いつしか、「幸せ」が日常に溢れて、人はそれに感謝する事を忘れる。
まさにこのオレがそうだった。
何不自由一つない暮らしに恵まれた環境。
優しくて理解ある両親に、オレを支えてくれる多くの友人、幼馴染。
そして、コイビト。
大好きで大切な人たちに囲まれての生活。
学校も、探偵業も、プライベートも。
すべてが満ち足りていた。
これがオレにとっての何より求めていた「幸せ」だったのに。
苦労して、やっと手に入れた「幸せ」だったのに。
それが当り前になりすぎて、失われるかもしれないなんてことを考えもしなくなった。
この「幸せ」を持続させるための努力なんて忘れて。
ずうずうしくも未来永劫そんな「幸せ」が続くだなんて信じて。
だから、これは罰なんだ。
そう、きっと、こんなオレへの罰。
* * * * *
鏡に映った自分の姿を認めたくなくて、傍にあった花瓶を投げつけて叩き割った。
それでも、事実は変わらない。
小さな小さな自分。
それは、かつて「江戸川 コナン」と名乗らなければならなかった頃の。
まさか、とは思った。
忘れるはずも無い、あの心臓が握りつぶされるような痛みは、身体の伸縮の時以外起こりえないから。
でも、またそれが訪れるなんて。
砕けちった鏡の破片の中に、今までの幸せな生活が見え隠れする。
オレの幸せは、今、この瞬間にこの鏡と同じように粉々になった。
そして。
砕けた破片はもう元には戻らない。
だから。
オレも元の幸せな生活には戻れないんだ。
覚悟はできていたはずだった。
そう。こうなることは、ありえないことではなかったから。
解毒剤を完成させた灰原は、あの時何て言った?
『これを飲んでも、あなたが必ず救われるという保障はないわ。
もし身体に何の変化も表れなかったり、元の姿に一時的にしか戻れなかった時はあなた自身の寿命を縮める事になる。
それでも飲む?死ぬかもしれないわよ?』
そう言われて。
それでも、かまわないと覚悟を決めて、一気に解毒剤をあおった。
なのに。
いざとなると、ずいぶんと往生際が悪いものだ。
ぬるま湯のような幸せにどっぷりと漬かりすぎて、そんな覚悟はとっくに消し飛んでしまったのか。
自分がこれほどまでに弱い人間だとは思わなかった。
* * * * *
誰にも会いたくなくて、家を飛び出した。
そのまま、何も考え無しに電車を乗り継いで、行ける所まで行く。
家出だなんて、お笑いだ。
まさか、自分がこんな衝動的な行動を取るなんて。
『工藤 新一』は、もっと冷静沈着なはずではなかったか。
そう思って、ふいに笑いが込み上げる。
まぁ、いいか。今のオレはもう『工藤 新一』じゃないんだから。
そう。
もう『工藤 新一』はどこにもいないんだ。
そうして。
やがてやみくもに歩き回ってたどり着いたのは、小さな湖。
すっかり日が落ちて、月明かりしか辺りを照らすものがない森の中ではさすがにもう人1人いなかった。
水面に映る月に引き寄せられるように、自然に足が水辺に近づく。
すぐそばに広がる真っ黒な湖を見ながら、ふと想像する。
このまま足を止めずに進んでいったら?
こんな小さな体では、水深僅かなところでも簡単に溺れてしまうだろう。
簡単なことだ。
こんな命を終わらせることなんて。
今まで、自殺なんて余程の覚悟や勇気がなければできないものだと思っていた。
でも、そうじゃないんだ。
今なら、わかる。
死ぬよりも、生きることの方がずっと勇気がいる。
死ぬよりも、生きることの方がずっとつらいこともある。
だから。
これは、『逃げ』なんだ。
一度は水面の一歩手前で止まっていた足がゆっくりと前へ進みだす。
スニーカーがすっかり水の中へ沈み、やがて水は足首から膝のあたりへ。
冷たいはずの水温が、どこか他人事のように感じられた。
もうここまできたら何も考えられなくなっていた。
ただ足だけが前へ前へと水を掻き分けて勝手に進んでいく。
けれど。
頭のどこかで、誰かが叫んでいる。
『ニゲルナヨ!!』と。
その声の主が自分自身なのか、それとも他の誰かなのか、
オレにはもうわからなかった。
やがて体の半分までが水に埋まった時、ふと誰かに呼ばれたような気がして振り返った。
そこにいたのは。
月光に照らせれて岸辺に立つ快斗の姿だった。
「・・・!お、まえ・・・!なんで!!」
オレの言葉に快斗は応えない。
ただ真っ直ぐに刃物のような鋭い視線でオレを射ぬいた。
そして、そのまま無言で湖に足を踏み入れる。
ザバザバと激しい水音を立てて近づいてくる快斗に、オレは僅かに後退した。
さすがに小学生のオレと、高校生の快斗とでは歩幅が違いすぎる。
あっという間に距離を縮められて、オレは焦った。
「く、来るな!!来るなって言ってんだろ!!」
快斗に背を向けて再び前へと走り出す。
が、水に足を取られて早く進む事ができない。
「新一!!逃げるなよ!!」
快斗の凛とした声が、湖に響き渡った。
それでもオレは足を止めずに必死で前へ進もうと大きく一歩踏み出した。
直後。
ガクンと一気に体が水に埋まる。
あ!と、思った時には、もう首一つしか出ていない位までの深さになってた。
思わず口に入った水に、むせ返っていると、
いきなり肩を掴まれ、そのまま力任せに振り返らされた。
オレにとっては首まで漬かる水深も、快斗にとっては腰まででしかない。
振り向いた先にいた快斗の顔はやはり凍りのように冷たくて、怒っているように見えた。
その視線に耐えられなくて、思わす目を逸らす。
「・・・お前、驚かないんだな・・・。オレの姿、見ても。もしかして・・・知ってたのか?」
「・・・ああ。哀ちゃんから聞いてたからな。
こうなることも無くは無いって、覚悟はしていたよ?」
「・・・ツっ!」
快斗の言葉にチクリと胸が痛む。
すべてを知られていたことに。
そして、自分と同じような覚悟を快斗にもさせてしまっていたことに。
けれど、実際には自分にはその覚悟ができていなかったという甘さに。
「・・・オレ、もう元の姿には戻れない。」
「・・・ああ。」
「・・・たぶん、そう長くも生きられないんだ・・・。」
「・・・そうだな。」
快斗はオレの言葉に穏やかに頷きながら、綺麗に微笑んだ。
「・・・新一はどうしたい?新一の人生だ。好きに決めていいと思うぜ?死ぬのも、生きるのも。選択権は新一にある。
でも一つ言っとくけど、死ぬのは『逃げ』だぜ?
いつでもできる。簡単なことだ。
新一は逃げるのか?」
快斗の言葉がそのまま胸に突き刺さった。
『オマエハ、ニゲルノカ?』と。
わかっている、本当は。
逃げたくなんかない。
「このまま入水自殺を図る気なら、最後まで見届けてやるぜ?」
快斗の言葉に苦笑する。
「・・・趣味の悪いヤツ・・・。」
言いながら、見上げた快斗の顔が霞んではっきり見えない。
瞬きをすると、何か熱いものが頬を伝い、ぽたりと水面に落ちて波紋を作る。
本当は。
死にたくなんかない。
本当は。
このままずっと
快斗と・・・・。
快斗の手がゆっくりオレの頬に触れる。
その温かさに、ますます目頭が熱くなっていくのを感じた。
「・・・新一。」
優しい声で名前を呼ばれて顔を上げると、羽のようなキスが降りてきた。
そしてそのまま快斗は、水中からオレを抱き上げる。
「・・・お前、ズルイ。お前に見られてたんじゃ、オレが死ねるわけないの、わかってて来たんだろ・・・?」
「・・・そりゃあね。オレは新一に死んでほしくないし。
これからも、新一が妙な気を起こさないように、ずっと一緒にいてやるよ。」
快斗の肩に顔をうずめたままのオレを、優しく抱きしめてくれる。
「・・・でも、、オレ、快斗を置いて先に逝くよ?」
「・・・そうだな。でも、まだその時じゃないだろう?まだ時間はある。
このオレがきっとそれまでになんとかしてみせる。」
快斗の言葉に、また胸が熱くなった。
・・・ああ。
自分はこんなにも愛されて、こんなにも幸せなんだ。
オレの幸せはまだこんなにも続いてる。
きっといつか最期を迎えるその瞬間まで、ずっと続くんだ。
だから。
たとえ人よりその時間が短かったとしても、悔やむ事なんてない。
残された時間を精一杯生きよう。
愛する人と共に。
「・・・ありがとう、快斗。オレ、もう逃げない。」
涙に濡れる瞳を伏せて、オレは自分の唇を快斗の温かいそれへと重ねた。
* * * * *
その後、工藤新一と黒羽快斗は一切の消息を絶つことになる。
警察の必死の捜索にもかかわらず、彼らが発見される事はなかった。
END
puchanさまからのリクノベル!!
リクエストは以下のとおりだったのですが・・・。
快斗の前から姿を消す新一。
快斗が探し出した時、コナンに戻っている。
自虐的で自殺志願者なコナンを宥める快斗!
要するに果てしなくダークな感じなものをお求めだったと思うんですよね?
が、しかし。
書きあがったもの、これは一体?!
自分自身の率直な感想・・・。
なんて中途半端なダーク!!それとも切ない系なのか!?
ご、ごめんなさい!!かなり外してますね!!
でも、これで許していただけますか?(苦笑)