「キッド!無事か?!」
                  
                  「・・・何とかね。」
                   
                  
                   塔の屋根までわざわざ上ってきてくれた名探偵を、オレは苦笑して向かえた。
                  
                   見れば、名探偵の衣服もあちこち切り刻まれて、血が滲んでいる。
                  
                  
                   右腕の傷が一番酷い様だが、まだ銃を右で使えているところからして、そう大事ではないのかもしれない。
                   
                  
                  「名探偵こそ、怪我してるね。」
                  
                  「・・・お前ほどじゃねーよ!」
                  
                   確かに。
                   
                  
                  
                   オレは折れたあばらが肺に刺さらないよう気をつけながら、よっこらしょと立ち上がった。
                  
                   ふらつく体を気力で支える。
                  
                   冷や汗が頬を伝った。
                   
                  
                  「お前、大丈夫なのか?」
                  
                  「・・・まぁね。」
                   
                  
                   心配げにオレを覗き込む名探偵に、にっこり笑って見せる。
                  
                   もちろん、半分は演技だ。
                  
                  
                   折れたあばらは、呼吸の度に胸を締め付けるように痛むし、左腕も肉を裂かれた部分から血が止まらない。
                   
                  
                   それでも。
                   
                  
                   目の前にコイツがいるだけで、少し安心した。
                   
                  
                   不思議だ。
                  
                  
                   こんな窮地の場面で、名探偵がのこのこ現れたって、わざわざ死にに来るようなものなのに。
                   
                   
                  
                  「それより名探偵、何で出てきた?死にたいのか?」
                  
                  
                  「何言ってやがるっ!お前一人じゃ、それこそ見殺しにするようなもんだろ!」
                  
                  「・・・言ってくれるね。」
                   
                  
                   オレはクスリと笑った。
                  
                  
                   名探偵はビスク・ドールに向き直ると、銃口をヤツに定めて口を開く。
                   
                  
                  「キッド、お前、サファイアは?」
                  
                  「ここに。」
                   
                  
                   オレは胸ポケットの上からソレを押さえて、微笑んだ。
                   
                  
                  
                   すると、前方のビスク・ドールがマリンブルーの瞳を細めてニヤリとする。
                   
                  
                  「死にたがるヤツが一人増えたな。オレは構わないが。面倒だから、お前ら束でかかって来いよ。」
                  
                  
                  「確かに。お前相手じゃ、二対一が卑怯だなんて言ってられないな。それではお言葉に甘えて。」
                   
                  
                   オレも再びトランプ銃を構える。
                   
                  
                   と、目の前の黒い影が軽快なステップを踏む。
                   
                  
                  
                   名探偵の銃が火花を散らしたのと同時に、ビスク・ドールの体は空中へ舞い、オレも地を蹴った。
                  
                   交差は、音を生まなかった。
                  
                   互いに相手のいた位置に着地すると、反転し睨み合う。
                  
                  
                   すると、オレの頬にすっと赤い線が走り、それが顎を伝って下に滴り落ちる。
                   
                  
                  「お見事だな、キッド。3度斬って、1つだけとは。だが、今度は逃げられない。お前の技もスピードもオレはもうとっくに見切ったよ。」
                  
                   青い瞳が残忍な光を帯びた。
                   
                  
                   そのとおり。
                  
                   見切られている。オレの動きは全て。
                   
                  
                   赤い唇が上へとつり上がった。
                   
                  
                  「石を渡せ。そうすれば、今回は見逃してやる。」
                  
                  「やだね。取り返すのが面倒くさい。」
                   
                  
                   オレの返事にビスク・ドールは嘲笑を浮かべた。
                  
                  
                   オレへの新たな一撃は、後方から名探偵の援護射撃によって阻まれる。
                   
                  
                   名探偵の銃の腕前は確かだ。
                  
                   だが、それさえもビスク・ドールは軽やかにかわした。
                   
                  
                  
                   すぐさまオレの横に走りこんできた名探偵は、銃を構えながらこっちを見た。
                   
                  
                  「どうする?」
                  
                  「どうしよう?」
                   
                  
                  
                   肩を竦めて見せたオレに、名探偵は何も策はないのか?と言いたいげな呆れた眼差しを送ってきた。
                  
                   そんな顔しなくても。
                   
                  
                  
                  「獲物もいただいてるし、オレとしてはこのまま名探偵をつれて、ズラかりたいところなんだけどね。」
                  
                  「そんなワケにいくか!立光さんもいるんだぞ!」
                   
                  
                   そう、ソレ。それが厄介なんだよなぁ。
                   
                  
                  
                  「だから、今回の仕事は諦めろって言ったんだ!無駄なケンカを売りやがって。こうなることくらい、最初からわかってただろ?!」
                  
                   舌打ち1つ、名探偵がオレを睨む。
                  
                   憎まれ口だが、愛情の裏返しと受け取っておくとして。
                  
                  
                  「そうは言うけどね、名探偵。名探偵一人でアイツの相手はキツいでしょ?」
                  
                   少しは感謝してほしいなぁ。
                  
                  
                   ウインク付きでそう言ってやると、バーローという暖かい言葉が返ってきた。
                   
                  
                  「クソっ!どうすりゃいいんだ!」
                  
                  「さぁ・・・? どうしようもないね。」
                   
                  
                  
                   忌々しく呟く名探偵に、オレはさして追い詰められた風でもなく肩を竦める。
                   
                  
                   オレ達の不毛な会話に、ビスク・ドールが声を立てて笑った。
                   
                  
                  
                  「さて、そろそろ行かせてもらう。良い対策が思い浮かばなくて、残念だったな、キッド。」
                  
                   ヤツの言葉に、オレもまったくだと頷いた。
                  
                  「せめて、何かヒントだけでも教えてくれると助かる。」
                  
                  「バカが。」
                   
                  
                  
                   ビスク・ドールは吐き捨てるようにそう言うと、その手に煌くナイフを掲げた。
                   
                  
                   今、どうあがいてもアイツには勝てない事はわかっている。
                   
                  
                   それでも。
                   
                  
                   オレは自分のすぐ横に立つ人物を見た。
                  
                   蒼い瞳を持つ、名探偵のその横顔を。
                   
                  
                   それでも、名探偵だけには手出しはさせない。
                   
                  
                   オレは、血の滴る左手の拳をグッと握り締めた。
                   
                   
                  
                  
                   すると、何を思ったか、名探偵がいきなりビスク・ドールに向かって駆け出した。
                   
                  
                  「バカ!よせっ!名探偵っっ!!」
                  
                   オレの制止も聞かずに、名探偵は迷わず飛び込んで行く。
                  
                  「お前が援護してくれるんだろう?」
                  
                  
                   そう振り向いたヤツの口元には、自信たっぷりな微笑が張り付いていた。
                  
                  「しっかり頼むぜ!キッド!!」
                  
                  
                   言いながら、左手首の時計を見せた名探偵の意図をオレは理解する。
                   
                  
                   あの時計型麻酔銃を使うつもりか。
                  
                   クスリは強化してきたんだろうな?!
                   
                  
                   あー!!クソっ!!
                   
                  
                   オレは脇腹に力を込めて、トランプ銃を構える。
                  
                  
                   名探偵に迫り来るナイフ目掛けて、カードを発射し、何とか軌道を逸らせた。
                  
                   ビスク・ドールの懐に飛び込んだ名探偵が狙撃する。
                  
                  
                   身を翻して跳躍するビスク・ドールは、次の攻撃を避ける体勢にはなかった。
                   
                  
                   だからこそ、この瞬間を名探偵は狙ったのに。
                   
                  
                   黒く優美な肢体は、信じられない角度で名探偵に向き直った。
                  
                   神業だ。
                   
                  
                  
                   能面のように不気味なほど白い顔が間近に迫り、名探偵はその瞳を見開く。
                  
                   獲物を捕捉した人形のような眼が、邪悪な色を灯した。
                   
                   
                  
                   ヤバいっっっ!!! 名探偵っ!!!
                   
                   
                  
                   思うより先に、体が反応していた。
                   
                  
                  
                   名探偵のもとへ、オレが一気に飛び込んだその時、不意にギィと金庫室の扉が開いた。
                  
                   思いもかけないことに、オレ達3人の視線は金庫室に向けられた。
                  
                   と、中からおどおどと立光社長が顔を出す。
                   
                  
                   何やってんだ、あの人はっっ!
                   
                  
                  「バッ・・・!!今、出てくるな!!!」
                  
                  「た、立光さん!何してるんですっ!早く中に戻って!」
                  
                   オレと名探偵が口々に声を上げる。
                  
                  
                   オレ達の声に立光社長は、ビクリと肩を震わせると足を止めて、こちらを見上げた。
                  
                  「・・・あ。いや、その・・・。まだ終わらないのかね?」
                   
                  
                  
                   窓もない金庫室に閉じ込められていた彼は、現状がわからなくて不安で耐え切れず、
                  
                  
                  どうにも出てきてしまったようだが。
                   
                  
                   これでは、ビスク・ドールのいい的になるだけだ。
                   
                  
                  
                   オレがハッとして、視線をビスク・ドールに向けるとヤツは嫌な笑いを1つ。
                   
                  
                  
                   すぐ手をかけられるところにいた名探偵を放り出し、軽やかに宙へその身を躍らせた。
                   
                  
                  
                   あっ!と思った時には、ヤツはもう立光社長の背後に舞い降りていた。
                   
                   
                  
                  「・・・立光さんっっっ!!」
                  
                   慌てて名探偵が、立光社長のもとへ駆け寄ろうとする。
                   
                  
                   だが、もう間に合わない。
                   
                  
                  
                   立光社長の首すじには既にぴったりと、銀の刃が押し当てられている。
                   
                   
                  
                  「ひぃぃっっ!!」
                  
                   なさけない悲鳴が上がった。
                   
                  
                   ビスク・ドールはその後ろで、この上なく残虐な笑みをしている。
                  
                   完全に殺しを愉しんでいる眼だった。
                  
                   もう、いつナイフを突き立てられてもおかしくない。
                   
                   
                  
                  「やめろーーーっっ!!!」
                   
                  
                   名探偵が絶叫した。
                   
                   
                  
                   クソっっ!!
                   
                   
                  
                  
                   オレは胸元に手を突っ込むと、ソレを掴んでヤツ目掛けて投げつけてやった。
                  
                   と、ビスク・ドールの刃がいったん立光社長の首元から離れる。
                  
                  
                   青く煌く石がヤツの手に吸い込まれていくのを見届けた後、オレはヤツを見据えた。
                   
                  
                  「・・・やめろ!石はくれてやる。だから、今回は退け。」
                  
                  「・・・キッドっ!お前っ・・・!!」
                   
                  
                   名探偵が、目を剥いてオレを振り返った。
                  
                   だが、オレの視線はビスク・ドールに向けたままだ。
                   
                  
                   すると、ヤツはその赤い唇を歪めて笑った。
                   
                  
                  
                  「へぇ?コイツが『矢車菊の青』か。たいしたことないな。が、もらっておく。」
                  
                  「・・・なら、さっさと消えろ!」
                   
                  
                   そうオレが低く唸ると、青い瞳がすっと細められた。
                   
                   
                  
                   そして。
                   
                  
                   甘く歌うような声で、ヤツは言った。
                   
                  
                  「・・・甘いな。」
                   
                   
                  
                   瞬間。
                   
                   
                  
                  
                   ビスク・ドールの右手の刃が閃くと、立光社長の首から鮮血が噴水のように湧き出た。
                  
                   立光社長は硬直してした。白目を剥いている。
                  
                  
                   勢い良く血を撒き散らした彼は、やがて力尽きたようにばったりと倒れ、それ以降、動く事はなかった。
                   
                  
                  
                   オレと名探偵はただ声もなく、その惨劇を見つめているしかなかった。
                   
                  
                  
                   さっきまで動いていたはずのその肉体は、もう二度と動かない死体にオレ達の目の前で変わったのだ。
                   
                   
                  
                   呆然としたままの顔で、名探偵がガックリと膝を折る。
                  
                  「・・・そ、そんな・・・。」
                   
                  
                   消え入りそうな名探偵の声に、背後からいくつかの声が重なった。
                   
                  
                  「く、工藤君!!無事かっっ!!」
                  
                  
                  「今、そっちに行く!キッドもビスク・ドールもそこを動くなよ〜っっ!!」
                   
                  
                   どうやら、捜査1課と2課の方々がお目覚めになったらしい。
                  
                  
                   塔へと続く渡り廊下を目指して、必死で駆けてくる彼らの姿が、肩越しに振り返ったオレの瞳に映った。
                   
                   
                  
                   だが、オレはすぐに前へ向き直る。
                  
                   目の前では、名探偵が力なく両膝をつき、俯いていた。
                   
                  
                  
                   その向こうには、血みどろのナイフを舐め取っているビスク・ドールの姿。
                   
                   
                  
                   オレは無言で、ヤツを見つめた。
                   
                  
                   ポーカーフェイスを纏う必要などない。
                  
                  
                   本当に怒りを感じている時は、人は案外無表情なのだと、オレは思い知った。
                   
                   
                  
                   オレの視線にヤツはニヤリとし、血の海の中に倒れる
                  立光社長の体から離れると、軽く塔の屋根の上まで飛び上がってきた。
                  
                  
                   そして、こちらへ向かってくる警察の方を見ると、胸元から何かを取り出し、それを塔へと続く渡り廊下へ投げつける。
                   
                  
                   すると。
                   
                  
                  
                   凄まじい爆音とともに、渡り廊下は一気に炎に包まれた。火はあっという間に塔の方までも燃え広がる。
                  
                   激しい炎の壁に、中森警部も目暮警部も立ち往生した。
                  
                  「くそ〜っっ!何だっ!この炎は!!」
                  
                  「おいっ!消火器だ!!早く火を消せ〜!!」
                   
                  
                  
                   慌てふためく警察連中を見て、ビスク・ドールは嘲るように笑った。
                   
                  
                  
                  「仕事は終わった。報酬もこのとおり受け取ったし、今日はこれで失礼しよう。」
                  
                   ヤツが言っているそばから、激しい炎がどんどん塔を包んでいく。
                  
                   オレ達の居る場所は、すでに火の海と化していた。
                   
                   
                  
                  
                  「じゃあな、キッド。今日はいい返事を聞けなかったが、お前はいずれオレのものだ。次は期待している。ま、それもこれもお前達がここから生きて帰れたら、の話だがな。」
                   
                  
                  
                   赤い唇がニヤリと嫌な笑いを象り、そうして残忍な顔をした人形は炎の中に掻き消えた。
                   
                  
                  
                   
                  
                  
                   
                  
                  
                   燃え盛る炎の塔の上には、オレと名探偵、そして立光社長の死体だけとなった。
                   
                  
                   跪いた名探偵は、相変わらず立ち上がろうとはしない。
                   
                  
                   だが、そろそろこちらも退散しないとヤバイ。
                  
                  
                   オレは降りかかる火の粉を払いながら、名探偵の方へと足を進ませた。
                   
                  
                   俯いている名探偵の顔は、立っているオレからはよく見えない。
                  
                   もしかして、泣いているのかとも思った。
                   
                  
                  
                   地についた手は怒りか悲しみか、震えるほど硬く握り締められている。
                   
                  
                  「・・・立てるか?」
                  
                  
                   オレの声に名探偵は小さく肩を震わせると、そのままスッと立ち上がった。
                   
                  
                   背を向けていたヤツが、ゆっくりとオレに向き直る。
                  
                  
                   俯いていた顔を上げると、蒼い瞳が僅かに濡れているように見えた。
                   
                  
                   傷ついているんだろうな、と思った。
                   
                  
                   立光という人物の死に。
                  
                   守りきれなかった命に。
                  
                   たとえ、それがどんな人だろうと。
                  
                   コイツは優しいから・・・。
                   
                  
                  
                   それでも、気丈に立ち上がった名探偵を見て、オレはやるせない気持ちになった。
                   
                  
                   揺るがない蒼い瞳が、真っ直ぐにオレを捉えて言う。
                   
                  
                  「・・・アイツは絶対に許さない!」
                  
                  「・・・ああ。」
                   
                  
                   ゆっくりと頷いた後、オレは周囲にを立ち込める炎を見回した。
                   
                  
                  「さて。とりあえずはここから脱出しなきゃだけど。」
                  
                  
                  「そうだな。ずいぶんと火の回りも速い。このままじゃ二人とも黒こげだ。」
                   
                   
                  
                  
                   言いながら、名探偵は渡り廊下で必死で消火活動している警部達のもとへ視線を投げる。
                   
                  
                  「・・・この分じゃ、応援は間に合いそうもないな。
                  ってことは自力しかないか。キッド、お前、まだ飛べるのか?」
                  
                  「・・・うーん、そうだねぇ。」
                   
                  
                   オレは完全に炎に封鎖された渡り廊下を見、それからダルい体を引きずって、塔の端から断崖絶壁のその地形を改めて見下ろした。
                   
                  
                   はるか下に見える海までは、ゆうに200メートル。
                  
                   ここから飛び込んだら、死ぬな。間違いなく。
                   
                  
                   さて、困った。
                   
                  
                   オレは肩越しに、小さく名探偵を盗み見る。
                   
                  
                   実はオレの左腕は、もうほとんど動かない。
                  
                  
                   あばらもヤラれてるし、アイツを抱えてここから飛行するのは、どう考えても無理な相談だった。
                   
                  
                   と、なると・・・。
                   
                  
                   オレは名探偵へ向き直った。
                  
                   マントを留めている胸の飾りへと手をかけながら。
                   
                  
                  「・・・名探偵、・・・。」
                  
                  「イヤだ。」
                  
                   まだ、何も言ってねーよ!
                   
                  
                   あまりに早い切り替えしにオレは眼を見張ったが。
                  
                   名探偵は淡々と続ける。
                   
                  
                  「オレだけ、ここから逃がすつもりだろう? イヤだ。オレは一人では行かないぞ。絶対!」
                  
                   さすがは名探偵。大した推理力だ。でも。
                  
                  
                  「そう言われてもね。オレにはもう飛べるだけの体力が残ってない。他に道はないよ。」
                  
                  「だったら!オレがお前を抱えて飛んでやる!!」
                  
                   無理だね。うれしいお言葉だけど。
                   
                  
                  
                  「グライダーの二人乗りはバランスが大事だ。名探偵も利き腕をヤラレてるだろう?それじゃ、人一人支えて飛ぶのは無理だよ。二人ともまっさかさまなのがオチさ。」
                  
                  
                   そう言って、マントを外し差し出してやったが、名探偵は受け取らない。
                  
                  「もうあまり時間がない。とにかく行けよ、名探偵!」
                  
                   無理矢理押し付けると、この野郎、下に捨てやがった。
                   
                  
                  
                  「オレがグライダーを使ったら、お前はどうするんだ?!キッドっ!!」
                  
                  「何とか・・・。別の脱出方法を考えるよ。」
                  
                   まだ、考えてないけど。
                   
                  
                  
                   明後日の方向を見るオレに、名探偵はますますヒートアップしていく。
                   
                  
                  
                  「デタラメ言うな!そんなウソに騙されるとでも思ってるのか!お前こそ、一人でならまだ飛べるんじゃないのか?!だったら、オレを置いていけよ!!」
                  
                  「そんなこと、できるわけないだろっ?!」
                  
                  「なら、オレが一人で行けないのもわかれよっ!!」
                   
                  
                   名探偵の声が炎で照らされた夜空に響き渡る。
                   
                  
                   オレ達は、お互いに一歩も引かない状況で見詰め合っていた。
                  
                   事態は、これ以上になく緊迫している。
                   
                   
                  
                   なのに。
                   
                  
                   どうしよう。うれしい。
                   
                   
                  
                  
                   堪らなくこの場で名探偵を抱きしめたい衝動にオレが駆られた時、バラバラというプロペラの音が耳を裂いた。
                  
                   ヘリだ。
                   
                  
                  
                   『警視庁』とドハデに描かれたヘリが、オレ達の頭上へとやって来ていた。
                   
                  
                  
                  《おーい!!工藤君!無事かね?!今すぐはしごを下ろすから、待っててくれ!!》
                  
                  
                  《キッドっっ!お前もとりあえず上がって来い!お前を見殺しにするわけにはいかんからな!!》
                   
                  
                   メガホンでそう喚き立てるのは、目暮警部と中森警部。
                   
                  
                   呆けた顔でヘリを見上げていると、名探偵にグッと腕を捕まれた。
                   
                  
                  「来いよ!キッド!!ここで死ぬつもりか?」
                  
                  「まさか!」
                   
                  
                   ニヤリと笑う名探偵に、オレも笑顔を返す。
                  
                  
                   そうして、投げ出された縄はしごを伝い、オレ達は炎の塔から脱出を果たしたのだった。
                   
                   
                   
                  
                  
                   
                  
                  
                   さて、警部達が同乗するヘリに乗り込んで、オレの身の上が危険でないはずはない。
                   
                  
                  
                   だが、オレが直接手を下すまでもなく、名探偵が先に動いてくれた。
                  
                  
                   ヤツご自慢の麻酔銃で、片っ端から彼らを眠らせると何食わぬ顔でヘリを操縦し始めてしまったのだから、オレは空いた口が塞がらない。
                   
                  
                   案外、悪党だよな、コイツも・・・。
                   
                  
                  
                   しかも、一体、この状況を後でどう言い訳するのかと訊ねたら、今の自分はキッドの変装だったということにすると、飄々と言ってのける始末。
                   
                  
                   ・・・さすがだ。
                   
                   
                  
                  
                   
                  
                  
                   
                  
                   そうして。
                   
                  
                  
                   ヘリは、立光社長宅から少し離れた森の中の平地へ静かに降り立った。
                  
                  
                   ヘリから出たオレは、外の涼しい空気を肺に入れようとして失敗する。
                   
                  
                   そういや、あばらをやられてたんだった。
                   
                  
                  「いやいや、今回ばかりは警部達に救われたね。」
                  
                  
                   気を取り直してシルクハットを取りさると、指先で回転させながらオレはそう言った。
                  
                   そんなオレに名探偵も薄く微笑む。
                  
                  「ほんとにな。けど・・・。」
                   
                  
                   蒼い瞳は、遠くに燃え盛る立光の屋敷を映して、悲しげに揺れた。
                  
                   が、そんな悲しみを隠すように、名探偵がオレを見た。
                   
                  
                  
                  「・・・お前、『矢車菊の青』、どうするんだ?『パンドラ』かどうか、確かめてなかったんだろう?」
                   
                  
                   そのとおり。
                   
                  
                   オレは名探偵を見、頷いた。
                  
                   そうして、にっこり笑ってやる。
                   
                  
                  「アレはオレの獲物だからね。奪いに行くさ。近いうちに・・・。」
                  
                   それを聞いて、オレを映していた名探偵の目が大きく見開く。
                  
                  「・・・本気か?」
                  
                  「ああ、ヤラレっぱなしは性に合わないんでね。」
                   
                  
                  
                   そう不敵に微笑んで見せると、目の前のオレによく似た顔が、オレと同じ様に笑った。
                  
                  「オレも。ヤラレっぱなしは性に合わない。」
                  
                  「気が合うね、名探偵。」
                  
                  「・・・そうだな。」
                   
                  
                  
                   
                  
                   お互い静かに笑い合う。
                  
                   多分、この時、胸にあった想いは同じだったろう。
                  
                  
                   
                  
                  
                   
                  
                   秘めた決意も。
                   
                  
                  
                   
                  
                  
                   
                  
                  
                   
                  
                  
                    リベンジを誓いあったオレ達の頭上には、先ほどまで雲に隠れていたはずの月が顔を出していた。
                  
                  
                   
                  
                   オレは名探偵に背を向けた。
                  
                  
                   
                  
                   夜は、まだ明けない。
                   
                  
                   
                  
                   青白い月明かりだけが、そこには充ちていた。
                   
                  
                  
                   The End