再び部屋のドアが開かれた時、そこに居たのは狩野さんともう一人。
佐藤刑事の面の皮を被ったキッドだ。
手錠をかけられた両手を前に、大人しくしている。
部屋を覗き込んだその瞳が、オレを見つけるとニヤリとした。
と、キッドの背中を狩野さんが乱暴に押す。
そのまま、オレのすぐ傍までキッドを押しやると、彼女は代わりに夫を呼び寄せた。
戸口でひそひそと話している。オレはその光景を目にしてから、視線を自分のすぐ横に移す。
隣のソイツは、両手両足を固定されたまま、座るような格好のオレを、上から見下ろしていた。
目が合うと、にんまりと笑いやがった。
「工藤君ったら、いいザマ。」
・・・ヤロウ。
オレはジロリと睨みつけるが、ヤツはニコニコするばかりだ。
腹立たしいので何か言ってやろうと思った時、狩野さんがオレ達を振り返った。
「今から、警察と交渉してくるわ。それまで二人ともここで大人しくしてて。いいわね?」
ナイフを持つ夫を戸口に残し、彼女は部屋を後にする。
そうして、再び扉は堅く閉ざされた。
僅かな沈黙の後、キッドが夫には届かないくらいの小さな声で、話しかけてきた。
「お元気そうで、何より。」
「・・・ったく。何が人質交換だ、バーロー。上手い具合に人を利用しやがって。」
「あら、利用だなんてヒドイわ。」
その台詞は、明らかに芝居がかっている。
オレは、斜めにヤツを睨み上げた。
「何言ってやがる。お前がここに来る理由なんて、他にあるワケねーだろが。っていうか、その芝居、いい加減にやめろ。」
どうせ、ここでの会話は戸口に立つ夫には届かない。
と、怪盗は人の悪い笑いを一つ、それまでしていた佐藤刑事の声色をやめた。
「ま、それもそうだ。で?やっぱり『ミレニアム・スター』を持ってるのは、彼女?」
「知るか。」
知ってたって、教えてやる義理はない。
オレはソッポを向いた。
そんなオレの態度に、顔だけ佐藤刑事のキッドは苦笑し、それから縛られたままのオレの手足を見た。
「・・・なんだ。ちゃんと縄抜けできてんじゃねーか。いつでも犯人撃退できたクセして、名探偵こそ、どういうつもりだ?」
キッドの言うとおり。
オレは、とっくに手足を拘束する縄から抜け出していて、実は、縛られているフリをしていただけ。
隙を見てこの状況を打開する事は、確かに可能だった。
それでも、そうしなかったのは。
「・・・彼女を。狩野さんを何とか説得したかったんだ。」
オレの言葉に、怪盗が不思議そうに小首を傾げる。
そんなヤツに、オレは僅かに視線を逸らした。
それから、一年前の事件でオレと狩野さんが面識があった事、そしてこの事件の真相を聞かせてやった。
オレが話している間、キッドは黙ったまま、大人しく聞いていた。
すべてを話し終わると、オレ達の間に沈黙が落ちた。
やがて、キッドが低い天井を仰ぐ。
手首にかけられた手錠が、カチャリと音を立てた。
「それで? まさか、犯人に同情しているとでも?」
「・・・いや、そういうんじゃない。」
同情なんかしていない。
事情がどうであろうと、人が犯罪を犯していい理由にはならない。
・・・だけど。
俯いたオレの耳に、キッドの穏やかな声が届いた。
「人間は、誰でも、大なり小なり何かを背負って生きてるんだ。それを悲観してヤケを起こすのは、本人の弱さだろ?名探偵が気に病むことはないさ。」
「別に、オレは・・・。」
言いながら、オレは、落ち着かない表情でこっちにナイフを向けたままの狩野さんの夫を目に映す。
そして、建物の外で一人、警察と交渉しているだろう狩野さんを思い浮かべた。
「・・・ただ、一年前のあの事件が。オレにとっては、とっくに終わったはず事件だったのに、彼女にとってはそうではなかったんだって、思っただけだ。」
・・・そう。
むしろ、彼女にとっては始まりだったんだろう。
なんだか、やりきれない気持ちだった。
黙りこんだオレを、キッドが何も言わずに見つめる。
ヤツの口が何かを言おうとしたのか、僅かに開いた時、部屋のドアが派手な音を立てて開いた。
「交渉は終了よ。悪いけど、人質交換はなし。二人とも、私達が無事に脱出できるまで、一緒に付き合ってもらうから。」
戸口に立ったまま、狩野さんが言う。
予め予想してた通りの展開だ。何も驚く事のないオレ達は、無言で彼女を見詰め返した。
と、彼女の瞳が、オレの横のキッドへと向けられる。
「残念だったわね。その探偵さんを助けるつもりで、単身、乗り込んで来たんでしょうけど。最初から、彼を解放するつもりなんてなかったの。ごめんなさい?」
彼女は、そう意地の悪い笑いを浮かべた。
けれども、キッドもにっこり返す。
「いえ、構わないわよ?別に私は、彼を助けに来たわけじゃないし。」
「なっ・・・!」
大きく眉をつり上げる狩野さんに、キッドはなおも続ける。
「一人でドジ踏んで犯人に捕まったのは、彼の勝手。彼がどうなろうと、私の知ったことじゃないのよね。」
おい、コラ。 『ドジ踏んで」は、余計だ。
オレはキッドを睨みつける。
っていうか、いよいよコイツ、本性を出したな?
「・・・あ、貴方、それでも刑事?刑事のクセに、そんな事を言っていいと思ってるの?」
彼女がヒステリックに叫んだ。
・・・まぁ、コイツは刑事じゃないからな。
オレは深々と溜息をつく。キッドが化けの皮を剥ぐのも、もう時間の問題だ。
「確かに、現職刑事がこんな事を言うのは、マズイでしょうけど。残念ながら、私、刑事じゃないのよね。」
「け、刑事じゃないって、貴方、一体・・・!」
狩野さんの瞳が大きく見開く。
と、何もしていないはずなのに、キッドの手首から手錠が外れて、コンクリートに落ちた。
驚きを隠せない犯人達をよそに、佐藤刑事の顔をした怪盗は、ニヤリと不敵な笑みをした。
瞬間。
何か金属が弾ける様な音がしたかと思うと、一瞬にして、眩しい光に視界が奪われた。
・・・閃光弾っ?!
再び視界が回復した時、その先に居たのは、白い衣装を身に纏った怪盗の姿。
そして、その手には煌くダイヤモンド。
ヤロウ!いつのまにっ!!
舌打ち一つ、オレは縄を解いて立ち上がった。
驚きで声も出ない狩野さん達に、キッドが言い放つ。
「そう。世界で最も美しいダイヤ、この『ミレニアム・スター』をいただきに参上した怪盗ですよ。」
ヤツがそう微笑むと、彼女達は声を揃えて叫んだ。
「「怪盗キッドっっっ!!!」」
すると。
部屋の外でガタンという音がしたと同時に、突然、扉が破られ、宙を何か黒いものが飛んだ。
それから、ドンと鈍い音。
室内は一気に煙で充満し、オレの視界は再び奪われることとなった。
ダンダンと音がする。ガタガタという音も響いていた。
室内に立ち込めるこの白い煙は、催涙ガスに違いない。
そこここから、激しく咳き込む声が聞こえてくる。
オレは片手でハンカチを口元に押し当て、もう片方の手は宙をかき、何とか視界から煙を追いやろうとした。
ようやく晴れてきた煙の向こうに、たくさんの捜査員達が部屋になだれ込んできているのが見える。
そう。強行突入だ。
犯人確保の怒声が飛び交う中、オレを呼ぶ声も聞こえてきた。目暮警部達だった。
「工藤君っっ!!」
「目暮警部、それに高木刑事も!」
オレを見つけた警部らの顔が、安堵に緩むのがわかった。と、高木刑事があたりをキョロキョロと見渡す。
「け、警部。佐藤さんは?佐藤さんはどこに?」
キッドが佐藤刑事の変装を解いている以上、彼女が見つかるわけはない。
しかし、キッドの姿も既になかった。
・・・くそっ。あのヤロウ!
この強行突入のドサクサに紛れて、逃げやがったな!
舌打ちするオレの横で、高木刑事が叫ぶ。
「佐藤さーんっ!返事をしてくださーいっ!」
そんな彼に、オレは思い出したように真実を告げた。
「心配いりませんよ、高木刑事。佐藤刑事は、最初からこの部屋には来ていません。」
「え?で、でも確かに犯人と一緒にここへ・・・。」
「この二日間、僕らと一緒にいた佐藤刑事は、キッドの変装です。」
「「なにぃ〜〜〜っっ!??」」
目暮警部の声に、一緒に部屋に突入していた中森警部の声も重なる。
「じゃ、じゃあ、キッドは?ヤツはどこに?!」
目を剥いて部屋を見渡す中森警部を残し、オレは部屋を飛び出す。
キッドのヤツは、まだそう遠くへは行っていないはず。
くっそぅ、逃がすかっ!!
捜査員らでごった返す部屋を、オレは後にした。
目の端には、捜査員に囲まれている狩野さんらが映ったけれど。
外へ走り出て、オレは夜空を仰ぐ。
そこにあったのは、大きな月と。
・・・キッドっ!
漆黒の空に、はっきりと浮かんでいる白いグライダー。
まるで鳥のように自由に空を羽ばたいているそれを、オレは必死に地上から追う。
と、その白い鳥が羽を休めるように、とある雑居ビルの屋上へ舞い降りていくのが見えた。
・・・あそこか!
オレはビルの最上階までエレベーターを使って上がり、そこからは非常階段をひた走る。
途中、「関係者以外立入禁止」の警告がいくつかあったが、もちろん無視させてもらった。
ようやく目の前に現れた屋上へと続くドアを、力任せに開く。
勢い良く開いたドアの向こうから、少し強い夜風が吹きつけた。
どこだ?どこにいる?!
薄暗い屋上を見回しながら、足を踏み出した。
すると。
夜目にも目立つ白いマントが、オレの視界に映る。
・・・居たっ!
月明かりが煌めくそのマントを靡かせ、オレに背を向ける格好のまま、キッドは立っていた。
ヤツは月を向いている。
その手には、二百三カラットの『ミレニアム・スター』が輝いていた。
月の前に立つ、ダイヤを手にした白い怪盗が、まるで絵のようにさまになっていて、オレは一瞬、息を飲むが。
次の瞬間には、そんなマヌケなことを思った自分に激しく自己嫌悪した。
気を取り直して、一歩足を前に進ませる。
「もう逃げられないぜ?キッド。約束どおり、現行犯で捕まえてやる。」
もうとっくにこっちの事には気づいてるだろうに、相変わらず、背を向けたままのヤツにそう言ってやる。
と、ようやくキッドが振り向いた。
月明かりを背中に背負い、深く被ったシルクハットとモノクルの下、ヤツは面白そうに唇を引き上げていた。
まさに余裕の微笑み。
「・・・ったく、今回は好き勝手やりやがって。」
「ああ、楽しかったぜ?警察の皆さんとも、ずいぶん遊べたからな。」
「そうか?だったら、またすぐにでも警部達に会わせてやるぜ?ただし、今度は佐藤刑事としてではなく、正真正銘、怪盗キッドとしてな!」
言いながら、オレは足元に転がっていた空き缶を、ヤツ目がけて思いっきり蹴りこんだ。
憎たらしい事に、キッドはすっと身を退いてそれを軽くかわして見せたが。
だが、この隙に、麻酔銃を撃ち込んでやる!
そう思って、走りこんだオレの足は、その場に縫い付けられた。
足元に突き刺さっているのは、トランプのカード。
・・・くそっ。
オレは麻酔銃を構えたまま、ヤツを睨みつける。
月の青い光に彩られたキッドは、少し眩しかった。
と、キッドが『ミレニアム・スター』をオレに翳して見せる。
月光を反射して、ダイヤは一層輝いた。
「なぁ、名探偵。ダイヤモンドは、どうしてこんなに輝きを放つんだと思う?」
そのキッドの声は、忍び笑いを含んでいた。
オレは一瞬、眉を寄せる。
いきなり切り出された話題の意図がわからない。
けれども、その問いには鼻で笑って返した。
「ダイヤモンドの輝きは、そのカットによる光の拡散。内部に入った光が反射し、屈折して放出されるからだろう?」
オレの返答に満足そうにヤツは頷くと、さらに続けた。
「じゃあ、ダイヤモンドのインクルージョンって知ってるか?」
「インクルージョン?含有物のことか?」
「そ。インクルージョンは『自然の指紋』とも呼ばれ、ダイヤの個性を表している。このインクルージョンが内部にあると、光の流れは遮られ、結果、光の均衡が失われて、輝きが損なわれる。つまり、輝きの度合いは、インクルージョンの数や位置に左右され、それによって、そのダイヤの価値にも大きく影響するってワケ。」
淡々と話すキッドを見つめながら、オレは、ダイヤを握り締めて泣いていた狩野さんをふと思い出した。
キッドの話が、彼女とダブる。
事件という、大きな傷を持つ彼女。
それはインクルージョンがあるために、綺麗に輝くことのできないダイヤモンドのように。
キッドは、なおも語る。
「けど、インクルージョンがあったとしても、セッティングに隠れて、美しさにはほとんど影響を受けないものもある。ま、大抵のダイヤにはインクルージョンがあるんだが、それを上手い具合に隠して、そのダイヤが最も美しく輝けるように見せているだけ。」
キッドは、にっこりとした。
右目のモノクルが、月光を反射させる。
「人間と同じさ。傷一つない人間なんていない。誰でもそれをカバーしてがんばって生きてる。あの犯人も、今度出所した時は、そのことに気づいてくれるといいけどな。」
「・・・ああ、そうだな。」
もし、次に彼女に会う機会があったら、そんな風にがんばっている彼女であってほしいと、そう思った。
・・・別に、コイツに慰められたわけじゃねーけど。
月の光をスポットライト代わりに立つ怪盗は、そんなオレを一笑した後、またオレに背を向けた。
オレとそうたいして変わらない背丈、そして肩幅。
見つめているうちに、ふと思い出した。
《人間は、誰でも何かを背負って生きている》
さっき、ヤツはそう言っていた。
だとしたら、キッドは何を背負っているんだろう?
「キッド・・・。お前も何か、背負っているのか?」
キッドは背を向けたまま、何も言わない。
やがて、ゆっくりと振り返り、微笑を乗せた眼差しでオレを見つめている。
そして、不意に月明かりを遮るように両手でマントを広げて見せた。
「・・・おかげで、こんなことになってる。」
ちょっとおどけたようなポーズをして見せたキッドは、そう笑った。
「お前っ・・・、」
オレが言い掛けた時、ヤツの手からダイヤがぽんと放たれた。
わっ・・・! テメー、何てことを!!
宙を舞う『ミレニアム・スター』は月光を眩しく反射させ、オレは慌ててその方向へと走った。
かろうじて片手でキャッチしたその大きなダイヤに、オレがホッとするのもつかの間、キッドは言った。
「そのダイヤモンドは、残念ながら、オレの求める石じゃなかったらしい。悪いが、名探偵の手から返しといてくれ。」
「オメーっ、何、勝手なこと・・・!」
言いながら、キッドに駆け寄ろうとしたその時、ヤツは地面を蹴って高く舞い上がる。
一瞬、その白い姿が月の光と同化して、オレは眩しさに目を奪われた。
「また会おうぜ、名探偵!」
ヤツが残したのはその言葉だけ。
キッドはその身をビルの屋上から投げて、そのまま闇夜に消えてしまった。
その場に立ち尽くすのは、オレ一人。
・・・ニャロ。
オレは、唇を小さく噛む。
月は、何事もなかったかのように、オレだけを照らしていた。
月を仰ぐ。
今は、もうここにはいない怪盗のことを思い浮かべた。
アイツが背負っている何か。
それが、アイツが『怪盗キッド』なんかやってる事情ってワケか・・・。
ふと、それが何だか知りたいと思った。
けれども、その思考を慌てて抹消する。
「・・・オレには、関係の無いことだ。」
そう呟いて、溜息をついた。
・・・さてと。
そろそろ警部達のところへ、戻らねーと。詳しい事情も説明しなきゃならねーし。
とりあえずは、殺人事件は解決、無事、『ミレニアム・スター』も取り返したっていうことで、ヨシとしよう。
そうして、オレは、手の中でずっしりとその存在を主張しているダイヤを見る。
世界で最も美しいダイヤモンド・・・か。
確か、別名は『奇跡の石』だったな。
過去二度の盗難から、奇跡的に戻ってきたからって。
と、なると、今夜でその奇跡が、新たに一つ追加になるわけか?
結果的に、三度の盗難から戻ってきた事になるんだからな。
オレは、そう苦笑した。
そして、キッドがそうしていたように、『ミレニアム・スター』を月に翳す。
完璧なまでのその美しい輝きに、オレは目を細めたのだった。
The End
|