Heart Rules The Mind

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NOVEL


君と このまま

□■ Part 4 □■


 

・・・ほんとにここまでは楽勝だったな。

 

予備配線路を、白いマントを翻しながらキッドが駆け抜けていく。
ここまで、何の苦もなく辿り付けてしまったが。

あと、数メートルも行けば、目的のエネルギー・セクションへと到着だ。

願わくば、新一も何の妨害も無しにコントロール・セクションに着くことができていることを。

 

「・・・さて、やっと簡単じゃないトコに出たかな。」

キッドの目の前に、見上げるほど大きな動力システムのコンピュータが立ちはだかった。

「・・・じゃあ、頼むぜ!」

キッドは持っていたお手製の小型爆弾にそっと口付けた。
ひんやりとした感触が唇に伝わる。

ふと、先程奪った、新一の唇の熱さがよみがえった。

キッドはその唇に不敵な笑いを浮かべると、次には獲物を狩る鋭い目つきになって
動力システムの中心部へと消えていった。

 

 

キッドの願いが天に届いたかどうかは知らないが、新一の方も無事にコントロール・セクションへの侵入を果たせていた。

キッドの言うとおり、配線路では敵一人として遭遇することなく。

コントロール・セクションも相変わらず無人のようで、新一の侵入を拒むものはいなかった。

・・・このまままっすぐ行ったら、《ベルガ》のあるコンピュータ・ルームのはずだよな!

新一は、迷わず先を急いだ。

 

そんな新一の姿を、人口の眼が見つめていた。

新一の目線よりはるか上にある壁の端に、それとは気づかないほどの極小さなモニター。

モニターはしっかりと新一を捕らえ、『異常発生』との文字を点滅させていた。

 

 

時刻は、18時48分。

組織本部のあるビルに隣接したホールで、記念式典のパーティが今まさに始まろうとしていた。

続々と詰め掛ける組織関係者の中、全身黒いスーツに身を包んだ者たちが開場の中央にあるテーブルで酒を飲んでいる。

そこへ。

一人の男が走りこんで来た。

長い栗色の毛をした男にそっと耳打ちをする。

「・・・何?コントロール・セクションに?」

長髪の男は、その眼に鋭い光を宿すと、ニヤリと不気味に笑った。

「・・・殺せ!心配するな。どうせあそこに入り込んだところで何もできん。」

言いながら、彼は飲んでいた酒を一気に煽ると、その場から立ち去ろうとする。
それを見ていた仲間の一人が、彼に声をかける。

「・・・アニキ!何かあったんですかい?」

「・・・ウォッカ。工藤新一がこのビルに侵入した。」

「え?!一体どうやって・・・!で、アニキはどこへ行くんです?」

「ガキの始末はアイツらに任せた。オレはビル内のセキュリティを確認してくる。
お前は、念のためエネルギー・セクションを見に行け!」

「了解!!」

 

これから始まろうとしている華やかなパーティをよそに、黒の組織の一部で
俄かに慌しい動きが見られた。

 

 

「・・・おっけ。あと一つで完了っと・・・。」

キッドが手持ちにしていた小型爆弾があと残すところ、一つとなる。
それを設置し終えれば、あとは新一にセット完了を知らせて自分は安全圏に逃げるのみだ。

・・・マジでチョロかったんだけど。
なんか、ここまで気が抜ける仕事なんて、初めてな気がするような・・・

そう思った瞬間。

背後に視線を感じ、振り返ったところで、小さなモニターが自分を捕らえているのに気づく。

「チっ!!」

キッドは舌打ちを一つ、とっさにトランプ銃でモニターを破壊したがもう遅い。
おそらく今ので侵入はバレタだろう。

・・・とにかく、奴らが出てくる前に残りの爆弾をセットしねーと!!

キッドは、額の汗を拭いながら爆弾をセットするポイントへと駆け出けだそうとした。

が、それは叶わない。

足元へ銃弾が打ち込まれ、キッドは先へ行くのを阻まれた。
キッドはゆっくりと振り返る。

そこには、黒服をきた男達が数人、キッドへ向けて銃を構えていた。

 

「・・・あと30秒、遅く来てくれると助かったんだけどね。」

キッドは男達に不敵な笑みを返しながら、胸元からトランプ銃を抜き出した。

 

 

「・・・これか。」

新一は巨大なコンピュータを目の前に、そう呟いた。

・・・ここに。組織のすべてを握るデータが眠っている。
・・・・・見てろよ!!今にお前らの息の根を止めてやる。

新一は《ベルガ》を見ながら、これまで組織に関わって不幸な死を遂げた人たちの顔を思い浮かべた。

 

彼らのためにも、自分のためにも。

そして、アイツのためにも。

今日で終わりにしてやる!!

 

新一が改めて決意を胸に誓ったその時、背後で扉が開かれる音がした。

その刹那、振り返った新一の瞳に映ったのは銃を構えた男達の姿。

瞬間、響き渡る銃声。

新一はとっさに姿勢を低くして、前へダイブした。と、同時に男の一人に向けて麻酔銃を撃ち放つ。
男は低いうめき声を上げて倒れた。

「このヤロウ!!ナメた真似をしやがって!!」

言いながら、男が新一へ向けて銃を連射する。
新一は、彼らの死角となるコンピュータの影に滑り込み、キッドから預った銃をポケットから取り出した。
そして、腕時計で時刻も確認する。

・・・敵は、あと二人か・・・!
キッドから爆弾設置完了の知らせが来るまで、ここを動くわけにはいかねーんだ!!

新一は男達向けて威嚇射撃をしながら、少しずつではあるが《ベルガ》本体の方へ近づいていた。

そんな新一の前に大柄の男が立ちはだかる。
思わず、足を止めた新一の背後からもう一人の男が飛びついてきた。

片腕で強く首を締め上げられ、新一は息がとまりそうになって必死で後ろを振り返る。
新一の頭のすぐ脇で、黒いサングラスで顔を隠した男が不気味に笑った。

「・・・くっ・・・!!」

新一の顔が苦痛に歪む。
前に立っている男が、新一の細腕を捻り上げて拳銃を奪った。
そして、そのまま新一の額に銃を突きつける。

「こんなとこまでノコノコ来やがって。それほど死にたいなら、今殺してやる!」

目の前の男が、ニヤリと笑ってそう言いながら、引き金に指をかけた。

・・・くそっっ!!
そんな簡単に死んでたまるかよっっ!!!

新一はギっと男を睨むと、右足で前に立つ男の膝の関節あたりを蹴り上げた。
男は悲鳴を上げてがっくり膝をつき、そこへ新一はすかさずその足をまわして、男の後頭部めがけて
インステップをぶちこんだ。

新一の強烈な蹴りを受けて、前に立っていた男は倒れこむ。
あまりに突然の新一の反撃に、我を忘れていた後ろの男は、慌てて新一の首を締め上げようとするが、新一は振り向きざまに、彼の首もとにも麻酔銃をお見舞いしてやった。

ズルリと、新一の背中を伝うようにして男が床にひれ伏す。

「・・・はぁ、はぁ・・・」

新一は、押さえつけらていた首もとに手を当てながら、呼吸を整える。
とりあえず、一時的な危機を脱して、頬を伝う汗を拭い去った。

そして、下に転がっている拳銃を拾うと、再び《ベルガ》の前へと向かう。

 

キッドから爆弾設置完了の知らせはこない。

 

・・・・・まだか?!キッドっっ!!

新一はセット完了をバイブで知らせるはずの腕時計を睨み付けた。

 

 

□       □       □

 

 

戦いは、もう一つの場所でも繰り広げられていた。

 

エネルギー・セクション爆破のための小型爆弾を、あと一つでセット完了できるというその時にキッドのもとへ、ウォッカが5人の部下を引き連れてやってきたのだ。

銃弾の雨を鳥のような身軽さで、キッドがかわしていく。

「くっそう!!ちょこまかしやがって!!!」

男達は、キッドを撃ち落とそうと必死で狙った。

キッドは自分の体スレスレに飛んでいく銃弾を笑ってやり過ごしながらも、内心舌を巻いていた。

 

・・・ここで、こんなに時間を食ってるわけにはいかない。
さっさと、ラストの爆弾をしかけて事を起こさないと・・・!!くそっ!仕方ないっ!!

 

キッドは胸元からピンポン玉を取り出すと、ウォッカ達の足元に投げつけた。
瞬間、カッとおびただしい光が炸裂する。閃光弾だ。

彼らが一瞬ひるんだ隙に、キッドはその前を横切り、ラストの爆弾の設置場所へと向かう。

徐々に閃光弾の威力がおさまり始める。

視界が回復したウォッカ達は、再びキッドへ向けて発砲を開始した。
キッドの頬を銃弾が掠めていく。

けれどもキッドは、構わず設置作業を急いだ。

やっと、セット完了というその時に、キッドは後ろから男に羽交い絞めにされる。

「・・・キッドっっ!!今度と言う今度はお前の最期だっっ!!」

男の太い両腕がキッドの動きを封じ、前に回りこんだ別の男がキッドの腹を蹴り飛ばす。

「・・・・ぐっ・!!」

キッドは苦痛にうめきながら、やや前かがみになる。前に倒れこまないのは、押さえ込まれているからだ。

そんなキッドの苦しげな様子に、ウォッカは嫌な笑いを浮かべて近づいた。
そして、そのまま持っていた拳銃で、キッドの頭を殴打する。

シルクハットが吹っ飛び、床に転がり落ちた。

ぐったりとしたキッドの顎をウォッカは掴み上げると、その顔を覗き込む。
キッドの瞳はまだ鋭く輝いていた。

「いい加減にあきらめな、小僧!お前も初代キッドの後を追わせてやるから。
早く会いたいだろう?!お前の親父さんにな!!」

「・・・ふざけるなよ、このヤロウ!!親父はお前らを倒すために、あと一歩のところで叶わなかったがな、その分もきっちり、このオレが落とし前をつけさせてもらうっっ!!」

「ほざけっっ!!」

ウォッカがキッドへ向けて銃を構えようとした時、キッドが彼の目の前に腕時計を翳した。
キッドは不敵な笑みを浮かべてこう言った。

「・・・さて、これは何でしょう?」

「・・・な、と、時計?!」

思わず答えたウォッカにキッドはウインクを送る。

「ハズレ!爆弾の起爆装置でした!」

とたんに、ウォッカの眼が驚愕に見開かれる。

キッドは唇を持ち上げてにやりと笑うと、そのスイッチを押した。

 

・・・・・あとは、頼んだぜ!新一!!

 

 

 

瞬間、遠く離れたコントロール・セクションにいる新一の腕時計が微動した。

 

・・・やったか!キッドっっ!!

新一は、まるで自分の傍にキッドがいるかのように、その存在を感じて
目に見えないキッドへ向けて、笑顔を送った。

 

 

 

エネルギー・セクションでは、キッドが仕掛けた爆弾が次々と炸裂していく。
バラバラと鉄くずが天井から降り注ぎ、あたりはすさまじい炎に包まれた。

男達の何人かは慌ててその場を退避していく。

その場に残っているのは、キッドの前に立つウォッカただ一人となった。

「・・・貴様、小ざかしい真似を・・・!!」

ウォッカは今度こそキッドめがけて、銃を構える。キッドにもう逃げ場はなかった。

「・・・このままここにいたら、あんたも爆死するよ?それともオレと心中する?」

言いながら、キッドはニヤリと笑ってみせる。が、ウォッカは構わず撃鉄を引いた。

「逃げるのは、お前を殺してからでもできる。」

「・・・・・・オレを殺したら、『パンドラ』は手に入らないよ?」

そのキッドの言葉にウォッカは眼を見開いた。

「なっ・・・!何だとっっ?!お、お前、まさか、手に入れたのか・・・」

ウォッカがすべてを言い終わらないうちに、再び激しい爆音が轟く。

 

肌を焼くような爆風が巻き起こり、キッドの体はまるで紙のように軽々と吹っ飛ばされた。

 

・・・新一っっっ!!!

 

視界が炎に包まれ真っ赤に染まり、それが真っ黒になる前に、キッドは愛しい人の名を叫んだ。

 

 

 

□       □       □

 

 

ビー・ビー・ビー・ビー!!!

建物中にはげしい警報が鳴り響く。

それは、パーティ開場のホールにまで響き渡った。ざわめく客達をよそに、明かりまで落ちる。

 

セキュリティをモニターで確認していたジンのところも例外ではなかった。
すべての電源が落ちる。

「何事だっっ!!」

「ジン!!電力の供給がストップしているわ!ほぼ全セクションが停電状態よ!!!」

「くそうっっ!!何が起こったんだ!!」

「・・・え?!何ですって?!事故っっ?!」

「何だ!何が起きた!!報告しろっっ!!」

「ジン!!エネルギー・セクションが爆破炎上してる・・・」

報告を全部聞き終らないうちに、ジンは舌打ちをしてその部屋を飛び出す。
そして、そのまま長い栗色の毛を靡かせてコントロール・セクションへと向かった。

 

 

激しい警報のブザーは、新一のいるコントロール・セクションにも鳴り響いた。

メイン・コンピュータ 《ベルガ》は赤い警報ランプを点滅させながら、
EMERGENCY(非常事態)を発令する。

そして。

新一の目の前で、《ベルガ》が自己防衛プログラムを最優先するため、すべてのセキュリティが
解除されていった。

 

・・・きたっっ!!これだ!!

 

新一は、《ベルガ》にアクセスを開始した。

セキュリティが何もなされていない《ベルガ》は、そのまま新一の要求に応えていく。

「・・・よしっ!」

新一はコンピュータ正面の操作パネルの前を陣取って、すべてのデータを検出するため
忙しなくキーボードを叩く。

勝負はたった3分間。
時間内に何としてでも終わらせてやる・・・!!

新一は全神経を集中させた。

 

 

濛々とした煙が立ち込める中、エネルギー・セクションはまだどこかしらで小爆発を繰り返していた。

瓦礫の山の中に白いシルクハットが転がっている。

その果てしない瓦礫の連なりの中で、もうほとんど原型をとどめていない動力部分の部品の向こうに横たわる人影があった。

キッドである。

純白だったはずのスーツは、爆発の衝撃によって所々焼け焦げて。
飛んできた破片で体には無数の切り傷があり、吹き飛ばされたショックで激しく壁に打ち付けられたのか頭部から血を流していた。

息はある。なんと幸運なことに、キッドはあの爆風に吹き飛ばされながらも一命をとめていたのである。

瞳はまだ硬く閉じられたまま。
けれども、白い手袋をした長い指がピクリと動いた。

 

 

急いでくれっっ!!

 

新一は、祈るような気持ちで目の前の画面に必死で眼を向ける。

なんとかデータのすべてを呼び出して、今まさに本庁のホスト・コンピュータと哀のPC宛に送信しているところだ。
データの量が膨大であるがために、その送信にも時間がかかる。

新一はイライラしながら、流れていくデータ・ファイルを見つめていた。

残り時間は、もうあと1分を切っている。

新一の額を汗が伝っていった。

「・・・頼むっ!!間に合ってくれよっっ!!」

 

データの送信がやっと90パーセントまで終了する。

新一はコントロール・パネルを見つめたまま、拳を握り締めた。

残り時間あと、10秒。

97、98、99、100!!

ピッ!!という軽い電子音とともに、画面にデータ送信完了のメッセージが表示された。
その一瞬あとに、《ベルガ》の非常事態宣言が解除され、警報が鳴り止む。

その刹那、新一は、今までがんじがらめにされていた凝縮した緊張から解き放たれた。

 

・・・やった・・・!!

 

「・・・やったっ!!」

新一は今度は小さく呟いた。
呆然としていた表情が、俄かに緩んでいく。

 

その蒼い瞳が悪戯っぽい光を帯び、口元が笑いの形を作ろうとしたその時。

 

パン!パン!と、乾いた音が響いた。

 

とたんに新一は体に焼け付くようなショックを受けた。

それは回転する弾丸が自分の皮膚と、肉と骨を貫いていく感覚。

 

・・・あっ・・・!!

 

振り返りざまに新一の瞳が捕らえたのは、自分に銃口を向けているジンの姿。

 

・・・くそっっ!!

 

体勢を立て直す余裕は無かった。
新一の細い体は、バランスを崩してよろめいていく。

それでも、新一は完全に転倒する前に素早く銃を取り出し、ジンへ向けて発射した。

だが。

新一の撃った弾が、ジンの左腕を貫くよりも先に、
自分に向けられている銃口が火を噴いたのを、新一はどこか冷静な目で見ていた。

 

 

・・・・・・キッ・・・!!!!

 

 

体にすさまじい灼熱感が突っ走った瞬間、
新一の脳裏に浮かんだのは、あの白い怪盗の不敵な笑顔だった。

 

 

 

□       □       □

 

 

・・・新一っ?!

 

どのくらい意識がなかったのか、キッドは眼を開けると、あたりは白い煙が立ち込めていた。

 

・・・新一の声が聞こえたような気がした・・・。

 

まだ幾分ぼやける視界の中、キッドは身を起こす。
瞬間、体のあちこちがきしむように痛みが走り、顔を若干しかめながらも、現状を把握することに努める。

キッドの目の前には、爆破されたことによってできたおびただしい瓦礫の山があった。

あの時、死を覚悟して起爆装置のスイッチを入れたのに。
どうやら、自分は相当悪運が強いらしい、と、キッドは苦笑した。

・・・・・・本当にしぶといね、オレも。

そう思いながらキッドは腕時計に目をやるが、爆破のショックですでにそれは壊れて役に立たない。

キッドは時計をその場に投げ捨て立ち上がると、よく動かない体を引きずって、歩き出した。

 

「・・・新一・・・!」

新一のいるコントロール・セクションを目指して。

 

 

 

《ベルガ》のあるメインコンピュータ・ルームから、サブ・コンピュータ・システムがある部屋まで点々と血痕が続いていた。

サブ・コンピュータ 《エビル》の前に立つのは、ジン。

左腕からの激しい出血が、その床を汚している。
撃たれた時に飛び散った血を顔にも受け、その栗色の髪も少し赤く染まっていた。

彼の唇が少し上に持ち上がる。

「・・・あのガキめ・・・。」

ジンはその眼を見開くと、《エビル》にアクセスを開始した。

「最終指令だ。この建物内にあるものすべてを無に帰せ。いいか、例外はない。すべて、だ!」

《エビル》のモニターに、『了解』の文字が浮かび上がった。
と、同時に自爆装置のプログラム開始が表示され、指令完了までの時を刻み始める。

「・・・フン、爆破予定時刻まであと40分か。それですべてをおしまいにしてやる。」

けたたましい哄笑を放ちつつ、ジンは声を振り絞った。

 

建物内出入り口のあらゆるシャッターが閉じていく。

それは、パーティ会場のホールも例外ではなかった。
明かりの落ちた会場ですでにパニック状態になっていたそこは、逃げ道すら奪われてしまったのである。

 

 

 

「・・・・うっ・・・。」

うっすらと瞳を開けると、まるで光の洪水の中にいるようにあたりが真っ白に見えた。

新一は一度硬く瞳を閉じて、それからもう一度ゆっくりと開ける。
すると、蒼い瞳は光を取り戻し、やがて揺らいでいた視界も徐々に回復していった。

だが、体は鉛のように重く、動かす事ができなかった。

「・・・イテ・・・。」

それでも、胸に置かれていた手をなんとか持ち上げ、目の前に翳すと血で真っ赤に濡れていた。

 

・・・この水っぽい感じ、全部オレの血か・・・。

 

新一は、自分が血溜まりの中に横たわっていることを理解した。

脈打つ度に、温かい血液が溢れ出すのをダイレクトに感じる。

 

今まで関わってきた事件で、血まみれの惨殺死体なんて何度も目にしてきたが、
実際自分が血を流すこととなると、ずいぶんとグロテスクなものだと新一は自嘲気味に笑った。

 

・・・あーあ・・・。 お気に入りのコートが台無しじゃねーかよ・・・。

目線を少し下へずらして見えた自分の見てくれに、新一はやれやれと溜息をつく。
ネイビーのコートには、3つほど穴が開いていて、絞れそうなほど盛大に血で濡れていた。

 

またぼんやりと霧がかり始めた視界の中で、新一はこんな風に以前も撃たれた事があったことを思い出していた。

 

・・・あれは、『コナン』の時だっけ? ああ、けど。あの時食らったのは1発だったからな・・・。

 

新一の瞼がだんだんと閉じていく。

 

と、突然、誰かの声がした。

耳に入ってはくるが、脳にまでは届かない声。
新一は、キッドではない誰かが自分を覗き込んでいるのはわかったが、誰かまでは頭がくらくらして判別する事ができない。

面倒くさくて、そのまま意識を手放そうとした新一を、聞き覚えのある声が不意に呼び戻した。

 

「・・・工藤君っ!工藤君っっ!!しっかりしてください!!工藤君!!!」

 

・・・うるせーな。 誰だよ?・・・ったく、人の安眠を妨害しやがって。

・・・ああ、そうだ、この声。

白馬だ。 

白馬か。

白馬が?!・・・何で、白馬がここにいるんだっ?!

 

新一は急にすべてが覚醒したような気がした。瞼を勢いよく押し上げると、慌てて上体を起こそうとした。
とたんに胸部と腹部に激痛が走る。

「・・・つっ・・・!!」

「工藤君っっ!!」

意識を取り戻した新一を、白馬は抱きかかえるようにして覗き込む。
苦痛に歪んでいる新一の顔を、これ以上にないくらい、心配そうな表情を浮かべて白馬は見守った。

新一は、痛みに顔をしかめながらも、目の前にいる男の姿をはっきりと認めた。

「・・・お・・・まえ、何でここに?!」

叫んだつもりが、小さな声しか出ない。新一の声はいつもより少し低く、掠れたものだった。
それを聞いて、ますます白馬の瞳が哀しい色を灯す。

「・・・追って来たんですよ、君を。工藤君がどんなに隠しても、やはり僕は君に関わっていたい。」

「・・・でも・・・どうやって・・・?」

不思議そうに自分を見上げる新一へ、白馬は今にも泣き出しそうな表情ながらも笑顔を送った。

「君が、警視庁から何かしらのデータを盗み出していたことは見当がついていたので。・・・・そこから、なんとかここまでたどり着いたというわけです。」

なるほど、と新一は思った。
警視庁のコンピュータから不正にデータを盗み出した際、実は新一はほんの少しだが細工をしていた。

もし、作戦が何もかも失敗した時の事を備えて。

自分達がやろうとしていたことをわかってもらおうとすべく、その手がかりを残してきたのだ。

もちろん、それはそう簡単にはわかるようなシロモノではなかったはずなのだが。

 

・・・そういや、コイツも『探偵』だったもんな。

 

別に白馬の力を見くびっていたわけではないが、さすがの名推理に新一は苦笑した。

 

「・・・工藤君、君が・・・いや、君達がやろうとしていたことは僕にもわかりました。
もうすぐ警視庁から応援がここに来ますから・・・!!もう何も心配はいりません・・・。
だから・・・だから・・・・!!」

白馬の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。その顔は今にも死んでしまいそうなくらい蒼白だ。

 

・・・死にそーなのはこっちなのに、何でお前の方が死にそうな顔してんだよ?

新一は、そんな白馬の顔を見てクスリと笑った。

 

「工藤君っ、今、今すぐ救急車を呼びますから!!だからそれまでがんばってください!!」

言いながら、自分の体を抱き上げようとした白馬を、新一は弱々しく首を振って制した。

「・・・オレはいいんだ。 キッドが・・・、アイツがもうすぐ・・・迎えにくるから。」

白馬の瞳が僅かに見開く。そしてその瞬間にも零れ落ちた涙が新一の頬を濡らした。

「・・・オ・・・レは、いいからさ。白馬、お前こそここから離れろ。
・・・・・まだこ・・こには・・・危険な奴らが、うろついて・・・るはずだ。」

浅い呼吸を繰り返しながら、新一は途切れ途切れに言葉を紡いだ。

白馬はそんな新一を見ながら、一層その眼に涙を浮かべて、ただただ首を振るばかりだった。

「ダメですっっ!!君を・・・一人になんてしておけない!僕は・・・・!!」

嗚咽をこらえながら、必死で白馬が叫ぶ。
しかし、その言葉はもう新一には届かなかった。

新一にはもう何も聞こえない。
けれども、白馬が何を言いたいのかということは、おぼろげながらもわかっていた。

だから。

徐々に暗くなっていく視界の中、新一は最期の力を振り絞って、口を開いた。

「・・・ごめんな・・・。」

そう言ったつもりだが、無論自分の声すらもう聞こえない新一には確かめる術はなかった。
目の前の男にちゃんと伝わっただろうか。

「・・・工藤君っ!!そんな謝ったりなんかしないでください!!僕は、君さえいてくれればそれで・・・それで構わないんだっっっ!!」

白馬はそう言って、新一を力強く抱きしめた。

 

 

・・・ああ、静かだな・・・。

新一は、もう何も映さなくなった蒼い瞳をゆっくりと瞬きした。

そばにいるはずの白馬の声も、さっきまでうるさいほどまでに聞こえていた自分の鼓動も、今は何も聞こえない。

 

脳裏に浮かぶのは、月を背に翻る白いマント。

白いスーツ。白いシルク・ハット。

右目のモノクルが月光をはじいて。

いつもの不敵な笑みを浮かべた白い怪盗の顔。

 

 

・・・なぁ、知ってたか?キッド。

オレの前でさらしてるその顔が、お前の素顔だってことくらい、とっくに気づいてたんだぜ?

『名探偵・工藤新一』をナメるなよ?

 

 

瞬間。

新一は、まるで花がほころんだようにふわりと微笑んだ。

 

そして。

 

その整った口元に美しい微笑をたたえたまま、蒼い瞳は瞼に隠された。

 

 

鼓動が。

吐息がもう白馬に触れる事はなかった。

 

 

□       □       □

 

 

コトリ!という音がして、それまで呆然としていた白馬は背後を振り返った。

ドアの脇に寄りかかるようにして、キッドが立っていた。
シルクハットもなく、その純白のマントもスーツも煤だらけでボロボロだ。
白馬は涙に濡れた顔で、ぼんやりと白い怪盗を見やる。キッドの顔に表情はなかった。

キッドは白馬の傍に横たわる新一へ眼を向けたまま、一歩ずつゆっくりと歩き出した。

自分の方へ近づいてきたキッドに、白馬はやっと口を開いた。

「・・・キッド・・・。く、工藤君が・・・、工藤君が・・・。」

 

キッドは何も答えず、そのまま足を引きずって白馬の前を通り過ぎると、真っ直ぐ新一のもとへと向かう。
そして、ようやくたどり着くと膝を折って、新一の顔を覗き込んだ。

「・・・遅くなって、ごめんな。新一・・・。」

儚く笑ってそう呟くと、キッドは新一の頬にキスをした。

 

その直後、《ベルガ》が警報を発しながら、警告のアナウンスを始めた。

『アテンション、アテンション。指令完了まで30分00秒。』

キッドと白馬は同じくして《ベルガ》の方を見上げる。
キッドはすっと立ち上がって、《ベルガ》のメイン・モニターを確認した。

「・・・キッド?」

モニターに眼をやったまま、無言のキッドの背を見ながら、白馬が声をかける。
すると、ゆっくりとキッドが振り返った。

「・・・白馬探偵、すぐに脱出しなさい。ここはまもなく自爆する。」

キッドの言葉に白馬は目を見開いた。

「・・・じっ、自爆?!」

「いいですか?一度しか言いませんので、よく聞きなさい。
このコントロールセクションを出ると、予備の配線路があります。それを左にずっとたどっていくと横穴につき当たるので、そこを真っ直ぐに。あとは配線路に沿っていけば、外に出られるはずです。」

言いながら、キッドは横たわる新一を抱き上げた。

「・・・ま、待ってくれ!!キッド!!君は、君はどこへ行くつもりなんだ?!」

新一を抱え上げたまま歩き出したキッドは、いったん足を止めると肩ごしに白馬を見やった。

「・・・私にはまだ、やるべき事が残っていますので・・・。」

キッドの言葉に白馬はぎゅっと拳を握る。

「バカなっっ!!君まで死ぬ気か?!もう時期にここへは警察が来る!!
君達の戦いはもう終わったんだ!!」

すると、キッドはその唇を持ち上げて不敵に微笑んだ。

「・・・まだ、終わってはいませんよ。」

「キッド・・・!!」

再び歩き出したキッドを止めようと走り寄ってきた白馬の足元へ、キッドはトランプ銃を放つ。

「・・・白馬探偵、貴方は大人しくここから離脱すればいいのです。
・・・・・・私の邪魔をするというなら、容赦はしませんよ?」

銃を構えて立つキッドに射すくめられて。
白馬はその場に凍りついた。

「・・・貴方は無事にここから脱出さえしてくれればいい。新一のあとを追ってここまで来たというのなら私達のやろうとしていることもすべてわかっているはず。

・・・・・・貴方は生き延びて、そして自分の役割を果たしてください。」

言いながら、キッドはフッと穏やかな笑みを浮かべた。

「・・・『探偵』としての貴方の力を、私は買っているのですよ?」

それだけ言うと、キッドは白馬を残してその部屋を出た。

 

 

そして、一人残された白馬は。

キッドに言われた言葉をかみ締めていた。

キッドが言わんとしている事。
それは、無事ここから脱出して、この組織を崩壊するために力を注いで欲しいと、そういうことなのだろう。

今回、新一とキッドが組織本部に致命的な一撃を与えても、まだ世界には多くの関連組織が存在する。
だが、それらを一網打尽にする足がかりを二人が作ってくれた。

だから、この先の事を託されたのだ。

 

「・・・わかりました!工藤君!!」

白馬は涙を拭うと、配線路へ向けて全速力で走り出した。

 

 

 

広い通路にキッドの足音が響く。

片足を引きずっているせいで、そのリズムは不完全だ。

キッドが前へ一歩踏み出すたびに、抱きかかえている新一の黒髪がさらりと揺れた。

 

まるで寝ているかのような穏やかな笑顔。

 

本当なら、こんな風に抱きかかえられるなんて、新一のプライドが許すわけが無い。
今すぐ、下ろせとわめきだすに決まっている。その容貌からは想像しがたい悪口雑言。それでも下ろさなければ、次に出てくるのはサッカーで鍛えた黄金の右足か。

「・・・ぜってー、大人しくなんかしてねーよな・・・。そうだろ?新一・・・。」

『あったりめーだろ!バーロー!!』
と、すぐにでも言い出しそうな新一の唇。 けれども、もちろん返事などあるわけもない。

 

目頭がじんと熱くなって、見つめていた新一の顔が見る見るうちに涙で歪んでいく。
キッドの瞳から零れ落ちた涙が、新一の頬を叩いた。

 

鉄のポーカーフェイスは、たった今、崩れ落ちた。

 

「・・・・・・新一。・・・・新一、・・・・し・・・ん・・・」

とうとうキッドは足を止め、ガクリと両足を跪いてしまった。

 

「う・・あああァァァッッ!!!」

キッドは、新一の細い体を痛いほど抱きしめた。

 

 

□       □       □

 

 

不意に阿笠邸の電話が鳴り響く。

それまで、パソコンの画面を見つめていた哀はビクリとして、音の方を振り返った。

 

電話の液晶部分に表示されているのは、『工藤新一』の名前。

哀は、小さく息を吸うと、意を決して受話器を取った。

 

「・・・もしもし・・・? ・・・もしもし、工藤君?」

電話の向こうがすぐに返事をよこさない事で、哀の心に不安が拡がっていく。
と、ようやく返事が返ってきた。

『・・・・・・新一が送ったデータは、無事に届いてる?』

「・・・貴方、キッドね?・・・あ、ええ。間違いなく届いたわ。警視庁の方にも無事送信はできてるわよ。・・・作戦はどうやら成功したようね。それより、工藤君は?彼はどうしたの?一緒ではないの?」

新一の携帯を使ってキッドがわざわざ確認の電話をよこすなんて。
少々その行動に疑念が沸いた哀は、その張本人に問いただす。すると一拍の間を置いて返事が届いた。

 

『・・・・・・一緒だよ。けど、新一は・・・。新一は死んだよ。』

「・・・・え?」

『死んだんだ。』

キッドの冷静な声に、哀は受話器を指が白くなるくらい強く握り締めた。

「・・・そっ、そんな!!うそっ・・・・っ!!」

悲鳴のような声を哀が絞り出す。
けれども、キッドはそれに構わず言葉を続けた。

『・・・時間が無いから、用件だけ言うけど。
奴ら、どうやらここを自爆させる気らしい。あと20分余りでここは吹っ飛ぶよ。』

自爆という言葉に、哀は失いかけた自分を取り戻す。

「・・・なっ、何ですって?!じゃあ奴らも一緒に・・・」

『建物内の出入り口がすべて閉鎖されてるからね。誰一人、生かして帰さない気なんじゃねーの?パーティ会場に集まった奴らも含めてね。』

「・・・と、とにかく、そういうことなら貴方も早く脱出しないと・・・」

『・・・オレは、残る。』

哀がすべてを言い終わる前にキッドの声が重なる。

「何をバカな事を・・・!!貴方まで死ぬ気なの?!」

『・・・オレの決着はまだついてない。どうしてもこの手で始末をつけないと、気が済まないんでね。』

「・・・ダメよっっ!!絶対にダメっ!!やめなさいっ!!」

必死になって叫ぶ哀に、キッドは電話口でクスリと小さく笑った。

『・・・元気で・・・。』

それだけ言うと、キッドは一方的に電話を切る。

阿笠邸では、哀の小さな手から受話器が落ちて派手な音を立てる。
驚いてやってきた博士に、哀はすがりつくようにして叫んだ。

「お願いっっ!!今すぐ車を出して!!」

 

 

建物の通路には、投げ捨てられた新一の携帯。

その少し先を、新一を抱きかかえたキッドの影がゆっくりと前へと進んで行った。

 

 

□       □       □

 

 

『アテンション、アテンション。指令完了まで16分58秒。』

建物内に響き渡るアナウンスを聞きながら、キッドはセキュリティ・ルームへ入っていった。

正面には建物全体を見る事ができる多数のモニター。

それを見つめていた栗色の長髪の男がゆっくりと振り返った。
深々と被る黒い帽子の下から、片目をギラつかせると男は唇を持ち上げてこう言った。

 

「・・・待ってたぜ?怪盗キッド。」

 

答える代わりに、キッドの目が凄愴な光を放って、ジンの瞳を射る。

あまりに鋭いキッドの視線に一瞬ジンはたじろいだが、すぐに怒りの表情を作った。

「・・・組織のメイン・コンピュータにアクセスするとはよくもやってくれたな。これで組織はおしまいだ。・・・が、組織の所産はすべて今ここで無に帰す。無論、ここにいる人間も含めてな。だから、日本警察が来ようと誰一人捕まることなどない。」

ジンの言葉にキッドは眼光も険しく睨み付けた。
それを受けて、ジンの声にやや笑いが帯びる。

「俺達の組織は、もともと好きな事をやる奴らが勝手に集まってできたようなものだ。だから、リーダなど存在しないし、組織として存在しなければならない理由など何もない。・・・わかるか?この俺の言いたい事が・・・。」

キッドはニヤリと笑った。

「わかるさ。要するに自分さえ生きてりゃ、それでいいってことだろ?」

ジンは残忍な笑みを一層濃くして、頷いた。

「物分りのいいガキだ。・・・なら、話は早い。大人しくアレを渡せ。
そろそろ俺も行かなきゃならないんでな。」

言いながら、ジンはキッドに銃口を向けた。
けれども、キッドはそれを冷静に一瞥し、2,3歩横へ移動すると、壁を背にして新一の体を預けさせた。

そうして、キッドがジンの方へ向き直りかけたその時、ジンの銃口が火を吹いた。

キッドはとっさに左足一本で地を蹴って、宙へと舞い上がり、それをかわす。
再び着地したその両足に、激痛が走った。先程の爆風で吹き飛ばされたときに痛めたのだ。

思わず両膝をついてしまう。

体勢を崩したキッドに、ジンは遠慮なく撃ち込んだ。

それでもキッドは、床に転がりながらなんとかそれらを避け、お返しにトランプ銃をお見舞いする。

「・・・フン!相変わらずすばしっこい奴だな。だが、お前と遊んでる時間はない。
さっさとパンドラを渡してもらおう。何、心配しなくてもお前もすぐそっちのガキに会わせてやる!!」

「ふざけんなよ!この野郎!!オヤジだけでなく、新一までも!!てめーだけは、絶対に許さねえ!!」

景気よくわめいたものの、キッドの声にはどこか力がなかった。
爆破の衝撃で負った傷は、実は相当深い。冷や汗が吹き出て止まらない。

キッドは、チッ!と舌打ちした。

 

ジンの攻撃の手は緩む事がなかった。

降り注ぐ銃弾の雨を、キッドは間一髪でかわすものの、足は明らかにもつれ、反撃の態勢には遠い。

とうとうキッドは受身も取れず、左肩から床に激突した。

「・・・くっそう!!」

激しく喚いて立とうとした。が、もうどうにも足が動かなかった。

刹那。

耳を刺すような音と、キナくさい臭いと、骨に焼け付くようなショックを受けて、
キッドの体は壁に叩きつけられた。

 

「・・・心臓を狙ったつもりだったんだが、うまく当たらないものだ。やはり利き手じゃないからか。」

利き腕を負傷しているジンはもう反対の右腕でしか銃を使う事ができない。
だが、それでもしっかりとその弾はキッドに命中していた。

左胸を激しく血で濡らしながら、苦しげに呼吸をしているキッドを見て、笑う。
そして、そのままキッドの傍に近寄り、キッドの手からトランプ銃を蹴り飛ばした。

「ここまでだな。」

言いながら、キッドの顎を銃口で持ち上げる。
キッドは、それでもその瞳に鋭い光をたたえて、真っ直ぐと見据えた。

 

『アテンション、アテンション。指令完了まで11分39秒。』

 

どくどくとまるで音を立てているかのように、キッドの胸から血が流れ落ちていく。
白いスーツの左半分は、あっという間に真紅に染まっていった。

「・・・残念だな、キッド。どっちにしてもその傷じゃお前は助からない。
さぁ、もうあきらめて大人しくパンドラを差し出せ。ま、俺としてはお前が死んでからでも構わないがな。」

ジンの目が残忍な光を帯び、細められる。
撃鉄を起こす音が聞こえた。

瞬間、キッドの視線がチラリと横の方へ動いた。
すかさず、ジンもキッドの視線を追う。

視線をずらしたのは、キッドの誘いだ。
その一瞬の隙に、キッドは胸元からパンドラを取り出すと、大きく腕を振ってジンの後方へ投げた。

慌てて、ジンが振り返る。

それこそがキッドの狙い。

絶妙のタイミングで、キッドはジンを殴り飛ばす。
ジンは後ろに吹っ飛んで、床に打ち付けられた衝撃で、右手から銃が離れた。
彼が起き上がるより早く、キッドはそこに滑り込んで銃を奪い取る。

ジンは舌打ちをしたが、目はまだ宙を飛んでいる魔石を追っていた。

そうして、そのまま手を伸ばして、まさにジンの手にパンドラが吸い込まれていこうとしたその時。

 

パァー・・・ン!!

 

と、いう音ともに、石が砕け散った。
キッドが、パンドラへ向けて銃弾を撃ち込んだのだ。

瞬間、石の無数の欠片が弾け飛び、あたりは赤い光芒に包まれた。

 

キッドは跳ね起きるのも忘れ、呆然として眼前の光景を見ていた。

 

赤い光の洪水がおさまると、カツンという音を立てて、ジンとキッドの間に真紅の石が落ちた。

二人の目が驚愕に見開かれる。

 

血のような赤。

それこそが、『パンドラ』の真の姿。

 

キッドは舌打ちした。

奪い取った拳銃で、あの魔石に銃弾を撃ち込んで、砕いてやるつもりだった。
事実、キッドの狙いは違うことなくパンドラへ命中したのだが。

なんと砕け散ったのはその外側の宝石だけで、『パンドラ』そのものには、
ヒビ一つ入っていなかったのだ。

 

・・・なんて硬い石なんだよっっ!!

 

キッドはギリっと奥歯を噛んだが、それでも形勢は逆転している。
今、銃を手にしているのは自分なのだ。

キッドは銃口をジンに向けたまま、ゆっくりと体を引きずって赤い石を拾った。

どす黒い赤の色をした石をジンに翳す。
と、同時に手品のようにその手に予備に持っていた超小型の爆弾を取り出して見せた。

「・・・こんな石が本当に永遠の時を与えてくれると思う?」

「・・・バカな真似はやめろ!!その石をこっちに渡すんだ!!」

「・・・永遠なんて意味がないよ?意味があるのは大事な人とどれだけ一緒にいられるかってことさ!」

キッドはそう言って、ニヤリと笑うと、今度は先程よりもはるか後方へパンドラを投げる。
次に、小型爆弾も同じ方向へ投げると、空中に浮かぶそれに向かってキッドは銃を向けた。

 

・・・見てろっっ!!今度こそ粉々に砕いてやるっっ!!

 

キッドの銃口が自分から外れたその隙に、ジンがパンドラの方へ駆け出す。

だが、もうキッドは次の瞬間、爆弾めがけて銃弾を撃ち放っていた。

 

チッ!!

 

という、音がしたその刹那。

眩いばかりの閃光が目を焼いた。

 

白い光の中で、キッドか最後に見たものは、パンドラを掴み、恍惚と歓喜に歪んでいるジンの顔だった。

 

そして。

次には、激しい爆炎と熱風にキッドは目を覆った。

 

再び目を開けると、煙の向こうに見えるのは、部屋に奥にある壁にぽっかりと開いた穴。
すっかり貫通してその向こうの通路まで丸見えだった。

それから。
床を濡らすおびただしい赤。

それが、人間の血なのか、パンドラの涙なのか、あるいはその両方なのか。

キッドはそれを憂いとも取れる表情で呆然とただ見つめていた。

 

 

 

『アテンション、アテンション。指令完了まで6分29秒。』

 

キッドのその手から、ゴトリという音を立てて、拳銃が落ちた。

「・・・し・・ん・・・いち。」

 

キッドはゆっくりと新一へ向き直ると、もうまともには動かない足を引きずってなんとか前へ進む。

そうして、ようやく新一のもとへとたどり着くと、自分も新一の横にストンと腰を下ろした。
お互いに壁に体重を預けて、並んで座っている。

 

ぜいぜいと荒い呼吸をしながら、キッドは薄く微笑んだ。

「・・・終わったよ、新一・・・、父さん・・・。パンドラも、もうこの世には存在しない。
・・・・・・オレのするべき事は、これで全部、決着がついたよ・・・。」

前方に小さく広がる「赤」を見ながら、キッドはその眼をやや細める。

「・・・アイツも本望・・・だった・・・のか・・・な。パンドラと一緒に吹っ飛んで・・・さ。」

 

永遠の時を手に入れるために、自らその命を投げ打つなんて。

何をそんなに『永遠』という言葉に固執しているのだろう。

『今』だけが、『今』なのに。

 

大切な人と一緒に生きている瞬間。

それこそが、もっとも愛すべきもの。

それがたとえどんなに短くても、命をかけてもいいと思えるほど愛する人と出会えたなら、それだけで最高の幸せ。

 

「・・・だから、オレは・・・。幸せだっ・・たよ・・?」

だって、新一と出会えたから。

 

これまで過ごしてきた日々で出会った、新一の様々な表情がキッドの脳裏を横切った。

 

探偵として、その蒼い瞳を爛々と輝かせている顔。

一緒に暮らし始めてから見た普通の高校生の顔。

昨夜初めて見た、自分しか誰も知らない妖艶な顔。

 

キッドはとなりで眠る新一へ微笑むと、その頭を軽く傾けて自分の肩へと乗せた。

肩に乗る心地よい重み。
キッドは、同じように自分の頭も新一の方へ傾け、二つの頭がコツンとぶつかった。

 

「・・・たった・・・17年間・・だったけどさ。・・・普通じゃ、ちょっと・・・味わえないくらい充実・・した人生だった・・と思う・・んだよね。」

苦しげな呼吸に途切れ途切れになりながら、キッドはどうにか言葉を紡いだ。

 

『アテンション、アテンション。指令完了まで3分16秒』

 

・・・あと3分か。

キッドはだんだんと重くなってきた瞼をなんとか気力で持ち上げて、血の吹き出す左胸へと手を当てた。
掌から滴り落ちる血を見ながら、キッドはクスリと笑う。

・・・このままでも出血多量で死ぬけど、どうせなら長く苦しまない方がいい。
あと3分もつ・・かな?

キッドはもう一度、となりの新一の顔を見た。

まるで楽しい夢でも見ているかのようなその穏やかな表情。

 

・・・・・・なぁ、新一。最期に一体、何を考えてたんだ?何をそんなに楽しそうな顔してんだよ?

 

キッドは投げ出されている新一の手を優しく握って、自分の膝の上に置いた。

 

そして。

その口元にふと思いついたように悪戯っぽい笑いを浮かべる。

 

・・・そうだ、新一。オレ、全部片付いたら言おうって決めてたことがあったんだ。

 

「・・・オ・・レの・・・ほん・・との名前・・・。黒羽・・・快・・斗って言うんだぜ?」

 

怪盗キッドのトップ・シークレット。

・・・新一にだけ、特別に教えてやるよ・・・。

 

・・・ああ、でも。一回くらい、名前で呼んでもらいたかったなぁ・・・。

 

そして、ゆっくりとキッドの瞼が閉じられていく。

 

 

 

『・・・快斗!』

ふと、顔を上げると目の前に新一が立っていた。
にっこりと笑って、その手を差し伸べている。

キッドは新一をうれしそうに見上げると、差し出されている手に自分の手を重ねた。

新一が手を引くと、キッドの体が驚くほど軽く立ち上がる。

 

『行こうぜ!快斗!!』

新一にそう微笑まれて、キッドも幸せそうな笑みを浮かべた。

 

そして、二人は光の彼方へと駆け出て行く。

 

 

 

瞬間、あたりは白い光芒に包まれた。

 

 

 

□       □       □

 

 

空へと高く上る爆炎を、多くの人が目撃した。

 

白馬は、現場から少し離れた空き地のマンホールからちょうど出たところで。

哀は博士の運転する車の窓から。

現場に急行していた警視庁捜査1課および2課の合同部隊は、その眼前で。

 

激しい炎と煙は、建物を跡形もなく粉砕し、後にはもう何も残らなかった。

 

 

 

2002年2月4日。黒の組織本部壊滅。

 

 

その後、海外に幾多の存在するその関連組織の摘発も相次ぎ、本部壊滅から約1年の月日を経て
組織は完全に消滅した。

 

 

それから、さらに2年後、警視庁。

 

「白馬君、白馬君!!」

廊下を颯爽と歩く白馬を、なじみの2課の刑事が声をかける。

「はい?」

愛想よく振り返った白馬を見やり、若い刑事は先の句をつげようとして、思わず言いよどんだ。

「・・・どうかされたんですか?」

刑事の様子を見て、白馬は小首を傾げる。
すると、刑事は下を向いてしどろもどろに口を開いた。

「・・・いや、あの。ごめん。僕が軽率だったかもしれない。その君の気持ちもよく考えずに。」

彼の意図するところがわからなくて、ますます白馬は首を傾げると

「・・・あの。おっしゃってることが僕にはさっぱりわからないのですが。一体何なんです?もっとわかるように言っていただけませんか?」

言いながら苦笑して見せた。

「・・・申し訳ない。じゃあ、いずれわかることだから言うけど。
実は例の組織の本部があったビルの跡地に、巨大ショッピング・モールができるのは知っているだろう?」

刑事の言葉に白馬は黙って頷く。

「・・・で・・ね。先日から始まった開発工事の最中に、何か見つかったらしいんだよ。」

それを聞いて、白馬の目が見開かれた。

「・・・まっ、まさか!!何か例の組織関連のものが発見されたんですか?!
そんなバカな!!あそこはもうずっと前に・・・!!」

 

そう。あの爆破事故があってから、被害者の捜索を含め、組織内部の痕跡の調査はずっとなされてきた。

特に。被害者の捜索には人一倍力をいれていたところだ。
なんと言っても、実際あの時、どれほどの人があの場にいたかなんて、いまだに謎に包まれている。

新一とキッドが間違いなくいたというのだって、白馬一人の証言あってのことである。

だが。

結局のところ、何もそれらを確定づける証拠など、その後、発見される事はなく、今に至っている。

 

「・・・そ、それでっっ!!一体、何が見つかったんですか?!」

食いつくように白馬に詰め寄られ、刑事はやや後退しながらも言葉を告げる。

「・・・いや、あの・・だね。君にとってはあまり朗報というわけではないかもしれない。
何しろ、あの事故で君は親しい友人を亡くしている・・・んだろう?」

言われて、白馬の目が少し哀しげに揺れた。

「・・・工藤君のことですか。」

「・・・本当に惜しい人を亡くしたね・・・。」

 

「僕は彼に、いや彼達にこの件を任されたんです。だから、どんな些細な事でも構わない。教えてください!!」

白馬は凛然とした声で、そう言った。

白馬のその声に、刑事は力強く頷いて見せた。

「・・・ああ、そうだったね。いろいろと余計な気を回して悪かったよ。」

彼はそう言って少し溜息をつくと、白馬の目をしっかりと見て言った。

「・・・遺品と言えるかどうか、まだわからないけど。アクセサリーのようなものが発見されたんだ。」

「・・・アクセサリー・・・ですか?」

「ああ。そうじゃないかって、思ってるんだけど。良かったら、白馬君にも見てもらえないかな?」

 

 

その刑事に同行して、白馬はそれが保管されてある部屋までやってきた。

そして。

透明なビニル袋に入っていたそれが、白馬の目の前で出された。

 

・・・これはっ・・・!!!

 

白馬の目が大きく見開かれた。

 

それは、当時の爆風のすさまじさを表わすかのように、もう原型をとどめてはいなかったが。

僅かに残る四葉のクローバーの模様。

 

キッドのモノクル!!!

 

間違いない!!

これは、怪盗キッドのモノクルだ!!

 

とたんに白馬の頬を何か熱いものが伝って、ぽとりと落ちた。

 

「は、白馬君?!どうしたんだ?!白馬君?!」

慌てふためく刑事をよそに、白馬はいつまでも泣き続けた。

 

 

やがて、落ち着きを取り戻した白馬を見て、ようやく刑事も安堵の溜息を漏らす。

「やはりツライ事を思い出させてしまったようだね。」

「・・・いえ。申し訳ありません。・・・それで、この・・・。これはどうするんですか?」

「まぁ、遺族が分かれば返して上げたいとは思うんだけど。」

「・・・良ければ、僕に預けてもらえませんか?」

「えっ?!もしかして、これ、工藤君のものなのかい?!」

 

本当はキッドものなのだが。そう言ってしまっては、これを受け取る事はできなくなってしまう。
キッドの正体は、今を持って不明のままだからだ。

白馬はそう考えると、刑事の言葉に黙って頷いたのだった。

 

 

 

その日の晩。

白馬はモノクルを手に工藤邸に向かって歩いていた。

 

・・・これは工藤君の手に渡しておくべきだろう。何しろ、彼らは一緒にいるはずだから・・・。

 

そう思って、ふと白馬は足を止めた。

 

 

 

夜空には、美しい月。

 

今でも月を見ると思い出されるのは、月をバックに純白のマントと靡かせている怪盗の姿。

そして、それを真っ直ぐに追いかける蒼い瞳。

 

 

「・・・いつか、またどこかで君たちに会えそうな気がしてならないよ。」

 

 

白馬は晧々と照る月に向かってそう呟くと、再び歩き始めたのだった。

 

 

 

□ The End □

 


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