「コラ〜ッ!!貴様、勝手に持ち場を離れるとは何事だっ!!」
本日は、キッドの予告日。
今回のキッドの獲物が眠る都内美術館の警備体制の最終チェックをしていた中森警部は自分が指示したとおりに配置されてない警備員を頭ごなしに怒鳴りつけた。
「も、申し訳ありません!警部!!ですが、自分は警視庁一課から応援にきたという少年の指示に従って・・・・」
「なっにぃ〜?!」
若い警備員の言葉に中森警部はその眉をつり上げた。
「・・・あの・・・。こちら側の通路の警備は不要だと・・・。代わりに非常口方面を固めるように・・・」
と、彼が全部言い終わる前に、中森警部は美術館上層階の展示室の隣に設置された捜査本部へと全速力で向かって行った。
「あンのクソガキがぁ〜!!勝手に指示なんぞ出しおって〜っ!!」
一方、捜査本部では。
美術館の見取り図を大きく広げた中央のデスクを新一が陣取って、、ワイヤレス・マイクを使い警備員達にこと細かく指示を出していた。
「・・・では、各フロアの警備体制はA班、B班、C班、D班の4つの班に分かれて、その場で待機。こちらの指示があるまでは決して動かないように!
なお、キッドの犯行予告30分前になった段階で、不審な行動をした者については、キッドの変装である可能性が極めて高いので、各自で判断せず、こちらの指示を仰ぐ事。」
言いながら、新一はパソコンの画面に忙しなく目をやった。
周りにいる刑事達は、新一の後ろから一緒にパソコンを覗きこんだりしている。
そこへ。
バターン!!と、派手な音を立てて、ドアが開かれ、中森警部が2人の刑事とともにやって来る。
新一はいったん音のした入り口の方へ目をやるが、すぐさまパソコンへと視線を戻し
再び、マイクのスイッチをオンにする。
「・・・キッドの変装に関しては、警察関係者になりすますことが比較的多いので、そのあたりを充分に考慮した上で警備にあたるように。以上!」
そんな新一の口ぶりを耳にしながら、中森警部が部屋の中へとドスドス入り込んでくる。
「おい!!貴様〜っ!!勝手に何をやってるんだ〜!?高校生探偵だかなんだか知らんが、キッドに関してはこっちが専門なんだ!!今すぐ警備体制をもとに戻せ!!」
今にも新一に掴みかかりそうな勢いで迫ってくる中森警部を、新一はまるで気にする様子も無く、落ち着いたしぐさで、マイクを外した。
「・・・申し訳ありませんが、警部。今日だけは僕の指示どおりにお願いします。
どうしてもキッドを捕まえたいんならね・・・。」
そう言いながら、新一は不敵に笑った。
その新一の迫力に一瞬、中森警部はたじろぐが、所詮は高校生、負けてなるものかと二の句を告げようとした。
そこへ、別の新たな見取り図らしきものを持って、若い刑事がやってくる。
「工藤君、さっき頼まれたこのビルの地下水路の地図だけど・・・。」
新一はそれを笑顔で受け取った。そんな新一を見て、その刑事がにっこり笑って話し掛ける。
「・・・いやぁ、本当に工藤君と仕事が出来てうれしいよ。1課での活躍はいつも同僚から聞いていたんだけどね。さすが名探偵と言うべきか、本当に高校生にしておくのはもったいないなぁ!」
新一はそれを聞いて、目だけで微笑んだ。
そして渡された地図に目を落とす。
そんな風に周りの刑事達までもが、すっかり名探偵・工藤新一の配下に成り下がっている状況を見て中森警部はワナワナと肩を振るわせた。
目暮め〜っ!!
今日の捜査にどうしてもこの高校生探偵を加えて欲しいと頼まれたから、仕方なく加えてやったというのに。
蓋を開ければ、彼は助言の域を越えて、捜査全般対してに指示を出しているではないか!!
「・・・お、落ち着いてください!中森警部?!」
いつ爆発してもおかしくない状況の中森警部を見て、傍にいる刑事達は宥めにかかるが。
そんな彼らを突き飛ばして、警部は新一へと近寄った。
「そんな水路の地図なんてどうするつもりだっ!!」
すると新一はさも当り前のように言う。
「キッドの侵入経路を潰していきます。今のこの警備体制では表から入るのは困難を極める。おそらく彼はこの地下水路を通って、ビルに侵入するでしょう。
この近辺は都市開発で地下水路が迷路のようになっていますから、侵入にはもってこいです。」
「・・・そっそんな迷路みたいなもんなら、キッドがどこを通ってこっちまでやってくるか
わからんじゃないか!!」
網の目のように張り巡らされた地下水路の地図を見て、中森警部が声を荒立てる。
が、新一はそれにも動じない。代わりにたっぷり余裕の笑みを見せて。
「・・・大丈夫ですよ?中森警部。人間は何か余程の理由でもない限り、最短距離を選ぶはずです。後は、アイツの性格を考えればおのずと道は絞られます。」
「・・・性格・・って・・・。」
何でそんなにキッドのことをよく知ってるんだ?と言いたげな視線を送りつつ、とうとう警部は黙り込んでしまった。
大人しくなった警部を新一はにっこりと見やると、再びマイクを持って、今度は地下水路への警備について指示を出していった。
■ ■ ■
犯行時刻 28分30秒前。
美術館近辺の建物の屋上から、その警備体制を見守っていた白い怪盗は双眼鏡を片手にチッ!と軽く舌打ちをした。
「・・・ったく、やってくれるぜ!」
その要所要所のポイントを押さえた警備体制。
明らかにあの名探偵の意思が働いているものとすぐに見て取れた。
あれを正面から崩していくのは、かなりの時間のロスになる。
・・・となると、残すは地下水路からの侵入しかないが。
「・・・名探偵が手薬煉引いて待ってそうで、コワイなぁ♪」
と、キッドは台詞とは正反対にまるで楽しそうな表情を浮かべて見せた。
そして、次にはいつもの挑戦的な笑みになる。
「では、行くか!久々に名探偵のお手並み拝見!!」
言いながら、トンと軽やかに屋上を蹴って、ふわりと宙を舞った。
犯行時刻まで、残すところあと13分を切った。
新一は手元の時計で、時刻を確認する。
そこへ、地下水路の警備にあたっている捜査員から定時の無線連絡が次々に入った。
『・・・こちら、地下水路警備A班、今のところ異常ありません。』
『同じく、B班、異常ありません。』
『C班も異常無しです。』
『D班です。こちらも変わった動きは見られません。引き続き警備に当たります。』
「・・・おいおい・・・。本当にキッドはここから来るんだろうな?」
疑わしげに中森警部が新一を覗くが、新一は無言で地下水路の地図を見つめたままだ。
すると。
突然、ビー!!と警報がなる。
「な、何だ!!何だ!!この音は!!キッドか?」
警部達はいっせいに浮き足立つが。
新一はスッと右手を掲げて、お静かに!と言った。
「前もって僕が仕掛けておいたセンサーに、獲物がかかったんですよ。」
「・・・ま、前もって仕掛けておいただとぉ〜?!」
「ええ。警備員達の配置から考えると、もうここしか残る道はありませんからね!」
そう言って、新一はニヤリと笑って見せた。
その頃、地下水路では。
警備員達の目をかいくぐり、どうにかキッドは美術館へと侵入を果たしていた。
「・・・さっきので、こっから来たの、バレてんだろうなぁ〜・・・!」
キッドは新一の仕掛けた罠に気づいていた。
が、それを回避するだけの時間がもう残されていなかったので、仕方なく、である。
「・・・にしても、やるね!さすがは名探偵!」
キッドは久々に味わう高揚感に酔いながら、その足を急がせた。
ところが、コーナーを曲がったところで、いきなり、警備員とはちあわせになる。
げっ!!
キッドも大層驚いたが、それは相手の警備員とて同じだ。
「き、キッドだぁ〜っ!!こっ、こちら、B班、B24出口付近でキッドを発見しました!!応援、願います!」
キッドは素早い動作でくるりと方向転換をすると、別の通路へと走りこむ。
しかし、ここでもまた別の警備員に発見されることとなった。
「C班!!キッド、発見しました!!追跡します!!」
げげっ!!
またもやキッドは進路変更を余儀なくされる。
慌てて別の通路に駆け込みながら、キッドは新一の意図を既に把握していた。
ニャロ〜!!オレの行く手を阻んで時間を無駄に消費させるつもりだな〜・・・!!
つまりは新一はタイム・アウトを狙っているわけだ。
順当に勝ちを目指して行っていると言っていいだろう。
・・・そうはいくかよ!
キッドはニヤリと不敵に微笑むと、背後に迫ってきている警官達の方へ向き直り、
シュ〜っと催眠スプレーを一吹き。
キッドを追ってきていた数人の警備員達は、あっという間に倒れていった。
「キッド追跡中のB班、C班からの無線が途絶えました!!どうしますか?!」
若い刑事が新一を振り返る。
新一は顎に手を添えてしばらく考えていたが、その場からスッと立ち上がる。
「お、おいっ!!どこへ行くんだ?」
中森警部が慌てて、新一を呼び止める。
「・・・展示室です。これで少しは時間を消費させる事に成功しましたから・・・。
あとは、彼の獲物を死守するだけです。」
そう言って、新一はキレイに笑った。
「・・・警部、キッドの犯行予告1分前です!」
若い刑事がそう中森警部に耳打ちする。
彼らを含め数人の警備員と共に、新一は既に展示室の中でキッドが来るのを待ち構えていた。
「いくらキッドと言えども、あのルビーが入っている特殊ケースの鍵は、そう簡単に開けることは叶うまい。が、奴を絶対にルビーの近くには近づけさせるな!!」
中森警部の激に警備員達は力強く頷いた。
そして。
犯行時刻ちょうどを知らせるアラームが展示室に響き渡った時、室内の換気口からおびただしい程の白い煙が立ち込めた。
「・・・なっ!何だ?!この煙は!!」
あっという間に展示室は白い煙で充満し、警備員達は視界を奪われた事によって一気に浮き足立った。
その煙に紛れて、同じく白い衣装を身にまとった怪盗が部屋に紛れ込む。
・・・まだまだ、甘いね!
そう思いながら得意の人を食ったような笑みを浮かべると、床を蹴って、獲物の眠るガラスケースの前までふわりと軽やかな足取りで向かった。
ケースに手をかけようとして、キッドは愕然とする。
中にあるはずのルビーが無い!!!
「・・・お前の欲しがってる石は、ここだぜ?キッド。」
背後にする聞きなれた声に、キッドは悠然と振り向いた。
すると、新一がルビーを掲げて不敵な笑いをしている。
「・・・おやおや。盗みは私の専売特許だというのに・・・。貴方がそこまで手癖が悪いとは知りませんでしたよ?名探偵。」
「・・・ぬかせ!さぁ、どうする?キッド。コイツが欲しいんなら、こっちへ来いよ。」
言いながら、新一は挑発的な笑いをキッドへ向けた。
それを見て、キッドもすっと目を細める。
やがて、部屋中を満たしていた煙が少しずつ晴れて行く。
「キ、キッドっ!!」
視界が回復してきた中森警部達がジリジリとキッドに迫り来る。
キッドはそれに意識を飛ばしながらも、新一から目を逸らさない。
新一は勝ちほこった笑みを浮かべた。
「・・・どうした?キッド。降参か?」
だが、キッドは面白そうに唇の端を持ち上げると、その目にキラリと光りを宿して、一言。
「・・・ご冗談を!」
そして、ふわりと高くジャンプすると、一気に新一の目の前までやってきた。
思わず後退しかける新一の腕をすかさず掴む。ルビーを持っている方の腕である。
「・・・っつ!」
振り解けない程の力で捕まれて、新一は一瞬、顔をしかめるが。
ならば、蹴り倒してやるとばかりに、黄金の右足を繰り出そうとしたところで。
捕まれた腕をキッドにグイと引かれる。
・・・えっ?!
とたんに、新一の身体はキッドに抱きこまれるような形になり、驚いて顔を上げた瞬間の見たものはキッドのドアップ!!
う・・・っわっ!!
思わず目をぎゅっと閉じた新一の唇に、温かくて柔らかいものが羽のように掠めていった。
それがキッドの唇だと新一が理解するまで要する時間数秒。
「・・・てっめぇ〜っ!!何しやがるっっ!!」
我に帰った新一はその白い怪盗を力の限り突き飛ばし。
キッドはそれに合わせるように後方へとジャンプする。
手にはしっかりと、獲物のルビーを持って。
「・・あ〜っ!!汚ねぇ〜ぞっ!!キッド!!」
新一が顔を真っ赤にして叫ぶと、キッドはニヤリと笑って見せる。
そして手に入れたばかりのルビーに軽く口付けをすると、
「・・・確かに頂きました。では、名探偵、例の場所でお待ちしておりますよ?」
そうウインク付きで告げて、展示室の窓から飛び降りていったのである。
「ふざけんなよ?!コノヤロウ!!」
次いで、新一も慌てて展示室から飛び出して行ったが。
まだ幾分白い煙が立ち込める展示室の中には、目の前で繰り広げられた光景に
我を忘れている警部達が呆然と立ち尽くしていた。
やがて、1人の刑事が口を開く。
「・・・あの・・・。自分には工藤君がキッドにキスされていたように見えたのですが・・・。」
言われて、中森警部がはっ!とする。
「そっ、そんなこたー、どうでもいいっっ!!貴様らも早く、キッドを追うんだ!!」
「りょ、了解!!」
警備員達は警部の指示どおり、急いでキッドの後を追って出て行った。
そして。
最後に展示室に残った中森警部と部付きの刑事は互いに顔を見合わせた。
「・・・警部、工藤君、キッドに取られる前にルビーを自分で持ってましたけど、それってこれを自分で開けたってことですよね・・・?鍵もないのに一体どうやって・・・・。」
「そんなこと、ワシが知るか!!」
■ ■ ■
「・・・あのヤロウ〜っ!!絶対、タダじゃおかねえっ!!」
そう悪態をつきながら、新一は人通りの少ない路地裏を駆けて行く。
手の甲で先程キッドに奪われた唇を拭いながら。
・・・よく考えたら、警部達に見られてたじゃねーかよっ!!
どうしてくれるんだっ?!
新一の怒りはもはや頂点に達していた。
まさかこの期に及んでキッドとの勝負に負けるなどあってはならないことである。
決めた!
オレが勝ったら、お前を1発殴らせてもらうからな、キッド!!
新一は勝負に勝った時の報酬をそう心に決めると、目的のビルへと急いだ。
美術館から約束のビルまで、キッドはグライダーで飛行する。
風向きから考えても、オレの方が先にビルへ着けるはずだ!!
新一はまだ自分にも勝算はあると信じていた。
そして。
新一は屋上へと続く重い鉄のドアを乱暴に開ける。
そこにまだ白い怪盗の姿はなかった。
まっくろな空を見上げる。
が、そこにも白い鳥の羽は見当たらない。
・・・よっし!!
新一は例のタンクの上へ登って、キッドを待つことにした。
約束の時間まで、あと5分である。
この5分間、この場所へキッドを近づけさせなければ、新一の勝ちなのだ。
万一タンクの上に降り立ったって、オレが蹴り落としてやる・・!!
そう新一が思った直後、頭上に白い影が現れた。
・・・キッド!!
グライダーがビルの上を旋回する。
まるで、本物の鳥のような滑らかな動きで。
新一はまだ降りてこないその白い鳥を、ギっとにらみ付けた。
キッドはそんな新一の顔を見て、楽しそうに笑っている。
ヤロウ・・・ッ!!
時間ぎりぎりまで、飛んでるつもりか?
万一、キッドを蹴り落とせなかった場合、隙を見てルビーを奴の手から奪ってしまえばいいと考えていた新一は、空を優雅に舞うキッドにそれが叶わない事を思い知らされた。
残り時間、あと、僅か1分となったところで。
キッドがいよいよとばかりに、グライダーの装置をカシャンとという金属音と共に外し、
今まで羽の代わりをしていたものが、バサリと大きなマントへとその形を変える。
そうして。
ゆっくりと羽が舞うように、キッドが屋上のタンクの上を目指して降りてくる。
その様子を固唾を飲んで見ていた新一は、そのキッドの遙後方に、キラリと輝く光に気がついた。
キッド・・・!!
それは、ほんの一瞬のことだった。
タンクの上にキッドの足が着くか、着かないかというまさにその一瞬。
そこから先の新一の目の前の光景は、スローモーションのようだった。
動け!と命令したわけでもないのに自分の足が勝手に動いて。
その身でキッドの身体を力の限り、突き飛ばした。
そして、その衝撃の後に、右脇腹にすさまじい程の灼熱感。
次には視界がグラリと傾いて。
そのまま、新一の身体はタンクの上から崩れるように倒れ、落ちていく。
新一は少しずつ遠くなっていく、あのふてぶてしい怪盗の顔を不思議な面持ちで見ていた。
鉄壁なポーカー・フェイスが売りなはずのキッドが、見たことも無いくらい驚愕な顔。
・・・何て顔してんだ?アイツ・・・。
そのまま新一の目の前は急速に闇に閉ざされていった。
タンクの上から落下していく新一をすんでのところで、キッドが捕まえる。
途中、どこからか飛んできた弾に、腕と頬を掠められたが。
そんなことは、今のキッドにとって大した問題ではなかった。
屋上で新一を抱え、死角となる給水搭の影に回りこむ。
息を殺して、敵の気配に気を配るが、連中は諦めたのか、それ以上の発砲はなかった。
新一・・・!!
キッドは腕の中に収まっている新一を見やった。
傷は・・?!
鮮血がほとばしる新一の脇腹を見て、キッドはその目を見開いた。
新一の服だけでは飽き足らず、キッドのその純白のスーツまでも真っ赤に染めるほどの出血。
生暖かい血がキッドの腕を伝い、屋上のアスファルトをも汚した。
・・・撃たれてる場所が、悪い!
キッドはギリっと唇を噛んで、新一の顔を見る。
荒い呼吸と堅く閉じられた目。
先程触れたはずのあの柔らかい唇は震え、血色を無くしていた。
失血のためか、キッドの腕の中で新一の身体は急激に冷えていく。
「・・・おいっ!!おいっ!!!名探偵!!しっかりしろッ!!おい、目を開けろよ!!」
悲鳴のような叫びが屋上に響き渡った。
・・・うるせーな、そんなに怒鳴らなくても、ちゃんと聞こえてるよ。
新一はそう言いたかったが、僅かに唇を動かすだけでそれは言葉にはならなかった。
瞼を持ち上げようとするが、それさえも上手くできない。
自分の腹の辺りに置いた掌に血の感触が伝わってきた。
・・・血?
そういえば、さっきのあの焼けるような痛み・・・。
あ、そうか。オレ、撃たれたんだ。
キッドを狙撃しようとしてる奴らの銃弾を受けて・・・。
そうだ、キッドは・・・アイツはどうした!?
そこまで考えて、新一の重い瞼はようやく持ち上がった。
「・・・名探偵っ!!」
とたんに飛び込んできたキッドの心配そうな顔。
「・・・良かった。・・・お前、無事・・・だったんだな・・・。」
そう言って、新一は薄く笑った。
「何が良かっただよ!!何でオレなんかかばったりするんだ!!勝手なマネしやがって!!」
必死でそう言うキッドが、なんだか今にも泣き出してしまいそうで。
新一は、これがさっき自分の唇を奪っていった生意気な怪盗と同じ人物だろうかと、
不思議に思った。
血に濡れたその手を弱々しく上げて、キッドの頬をそっと撫でる。
「・・・そんな顔・・・すんな。・・・これくらい、何ともねー・・よ。」
言いながら、新一が儚く笑う。
けれども、かえってそんな新一の笑顔がキッドをいたたまれない気持ちにさせた。
「・・・名探偵・・・。」
キッドが今、どんな気持ちで自分を抱いているか。それは、キッドの目を見ればわかる。
新一は心の中で詫びた。
・・・ゴメン・・・な。
それでも、オレはもうお前が撃たれるところを見たくなかったんだ・・・。
それが新一の最後の思考だった。
■ ■ ■
その後、新一は第一発見者だと名乗る少年によって、都内の総合病院へと運ばれた。
幸いな事に弾は貫通しているが、出血が多く、臓器への損傷も見られたため、
新一の容態は予断を許さない状態となった。
担当医師の話では、ここ2、3日が峠だという。
連絡を受けた警察関係者や新一の身近な人たちは、沈痛な面持ちで面会謝絶の札が掲げられた病室の前に佇んでいた。
やがて。
新一を気づかって訪れた人たちが待合のベンチでウトウトと眠りにつきだした頃、
病院の廊下を足音一つさせずに歩く、一人の白衣の若い男の姿があった。
男はそのまま新一の病室の中へ入っていく。
ベットに横たわる新一の姿を認めると、男はその顔のマスクを取り去った。
怪盗キッドである。
キッドは新一のベットサイドのパイプ椅子に腰掛けて、点滴の針が刺さっている痛々しい腕を見やった。
そしてその白い手を力強く握る。
「・・・死ぬな・・・!!絶対に、オレを置いて逝ったりするなよ・・・!!」
言いながら、キッドは新一のその手を自分の額に当てた。
・・・誰かが、泣いている・・・。
・・・この温かいのは涙?
・・・泣くなよ。オレは、大丈夫だから。
・・・お前を1人残して逝ったりはしないから・・・・。
新一が意識を回復させたのは、それから実に4日目のことだった。
術後の経過も順調で、7日目にはベットから身体を起こして話をできるまでに回復した。
「まったく、あんまり心配をかけさせんでくれたまえ!寿命が縮み上がったぞ、工藤君!!」
トレード・マークの帽子を目深に被りながらそう言うのは、捜査一課の目暮警部である。
その横で、そんな彼を睨みつけるのは、二課の中森警部だ。
「けっ!!元はと言えば、目暮!!お前がこんな高校生探偵をキッドの捜査に混ぜてほしいなんて言うからだろうが!これに懲りたらもう民間人に頼るのはやめることだな!!」
「何を言っとるか!!工藤君のおかげで今回のルビーも取り戻せたクセに!!
なぁ?工藤君!!」
そう話題を振られて、新一はとりあえず力なく笑うが。
「とにもかくにも、本当に良かった。工藤君、君にもしものことがあったら、わしは生きてはおれんよ。」
「まったくだ。今回のキッドの捜査についてはいろいろと言いたい事もあるが、目暮に免じて勘弁しておいてやろう。とりあえずは、早く傷を治すことだな。」
口ではキツイ事を言いながらも、自分の事を心配してくれている風な中森警部に
新一は笑顔で頭を下げた。
「・・・ところで、キッドを追っている最中に撃たれたということだが、どんな奴らか
心当たりはないのかね?」
新一を撃った犯人については、目暮警部たち捜査一課で依然追跡中とのことである。
これが例の組織であるならば、そう簡単に尻尾を出すはずも無い。
有力な手がかり一つ見つからず、捜査は暗礁に乗り上げているようだった。
新一にしてみれば、心当たりは当然あるのだが。
今は、まだ言うべきではないだろうと、この場での明確な回答は避けた。
「・・・すみません、警部。僕には何も。ただ奴らの狙いはキッドだったようです。」
キッドと聞いて、中森警部が反応する。
「何だと?!じゃあ、キッドを狙っている奴らがいるのか?!くっそう!!キッドはオレの獲物だ!やはり変な奴に手を出される前にこの手で捕まえなくては・・・!!」
拳を力強く握ってそう力説した。
「ところで、警部。僕を病院まで運んでくれた第一発見者の少年については、何かわかりましたか?」
「・・あ、ああ、いや。それについても謎のままだよ。もしかして犯人の顔を見ている可能性があるからぜひとも捜査に協力してもらいたいんだが・・・。」
残念そうに話す警部を見やって、新一はほっと溜息をついた。
その第一発見者の少年というのが、まちがいなくキッドであることくらいわかっていたから。
・・・わざわざ病院まで運んでくれなくても、救急車呼ぶくらいでよかったのに。
自分のせいでキッドが捕まるかもしれないような危険な目には合わせたくなかった。
そこへ、病室のドアが開き、若い看護婦がスタスタと入ってきた。
「はい!面会時間は終わりです!!皆さん、これ以上は患者さんのお体にさわりますからお引取りください!!」
そう言って、警部達を追い出してしまった。
「さすがは日本警察の救世主さん、たいへんそうね?!」
看護婦は新一へ笑いかけた。それに新一も苦笑して答える。
そうして、しばらく新一はその看護婦の様子を伺ってから、口を開いた。
「・・・あの。僕をここへ運んでくれた少年って、どんな人だったんですか?!」
「え?!ああ・・・。工藤君と同じくらいの年の子だったと思ったわよ?
これは警部さんにも言ったんだけどね、彼、貴方の命の恩人なのよ。あの日、前の手術で貴方と同じ型の血液が不足していてね、たいへんだったの。」
「・・・まさか、その少年がオレに血を・・・?」
「そう!偶然にも同じ血液型だったらしくて。でもね、彼もどこだがケガをしていたらしくて。だって、彼もかなりの出血だったのよ。なのに、自分より大怪我な人間がいるから気がつかなかったって笑うの。
しかもどうしても貴方に輸血するって言い張ってね・・・・。
輸血が終わるまで、自分の傷は診せないっていうから、終わったらちゃんと手当てする約束をしたのにその後、輸血が済んだら、どこかへ消えちゃったのよ。
不思議な子だったわ。」
看護婦があの晩のことを思い出しながら、そう語るのを聞いて
新一は唇を噛み締めた。
・・・アイツ、無理しやがって。
「せっかく病院にいるんだし、ここにいる間くらいは事件のことを忘れてのんびりするといいわ。」
彼女はそういい残して、再び部屋を出て行った。
キッドも撃たれてたんだ・・・。アイツは今、どうしてるんだろう?
アレきり姿を見せない白い怪盗のことを新一は思った。
あの時屋上で見た泣きそうなキッドの顔。
・・・アイツのあんな必死な顔は初めてだったな。
それから、また数日が過ぎた夜。
ようやく少しなら歩き回ることを許可された新一は、外の空気が吸いたくて病院の屋上へと向かった。
深夜0時をもうとうに過ぎた頃である。
夜風はパジャマ姿の新一には、少し寒かったがそれでも我慢できないほどではない。
新一は夜空に浮かぶ三日月を見つめながら、ふと月が似合うあの怪盗のことを思い出した。
すると。
背後に突然今までなかったはずの人の気配。
こんな登場の仕方ができるのは・・・!!
ゆっくりと振り返る新一の目に映ったのは、たった今思い出していた白い怪盗の姿だった。
「・・・キッド!!」
「・・・こんばんわ、名探偵。お体の具合はもうよろしいのですか?」
言いながら、優雅にシルク・ハットを取って一礼して見せた。
そうして、こちらに向けたその視線は、いつものキッドのもので。
新一もニヤリと不敵に笑って返した。
「・・・よぉ、キッド。こないだは世話になったな。」
新一より少し離れたところにいたはずのキッドは、あっという間に宙を舞ってその距離を詰めた。
もう、すぐ手の届くところにキッドが来る。
「・・・それは、こちらの台詞です。貴方は私の命の恩人ですから。」
そう言うキッドの瞳が一瞬悲しそうに揺れた。
それを新一はもちろん見逃さない。
「何言ってやがんだよ?お前だって、撃たれてたクセにオレに輸血してくれたそうじゃねーか!」
「え?ああ、それは・・・。あの時は必死で・・・。」
ちょっと困ったように俯いたキッドを見て、新一は珍しいと少し笑った。
「お前こそオレの恩人だろ?だから、今回はお互い様ってことで。もう気にすんな!」
新一はキッドにウインクして見せた。
それを見て、キッドもようやくいつもどおりに笑う。
「・・・ところで、名探偵。あの日の勝負のことだけどさ。」
ふと思い出したように、キッドが新一の横で呟いた。
「!えっ?!」
狙撃事件があったことで、新一の頭からはそんなことすっかりと抹消されてしまっていたが。
・・・そういえば、勝負の約束なんかしてたんだっけ。
キッドに言われて、うやむやになっていた勝負のことをようやく思い出した。
新一の頭に嫌な予感が過る。
「・・・一応、オレ、約束の時間にはタンクの上にいたと思うんだけど。ちゃんとルビーも持って!!」
そうにっこりとキッドが笑顔を向ける。
瞬間、新一は引きつった笑みを浮かべて、僅かに後退する。
・・・確かに、キッドはウソは言っていない・・・。
あの時、キッドは確かにタンクの上にいた・・・と思う。
が、しかし。
オレだって、撃たれたりしなけりゃ、キッドをあそこから突き落とすことができたかもしれないのに!!
「・・・お前、ズルイぞ!」
あんなの不可抗力だ!そう思って新一はキッドを上目使いに睨む。
けれども、キッドは嫌な笑いを浮かべて。
「勝負は勝負ですから♪」
と、飄々と言ってのけた。
そして、ニヤリと笑いながらキッドの手が伸びてこようとして、新一は慌てて怒鳴る。
「待て待て待てっ!!オレはケガ人だ!!しかも大ケガしてんだぞ!!
ケガ人に何する気だっ!!てめぇー!!」
「・・・え〜、だって勝負に勝ったら、ご褒美くれる約束だったでしょ?」
何を今更とばかりにキッドの手が、再び新一へと伸びる。
「む、無効だ!!あんな勝負!!大体オレが撃たれた時点で公平じゃねー!!」
新一はジリジリと後退しながら、そう怒鳴るが。
キッドもニヤニヤしながら、新一に詰め寄る。
「甘いね、名探偵!名探偵が撃たれたのは、約束の時間を過ぎてからなんだよ♪」
「うるさい!うるさいっ!!とにかく今回の勝負はお預けだ!!」
そう言って、新一は自分自身の身体をガードするように抱きしめると、キッドが諦めたように溜息をついた。
「・・・わかったよ、名探偵。何もそんな風に言わなくたって・・・。
オレだって、無理にしようなんて思ってないよ。ちぇ!信用ねーんだな、オレって・・・。」
と、すっかりイジケて新一に背を向けてしまった。
「・・・お、おい、キッド?」
「・・・せっかく、あんなに仕事がんばったのにさ、それというのも全部名探偵との勝負のためなのに名探偵ときたら・・・ぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ・・・・。」
なんて、いつまでもブツブツと恨めしそうに呟いている始末。
だ〜っ!!うるせーなっ!!ったく!!
新一は背を向けたままのキッドの肩に手をかけると、グイっと力任せに振り向かせた。
そして。
がしっとその首に手を回すと。
驚いた表情をしたままのキッドのその唇に、ほんの一瞬だが自分のそれを押し付けた。
チュっと軽い音を立てて吸う。
「・・・こっ、こっ、これで我慢しろっ!!チクショー!!」
まるでりんごのように真っ赤な顔をして、それだけ言うと、新一は屋上から走っていってしまった。
バタン!と勢い良くドアを閉める。
ドアの向こうでは真っ赤な顔をした新一が、自分の唇を押さえて立ちすくんでいた。
・・・オ、オレ・・・と、とんでもないことしちゃったんじゃ・・・・!!
そう思いながら。
一方、屋上に1人残されたキッドは。
思いもよらぬ新一からの口付けにどう対処してよいか、わからず。
こちらも新一に負けないくらい、真っ赤になって呆然と立ち尽くしていたのだった。
探偵と怪盗のこの微笑ましいキスシーンについては、
空に浮かぶ三日月のみぞ知るところである。
■ The End ■