Heart Rules The Mind

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NOVEL

例えば 目の前に先の見えない 真っ直ぐな道があるとして

その道が 誰もが目指す高みへ続くものだとしたら

 

見えない柵にその行く手を阻まれた僕は 

 

背後から聞こえる君の足音に

ただおびえながら 立ちすくむだけだ

 

 


見えない柵   ■□ act.3□■


 

 

「どうした?アキラ。さえない顔しちゃって。」

 

不意に頭の上から降ってきた声に、僕は弾かれたように顔を上げた。

見上げた視線の先には、見知った顔が人懐っこく微笑んでいる。

 

「・・・・・・芦原さん。」

「珍しいじゃないか。アキラが一人で碁会所にいるなんて。今日は進藤君は一緒じゃないんだ?」

「・・・・別に、いつも彼と一緒というわけではありませんから。」

再び俯いた僕は、盤上に並べていた石を片付け始める。

進藤の名前が出たことで一瞬曇ったであろう僕の顔色を見て取ったのか、芦原さんはおやと首を傾げた。

「何だ何だ?本気で元気ないじゃないか?」

言いながら、芦原さんは空いていた僕の前の席に腰を下ろした。

「どうかしたのか?まさか、リーグ戦を控えて緊張している・・・なんてことはないだろう?」

「・・・・別に。」

静かにそう返答したところで、石をすべて碁笥に入れ終えた。

さらさらと掌からすべり落ちていく石がやけに冷たい。

そんな僕を見つめる芦原さんの視線は、ずいぶんと心配そうだ。

 

 

自分では意識していなかったが、そんなに普段の僕とは違って見えるのだろうか?

昨夜、進藤と言い争ったというだけで?

確かに、それもあるかもしれない。

だが、本当は。

僕の心に渦巻く、このどす黒いものこそがその原因なのだ。

そしてその正体を、僕は知っている。

 

 

「───何でもありませんから。気にしないで下さい。」

僕は顔を上げると目の前に座る芦原さんに向け、笑顔を作った。

多少ぎこちない笑いであったろうそれが、彼に通じるかどうかはわからないが、とりあえずこれ以上、聞かれても返答のしようがない。

芦原さんもそんな僕の気持ちを察してくれたのか、小さく溜息を零した後に視線を僕から外した。

綺麗に片付いた碁盤を挟んで、僕と芦原さんの間に短い沈黙が落ちる。

碁会所で打ち合う他の人達の石の音が妙に耳についた。

 

「・・・・・まぁ、お前もいろいろ考えるところがあるんだろうけど・・・・・。」

沈黙を破った芦原さんは、優しい口調で僕に語りかけた。

「芦原さん・・・。」

「あんまり悩むなよ?ハゲるぞ?」

彼のその台詞に、僕は思わず吹き出してしまう。

口元に手を添えながら、僕も負けじと言い返した。

「年齢から言って、ハゲるとしたら僕より断然、芦原さんの方が先と思うけど。」

「こら!お前〜っ!」

「冗談ですよ、冗談。」

椅子から立ち上がって大げさに起こったフリをする彼に、僕も自然と笑顔がこぼれる。

芦原さんは相変わらず、僕をリラックスさせるのが上手な人だ。

小さい頃から僕を知っているのだから、当然と言えば当然なのだが。

 

二人の間の空気が和んだところで、僕は少しは胸の内を吐露してもいい気持ちになった。

視線は真っ直ぐ盤上に注いだまま、ゆっくりと口を開く。

 

「・・・ねぇ、芦原さん。」

「ん?」

「───目の前に・・・。見えない柵があるって、感じたことありますか?」

「・・・え?見えない・・・柵? そりゃ何の話だ?アキラ。」

 

 

───耳を澄ますと確かに聞こえる、どんどん近づいてくる進藤の足音。

進藤は真っ直ぐに僕を追ってくる。

僕は逃げる。

だが、僕の目の前には柵があって。

もう僕には───

 

 

「・・・・・・どんなに努力しても───。“天才”にしか超えられないものってあるのかなって。」

僕の言葉に、芦原さんがポカンと口を開けている。

しばらくすると、彼は僕にもはっきりと聞こえるように溜息をついた後、オーバーアクションで脱力して見せた。

「・・・おいおい、アキラ。そりゃ、オレ達みたいな凡人は一生努力したって、お前みたいな天才には敵わないって、そう言いたいのかぁ?いや、確かにお前はすごい天才だって、オレも認めるけど。しかも天才なのに、さらに努力まで惜しまないし。だけど───」

「・・・・・・僕は。」

「え?」

「───僕は、天才じゃない。」

小声でそれだけ言うと、僕は椅子を後ろに引いて立ち上がった。

「・・・えっ?おい、アキラ?」

 

「ごめんなさい、変な話をして。忘れてください。やっぱり今日は体調が優れないようなので、これで失礼します。」

そう言い残して、僕は足早にその場を去る。

受付の市川さんにも挨拶らしい挨拶もせず、そのまま碁会所を後にしたのだった。

 

 

僕は天才じゃない。

本当の天才というのは、きっと───。

 

 

○●●     ○○●     ●○●

 

 

進藤と言い争ってから、3日ほど過ぎた。

その間、彼からは連絡はない。

僕もあれ以来、彼の部屋を訪れる事はなかった。

お互いスケジュールが混み合っていたということもある。

だが、連絡しようと思えばできなくはなかった。

少なくとも僕は。

 

実際、今回のことに限らず、僕と進藤との間にはケンカは絶えない。

だが、それらは実にくだらない内容のものばかりで、そのケンカの状態が長続きした事などなかった。

それほどまでにバカバカしいものなのだ。

仲直りらしい仲直りなどしたこともしたこともない他愛のないケンカばかりだが、それでもどちらかの歩み寄りは必要だ。

そして、そのきっかけを作ってくるのは、決まって進藤の方だった。

進藤には、どこか一人ぼっちにされることを酷く恐れているようなところがあった。

 

・・・・・だとしても。

さすがに今回ばかりは、彼が頭を下げてくることはないだろう。

こないだのあれは、誰がどう見ても悪いのは圧倒的に僕だ。

 

重苦しい息を吐きながら、棋院内の廊下を歩く。

所要があって棋院に来たのはいいが、今日は進藤の手合いの日だ。

うっかり出くわしてしまったら、合わす顔がないな。

 

そう思った矢先だった。

目の前のエレベーターが開いて、中から出てきたのは、なんと運悪く進藤と和谷の二人。

 

「あ、塔矢。」

声を上げたのは、進藤ではなく和谷の方。

彼の声につられるようにして、進藤は僕を見た。

和谷と何やら楽しい話題をしていたのか、進藤の顔には笑顔が残っている。

進藤の大きな瞳が僅かに僕から逸れたが、すぐさままた僕を見つめ返し、にっこりした。

その笑顔が僕には眩しい。

 

「・・・よぉ、塔矢。お前、今日手合いはなかったろ?何か他に用でもあったのか?」

「用ならもう済んだ。これから帰るところだ。」

向けられた進藤の笑顔に対し、僕の返事は実にそっけないものだった。

そのまま彼らの前を通り過ぎる。

背中では進藤と和谷の会話が耳に届いた。

 

「何だぁ?塔矢のヤツ・・・。おい、進藤。お前、塔矢に何かしたのか?」

「えぇ?オレ?!」

「だって、明らかにお前のこと、怒ってるみてーじゃん。」

「何もしてねーよ!だけど、アイツが何か勝手に怒ってて・・・・。」

 

進藤の言うとおりだった。

勝手に怒っているのは、僕だ。

自分の胸の内の感情を持て余して、どうにも普通に接することができない。

 

「塔矢っ!!オレ、今日部屋で待ってるから!」

後ろで進藤が大きな声を出している。

その声に振り向くと、進藤は真っ直ぐに僕を見ていた。

「塔矢!絶対来いよ!何時まででもお前が来るまで、ずっと待ってるからな!!」

 

進藤が叫んでいる。

でも、僕は。

何も返すこともできずに、ただ彼の瞳を見返しただけでそのまままた前を向いて歩き出した。

 

 

○●●     ○○●     ●○●

 

 

その夜、散々悩んだあげく、結局、僕は進藤の部屋の前にいた。

 

このままの状態でいいわけないとは自分でもわかっていたし、何より悪いのは僕だ。

進藤にはまるで非はないのだから。

謝らなければならないと思っていた。

もちろん、僕自身が抱えている胸の内のわだかまりが消えたというわけではなかったが。

 

とにかく、深呼吸を一つ、部屋のブザーを鳴らした。

合鍵は持っているのだが、何となく使う気にはなれなかったからだ。

 

ブザーならしてしばらく。

中から進藤が出てくる気配はなかった。

部屋の明かりはついている。

中には居るはずだが、もしかして寝てしまったのだろうか?

明かりをつけたまま、進藤が寝こけている姿は容易に想像ができる。

 

・・・・自分で来いといったくせに。

僕は小さくそう心の中で毒づいた。

 

どうしたものか考えたあげく、僕は仕方なく持っていた合鍵で部屋に入ることにした。

部屋に踏み込むと、進藤の姿はなかった。

が、どこにいるかはすぐにわかった。

浴室からシャワーの音がする。

何のことはない。

進藤はシャワーを浴びていたと言うわけだ。

ブザーの音は浴室まで届かったらしく、進藤が慌てて出てくる気配はなかった。

 

僕はほっと一息をつくと、相変わらず散らかし気味な部屋を見渡した。

部屋の中央にある小さなソファには、雑誌やらCDやらが散乱していてどけなければ座る事もできない。

僕はそれらをそっと端に押しやると、一人分が座れるスペースを作り、腰掛けた。

と、同時に浴室のドアが開く音がした。

タオル一枚巻きつけただけの進藤が、びっくりした顔でこっちを見ている。

 

「うわっ!塔矢!?い、いつ来たんだよっっ?!」

「たった今だ。ブザーを押しても返答がないから、合鍵で入らせてもらった。」

「あ、いや・・・。それは別にいーんだけど。」

 

風呂上りでまだ濡れたままの体の進藤は、少々バツが悪そうに笑う。

確かにあまりいいタイミングとは言えなかった。

 

「先に体を拭いたらどうだ?」

「あ、うん。悪い。こんな格好で。」

「いや、構わないよ。」

 

自分の言葉の端々に冷たさが滲み出ているのがわかった。

反省してきたつもりが、どうにも本人を前にすると駄目らしい。

進藤はそんな僕に気づいているのかいないのか、タオルでガシガシと頭を拭きながら言った。

 

「けど、本当に来てくれるとは思わなかった。もしかしたら、来てくれないんじゃないかってずっと思ってたんだ。」

来てくれてうれしいと、そう進藤は笑顔を僕へ向けた。

そんな彼の笑顔を見て、何故か僕の胸は少しだけ痛かった。

 

風呂上りでまだ暑いのか、進藤は下だけジャージをはいて、頭にはスポーツタオルを被ったまま冷蔵庫からコーラの缶を取り出している。

「塔矢も何か飲む?」

「いや、僕はいいよ。」

僕の返事に進藤はふーんと頷き、冷蔵庫の扉を閉めると、僕が腰掛けているソファのすぐ傍の床にそのまま腰を下ろした。

 

「・・・・塔矢。」

言いながら、照れくさそうにしている進藤の顔は、風呂上りのせいか少し上気していて赤い。

首筋には、まだ拭いきれていない水滴が一筋、光って僕の目を引いた。

 

あの・・と言ったきり、先を切り出さない進藤に僕が首を傾げると、進藤は意を決したように頭の上のタオルを取り去った。

 

「・・・・あの、塔矢。───ごめんっ!!」

いきなりなその発言に、僕は僅かに目を見開く。

「・・・なぜ、君が謝る?」

「何だかわかんねーけど・・・。でも塔矢が怒ってるってことは、どうせオレが悪いんだろうと思って。」

進藤は小さく舌を出して見せ、続ける。

「オレ、バカだからさー。また塔矢の気に障ること、何かしちゃったのかなーって。」

 

 

進藤が謝る必要などない。

進藤が何かしたわけではないのだから。

それなのに、何故そんな風に謝るのだろう?

そして、僕はそんな風に謝ってくれている君を見て、何故こんなにも───。

こんなにも、腹立たしく思うのだろう?

 

進藤を憎いなどと思った事はなかった。

思うはずがない。

なのに、今、僕は───。

 

 

進藤が大きなその瞳を見開いて、僕を見ていた。

自分が今、何をしようとしているのか、わからなかった。

何も考えられなかった。

ただ、自分の中に沸き起こる衝動を抑えることができない。

 

気がついたら、上半身裸の進藤の体をそのまま乱暴に押し倒していた。

だが、これは欲情ではない。

これは───。

 

僕は目を細めると、驚いた顔をしたままの進藤の唇を噛み付くように奪った。

 

 

●○○●●   To be continued

 

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