しばらく、洞窟の外で夜風にあたって頭を冷やしていたキラは、ふとアスランを振り返った。
横になったままのアスランは、どうやら少しウトウトしているようである。
「アスラン? 寝ちゃうのか?」
「・・・え? いや、まさか・・・。 けど、降下して、すぐ移動で・・・・・。」
言ってるそばから、アスランの瞼はみるみる重くなってくる。
程なくして、穏やかな寝息を立て始めたアスランに、キラはクスリと笑った。
「・・・アスランも疲れているんだね。」
寝入ってしまったアスランを尻目に、キラはもう一度、夜空を仰ぐ。
空には美しい月が、青白い光を放ちながら浮かんでいた。
その月をじっと見詰めながら、キラはアークエンジェルのことを思い浮かべた。
今頃、みんなはどうしているだろう?
いつまでも帰艦しない自分を心配してくれているだろうか?
もしかして、捜索してくれているかもしれない。
ほんの少し会っていないだけなのに、艦のみんなの顔がひどく懐かしいような気がしてならない。
キラは、アスランの愛機、イージスを見上げる。
この機体にも、何度アークエンジェルが危機にさらされた事か。
『キラ!! お前はザフトになんか、行かないよな!?』
『お前は、帰って来いよ、キラっっ!!』
『オレ達は、お前を信じてるからなっ!!』
アークエンジェルに残してきた友達の顔が、キラの脳裏にちらつく。
キラは、両手の拳を握り締めた。
「・・・・僕は・・・・。僕は・・・・・っっ!」
意を決したように唇を強く噛み締めたキラは、焚き火の傍で横になったままのアスランを振り返る。
アスランの瞳は閉じたままだ。
キラは、足音を忍ばせてアスランへ近づいて、その顔を上から覗きこむ。
余程疲れてしまっているのか、キラの気配にもアスランが目を覚ます事はなかった。
ザフトの兵士として、時折厳しい表情をするアスラン。
だが、その寝顔は、年相応の少年らしいあどけなさが充分に残っていた。
キラはそんなアスランの寝顔から、その視線を彼の腰元にある銃へと移す。
そうして、息を殺しながらゆっくりと銃へと手を伸ばした。
キラの手が銃に触れるか触れないかといったそのギリギリのところで、不意にためらうように
ピタリと動きが止まった。
“銃を奪おうとするなら、殺すしかなくなる。”
そのアスランの言葉が、キラの胸に突き刺さって、キラを苦しめる。
・・・・僕だって、君となんか戦いたくないっっ! だけど・・・・っっ!!!
「・・・っつっ!!」
キラは、さらに強く唇を噛み締めると、再びアスランの銃へと手を伸ばした。
と、背後で焚き火の炎がパチンと大きな音を立てる。
その音に一瞬、キラは竦んで後ろを振り返った。
同時に、それら一連の出来事がアスランの覚醒を促した。
閉じていたアスランの瞳が、ゆっくりと開いていく。
「・・・う・・・ん?」
「・・・はっ・・・!! アスラン・・・・っっ!!」
「・・・・・・お前・・・っっ!?」
事態を把握したアスランの綺麗なグリーンの瞳が、大きく見開かれたその瞬間。
キラの体が素早く動いたかと思うと、宙を舞った。
キラが銃を奪ったのだと瞬時に理解したアスランは、体を起こしたと同時にナイフを構える。
そのアスランの目の前には、両手で銃を構えるキラの姿があった。
「・・・キラ、お前・・・っ!!」
「ごめんっっ!!アスラン!!君を撃つつもりはない!!けど、僕はザフトには行けない!
アークエンジェルには僕の仲間が・・・!守りたい人達がいるんだっっ!!」
銃口をアスランに向けたまま、キラは泣き叫ぶように声を上げた。
そんなキラに、アスランはその目を細めると、ナイフの切っ先をキラに向けて見せる。
「・・・なら、撃てよ。 オレはザフトのパイロットだ。
お前の乗る艦の討伐隊も指揮する事になった。撃たなければ、オレはお前の仲間がいる艦を落とす事になるぞ!!」
「・・・・つっ・・・!アスラン・・・っっ!!」
「どうしてもお前が地球軍に残る道を選ぶと言うなら、オレはお前を殺すっっ!!」
「・・・・っ!!」
鋭い銀色の刃が、キラへと向けられる。
ぐっとナイフを構えるそのアスランの表情には、苦悩の色が窺えた。
だが、しかし、いつでもキラに飛びかかれる姿勢でナイフをじっと構える。
アスランは、どこまでもザフトの戦士だった。 たとえ、キラの親友であっ
たとしても。
鳴り止まない激しい鼓動に、キラの息が上がる。
銃を構えるキラの両肩が、呼吸のたびに上下していた。
目の前で、自分にナイフを向けているアスランの姿が涙で滲んでいく。
銃を支える両腕が、震えていた。
・・・胸が・・・っっ! 苦しいっっ!! アスラン・・・・っ、どうして、僕達がこんなことっっ・・・・!!
張り裂けんばかりの胸の痛みに、キラはその瞳をぎゅっと閉じる。
と、キラの目から熱いものが頬を伝い、地を濡らした。
『――― 君があのMSのパイロットである以上、私と君とは敵同士ということになる。』
『
やっぱり、どちらかが滅びなくてはならんのかねぇ?』
キラの脳裏に過ぎるのは、かつて遭遇した“砂漠の虎”と呼ばれた敵軍指揮官の言葉だった。
・・・・違うっっ・・・!!
僕がしたいのは、こんなことじゃないっ・・・!
僕に・・・っっ!!
僕に、アスランを撃つ事なんて・・・・っっ!!!
「・・・・くそーーっっ!!」
「・・・・なっ・・・・・、キラっっっ!!」
銃を投げ捨てたキラに、アスランはその身を投げ出した。
直後、銃声が木霊する。
転がった銃からは、硝煙が立ち昇っていた。
キラに覆い被さるようになっていたアスランは体を起こすと、自分の下のキラに目をやった。
キラは驚いたように目を見開いたまま、呆然とアスランを見上げていた。
そんなキラを見、アスランは怒鳴る。
「オープンボルトの銃を、投げるヤツがあるかっ!!」
「・・・・ごっ、ごめん・・・・。」
息が触れるほど、近づいた二人の距離。
キラの身を案じて真剣に怒る、アスランのその端整は顔立ちを間近に見て、キラはややその頬を赤らめた。
アスランは溜息一つ零すと、そんなキラの上からどいた。
アスランに押し倒されたような形になっていたキラも、体を起こす。
「・・・まったく、どういうヤツだよ、お前は。地球軍じゃ、銃の使い方も満足に教わらなかったのか?」
「・・・いや、だって・・・。」
アスランを撃ちたくないという一心で、激しく動揺していた先程までのキラには、
そんな銃の基本性能を振り返る余裕はなかった。
それほどまでに、切迫していたのだ。
そして今、ほんの数分前の緊迫した空気が、嘘のように和らいでいた。
キラにナイフを向けながらも、暴発する銃から身を挺して守ろうとしてくれたアスランの優しさによって。
不意に視線を落としたキラは、アスランのわき腹あたりのパイロットスーツが擦り切れているのに気づいた。
暴発した弾丸が傷つけたものだ。
「・・・アスラン、それ・・・っっ!今ので?! 手当てしなきゃ!」
「大したことない。」
「でも・・・っ、僕のせいでっっ!」
「気にしなくていい。」
キラに背を向けてアスランはスタスタと歩くと、救急用の医療キッドが入っているバックを手にした。
そのバックをキラが後ろから引っ張る。
「とにかく、手当てしないと!僕がするよ。」
「自分で出来る。」
「僕がするってば!」
「いいって!」
「いいから、僕にさせてくれ! でないと僕の気がすまないよ。お願いだ、アスラン!!」
「キラ・・・。」
バックを抱え込んで、だだをこねる子供のようなキラのその仕草に、アスランは観念するとキラの好きにさせてやった。
手当ての為に、パイロットスーツを上半身脱いで見せたアスランの体は、
細いながらも、均整のとれた筋肉が綺麗についていて、同性であるはずのキラも思わず見惚れるほどの美しさだった。
「・・・どうした?」
包帯を結ぶキラの手が止まったのに気づいて、アスランが小首を傾げる。
「・・・あっ、いや・・・。僕なんかより、ずいぶんたくましい体つきなんだなって思って。」
苦笑しながらキラがそう告げると、アスランも同じ様に笑った。
「お前が細すぎなんだ、キラ。ちゃんと食べてるのか?そんな体じゃ簡単に投げ飛ばされるハズだ。」
「投げ飛ばしたのは、アスランだろ!」
「それもそうだ。」
軽い冗談を交わし、お互いに微笑み合う。
今、この瞬間、二人の間には地球軍もザフト軍も、そして銃もナイフも関係なかった。
それが、ほんのひと時の幸福だったとしても ―――。
+++ +++ +++
耳障りな電子音が鳴っているのを、どこかぼんやり遠くで聞いていたアスランは
急激に意識を浮上させる。
それが、味方の無線を傍受した知らせであると悟ると、アスランは洞窟の外へ飛び出した。
そのアスランの気配に、キラも目を覚まし、膝に伏したままだった顔を上げる。
イージスのコックピットに慌てて駆け込んだアスランの耳に届いたのは、ニコルの声だった。
《 アス・・・ラ、 アスラン! 聞こえ・・・ますか?!》
「ニコル・・・っ!ニコルか!!」
《 良かった。アスラン・・・!!今、電波から、位置を・・・》
・・・良かった。
これで、救援が来る!!
アスランは、ほっと胸を撫で下ろしていた。
一方、地上では、いきなりイージスに飛び乗ってしまったアスランを、キラが見上げていた。
「アスラン? どうしたんだ?!」
「無線が回復した!!」
「・・・・えっ!」
キラはイージスから海の方へと、向き直る。
海上では、昨日アスランが放った救難信号が電波を発しているのが見受けられた。
「キラ、救援が来るぞ!」
イージスから降りてきたアスランは、海を向いているキラの背中にそう声をかける。
うれしそうに微笑むアスランに、キラは振り向きざま戸惑いの表情を浮かべた。
「・・・アス・・・ラン・・・。」
昨夜は結局うやむやになってしまったが、アスランとキラの言い分は物別れに終わっている。
キラをザフトに連れて行くと主張するアスランと。
友達の、仲間のために、アスランの申し出には応じられないと、そう主張したキラ。
ザフトの救援部隊が、今、この島に向かっている。
アスランは、どうあっても自分をザフトに連れて行くつもりなのだろうか。
そう思うと、キラは、一歩アスランから遠ざかった。
「キラ?」
「・・・アスラン、僕は・・・っ」
キラのその言葉を遮るように、今度はキラの手元から電子音が鳴り響いた。
携帯用の小型無線機が電波を受信したのだ。
ガーガーと、まだ幾分電波が悪いながらも、確かに繋がっているようだった。
キラの出しておいた救難信号も電波が回復したおかげで、捜索に出ていたフラガ機に無事発見されたのである。
《 ・・・・ボウズ、聞こえるか?!おいっ・・・・!》
「・・・っ!少佐っっ!!」
《 よかった、無事か!今、そっちに向かうから・・・!》
キラに安堵の表情が浮かぶ。
逆に、アスランは険しい顔を作った。
「キラっっ!」
「・・・アスラン。 僕も機体のところに戻るよ。」
一歩踏み出したアスランに、キラは俯いて小さくそう言った。
「キラ!!」
「ごめん!!」
言いながら、キラはアスランから目を逸らし、その脇を走り抜けようとした。
だが、そのキラの腕をガシっとアスランが掴む。
「待てっ!キラ!!」
「・・・アスラン・・・っっ!!」
「お前がっっ!! 地球軍にいる理由がどこにある?!」
「だから、それはっ!昨日も言ったじゃないか!アークエンジェルには仲間が乗ってるんだ!」
キラは捕まれた腕を振り解こうとしたが、びくともしない。
力では、キラはアスランに到底及ばなかった。
「・・・っつ!放せ!アスランっっ!!」
「キラっ!!!」
アスランは掴んだキラの腕を、力任せに自分の方へと引き寄せる。
バランスを崩したキラは、一瞬アスランの胸に倒れこむような形になるが、すぐさま体勢を整えると腕を突っぱねてアスランの胸を押しやった。
「アスラン・・・っっ!!」
「キラ!! なら、艦を降りればいい! お前も!お前のその仲間も!!
ヘリオポリスでのお前の友達だと言うんなら、そいつらも軍人ではないんだろう?!だったら、艦を降りればいいんだ! そうすればお前があの艦に戻る理由はなくなる!!」
「・・・それは・・・っ!」
キラの瞳が大きく見開いたまま、揺れる。
確かに、アスランの言う事は理に適っていた。
キラも、キラの友達ももとは軍人ではない。
なりゆきでアークエンジェルと行動を共にしているが、今のこの状況こそ不条理なのだ。
地球軍となんて何ら関わりもないのだから、アスランの言うとおりさっさと艦を降りてしまえばいい。
そうすれば、キラがアスランと敵対する事もないし、MSに乗って望んでもいない戦闘をすることなどなくなる。
・・・・だけど!!!
キラは、ぐっと唇を噛み締めた。
艦長や少佐、その他のアークエンジェルのクルー達の顔がキラの頭を掠める。
キラはもう彼らと関わってしまった。
今更、『関係ない』と、どうしてあの艦を降りることなどできよう。
キラがいなくなったら、誰がアークエンジェルを守ることができるのか。
キラが艦を降りるという事は、イコール、アークエンジェルを見捨てるということだった。
そんなこと、キラにできるわけがない。
答えは決まっていた。
「ごめん、アスラン!僕だって、君と戦いたくなんてない!だけど、もう僕はアークエンジェルの一員なんだ!! だから・・・っっ!」
キラは力の限りそう叫ぶ。
そんなキラを見つめるアスランの瞳が、哀しげに揺れた。
と、同時にキラの腕を掴んでいた手の力が緩められていく。
もはやキラは自分の力でアスランの腕を振り切ることが出来た。
自分を解放してくれたことに、キラはアスランが自分のことを理解してくれたのだとそう思った。
だから、アスランが次にどういう行動に出るか、キラには想像できなかったのだ。
「・・・お前はどうあっても、地球軍に戻るというのか。 ならば、仕方がない・・・。」
アスランはやや俯き加減で、言った。
いつもより低く、感情を押し殺したような声で。
キラはそのアスランの様子に瞳を少し見開く。
まだどこか幼さを残すキラの顔を、潮風が撫で茶色の髪が舞った。
キラがアスランに声をかけようとした、その瞬間だった。
「アスラ・・・ うっ・・・っ!!」
ドスッと鈍い音とともに、キラの鳩尾に衝撃が走った。
胃に全ての血液が集中したように、脳から血の気が引いていく。
キラは、恐る恐る自分の腹を見下ろすと、アスランの拳が埋まっているのを見た。
「アス・・・ラン・・・?」
「キラ、お前はオレと一緒に来るんだ。もう地球軍なんかには渡さない!」
キラは気を失うまいと必死に意識を保とうとするが、目の前が闇よりも暗くなってくる。
「・・・アスラ・・・ン、どう・・し・・て・・・・」
アスランは、ズルズルと崩れるように倒れてきたキラの体をしっかりと抱きとめた。
「・・・すまない、キラ。 だけど、こうでもしなければ、お前は・・・。」
意識のないキラの頬にそっと手を滑らせると、目の端に濡れた感触があった。
鳩尾を殴られた苦痛の為か、それとも・・・。
アスランは、キラの左手首から無線機を外すと、海に投げ捨てる。
そして、キラを抱えたまま、イージスへと向かった。
「ニコル、聞こえるか。」
《・・・はい! アスラン! 間もなくそちらへ到着します。》
「ああ、急いでくれ。・・・・それから近くに地球軍がいるはずだから、用心しろ。」
《・・・わかりました。 アスラン、アスラン? 何かあったんですか?》
「・・・ストライクを捕獲した。パイロットとともに―――」
アスランはそう答えた。
腕の中で気を失っているキラを愛しむように見つめながら。
The End
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