「・・・眠れない・・・。」
もう何度目になるかわからない寝返りをうった新一は、溜息混じりにそう呟いた。
ベットサイドの時計で確認すると、時刻はもう午前2時をまわった頃である。
眠くないわけではなかった。
正直、ここ連日事件に引っ張りだこで精神的にはかなり疲れていて、身体としても休養を欲している
はずである。
なのに、どうにも寝付けない。
頭も目もすっかりさえてしまっているのだ。
・・・ったく、早く寝ないと明日がツライんだよなぁ・・・。
明日は別に休日じゃない。朝を迎えれば、学校が待っているわけで。
新一はなんとか無理矢理にでも寝ようと、硬く目を閉じた。
床に就いていると、頭の中でいろいろな考えが浮かぶ。
今日、解決してきた事件の事。
そして、未だ解決できてない例の組織の事。
組織と言えば・・・。
組織とキッドとの関連性も謎なままだ。
一体、どんな理由でキッドは奴らを追ってるんだろう?
チクショ〜!今度、会ったら絶対に聞き出してやる!!
・・・なんて考え出した途端、新一の頭の中は未だ解明できないキッドの謎のこと一色になり、
一層眠気が遠ざかっていく気がした。
「くっそ〜!」
新一は、諦めたようにベットから起き上がると、そのままリビングへ降りていく。
照明をつけて、そのままキッチンへ何か飲み物でも取りに行こうと思いつつ、ふと足を止める。
そうだ!こんな時は・・・。
そう思って新一が手を伸ばしたのは、父の趣味で集められた高そうな洋酒が綺麗に並んでいる
棚の扉。
ガラス戸を開けて、どれにしようかしばらく考えた後、新一は一本のボトルを取ると、
キッチンへグラスを取りに行った。
◆ ◆ ◆
真っ黒な夜空を自由に飛ぶ白い鳥の姿があった。
鳥は、眼下に見慣れた洋館の姿を確認すると、風を読みながらゆっくりと下降し始める。
「久々に、名探偵の顔でも拝んで帰るかな!」
そう呟いて。
怪盗キッドは、その白い翼をたたむと、音も無く2階のベランダに舞い降りた。
そのまま窓に手をかけて、鍵がかかっていないことに気づく。
・・・ったく、無用心だねぇ。
まぁ、鍵がかかっていようが、いまいが、オレにはそう大差はないんだけどさ。
そう思いながら、キッドは明かりの落ちた部屋へと忍び込んだ。
が、そこには新一の姿はない。
あれ?まだ、起きてんのか?
こんな時間なのに。
どうせ、また本の虫になっているんだろうと、キッドは下の階へ向かった。
新一が自室にいない場合は、大抵はリビングのソファにふんぞり返っているか
奥にある書庫にいることぐらい、実はとっくにお見通しである。
とりあえずは明かりのついているリビングの戸を開けた。
やはり。
と、キッドは思った。
ソファの背から、ちょこんと黒い頭がのぞいている。
が、いつもならこちらの気配を感じて振り向くのに、今日はいつまで待っても振り返らない。
・・・寝てるのか?
キッドは足音を殺して、ソファの前に回りこむ。
するとそこには、すっかりソファのクッションに身体を預けた新一の姿があった。
意思の強さを強調するようなあの蒼い瞳は瞼に隠れて、あどけない少年の顔に戻って。
ガキみてー・・・。
新一の顔を覗き込みながら、こうしてるとキッドはとても同い年には見えないなと思う。
顔を近づけて、ふとアルコールの匂いが鼻についた。
そういえば、この部屋に入った時からそんな匂いがしてたっけ。
新一の寝顔にすっかり見惚れてしまっていたキッドの頭の中からは、そんなことは
すっかり排除されてしまっていたようだが。
なるほど、テーブルには洋酒のボトルとグラスが置いてある。
へぇ、コイツ、酒なんか飲めるんだー!
妙に感心した風にキッドは笑うと、何を飲んでいたのかとボトルのラベルを確かめて、
思わず、新一を振り返る。
ド、ドンペリだとぉ?!
この御坊ちゃんめ!しかも、もうほとんど入ってねーじゃねーか!!
まさか、1人で全部空けたんじゃねーだろうな?!
なんてもったいない飲み方をするんだ!!
キッドはグラスにまだ一口ほど残っていた新一の飲みかけを口に運ぶと、再度新一の顔を
よ〜く確認する。
よくよく見れば、その白い透けるような肌は、どことなく淡くピンク色がかっていた。
つまり、酔いつぶれて寝てるってことか・・・。
間近で見る新一の顔は、酔いも手伝ってか、いつもよりより一層色気を増しているように思えた。
キッドは、無意識のまま顔を近づける。それでも、新一は一向に気づく気配はない。
・・・襲うぞ、コラ!!
そう思って、キッドの唇が新一のそれにあと数ミリで重なるというところで、突然、何の前触れもなく
蒼の瞳がパッチリと開く。
「・・・あ!」
キッドは思わず小声を上げた。
新一の色香に惑わされて、思わずここまで接近してしまったが、名探偵がこの状況を黙っているはずが
ないことくらい充分にわかっている。
次に来るのは、罵倒の言葉か、あるいは黄金の右足か。
キッドはいつでもかわせるような体勢を取った。
が、しかし。
いつまで経ってもそのどちらもやってこなかった。
新一の瞳は大きく見開かれて、そこにいる人物を認めているだろうに、はっきり言って
まったく予想外のリアクションだったのである。
なんともかわいらしい無邪気な笑顔を浮かべて。
「・・・もっと!」
そう一言。
「・・・は?!」
キッドは自分でも信じられないほどマヌケな声を出していた。
いや、しかし。名探偵の言うところの『もっと』と、いうのが、何を意味しているのか、
まるでわからないのだから、仕方あるまい。
何が、『もっと』なんだ?!
今、この状況からして何をせがまれているのか、全くもって理解できないキッドは、
まさかキスをねだられてんじゃねーだろうな?なんていう都合のいい方にまで考えが
飛び火したりしたが。
ふいに新一の腕が持ち上がる。
もし本当にキッドキスをねだっているのなら、その手はキッドの顔にでも添えられそうなものだが。
手は違う方向へと伸びた。
唖然としているキッドの目の前で、新一の手はテーブルの上のボトルを掴み、危ない手付きで
グラスに僅かばかり残った酒を注ごうとしたのだ。
・・・『もっと』って酒のことかよ・・・。
溜息を一つ、キッドはボトルを新一から取り上げて、代わりに注いでやる。
グラス半分ほど入ったところで、ボトルは空になった。
グラスに入った酒を満足そうに見ていた新一に、キッドがとりあえず手渡してやると
これまた上手そうに一気に飲み干してしまった。
・・・おいおい、そんな飲み方する酒じゃないだろっ?!
すると、新一は再び空のグラスをキッドに押し付ける。
「・・・え?!まさか、まだ飲むの?」
恐る恐るそう聞くキッドに、新一はやはり無邪気に微笑んだ。
・・・コイツ、ザルか?!
固まってしまったキッドを、新一は愛くるしい目で覗き込むが、すぐさま酒の用意をしろと
途端にジタバタ暴れだした。
「わ〜!!わかった、わかったってば!!今すぐ新しいものを用意しますから!!
ちょっと待てって!!」
キッドは慌てて、空のドンペリのボトルを持ったまま、その場から退場する。
そしてそのままキッチンへ向かった。
キッチンへ逃げ込んだものの、さてどうしようと、キッドは首を捻った。
酒なら確かにまだリビングの棚にあったような気がするが、これ以上あの名探偵に飲ませるのも
どうかと思う。
何とはなしに冷蔵庫を開けると、ミネラル・ウォーターが目に付いた。
お!これにしよう!!
キッドはミネラル・ウォーターを取り出すと、そのままドンペリのボトルに入れ替える。
どうせ、あそこまで酔ってちゃ、きっと何を飲ませたってわかりゃしないだろ。
ボトルを水でいっぱいにしてリビングへ戻ると、新一が待ってましたとばかりにグラスを差し出した。
並々と水を注いでやる。
新一は先程と同じように、一気にそれを呷ったがとてもご満悦の様子だった。
これで、キッドはしばらく新一のお酌をするハメになったわけだが。
新一はとなりにいるのをキッドだと果たしてわかっているのかいないのか、ただただ酒を(いや、水を)
強要しているという具合だった。
◆ ◆ ◆
やがて、ようやく満足したのか、新一はグラスをコテンとフロアに転がした。
さすがのキッドもこれでお酌から解放されると思うと、安堵の溜息をついた程である。
・・・ったく。オレが誰だかわかってねーな、コノヤロウ!
キッドは心の中でそう毒づいた。
「おい、名探偵。今、お隣でかいがいしくお酌して差し上げてたのが誰だか、言ってみな。」
キッドの台詞に、新一はきょとんとする。
その瞳は酔いのせいで、幾分潤んでおり、ある意味とても危険なのだが。
・・・やっぱ、わかってなかったのか。
そうキッドが思った時、今までほとんど口をきかなかったいきなり新一が声を発した。
しかも思いっきり冷静な口調で。
「・・・怪盗キッド・・・」
その上、突然、キッドのネクタイを力付くで引き寄せたのだ。
その予想外な新一の行動に、キッドは目を丸くする。
「・・・テメーには今度会ったら、絶対言ってやろうと思うことがあったんだ!!」
「・・・な、何かな〜・・・?」
アップで近づいた新一の目が完璧にすわっている事に気づいたキッドは、やや恐れながら
引きつった笑顔を返した。
「オメー、一体例の組織とどういう繋がりがあるんだ?!ちゃんと説明しろ!
話、聞くまでは帰さねーぞ!!」
新一の表情はいたって真剣そのものだが。どこか目がイってしまっている。
正気でないことは充分に見て取れた。
キッドは、どう答えようか考えて、とりあえず矛先をそらして見ることにする。
「名探偵こそ、奴らにあんまり関わらない方がいいと思うぜ?」
「オレは・・・!!アイツらをぶっ潰してやるって決めたんだ!!
オレが関わった事件でもあるし、見逃す事なんかできるかよ!」
ふむ。正義感旺盛なことはご立派ではあるが。
キッドは、いささかこの名探偵の無鉄砲振りには手を焼いていたところである。
今まではなんとか自分の手の届く範囲だったので、なんとか救う事もできたが、
もし自分のあずかり知らないところで、何かをしでかしたらと思うと気が気でない。
まったく、少しはこっちの気も考えてほしいね。
キッドは大きく溜息をついた。
「で、だから、オメーは何なんだよ?!」
話を逸らされたことに気づいて、新一が声を荒げた。
いや、やはり酔っているせいか、もともと最初から新一の声はかなり大きかったのだが。
「ん。ま、プライベートな事情ってとこ。
でも、奴らをぶっ潰したいっていう点では、名探偵と同じだね!」
あん?と新一が眉をつり上げる。
まぁ、この程度の説明でこの名探偵が納得するとはキッドも思ってはいなかったが。
「・・・プライベートな事情って何だ?」
案の定、そうつっこんできた新一を、キッドは斜めに構える。
「・・・今は、まだ言えない。これ以上はもっと深い関係にならないとね♪」
こう釘をさしておけば、いくら名探偵でもこれ以上の追及はしてこないであろう。
(ああ、でも深い関係っていう意味がコイツにはわかんねーかもな。)
なんて、計算した上で出した答え。
が、しかし。
キッドの読みはいささか甘かった。
というか、新一が酔っているという時点で、すべてが狂っているのだが。
キッドの台詞を黙って大人しく聞いていた新一は、何を思ったか、突然キッドの肩に手をやり、
そのまま力任せに押し倒した。
もともとネクタイを新一に捕まれていたせいで、不安定な体勢だったキッドはうまくバランスを保てずに
あっけなくソファに沈む。
キッドは驚きのあまり目を見開いた。
な、何だ、何だ!?この状況はぁ!?
気がつけば、新一に押し倒されている体勢に、キッドは目をパチクリ。
「・・・お、おい!!名探偵?!本気・・・?」
まさか、新一がこんなに積極的だとは思わなかったので、キッドはその驚きを隠せないでいた。
新一の表情は、下を向いているせいでその瞳が前髪に隠れてしまい、見て取る事ができない。
一瞬の沈黙。
が、新一はその前髪をさらりと右手でかき上げると、ふわりと花のように笑った。
それは、これ以上ないくらい妖艶なもので。
新一にそんな顔をされて、我慢できる人間などこの世のどこにいるのだろう?
キッドは迷わず新一の腕を引き寄せると、その唇を奪おうとした。
が!!
キッドが引き寄せるまでもなく、新一はキッドの胸に真っ直ぐ下りてきた。
そして、そのままコテンとキッドの胸に頭をあずけたきり、動かなくなってしまったのである。
キッドが固まる事、しばし3秒。
「・・・あの〜・・・、名探偵?」
キッドがそう言って、胸の中の新一を覗き込むと、今度こそ彼は本当に夢の中だった。
おいおい・・・。
こんなオチってあるかよ〜・・・。人を散々その気にさせといて・・・。
・・・って言っても、どうぜ明日になりゃ、何にも覚えてねーんだろうな、きっと。
キッドはやれやれと大きな溜息をつき、新一を抱きかかえるとそのまま2階の寝室まで
運んでいった。
ベットに横たわる新一の寝顔を、見納めにもう一度覗き込む。
そこには、先程の妖艶さなど微塵もなく、無防備な子供のような表情しかなかった。
そんな新一に苦笑すると、キッドは新一のデスクからメモ用紙を取り出し、何やらサラサラと書いて
枕もとに置く。
そして。
静かに眠る新一のその唇に羽のような軽いキスを一つして、キッドは再びベランダから消えた。
◆ ◆ ◆
翌朝。
新一は、とてつもない頭痛による不快感で目を覚ますことになる。
昨夜、寝付けなくて、父親の酒に手を出したところまでは覚えているが、その後の記憶が
まったくない。
・・・えっと・・・。
まぁ、別に1人で飲んで、知らないうちに酔いつぶれて寝ただけなんだから、
問題はねーか・・・。
っていうより、今はこの頭痛の方が問題だ・・・。
頭を抱えて、とりあえずはベットから起き上がろうとした時、
パサリと軽い音を立てて、何かが床に落ちた。
「ん?」
落ちているのは、真っ白い紙。
何かと思って拾い上げると、裏には何やら小難しい文章が書かれている。
な、何だ、コレ?!
あ、暗号?!
見ると最後には、あの見慣れた「怪盗キッド」のサイン付き。
まさか予告状かと思い、新一は二日酔いでよく働かない頭を無理矢理フル回転させ、
必死で暗号解読にかかる。
そして・・・。
その暗号解読に要する時間、20分少々・・・。
その解けた文章とは、以下のとおり。
『飲み過ぎ注意!!
まさか、名探偵があそこまで酒乱だとは思わなかったぜ!』
「な、なっにぃ〜!!」
キッドが、昨夜来てたのか?!
いや、何にも覚えてねぇ!!
それに酒乱って一体・・・・!!オレ、何かやらかしたのか?!
新一は、一気に青ざめる。
記憶が無いと言うことは、本当に恐ろしいことだ。
・・・にしても、こんなくだらない文章をわざわざ暗号にするアイツって・・・。
新一は、まずます頭の頭痛がひどくなるのを感じて、もう一度、ベットに沈み込んだ。
今日は、病欠にしよう・・・。
そう決め込んで、全てを忘れるためにもう一度硬く目を閉じたのであった。
◆ The End ◆