2月13日、江古田高校。
帰りのホーム・ルームの時間、教室はにわかにざわついていた。
担任教師から配られたプリントを眺めて、何やらみんな楽しそうに話し込んでいる。
それは、もしかして明日がバレンタイン・デーだからだろうか?
いや、それもあるかもしれないが、クラスメート達の会話からすると、どうもそういうことでもないらしい。
「げ〜っ!!朝、8時半に東京駅集合ってキツくねーか?!」
「ねぇ、新潟って寒そうだよねぇ。やっぱカイロとか必需品かな?」
「デジタルカメラ持っていきたいけど、なんかやってる最中にコケたりしたら、壊しそうだよなぁ?」
「自由時間ってどのくらいあるの?」
と、口々に出る会話はこんな感じなもので。察するに学校の行事が何かあるといったところか。
が、しかし。
こんなに教室全体がにぎやかだというのに、中森 青子の席の近くは至って静かだった。
彼女の一つ先の席にいるはずの、白馬 探は本日は何やら警視庁に呼ばれているとかで欠席である。
彼が警察からも信頼の厚い探偵である事は周知の事実なので、別に取り立てて珍しい事でもない。
そして。
同じようにして、彼女の隣の人物が机に突っ伏したままであることも、決して珍しい事ではなかった。
というか、大抵の場合においてこういう状況なのだが。
その寝こけている人物とは。 黒羽 快斗である。
毎度毎度の事ながら、青子は一つ大きく溜息をつくと、完璧に熟睡しきっているその少年の頭を、
教科書でポカリと殴った。
「・・・〜〜〜ッテェな!・・・何すんだよ?」
ようやくにして起き上がった快斗は、真っ赤な目にうるうると涙を浮かべながら青子を見る。
もちろんこの場合の涙は、青子に殴られたのが効いたワケではなく、あくびをしたからなのであるが。
「何すんだ、じゃないでしょ?ったく、いつまで寝てるつもり?
明日の事で、今、先生がいろいろ大事な連絡事項言ってるのに!」
「・・・明日?明日って何かあったっけ?」
ぽりぽりと頭をかきながら、快斗はまだ寝た足りないのか、あくびをもう一つ。
徐々に覚醒してきた頭で、明日の予定を思い起こしてみる。
明日は、『怪盗キッド』の仕事の日だ。
下調べは既に昨夜で完了済み。
今回の仕事に関しては、特に前もって仕掛けるようなトリックもない。
予告時間は夜の9時だし、別に学校を休むつもりはないけど。
・・・っていうか、予告日当日、学校をサボったりしたら、また白馬に疑われるネタを一つ、
提供する事になりかねない。
ただでさえ、疑われていて鬱陶しいというのに。
『仕事』以外に、明日の予定についてまるで思い当たらなかった快斗は、首をかしげた。
「・・・明日・・・、もしかして何かテストでもあったっけ?」
快斗のセリフを聞いて、青子はふざけるのもいい加減にしろと言わんばかりに眉を大きくつり上げた。
「何言ってるのよっっ!!年間行事スケージュールにもちゃんと書いてあったでしょ?忘れちゃったの?」
言いながら、青子が快斗の前に、先程担任が配ったプリントを突き出した。
あまりに目の前に出されすぎて良く見えなかったプリントを、快斗は青子の手から奪うと、それを見つめて
思わず、叫んでいた。
「・・・・なっにぃ〜〜〜っっ!!2月14日 スキー教室だぁぁぁっ?!!!」
□ □ □
江古田高校 年間行事スケジュール
スキー教室 ■2月14日(日帰り)■
対象者・・・・・・2年生全員
場所・・・・・・・・ガーラ湯沢 スキー場 《新潟》
集合時間及び場所・・・8時30分 JR東京駅 上越新幹線乗り場
なお、解散は同じく東京駅にて18時を予定。
・・・おいおい、マジかよ・・・。
帰宅した快斗は、自宅でまじまじと渡されたプリントと見つめていた。
確かに、年間行事にスキー教室というのがあるのは知っていた。
それが、たぶん2月の中旬だということも、なんとなく頭にはあった。
が、まさか、2月14日だとは。
・・・2月14日って、バレンタインじゃん。・・・・・・ってことは、女の子はゲレンデでチョコを渡すわけだ。
へぇ、なんかイイカンジじゃねーの?
・・・って、そんなことじゃなくてだ!!
まいったな・・・。仕事の日じゃねーかよ・・・。
解散時刻が18時予定・・・っつーことは、18時半、もしくは最悪19時を回るかもしんねーな。
と、すると予告時間まであんまり余裕ねーじゃねーかよ。
うーん・・・。これは東京駅で寺井ちゃんに車で拾ってもらった方がいいだろうな。
とりあえず、なんとか仕事には間に合うだろうが、快斗はスキー教室に関してあまり乗り気ではなかった。
無論、スポーツの分野で彼が苦手とするものなど皆無なのだが。
「スキーって疲れるんだよなぁ・・・。」
体力をかなり消耗するであろうそのスポーツの後に、仕事をするのはちょっとツライかも・・・。
快斗の本音はそこであった。
さて、2月14日当日。
江古田高校の学生達を乗せた上越新幹線は、ガーラ湯沢に向けて発車した。
東京駅からは実に77分。
しかも、駅を降りたらすぐにスキー場なので、交通の便は良いと言っていいだろう。
車中、女の子たちは目下バレンタインのチョコをいつ意中の彼に渡すか、相談中である。
そんな様子を見て、白馬は隣の席に座る青子に尋ねた。
「何やら、女子の方々が落ち着かないようですが・・・。どうかしたんですか?」
「え?ああ、今日はバレンタインだからね。」
「は?」
「あ、白馬君、知らない?これって日本だけなんだっけ?
2月14日はバレンタイン・デーっていって、好きな人にチョコレートを渡すのよ。
要するにこれを機会に告白しちゃうっていうか。毎年、結構これでカップルが成立するんだよね。」
そんなものがあるのですか、と不思議な顔をして頷く白馬に、青子は笑って続けた。
「で、3月14日が今度はホワイト・デー。これは、チョコを受け取った人がお返しをする日なの。
本命にはホワイト・チョコをあげるとか、キライな人にはガムをあげるとか、いろいろ言われてるけど。
ま、要するに何かお返しをして、気持ちを表わす日なのよ。」
青子の話を真剣に聞いていた白馬は、ふと、青子に聞き返す。
「・・・それで。中森さんもどなたかに差し上げるんですか?」
普通に考えればかなり不躾な質問なのだが、相手に不快感を全く与えることなくそんな事が聞けてしまう
あたり、さすがは白馬である。
あくまでジェントルマンな気風をたたえていることも手伝ってはいるだろうが、外国暮らしがあることを
差し引いても、明らかに天然ボケが勝っていると言えよう。
青子はクスリと笑って、4人掛けのボックス・シートの向かいに座っている快斗へと視線だけ向けた。
快斗は新幹線に乗り込んだと同時に、夢の中だ。
この会話すら耳に届いていないその相手に向かって、青子は苦笑した。
そんな青子を見て、白馬はなるほど、と笑って頷く。
それに気づいた青子は慌てて、訂正をした。
「あ!あのねっっ!!白馬君!!チョコにもいろいろな種類があるのよっっ!
本命の人にあげるチョコとか!義理であげるのとか!!」
「・・・ぎ、義理・・・ですか?」
「そうっっ!!私があげるのは義理チョコなの!!もうずっと幼馴染だからあげるのが当たり前で・・・。
別に、ただの社交辞令っていうか。そういうチョコもあるの!!」
「は、はぁ・・・。そうなんですか。」
真っ赤な顔をして、そう言い切る青子に思わず頷かずにはいられなかった白馬だが、
この時の彼が、青子の言葉を鵜呑みにしてしまったであろうことは言うまでもない。
実際、青子のチョコが本命か義理かだなんて、火を見るより明らかなのだが
どうやら、探偵としての並々ならぬ洞察力も、こと恋愛においてはさっぱりのようであった。
□ □ □
午前10時を少し回った頃、ガーラ湯沢へ到着。
駅に隣接しているロッカーでウェアに着替えて、さてゲレンデに集合である。
天気は快晴。まさにスキー日和であった。
「くぅ〜〜〜っ!!気持ちいい!!」
白銀の世界を目の前に、快斗は大きく伸びをした。
出かける前の不機嫌はどこへやら、結局のところスキーをするのも楽しいのだ。
板を履いて今にも滑り出そうとする快斗の横で、板も履けない青子が悪戦苦闘していた。
履こうとすると、板が滑ってうまくいかないのだ。
快斗はそんな青子に、やれやれと溜息をついて、彼女の後ろに回ると板を軽く踏んで固定してやる。
すると、どうにか青子は板を履く事ができた。
「・・・ったく、ザマーねーな。そんなんでちゃんと滑れんのかよ?」
ニヤニヤ笑いながら快斗がそう言ってやると、青子はぷぅ!と膨れて見せる。
「うるさいわね!!午前中のカリキュラムでちゃーんとインストラクターの人に教えてもらうから
大丈夫だもんっっ!!快斗こそ、スケートは滑れないくせに!!何よっ!」
「・・・お前ね。オレはスケートだってできなくねーよ。
あん時は初めてだったからまだ感覚がつかめなくてだなぁ!どっちにしてもあんまりスケートなんて
やる機会なんてねーだろ?関係ねーよ。
・・・それより、インストラクターになんか習わなくても、オレが教えてやろうか?」
え?と、思わず緩みかけた青子の口元は、快斗の次のセリフを聞いて真一文字に結ばれた。
「初心者コースでなんか、チンタラ滑ってるからいつまでたっても上達しねーんだって。
いっそのこと、上級者コースを死ぬ気で降りてみろよ?一気に滑れるようになるぜ?」
快斗が全部言い終わらないうちに、青子は背を向けておぼつかない足取りながらも
みんなが整列している場所へと動き出した。
「・・・それで、ほんとに死んだらどうしてくれるのよ?!バカっっ!!」
そう言いながら。
そんな青子をケタケタ笑っていると、隣にザッとエッジを効かせて白馬がやってきた。
快斗の足元にパウダースノーが降りかかる。
そのフォームといい、ちょっと洒落たセンスのウェアといい、何気にキマッている姿が妙に腹立たしい。
快斗は、足元にかかった雪をオーバーに払いのけて見せた。
「・・・お前、スキーも一応できるんだな。」
そう言ってやると、白馬はゴーグルを取ってにっこりと笑って言葉を返す。
「ええ。スキーはよく家族で、カナダの方へ小さな頃から行ってましたから。」
イチイチイヤミな奴。
快斗はそう思ってチロリと白馬を見ると、さっと勢いをつけてみんなの集まっているところへ向けて
滑り出した。
綺麗に雪の上にシュプールを描く快斗を見て、白馬もにっこりと頷く。
「・・・さすがは黒羽君。でも僕も負けてはいませんよ?」
白馬は再びゴーグルをつけると、快斗の後を追って滑り出した。
全員整列したところで、早速スキー教室の始まりである。
まずはインストラクターの前で各自滑って見せて、クラス分けが成された。
快斗も白馬も周りを魅了するほど見事な滑りっぷりで、余裕の上級者クラス入りである。
ちなみに青子はみっちり基礎から教えてもらえる初心者クラスに振り分けられた。
午前中は、それぞれのクラス担当のインストラクターの指示に従って滑り、
午後には若干フリータイムが用意されている。
ランチでカレーを食べていた快斗は、ちょうど食べ終わった頃、青子に呼び出された。
「おう!どうした?少しは滑れるようになったか?」
「まーね!もうボーゲンならバッチリよ!!午後は初心者コースをちゃーんと上から降りてくるつもり。」
自信たっぷりに笑う青子に快斗もそりゃよかった!と頷いた。
「・・・で・・・ね。コレ、今年の。」
言いながら、青子が赤い小さな包みを渡す。チョコだ。照れ隠しなのか、少し怒った風な顔をして。
まるで、頼まれて仕方なくあげるのだと言わんばかりの表情をしている。
が、快斗はそんな素直になりきれない彼女をかわいらしく思いながら、笑顔で受け取った。
「・・・お vvv サンキュー!!」
その笑顔をチロリと見て、青子の頬もやや赤くなる。
それをごまかすように、しゃべりだした。
「あ、あのね!!ちょっと形が変かもしれないけど、それはデザインが凝ってるからなのよ?
別に失敗したわけじゃないんだからね!!」
すると、快斗はますますにっこり笑った。
「はは!心配すんなよ。お前が作ってくれたもんで、今までまずかったものなんてねーよ!」
それだけ言うと、快斗はウェアのポケットにチョコを突っ込んだ。
時間的にはそろそろ休憩時間が終了のはずである。
快斗は席から立ち上がると、もう一度青子を見て微笑んだ。
「ゲレンデの上で食べたらウマそうじゃん?あとでいただくよ。ほんとにサンキューな♪」
ウインク付きでそう言われて、青子は再び頬を少し赤らめると、席に座ったまま快斗を見送った。
同じ頃。
白馬は何をしていたかというと、このランチの時間を狙って渡された大量のバレンタインのチョコを
どうにも持て余して、いったんロッカーへと置きに行っていたりする。
この時点で、快斗はまだ青子からのチョコと、青子と別れた直後に通りすがりの女子にもらったチョコで
まだ二つしか受け取っていなかったが、まさか快斗がこれだけしかもらえないわけはない。
どうやら、快斗目当ての女子は3時頃に取るだろう休憩タイムを狙っているようだ。
確かにこちらの方が、お茶を飲みながらその場でチョコを食べてもらえる可能性が高いからだろう。
さて、ともかく昼食を取り終え、2時間が経過した頃、インストラクターの後を滑らなきゃいけない
かったるいレッスンもようやく終わり、いよいよこれからフリータイム突入である。
□ □ □
「わ〜お!絶景!!」
上級者コースのスタート地点に立ち、快斗は遠くに連なる山々を見て微笑んだ。
さて思いっきり滑るか!と思ったとたん、快斗の横を颯爽と一つの影がすり抜けていった。
「・・・あ!あのウェアの色!にゃろー!!白馬だなっっ!!」
俄然やる気を出した快斗は、白馬の後を追って一気に滑り降りた。
ぐんぐん加速するスピードに乗って、快斗は白馬との距離を縮める。
・・・ぜってー、抜かしてやるっっ!!
そう思いながら、スットクで軽快に雪を蹴った。
白馬は、後ろからものすごい勢いで、自分を追走してくる気配を感じて振り返る。
「・・・黒羽君!」
その一瞬の隙に、快斗が白馬を抜き去った。
「・・・お先っっ!」
言いながら、不敵に微笑んで滑走していく快斗に白馬は目を奪われたが、すぐに自分もペースを上げて
快斗の後を追った。
「・・・やりますね!黒羽君!では勝負!!」
お互いにシュプールを描きながら、コースを滑り降りていく。
やや快斗がリードしているようだが、それもほんの僅かなものである。
「くっそー!!このオレについて来れるなんて、白馬のヤローもなかなかしぶといな・・・!!」
振り切るつもりが振り切れない。
快斗は舌打ちしながら、後ろの白馬をチラリと見やる。
と、白馬も自信たっぷりな笑顔を浮かべているのがわかって、余計に腹が立った。
ふと前を見ると、まもなく分岐点である。
予定のコースでは右斜面を滑降するようになっており、後に中級者コースと合流だ。
しかし、それではつまらない。
快斗は、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべると、白馬を振り返った。
「オレについて来れるか?!」
快斗はそう言うと、なんと分岐点で左折した。
正当な上級者コースを外れて、立入り禁止のロープが張られている上を軽々とジャンプしていったのだ。
「・・・えっ?!黒羽君?!どこへ行くつもりですか?!」
戸惑いながらも、まさか勝負を受けないわけにもいかない。
白馬も快斗の後に続いて立入り禁止のコースへと滑り降りていった。
分岐点には、左のコースへそれたスキーの跡が二つ、綺麗に残っていた。
狭い林道の急斜面を、二つの影が流れていく。
「おー!!誰にも踏み荒らされてないコース!!最高だねっっ!!」
先程の上級者コースよりも、難易度の明らかに上がっているのを物ともせず、快斗は楽しそうに笑った。
後ろで白馬が叫ぶ。
「黒羽君っっ!!こんな方に来ちゃって大丈夫なんですか?!」
「何だよ!別について来いとは言ってねーぜ?!怖いなら帰れば?!」
快斗のその挑発するような笑みに、白馬は一瞬むっとして見せると、力強く頷いた。
「・・・いいでしょう。確かにこちらのコースの方が、面白そうだ。ここで勝負をつけましょう!!
君を捕まえて見せますよ!」
「・・・誰が、お前なんかに捕まるかってーの!!」
快斗はべーっと舌を出して振り返ると、一層スピードを加速させた。
両サイドは樹木に覆われて、ますますコースは狭くなり、斜面も急になっていく。
整備されているコースでないために、コブもいっぱいだ。
けれども、快斗も白馬もかえってその悪条件を楽しむように滑走していった。
そうして。
絶好のスピードに乗っていたら、それまで木々で覆われていた快斗の視界が突然開けた。
・・・えっ?!
と、思ったときには、既に遅い。
快斗の目の前には、道はなかった。
・・・マジかよっっっ!!!
「・・・うっわっ・・・・!!!」
すると、白馬の目の前で一瞬にして、快斗の姿が消えた。
それを目撃した白馬の目が見開かれる。
「・・・え?!」
が、次の瞬間、白馬はなぜ快斗の姿が消えたのか一瞬の内に理解した。
そこは切り立った崖だったのだ。
そして。
踏みとどまろうなどと考える間もなく、白馬の体も宙へと投げ出された。
どすん!という激しい衝撃を背中に受けたと思うと、ドサドサと顔の上に冷たい雪が滝のように降り注ぐ。
白馬は顔をしかめながら、その衝撃に耐えた。
やがて、自分の上に降り積もってしまった雪のせいで、真っ白になってしまった視界をどうにかしようと、
頭の上をかき分けると、日の光が目に届いた。
「・・・イタタ・・・」
白馬は打ち付けた肩を押えつつ、なんとか立ち上がって周りを見回すと、自分より少し離れたところに
立っている快斗の姿を見つけた。
「・・・あ。黒羽君、無事でしたか?」
声をかけると、快斗が白馬を振り返った。
「・・・オレは無事だけど、こっちが死んでる。」
言いながら、快斗は無残に折れたスキー板を見せた。両足とも綺麗に折れてしまっている。
「・・・お前、板は?」
言われて、白馬は自分が板を履いていない事に気づいた。
振り返ると、自分が埋まっていた小さな雪山の中に、板が突き刺さっている。
どうやた、落下の衝撃で外れてしまったらしい。
板を雪の中から引きずり出してみると、なんとこちらも見事に折れ曲がってしまっていた。
「・・・これは、ヒドイ。これ、学校がスキー場からレンタルで借りてるんですよね?
壊してしまった場合、どうしたらいいんでしょう?」
折れ曲がった板を抱えて真剣に困った顔をする白馬に、快斗は大いに脱力した。
「・・・・・・お前ね。板のことより、自分のことを心配すれば?」
「え?!」
「オレ達、こっから先、歩いてこの雪山を降りなきゃならねーんだぜ?」
「・・・あ。」
快斗と白馬は揃って、自分達が落ちてきた切り立った崖を見上げた。
どう考えても登るには厳しそうな崖。ロープでもあれば話は別だが、素手ではとても無理だ。
快斗は深々と溜息をついた。
・・・まさか、立入り禁止のコースってのが、途中から崖になってるとはね・・・。
だったら、最っ初から、『この先、崖』とでも書いておいてくれよ・・・。
まぁはっきり言って、この場合、自業自得なのだが。
快斗は反省の色もなく、忌々しく崖を睨み付ける。が、白馬は違った意味で崖を見上げていた。
「・・・この高さから落ちて、二人とも怪我がないなんて本当によかったですね!
下が深い雪だったことに本当に救われました!!板もウマイ具合に外れてくれていたし、
下手をしたら骨折だってありえますからね。」
ねぇ、黒羽君!と微笑まれて、快斗は思わず引きつった笑みを返すが。
快斗にしてみれば、今、この状況をいかに打開するかが大問題である。
・・・ったく、これだから能天気な奴は・・・。
快斗は折れた板をその場に置いたまま、白馬を無視してスタスタと山の中へ歩き始めた。
「黒羽君!どこへ行くんですか?」
ズンズン雪山の奥へ入っていこうとする快斗を、白馬が引き止めた。
「・・・決まってるだろ?!んなの!!山を降りるんだよ!」
何を当たり前な事を、と、言いたげな顔をして、快斗が振り返る。
けれども、白馬は快斗の行動に異論を唱えた。
「・・・ですが、こういう場合は下手に動かず、助けを待ったほうがいいのでは?」
「オレ達、コースを外れてるんだぜ?そんな簡単にレスキューが駆けつけてくれると思うか?」
「・・・しかし・・・。」
腕組みをして考え込んでしまった風の白馬を見やり、快斗はふぅ〜っと溜息をつく。
「・・・・・・あのな。別にお前に一緒に来いとは言ってねーよ。ここにいたいなら、好きにすれば?」
「・・・君は自力で山を降りるつもりですか?雪山は危険ですよ?」
真剣な顔をして白馬が言う。確かに素人に雪山は危険だろう。そんなことは快斗も承知だ。
・・・だが。 快斗はチラリと手元の時計を確認する。
この時、既に時刻は3時半を回り、あと10分程で4時になろうとしていた。
帰りの新幹線は確か4時45分発だったか。
できれば、これに乗り遅れないようにしたい。ただでさえ、今日はあまり時間に余裕はないのだ。
快斗は仕事までの時間を逆算しながらも、やはり予定通りの新幹線に乗るのが理想だと判断した。
「・・・吹雪いてねーし。別に真っ直ぐ降りるだけなんだから平気だよ。」
快斗はそれだけ言うと、再び歩き始めた。すると、白馬も後をついてくる。
「・・・わかりました。僕も一緒に行きましょう。実はこの後、僕も予定がありましてね。
僕としても、帰宅時間が遅れるのは好ましくないんですよ。」
白馬の言葉に、快斗は一瞬だけ視線をよこすが、また前を向いて歩き出した。
白馬の『僕も』、と、いうセリフが気に入らない。
この後、君は予定があるんでしょう?何しろ今日は『怪盗キッド』の予告日だからね?
と、言われた事に変わりはないのだ。
快斗は、やっぱりスキー教室なんか、来なきゃよかったと思いながら、深い雪道を歩いていった。
もちろん、今更そんなことを思ってみたって、後の祭りというヤツなのだが。
□ □ □
白い。
ただひたすらに白い。
目を開ければ飛び込んでくるその『白』に、快斗は目を細め、顎を引いて必死に前へと足を踏み出した。
強風に吹き荒れる吹雪が、ゴウっと音を立てて時折通り過ぎていく。
耳が刺すように痛い。
快晴の天気から一変。
快斗達が山に入り込んでから、20分と立たないうちに辺りは猛吹雪となった。
『山の天気は変わりやすい』と、言うけれど。
何もここまで極端に変わらなくてもいいだろうっ!と、快斗は空を睨みつける。
今日は、やる事成す事すべてが裏目に出ているとしか思えない。
快斗はうんざりしながら、溜息をついた。
間違いなく山を降りているとは思うが、吹雪がひどくて視界が定まらない。
もしかして、無駄足を踏んでいるかもしれない。
手元の時計はもうまもなく4時半になろうとしている。
・・・やべーな、これじゃあ間に合わねー・・・。
辺りを見回した感じでは、あと15分で下山できるとは到底思えなかった。
不意に、雪に足を取られて、快斗の体が揺らめいた。
「・・・黒羽君っっ!!」
間一髪倒れる前に、白馬がその腕を取って、快斗を支える。
振り返った快斗の黒い前髪は、もう雪でパリパリに凍りついていた。
自分も大して変わりない姿なのだろうが、白馬はそんな快斗の姿を見て本気で彼の体を心配した。
「・・・大丈夫ですか?」
「・・・大丈夫だよ。」
快斗はもうかじかんでよく動かない手で、白馬の腕を押しのけると、再び歩き始めようとした。
が、その腕を白馬がぎゅっと掴む。
「・・・白馬?」
「黒羽君、これ以上は危険です。こう吹雪がひどくては道を誤りかねません。少し休憩を取りませんか?」
「・・・どこで?」
もう今更あせったところで、新幹線に間に合わないのは目に見えていた。
いい加減、この寒さに嫌気がさしていた快斗は、意外にも肯定的に白馬の提案の先を促す。
「ほら、あそこを見てください。小さな洞穴があるでしょう?あそこなら風ぐらいしのげますよ。」
白馬の指差した先には、真っ白い世界の中、ぽっかりと開いた小さな穴が、山の斜面にあった。
しばらくその穴を見つめていた快斗は、そちらへ向かって歩き出した。
「・・・黒羽君?」
「休憩するんだろ?さっさと行こうぜ!これ以上ここにいたら、凍え死ぬ。」
相変わらず不機嫌そうな顔でそう言う快斗を、白馬は見つめるとやがてにっこり笑って頷いた。
穴に入り込むと、風をしのげるだけでもずいぶんと寒さが和らいだ。
二人は、ウェアに積もった雪を払いながら、ふぅ〜っと溜息をつく。
慣れない雪道は体力もかなり奪うのだ。
「・・・白馬、お前の頭、雪で凍り付いてなんか鳥の巣みたいになってるぞ?」
快斗が白馬の頭を指差して笑う。指摘されてバリバリの頭を慌てて白馬は解きほぐした。
「・・・そういう黒羽君だって凍ってますよ?」
「ああ、ほんとだ。・・・うぅ〜、さみーな!!もう手足の先の感覚がねーよ!!」
「全くです。火でも起こせればよかったんですけどね。あいにく何も持ってません。」
二人は、穴の奥にとりあえず腰掛け、白い息を吐いていた。
その後も、一向に天候は快復しそうになかった。無情な吹雪が時折、洞窟の中にまで入り込む。
「・・・そろそろ日も暮れてきましたね・・・。」
灰色の空を見上げながら、白馬が呟いた。
時刻は5時になってしまった。快斗は荒れ狂う吹雪を見ながら、この後どうしようか考える。
・・・練馬ICからこの湯沢までは、確か車だと2時間10分。
・・・・・・・と、すると、寺井ちゃんにここまで迎えに来てもらうのは無理だな。
やっぱ、上越新幹線で帰った方が早い。東京までは1時間強なはず。
ってことは、遅くても7時代前半のに乗らねーと。
ちゃんと、温かいお風呂にも入ってから行きたいし。
タイムリミットがあるだけに、のんきに休んでいるわけにはいかないのだが、
快斗はそんな素振りも見せずに、ただ無表情で吹雪を見つめていた。
そんな快斗の横顔を見ていた白馬が、ふと、不敵な笑みを浮かべる。
「・・・このまま朝までここを動く事ができなかったら、キッドは今夜の仕事をキャンセルすることに
なるかもしれませんね。
・・・・・もし、そんなことになったら、君がキッドだという確信を僕はまた一つ増やす事になる。」
快斗は白馬の方を向くと、その目を少し細めて真っ直ぐに見返した。
その唇の端を少し持ち上げて。
「・・・じゃあ、逆にオレがここにいても、キッドがちゃーんと現れたら、お前は勘違いしてんだってことを
認めてくれるのかな?」
もちろん、そんなことできるわけもないのだが。
快斗は余裕たっぷりにそう笑って見せた。
言われて、白馬も一層その笑みを濃くする。
「・・・いいですよ?では、このままここで僕と一晩明かすのはどうです?」
キラリとお互いに鋭い視線が一瞬だけ交差する。
けれども、快斗の方が先に視線をそらした。
「・・・けっ!冗談じゃねー!かわいい女の子ならともかく、
何でお前と夜を一緒に過ごさなきゃなんねーんだよ!!そんなもん、まっぴらごめんだね!!」
プイと吐き捨てるようにそう言う快斗を、白馬はクスリと笑った。
と、快斗のお腹がきゅ〜と鳴って、空腹を訴えた。
「・・・あ。そういえば、腹、減ったなぁ〜・・・。」
昼食に軽くカレーライスしか食べてない快斗は、思い出したように呟いた。
快斗の呟きに、白馬も、そうですね、と同調した。
・・・・まさかこんなことになるとは思っていなかったから、非常食なんて持ち歩いていないし。
そう思いながら、ウェアのポケットに突っ込んだ快斗の手に何かが当たった。
・・・あ!そうだ!!
快斗の手の中には、昼休みに青子からもらったバレンタインのチョコがあった。
あの時、あとでゲレンデで食べようと思ったまま、すっかり忘れていたのだ。
快斗は今程、青子のくれるチョコレートに感謝した事はなかった。
いや、もちろんいつも感謝はちゃんとしているのだが、何せ今は非常事態だ。
そういや、もう一個なかったっけ?
快斗はポケットというポケットをがさごぞし出す。
確か、青子のチョコをもらった後、通りすがりの名も知らない別のクラスの女子に一つもらっていたのだ。
ああ、あった!!
快斗はにっこり笑うと、青子のチョコの包みを開けてさっそく食べながら、
もう一つのチョコを白馬に差し出した。
「・・・ほら!やるよ!!」
けれども、白馬はその差し出されたかわいいピンク色の小さな包みを見て、しばし固まっていた。
白馬の目の前に差し出されたそのチョコは、ピンク色の包装紙に所々ハートが描かれ、
かわいく結ばれているリボンには、これまたかわいくハート型の小さなカードに、『Loving You』などと
書かれている。
長い沈黙の後、やっと白馬は口を開いた。
「・・・黒羽君・・・、これは・・・。もしかすると、バレンタインのチョコレートですか?」
「あ?そうだけど?」
再び、しばしの沈黙。
「・・・あの。そういう意味のチョコレートを僕が受け取ってもいいんでしょうか?」
白馬の言葉に、今度は快斗が、ん?と少し考えさせられる。
「・・・ああ、そういう意味って、そういう意味ね。何だよ、そんなこと気にすんな。
それはお前にやるって。いいぜ?お前が食って。」
このときの、快斗の言う『そういう意味』というのが、果たして白馬の言う『そういう意味』と
同じだったのだろうか。
いや、実は両者の思いにはかなりの隔たりがあったのだ。
事実、快斗は白馬の言った『そういう意味』という言葉を、誤解してしまっていた。
白馬はこういう意味で言ったのだと思ったのだ。
『バレンタインに女の子が自分のためにくれたチョコを、よその男が食べてもいいのか』と。
で、快斗の答えはイエスである。
何を隠そう、今は非常時だし。この際バレンタインがどうこう言っている場合ではないだろう。
ま、ちなみにそれでも自分はちゃっかり青子の分を平らげているのではあるが。
名も知らない女子と、青子とではさすがに快斗の中でも比重は後者の方が上である。
幸いチョコは二つあることだし、その名も知らない彼女には悪いが、この際白馬にあげてしまう事に
快斗は何ら罪悪感はなかった。
一方、白馬はどうだったか。
彼の言う、そう言う意味とはまさに、バレンタインチョコとは、好きな人にあげるチョコだという
今朝、青子に聞いたばかりのセリフ、そのまんまであった。
・・・つまり。
彼は快斗が自分にチョコレートをくれたのだと、思っていたのである。
さて、そうとも知らずにチョコを持って固まってしまっている白馬を快斗は訝しげに見た。
「・・・・・・んだよ?食わねーのか?」
なら、返せと言いながら、再び白馬の手からチョコを取り返そうとした快斗の手は空を切る。
白馬が防御したのだ。
「いえっ!!ありがたくいただきますっっ!!!」
などと、少し頬を赤らめながら過剰に礼を言う白馬に、快斗は小首をかしげながらも深くは考えなかった。
・・・・相変わらず変なヤツ・・・
チョコを大事そうに抱えて、一向に食べる気配を見せない白馬を見ながら、快斗はただそう思っていた。
ふと、鳴り響く風の音に紛れて、人の声が聞こえた気がした。
「・・・!おいっ!!今、人の声が聞こえなかったか?」
「えっ!!」
慌てて二人は穴から飛び出す。
荒れ狂う吹雪の中、必死で目を凝らすと、遠くに小さなライトが2,3つ見えた。
「・・・やったっ!!おい、白馬、助かったぜ?!レスキューだ!!」
言いながら、快斗が雪の中を駆けて行く。
白馬はその背中を見ながら、僅かに苦笑した。
「・・・残念ですね。僕としてはこのまま朝までここにいても、一向に構わなかったんですが。
・・・・・・・そうすれば、君の正体を見極める事ができたのに。」
そんな白馬の小さな呟きを、雪山の冷たい風がさらっていった。
□ □ □
そうして、レスキュー隊に救助された快斗と白馬が無事湯沢の駅に着いたのは、17時半過ぎ。
他の生徒達は予定通りの新幹線で一足先に帰っており、二人は担任教師の雷が轟く中
18時09発の東京行きの列車に乗ることができた。
心配して残ってくれた数人の教師とともに、快斗達が東京駅に到着したのは
19時半前だった。
教師達と解散した後、快斗は時計を見て小さく溜息をつく。
・・・ふぅ〜。どうにか間に合ったな。
それを横目で見ていた白馬が、クスっと笑った。
「・・・よかったですね。お互いに間に合いそうで・・・。」
「・・・・・・・は?何の事?」
快斗が嫌そうに目を向けると、白馬は続けた。
「・・・では、また後で会いましょう。
ああ、出かける前に熱いシャワーでも浴びて体を温めた方がいいですよ?
先程の吹雪で、体が冷え切ってしまっているでしょう?ゲレンデ程ではないですが、東京も夜風は冷たい
ですからね。」
・・・・・・余計なお世話だ!!
ツラツラと親切面してそう告げる白馬に、快斗はそう思いながらもプイとソッポを向いた。
そこへ、青子が走ってくる。
「・・・中森さんっ!!待っていてくれたんですか?!」
「うんっ!!だって心配で・・・。二人が見つかったら連絡をもらえるように先生にお願いしておいたの。
本当は湯沢で待っていたかったんだけど、どうしても先に帰るように言われて・・・。
だから、東京駅で待ってようと思って。」
「・・・すみません。たいへんご心配をおかけしました。」
「ううん、二人が無事ならそれでいいの。本当に良かった・・・。・・・・で、快斗はどこに行ったの?」
言われて、白馬は先程まで隣にいたはずの快斗が消えていた事に気づく。
「・・・あ。」
「・・・何よぉ!快斗ったら、せっかく待っててあげたのに、さっさと一人で帰っちゃったわけ?!」
そして。
その晩、怪盗キッドは予告どおりきちんと現れ、相変わらず見事な手口で獲物を奪って見せた。
けれど、いつものような怪盗と探偵の逢瀬は、今夜はなく。
やる事だけ済ますと、白い翼はさっさと夜空へ羽ばたいていった。
漆黒の闇に消えていく白い鳥を見つめながら、白馬は呟いた。
「・・・今日は、本当にお互いお疲れ様でしたね・・・。」
そして、おもむろにポケットからピンク色の包みを取り出した。快斗からもらったチョコである。
「・・・さて、ホワイト・デーにお返しをしなければ。
今度は僕の気持ちを受け取ってもらいますよ?黒羽君。」
うっとりとそう呟く白馬の姿を、空に浮かんだ月が静かに照らしていた。
一方。
探偵があらぬ誤解をしていることなど、梅雨知らずの怪盗は。
夜空を軽快に舞いながら、さすがに体力の限界を感じていた。両腕で支える自分の体重がツライ。
・・・あー・・・、疲れた。さっさと帰って寝ようっっ!!・・・ったく、今日はとんだ一日だったぜ!
などと、ぼやいていたが。
彼は、自分がもう一つ災難を抱え込んでいた事にまったく気づいていなかったのだった。
□ The End □
白快バレンタインのお話でした〜vvv
いや、快斗が意識しないで白馬にチョコをあげるっていう、ただそれだけなんですが。
白馬さんの大勘違い野郎ってトコですか。あは!
2002.02.11