定、鍵はかかっていなかった。
そして、開いたドアの先、オレ達の目に映ったのは、東さんの変わり果てた姿だった。
□□□ □□□ □□□
───遅かったか。
オレは唇を噛み締め、そのまま東さんの部屋に踏み込む。
黒羽もオレに続いた。
ロープで首を吊った東さんの遺体が、傾きかけた陽の光に照らされていた。
その傍のテーブルに置かれた、一枚の紙がやけに白くて目を引く。
見たところ、遺書のようだが。
『 I AM A KIDNEPER 』
「・・・・って、言われてもね。今更なんだけど。」
ボヤく黒羽をよそに、オレはその紙に書かれた文字を見据えた。
「───“KIDNAPER”・・・。“P”が足りないな。」
オレの呟きに、黒羽も同意する。
「ああ、ホントだ。どっちも単語としては間違ってないけど、名探偵への挑戦状は“KIDNAPPER”だったね、確かに。」
「普通、1人の人間が二つの綴りを使い分けることはない。つまり、これは真犯人によって、東さんが無理矢理、書かされたもの・・・ということになるが。」
「せめて、スペルチェックくらいしてほしかったね。統一性がないと、せっかくの偽装工作が台無しだ。」
黒羽が相変わらずの犯人へのダメだしをする。
まぁ、オレも言いはしないだけで、コイツと全くの同意見だが。
───何だ?
ふと、その紙の裏から、黒く何かが透けて見えた。
気になったので、テーブルから紙を拾い上げ、裏返してみる。
黒ずんだそれが、凝固した血液であることは明らかだった。
「血だねぇ?どう見ても。」
黒羽も覗き込む。
そんな黒羽を見、オレは天井からぶら下がったまま、だらりと垂れた東さんの手を指差す。
「・・・見ろよ。東さんの指先に傷がある。
これも彼が書いたものだ。」
問題は、その形。
矢印のようなそれが示しているのは───。
オレは遺書を裏返したまま、陽に照らす。
そこに透けたアルファベットが、真犯人の名前をはっきりと告げていた。
さすがに、黒羽もこれには関心したような声を出した。
「・・・・・“A KIDNAPER ⇒ MA I” なるほど。遺書を英語にしたのも、そういう計算があってのことだとしたら、この被害者もなかなかやるね。」
「そこまで本当に東さんが計算したのか、それとも、後で偶然、気がついたのかはわからないがな。結果的に、これは立派なダイイングメッセージになったわけだ。」
───そう、
これは彼女が犯人だという証拠になる。
「東さんを犯人に仕立て上げるつもりが、逆に命取りになったな。」
ニヤリと笑うオレに、黒羽もやれやれと付け加えた。
「・・・何ていうか、やる事成す事、すべて裏目に出てる気がして、犯人が気の毒になってきたよ。」
───確かに。
そうオレが頷いたところで、携帯が鳴り響く。
目暮警部からだ。
思ったより早い連絡に感謝しつつ電話に出てみると、意外にあっさり犯人の身元は割れ、同時にその動機も推察する事は容易だった。
電話を終えたオレに、黒羽が興味深そうに聞いてくる。
「いろいろわかったみたいだね?」
「・・・ああ。以前、
オレは、貸し倉庫会社の経営者が借金苦で犯した事件の捜査に協力したことがあったんだが、彼女はその逮捕された男性:増田英寿氏の元恋人だったらしい。おまけに、彼は、逮捕後、獄中で死亡したそうだ。」
「───ってことは、つまり
、彼女の逆恨みなわけだ。」
「・・・まぁ、そういうことになるな。」
オレは苦笑する。
珍しい事ではない。
こういう事は、探偵をやっている限り、ついて回るものだとオレは思っている。
さして驚くことでもなかった。
そんなオレを、黒羽は「探偵も大変だね。」と肩を竦めた。
「───とにかく、これで、蘭達の監禁場所の手がかりも掴めた。」
オレがそう言うと、カンのいい黒羽もわかったらしい。
「貸し倉庫か。確かに監禁するには、持ってこいだ。」
「目暮警部の話では、増田氏が所有していた貸し倉庫は、この近辺にもいくつか点在しているらしい。おそらく、蘭達がいるのはそのどれかだ。───ってことで、今からその倉庫の場所をリストアップするから、お前も探してくれ。」
「え?」
驚いた顔の黒羽をよそに、オレは手帳のページを引きちぎり、目暮警部から聞いた倉庫の場所をスラスラと書いていく。
そして、それを黒羽に押し付けた。
「時間がないんだ。協力しろ。」
有無を言わせぬ勢いでそう言ってやると、ヤツは「人使いが荒いなぁ。」と膨れた。
「もし、お前が蘭達を見つけたら、すぐに連絡してくれ。」
言いながら、オレは自分の携帯の番号も黒羽に渡す。
そうして、東さんの部屋を出て行こうとして、オレはふと踏み留まった。
視線の先は、あの問題の遺書。
───これを使うか。
オレはそう思って、例の遺書を手にすると、自分のポケットに突っ込んだ。
それを見た黒羽が言う。
「現場保存は、捜査の鉄則なんじゃなかったっけ?」
「・・・今回は例外だ。タイムリミットが迫ってるからな。犯人を一気に追い詰める道具として、これを使わせてもらう。」
「犯人をハメる気なんだ?意外に悪人だなぁ、名探偵って。」
ニヤニヤする黒羽を、オレは睨む。
「・・・・・・うるせーな。」
「別に止めはしないけど、後で県警に怒られても知らないよ?」
「余計なお世話だ。」
確かに、あの厳つい多摩川刑事に怒鳴られるかと思うと、多少、憂鬱ではあるが。
それもこれも、県警がオレに非協力的なのがいけない。
そうでなければ、オレがここまで単独行動を取る必要もなかったはずなのだから。
・・・などという言い訳は、通用するとは思えなかった。
ともかく、例の偽装工作のために作られた遺書を手に、東さんの部屋を飛び出す。
外に待たせてるタクシーに、再び黒羽とともに乗り込む。
「駅まで行ったら、オレは別のタクシーを拾うから、お前はこの車を使ってくれ。」
オレがそう言うと、黒羽は「了解」と頷いた。
それからしばらくして、不意に黒羽が思い出したように言う。
「ところで、一つわからないんだけど。」
「何だ?」
「いや、彼女の偽装工作なんだけど。要するに、あの船長さんに罪を擦り付け、自殺に見せたかったワケだよね?」
黒羽に言葉を、それがどうしたと言う顔でオレは続きを促す。
「無駄なあがきな上に、更に自ら犯人だと示す証拠まで残すことになったワケで、結果的に大失敗だったけど、それでも彼女なりに
頑張ったつもりなのは、まぁわかるよ。」
・・・コイツ、また犯人にダメだしを。
オレがそう見つめていると、黒羽は不思議そうな顔をした。
「でも、何で『彼』なんだろうね?」
「・・・・・それなんだよな。」
───何故、犯人に仕立て上げられ、殺されなければならなかったのが、東さんなのか?
実はその疑問は、当初からオレにもあった。
「あの船長さん、彼女に何か恨まれるようなことでも?」
「さぁな・・・。目暮警部からの情報では、それらしいものは何もなかったけど。」
「万が一、あんなくだらない偽装工作のためだけに適当に彼が選ばれたんだとしたら、お気の毒としか言いようが無い。ただの殺され損だね。」
「・・・別に、彼女と東さんの間に何かあったとしても、それが東さんを殺していい理由にはならないけどな。」
それでも何も理由が全くないのでは、確かに理不尽な事この上ない。
とりあえず、この謎については、彼女に後で確かめるしかなさそうだ。
まもなく日が暮れる。
爆破予告の時間が、刻々と迫っていた。
To be continued