鈴木会長が怪盗キッドに挑戦状を叩き付けてから7日後。
今、まさに飛び立とうとしている飛行船「ベル・ツリー号T世」の乗り場に、快斗の姿はあった。もちろん素顔をさらしているわけでも、キッドとしてのコスチュームを纏っているわけでもないが。
取り急ぎ用意したユニフォームで飛行船の作業員を装いながら、快斗、いやキッドは乗客達をチェックしていた。
───関係者以外に乗り込むのは、日売TVのクルー3人だけか。飛行船と並走して、TV局のヘリが飛ぶってこともなさそうだ。
『赤いシャムネコ』効果は続いている。マスコミやメディアの目は、依然としてバイオテロを警戒して、鈴木会長vs怪盗キッドの勝負の行方に手を回す余裕はないらしい。
・・・・・・ま、結果的にはラッキーだったな。あとは、テロリストの奴らが乗り込んでこないことを祈るだけか。
とりあえず首尾は上々と、目深に被った帽子の影でキッドは不適な笑みを浮かべる。
───そう。確かに、ここまでは予定どおりに事は運んでいたのだったが。
EXCUSE 〜
The Lost Ship in The Sky〜 act.2
「あなた、怪盗キッドね?!」
───やべっっ!バレたっっ!!
瞬間、キッドは自分の愚かさを心底呪った。
まさか、こんな初歩的なミスで正体を見破られることになるとは。
ありえない失態に眩暈さえ覚えるが、今はそんな場合ではない。とにかく何とか言い逃れできないものかと頭をフル回転させたところで、絆創膏という動かぬ証拠を前にはどうしようもなかった。
捻り上げられた腕は簡単には振り解けそうもない。さすがは空手の関東大会チャンピオンである。
───まいったな。
相手が蘭でなかったのなら、この際、多少荒っぽい事をしてでも何とかしようがあるというのに。さて、どうしたものかとキッドは頭を悩ませる。
だが、のんびり構えている余裕はなかった。追い討ちをかけるように中森警部ら捜査2課の面々がこのタイミングで登場し、事態をますます悪化させた。
・・・・・・おいおい、勘弁してくれよ?
どんなにポーカーフェイスをしたところで、いい加減、この状況はヤバイ。キッドにしては珍しく、嫌な汗をかき始めるのだった。
さて、キッドが何故こんな状況に陥ったかと言うと、時間は少し遡る。
+++ +++ +++
きっかけは、ほんの偶然の出来事だった。
怪盗キッドとしては、取るに足らないような些細な事。
それはまだ飛行船が空へ跳び立つ前、作業員の顔をしたキッドが目の前で転びかけた少女を助けた事から始まる。
少女を助ける為に差し出した腕にうっかり傷を負ってしまい、さらにその現場を
毛利蘭に目撃された。心優しい彼女がせっかく差し出してくれた絆創膏を無碍に断るわけにもいかず、
ありがたくそれを頂戴して、その場はやり過ごしたのだが。
改めてその絆創膏を見たところで、キッドは目を丸くした。
・・・はぁ???
『新一 v LOVE』
小さい文字だが、確かにそうペンで書かれている。ご丁寧にも、もらった2枚ともだ。
そんな事、言われなくても知ってるし。何を今更、そんな自己主張する必要が?と、キッドは眉を吊り上げるが、考えてみれば、蘭がこんな事をするかどうか疑問だ。いや、万一やったとしても、それを他人に渡すなんてことは。
・・・・・・ありえないだろうな。
とすると、1つの推理が容易にキッドの頭に浮かぶ。おそらくは蘭の親友 鈴木園子がフザけてやったっ
というのが妥当な線だと。
そして、蘭自身は気づいてはいないのだ。気づいていたら、恥ずかしくて他人に見せられはしないだろう。
・・・まったく、よくやるね。
女子高生のかわいらしいイタズラにキッドは苦笑しつつ、こんな絆創膏貼れるかとポケットにしまいかけて、不意にその動作を止めた。
・・・・・・待てよ?どうせこの後、名探偵と顔を合わせる事になるんだし。
キッドはポケットから再びその絆創膏を一枚取り出して、ニヤリと笑う。
「コレ見たら、名探偵、どんな顔するかなぁ?」
からかうにはいいネタになるかもと、キッドはその絆創膏を傷口に貼ることした。園子ではないが、ちょっとしたイタズラ心が芽生えただけの話である。
本当にただそれだけだった。
だから、無事飛行船への乗船を果たした後で、今度はウエイターの姿に身を包んだ際もわざわざ絆創膏を剥がすことはしなかった。剥がし忘れたのではない。敢えて、剥がさないでおいたのだ。
だが、結果として、それが裏目に出た。
のこのこ現場の下見に行って、うっかり蘭と鉢合わせたのがタイミングの悪さといい、さらにうっかり絆創膏の存在を失念して、またまたうっかりそれを強調するようなポーズまでキメてしまった。
油断大敵。まさにうっかりのオンパレード。怪盗キッドとしてあるまじき大失態である。
・・・・・・ああ、オレ、相当疲れてるな。
ここ連日の睡眠不足がたたっているのか、緊張感さえ失って、自らピンチを招くとは。自分のダメさ加減に、キッドはほとほと呆れ返るしかなかった。
そうして───。
キッドは苦肉の策として、“怪盗キッドの正体は工藤新一である”説をでっち上げ、なんとかその場を乗り切ることには成功した。
今日ほど自分の顔が工藤新一と瓜二つであることを感謝したことはない。ただのノロケ話だと思っていた飛行船=UFOのネタが、思わぬところで功を奏した。
「・・・いやぁ、こんなに焦ったのって、時計台の時ぶりくらいか?」
スカイデッキを出て蘭と別れた後、再びウエイターの顔を被ったキッドは1人ごちる。
とりあえず、しばらく彼女の同行を気に留めつつ、動かなければならないが。それに現場の下見もまだ十分ではないのだ。
「ま、それはどうとでもなるか。でも、怪盗キッドの正体が工藤新一なんてデタラメ、名探偵が聞いたら怒るだろうなぁ。」
悪びれた様子もなく、キッドは笑う。それから一呼吸してウエイターの表情に戻ると、スタスタと足早にお茶の準備をしているだろう厨房に戻るのだった。
だが、想定外のアクシデントはこれだけでは終わらない。計画はもうとっくに狂い始めている事にキッドはまだ気づいていなかった。