薄暗く、ほこりっぽい匂いのする倉庫にオレが連れ込まれた時、真っ先に視界に飛び込んできたのは、ぐったりと横たわった蘭の姿だった。
オレは、銃を突きつけられているのも忘れて、蘭に駆け寄った。
「蘭!蘭っっ!!」
いくら呼んでも、蘭の意識は戻らない。
右足には酷い傷を負っていた。
見ると、倉庫の壁には人一人通れるくらいの穴が開いている。
・・・蘭が蹴破ったのか。おそらく、このケガはその時に・・・。
園子がいないところを見ると、蘭はあの穴から園子を脱出させたのだろう。
まったく、無茶しやがって───。
オレがそう思った時、倉庫の出入り口付近でカチャリと金属音がした。
視線を向けると、ドアの取っ手を鎖で頑丈に固定し、しっかりと鍵をかけた彼女と目が合う。
すると彼女は、オレ目の前でその鍵を撃ち抜いて破壊した。
つまり、オレ達を倉庫に閉じ込めたというわけだが。
オレは、設置された爆弾へと目をやる。
時限式のそれは、タイムリミットまであと10分を切っていた。
───くそっ!!
オレは蘭を抱きしめていた腕を放すと、1人立ち上がった。
とにかく、まずは彼女から銃を奪わなければ、身動きが取れない。
向けられた銃口を睨みつけ、オレがそう歯を食いしばった時だった。
不意に、背後から緊張感の欠ける声がした。
「やっぱり、ここだったんだ。銃声が聞こえたからさ。」
「・・・黒羽っっ!?」
思わず振り返ると、能天気な笑顔を向けているヤツが居た。
が、オレは瞬時に前を向く。
いきなり現れた黒羽に動揺したのか、彼女に僅かな隙が生じたのだ。
もちろん、それを見逃す手は無い。
オレは素早く彼女との間合いを詰めると、彼女の手から銃を蹴り飛ばす。
宙を舞う銃をオレはあっさりと確保し、とりあえず、彼女から銃を奪う事に成功した。
成す術が無く、その場に泣き崩れる彼女を一瞥し、それから、改めて、黒羽を振り返る。
「お前、どうやってここに?!」
「あそこの穴から。」
そう言ってヤツが指差したのは、蘭が蹴破ったであろう壁だった。
確かに、そこには園子が脱出の際に使ったであろうロープがまだあったし、外から侵入する事はできなくもないだろうが、建物の高さから言って地上から登るのは
容易なことではないはず・・・。
───どういうヤツだ、一体?!
オレは、まじまじと黒羽を見つめた。
しかし、ヤツはそんなこと
お構いなしで、思い出したように言った。
「あ、外で鈴木財閥のお嬢さんは見つけたよ。彼女は無傷だったから、ご安心を。」
「・・・あ、ああ。」
「もしかしなくても、推理ショーは終わっちゃった?」
残念そうに聞いてくる黒羽には、本気で緊張感が感じられない。
そもそも爆弾があるのがわかっていて、平気でここへ乗り込んでこるあたり、まともな神経をしているのかどうか、充分疑わしいのだが。
いや、とにかく今は、そんな場合じゃなかった。
「そんなことより、今は爆弾を・・・・っっ!!」
オレは、視線を黒羽から爆弾へと移す。
残り時間はすでにあと4分余り。
・・・ヤバいっ!!
もう逃げるには時間がない!
爆弾を解体するしか・・・・!!
オレは慌てて爆弾に駆け寄ると、解体するためにそのヘッドカバーをそっと開けた。
同じ様に中を覗きこんだ黒羽が、ヒューと口笛を鳴らす。
「C4だね。」
・・・・・・良く知ってるな、コイツ。
即座に爆薬の種類を言い当てた黒羽に、オレは目を見張るが。
「そう・・・。コンポジションー4(C4)。軍用のプラスティック爆弾だ。非常に安定していて、起爆装置さえ働かなければ、踏む、蹴るはもちろん、火に入れても爆発はしないがな。」
「それにしても拳銃といい、この爆弾といい、彼女も良く手に入れたもんだね。」
───まったくだ。ある意味、その入手経路の方が気にはなるが。
頷くオレの横から、黒羽が爆弾を興味深そうに覗き込む。
「とりあえず、時限装置さえ止めちゃえば、何とかなりそうだけど。」
「問題はこの配線・・・・。」
「・・・うーん。これは面倒くさいね。」
複雑に絡んだ配線の色は、すべて白。
解体され難いように、配線を同色に統一したという彼女の苦肉の策だ。
「最後の最後で、厄介なことをしてくれたもんだね。
こんな配線に凝るくらいなら、他のトリックの完成度をもう少しでも高めて、完全犯罪が成立するように努力すればいいのに。」
呆れたような黒羽のその台詞には、オレも多いに頷ける部分があったが、今はそれどころではなかった。
───どうする?
たとえ配線が同色だろうと、解体できなくはない。
だが・・・・・。
唇を噛むオレを、黒羽が見た。
「さて、どうしよう?解体するには、もう時間が足りなさそうだね。」
「トラップに注意しながらとなると、余計に時間もかかるしな。完全にアウトだ。」
絶望的なオレの台詞にも、黒羽はどこか涼しげなのが気にかかる。
オレは目を細めた。
「ずいぶん涼しい顔をしてるじゃねーかよ。何か手でもあるのか?」
「いや、別に。ヤバくなったら、あの穴から脱出しようかと。」
さも当たり前のように言うヤツに、オレは目を見開く。
「そんな時間あるか。壁をつたってる途中で、爆破に巻き込まれるのがオチだ。」
「大丈夫。こう見えてもオレ、逃げ足は速いし。」
にっこり微笑むその根拠がオレにはわからないが、それでも「ああ、でも」と黒羽は付け足した。
「オレと一緒に逃げられるのは、あと定員1名様までなんだよね。なので、全員脱出はちょっと厳しいんだけど。」
・・・コイツがもう1人抱えて逃げるとでも言うのか?
オレは首を捻るが、ともかくここにいるのは犯人を含めて4人。
黒羽の言う事がもし本当だとしても、全員は助からないということになる。
最悪、コイツに蘭だけでも託すという手もなくはないか?
いや、でもコイツの言うように本当に脱出できるとは、到底思えない。
「・・・無茶はやめとけよ。死ぬぞ?」
「このままここにいたって、死ぬだけだと思うけど?」
───確かに。
オレは倉庫内を見渡しながら、考えを廻らせた。
「他の手立てとしては、この爆弾をどこかへ捨てるしかないが、それには蘭が蹴破った穴か、あの高い天井に空いた穴しかない。
だが、この爆弾の規模から考えると、投げ捨てたくらいでは爆破に巻き込まれてしまう可能性が高いだろうな。つまり、このままでは、確実にオレ達は助からないということになる。
」
これには涼しい顔をしていた黒羽も、さすがに嫌そうな顔をした。
「それは困るね。」
「知るか。お前が勝手に首を突っ込んだんだろ。」
「って言うか、オレ、こんなところで死ぬ予定ないんだけど。」
「オレだってね─よ。」
生死を賭けて挑んだ壮大なミステリーならともかく、よりにもよって、こんなお粗末な事件で死ぬなんて、冗談じゃないぞ。
爆破まで、残り2分を切った。
もう考えているヒマはない。
とにかく、できるだけ遠くに爆弾を投げ捨てるしか・・・!
いや、せめて投げるより蹴り飛ばした方が、少しは飛距離を伸ばせるか?!
そう思いながら、オレは天井に空いた穴を見上げた。
薄暗い倉庫内を、そこから月光が射している。
「・・・サッカーボールでもあればな。」
無理だとわかっていて、オレはそう呟いた。
すると、黒羽が不思議そうな顔をする。
「もしかして、爆弾をボールで蹴り飛ばしたかったとか?」
「それくらいしか方法が思いつかねーんだよ。
空に向かって投げるより、蹴り飛ばした方がまだ飛距離を稼げるだろ。直接、蹴ってもいいが、ボールがあれば、さらに勢いが増すからな。少しでも離れたところで爆破してもらうためには、ボールで蹴り出すのがベストだったんだ。」
と、黒羽が何でもないことのように言う。
「じゃあ、サッカーボール、取って来ようか?」
「え?」
「いや、この倉庫のそばに、ちょうど転がってたのをさっき見たからさ。」
それは実に都合がいいが、今からそれを取りに行っても、間に合うわけないだろう??!
目を剥くオレには構わずに、黒羽はヒラリと身を翻すとそのまま、蘭の蹴破った穴へ身を滑り込ませた。
・・・ロープも使わずに?!!
どう見ても飛び降りたようにしかオレには見えなかったが、ここは人間が飛び降りれる高さじゃないはず。
───アイツ、一体?!
瞬間。
天井から降り注ぐ月の光が、ほんの一瞬だけ遮られた。
と、同時に、空から本当にサッカーボールが振ってきたのだ。
オレは、それをワントラップで受け取ると、右足を思いっきり振り上げ、渾身の力を込めて爆弾をボールとともに蹴り上げる。
ものすごい勢いで天まで昇った爆弾は、やがて夜空に花火のように散った。
まさにギリギリのタイミング。
闇に散ったオレンジ色の閃光に、オレは目を細めた。
その時、月を過ぎるような形で何かが夜空を跳んでいたように見えたのは気のせいか?
「間一髪だったな・・・・。」
まさか、こんな事件で生命の危機にさらされるとは思ってもみなかったが。
オレは一息つくと、黒羽が抜け出た穴
の方へ向かって、そこから外を覗いた。
当然、下にいるであろう黒羽に、礼の一つでも言ってやろうと思ってのことだ。
けれども不思議な事に、そこにいるはずの黒羽の姿はどこにもなかった。
・・・・アイツ、一体どこへ?
やがて、警察と救急隊が到着をし、犯人は逮捕され、蘭や園子も無事保護されたが、黒羽はそのまま戻ってくる事は無かった。
今回の誘拐事件より、この場からかき消えたヤツの方が、オレにはよっぽど不可解でならなかった。
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事件から一夜明けて。
オレ達、帝丹高校の生徒達は、予定していた修学旅行を取りやめ、このまま東京へ帰ることとなった。
宿泊したホテル前に集合させられた生徒達は、待機していたバスにこれから乗り込むところである。
昨夜、病院へと運ばれた蘭は、思ったほど足の怪我は酷くなく、特に怪我は無かったが念のため、一晩だけ入院した園子とともに、今朝、ホテルへ帰ってきた。
見た限り2人とも元気そうなのが、何よりだ。
───にしても。
オレは、あれから姿を消したままの黒羽を思って、振り返った。
今回、オレ達と同じ遊覧船に乗り合わせ、宿泊先も同じだったヤツの学校も、今日は移動日らしく向かえのバスが待機している。
あっちはこれから、どこかへ観光にでも行くのだろう。
集合時間はまだらしく、生徒は集まってはいなかったが。
「昨夜はお疲れ、名探偵。」
突然、背後からした声にオレはかなり驚くが。
その声の主とはここ数日つき合っていたので、忘れるはずもない。
「・・・・お前。」
相変わらず、何の気配もなしに突然現れる黒羽に、オレは眉を寄せた。
しかし、ヤツはにっこりと笑顔をオレに向けている。
「名探偵ってサッカー上手いんだね?まさか、あそこまで蹴り上げるとは思わなかったよ。お見事。」
「・・・そんなことより、お前、あの後、どこへ消えてたんだ?」
「いやぁ、取りあえず無事、爆弾が処理されたのは見届けたし、もういいかなって、さっさと先に帰っちゃったんだけど。」
悪びれもせずにそう言う黒羽に、オレは更に眉を寄せるが。
「とりあえず、お前がサッカーボールを取りに行ってくれたおかげで、あの場は助かることができたのは間違いないから、一応、礼は言っとくがな。」
「どういたしまして。」
「けど、それ以前に、お前には聞きたいことがいっぱいあるんだよ。」
「何かな?」
「あの時のお前の行動さ。普通にあの倉庫の穴から抜け出して、ボールを取りに行ってたんじゃ、間に合うはずはね─からな。しかも、あの天井から降ってきたボールは、かなり高い・・・それこそ空から落下させたようなスピードがあった。これも、普通ではありえない話なんだが?」
一睨み効かせて、そう言ってやる。
と、黒羽はそんなオレを見て、楽しそうな笑みを浮かべた。
「さぁね。」
「いくらお前がマジシャンの卵でも、説明がつかないんだがな。」
「何?名探偵は、オレに興味があるのかな?」
「そうだな。少なくとも、KIDNAPPERよりはな。」
ニヤリと笑ってそう言ってやると、黒羽も声を立てて笑った。
「光栄だよ、名探偵。確かにオレなら、もう少し、探偵を楽しませてあげることができるかもしれないね。」
ひとしきり笑い終えた黒羽はそれだけ言って、オレの前から姿を消した。
結局、ヤツがオレの質問に答えることはなく、謎は謎のままで。
こうして、オレに送りつけられた挑戦状に始まった事件は、幕を閉じた。
オレが関わった事件の中で、ここまで陳腐なものは後にも先にも見当たらない、それぐらい珍しいタイプの事件ということで、記憶に鮮明に残る事となる。
実際、事件そのものよりも気になるのは、謎だらけの黒羽快斗の方なのだが。
その謎が解けるのは、まだずっと先の話。
怪盗キッドと出会い、そしてヤツの正体が黒羽だと、オレが知るその時まで。
The End