黒羽快斗はただの高校生ではない。
いわゆる美形と呼ばれる類の顔の造りであって、頭脳明晰、運動神経抜群、おまけにマジシャンとしての才能まである。
これだけなら他人がうらやむ程度のもので終わるかもしれないが、あいにく彼はそうではない。
“世紀の大怪盗”とか“平成のアルセーヌ・ルパン”などという一般的にはありえない大層な肩書きをも持っていたりする。
そう。世に名高い「怪盗キッド」とは、まさに黒羽快斗のことだった。
EXCUSE 〜
The Lost Ship in The Sky〜 act.1
さて、黒羽快斗がただの高校生であろうとなかろうと、高校生には違いなかった。
学生と怪盗という二束わらじを履きこなすのは、なかなかに大変な事なのである。
こと怪盗稼業に関しては、星の数ほどあるビッグ・ジュエルの中から“パンドラ”という魔石を探し出すのは並大抵のことではないし、実際、怪盗として動くには、その下調べや準備などにそれ相当の時間を要する。
おかげで学業の方がすっかり疎かになりがちだが、そこはそれ。持ち前の頭の良さでカバー。
だがしかし、さすがに出席率の悪さまではどうにも出来ない為、たまには嫌がらせのような大量のレポート提出を迫られるというようなツケが回ってくることもある。
何が言いたいかというと、要するに彼には時間がなかった。
近々海外で大々的なビッグジュエルの展示会が行なわれる為、その資料集めや下調べに追われ、なおかつ学校へも提出しなければならないレポートが複数、期限が迫っているというこの状況。
つまり、今まさに絶賛、修羅場中だったのだ。それなのに。
「・・・ったく。何でこんな時に挑戦状なんて叩きつけてくるかな、あのじーさんは。」
とあるマンションの一室
で、PCに向かい合ったままの快斗の声がそう空しく響いたのは、深夜2時も回った頃。
12畳ほどあるその部屋には、無造作に置かれた機材からいくつもの配線が伸び床を埋め、更にその配線を隠すように本や資料が散乱しており、その僅かな隙間に初老の男性が立っている。
「掲載は明後日・・・いえ、もう午前0時を過ぎていますから、明日の朝刊の予定です。新聞各紙にトップ項目で取り上げるよう依頼済みとのことで。」
「・・・ま、ネタ的には1面だろうけどね。何か大きな事件が起きない限り。」
「それで───どうなさいますか?」
寺井は床に散らばった資料のいくつかを拾い上げながら、快斗を見た。すると、快斗はそのクセのある髪をかき上げながら、うーんと唸った。
「見なかったことにして、スルーしてもいいかな?」
本音はそれだ。だが、しかし。
「・・・ってワケにもいかないか。この“レディ・スカイ”が“パンドラ”じゃないとは言い切れないし。ま、せっかくのご招待だ。世界一の飛行船に乗れる機会なんて、そうそうないだろうしね。」
快斗は仕方がないと息をついた。そして、もう一度髪をかき上げる。
「とりあえず記事が掲載されたら、とっとと返事を出しておくとして。この際、手の混んだ暗号とか抜きにしよう。」
「了解致しました。では、そちらの準備も始めませんと。」
うやうやしく一礼した寺井は、快斗から何らかの指示が下るかと思ったが、快斗はその必要はないと首を振った。
「寺井ちゃんはこっちの展示会の資料集めの方をよろしく頼むよ。じーさんとの対決はオレ1人で何とかしとく。」
「ですが・・・」
「獲物は空飛ぶ飛行船の中。ってことは、警備の仕方も限られる。あとはじーさんの仕掛けたワナをどうにかすればいいだけの話だよ。」
飛行船の警備に乗船してくるのは、どうせ捜査2課のいつもの面々。むしろ要注意なのは、鈴木財閥ご令嬢のお友達繋がりでやって来るであろう小さな名探偵の方だ。
───ま、名探偵とは出たトコ勝負ってことで。
こればっかりはどうしようもないと苦笑する快斗に、寺井はなおも心配そうに告げた。
「本当にお1人で?飛行船への潜入はどうなさるおつもりですか?」
「この場合、船内のクルーとして最初から乗り込んじゃうのが手っ取り早いだろうね。」
快斗はデスクに左手で頬杖をつき、そう言いながら今回の仕事についてざっと頭で算段する。
何しろ今は時間がない。入念な下調べや準備が出来ない以上、いつものような趣向を凝らした派手な演出は一切ナシの方向で、いただくモノをいただいたらとっとと退散するに限る。
用意周到、準備万端で仕事に臨めないのは多少心苦しいが、今回は相手が相手だ。何とかなるだろうと、快斗はそう結論付けた。
「・・・とりあえず、あのじーさんの指紋くらいは手に入れとくべきかな。」
指紋認証式のパスワードとか、いかにもアリそうだと快斗はニヤリと笑った。
そして、翌日の朝刊。
予想に反して怪盗キッドへの挑戦状は1面を飾る事はなく、代わりに『赤いシャムネコ』と名乗るテロリストが恐ろしい細菌を強奪したという記事が
、でかでかと掲載されていた。
「・・・バイオテロか。日本も物騒になったもんだね。」
学ランに身を包み、新聞片手に快斗は朝食のパンを頬張る。
マスコミやメディアは今やこの話題で持ちきりだ。おかげで鈴木会長がキッドに叩き付けた挑戦状の存在は、すっかり霞んでしまっていた。
今回の件に関してあまり力を入れてない自覚がある快斗としては、むしろこの状況はありがたくもあったが、それにしても記事の中の一文が妙に引っかかる。
「・・・・・・おいおい、“財閥を狙うテロリスト”って───。」
イヤな予感が頭を過ぎったが、快斗はそれ以上は敢えて考えるのを放棄した。
「・・・ははは・・・。まさかね。気のせい、気のせい。」
自分に言い聞かせるように、快斗はバサリと新聞をたたみ乾いた笑いをするしかない。
細菌兵器を持ったテロリストなんて、面倒な事この上ない。相手するにも抗ウイルス剤が用意できるでもなし、そこまで対策を立てる時間的余裕など、今の自分にはないのだから。
いつになく事前準備ができない状況下で、こんな悪条件は勘弁してほしい。それは快斗の切実な思い、いや祈りに近かった。
───ああ、ホント。頼むからさ。
そう心で呟きながら、あくびを噛み殺す。さすがに徹夜が続き、睡眠不足、おまけに疲労がたたっている。だが、そんなことを億尾にも出さない鉄壁のポーカーフェイスの怪盗は、今は学ランを纏って学校へ向かったのだった。