「・・・キッドを放せ!!でないと、次は外さないっ!!」
オレの声が闇に響き渡った。
銃口は真っ直ぐにビスク・ドールに向いている。
瞬間、静寂が訪れた。
オドシでもハッタリでもなく。
オレは本気だった。
すると、能面のような表情でヤツがスローモーションのようにゆっくりとオレの方を振り返った。
眼光鋭い青い瞳が、真っ直ぐにオレを射る。
「・・・よ・・せっ!!名探偵っっ!!」
苦しげな息を吐きながらキッドが叫ぶが、それを許さないかのようにビスク・ドールがもう一度蹴りを加える。
起き上がりかけた白い体が再び沈んだ。
激しく咳き込んで、やがてその口から血も吐き出す。
そうしてキッドが腹を抱えたまま動かなくなると、改めてビスク・ドールがオレの方へを向き直った。
「・・・・そんなに先に死にたいか?オレはどっちでも構わないが。ああ、でもお前を先に殺ったら
その後、キッドがどんな顔をするか面白そうだ。」
言いながら、ビスク・ドールは一歩ずつオレに近づいた。
ヤツが近づくのと同時にオレは一歩ずつ後退する。銃口はヤツに向けたまま。
そのままビスク・ドールを倒れたままのキッドから引き離す。
と、同時にオレは後方をチラリと見やり、そう遠くないところに屋上のフェンスがあることを確認していた。
・・・まともにやりあったんじゃ、とても勝てない。
このままフェンスぎりぎりまで後退して、アイツを近くまでおびき寄せることができたら・・・!!
オレは血の滴る右足を見た。
さっきヤツのナイフがつけた傷。
痛みはあるけど、動かせないほどじゃない。
勢いをつければ、なんとか・・・・!!
「・・・どうした?撃たないのか、名探偵?」
そう不気味に笑いながら、殺意に満ちた青い眼がどんどんオレの方へ迫ってくる。
さらに後退しようと伸ばした足のかかとがとうとう壁にぶつかって、もう後がないことをオレに告げた。
・・・よし!ここからが、勝負だっ!!
壁際に獲物を追い詰めて、ヤツの青い眼が楽しそうに笑う。 まるで狩りを楽しむように。
さらに近づくビスク・ドールが完全にオレの間合いに入った。
この時を待っていたオレは、ギっとヤツを見据えて、そのまま引き金にかかる指に力を込める。
ビスク・ドールの白い手がこっちへ伸びてきた瞬間、オレは引き金を一気に引いた。
弾丸がヤツの頬を掠めていく、その刹那。
オレは体を捻りその反動を利用して、思いっきり右足でヤツの首元を蹴り飛ばしてやるつもりだった。
いくら動きが速くたって、撃たれた直後では少しは反応が遅れると、そう思ったからだ。
だが。
ビスク・ドールのスピードは、オレの予想よりはるかに上回っていた。
血を撒き散らしながら振り回したオレの右足は見事にかわされ、銃を持っていた手は
ガシャンとフェンスに強く叩きつけられる。 その衝撃に銃はオレの足元へ転がった。
「・・・あっつっ!!」
痛みに顔をしかめると、ビスク・ドールのクスクス笑う声が聞こえた。
「残念だったな、名探偵。なかなか良いアイデアだったが・・・。」
・・・くっそ!!どうにもならねぇのかよっっ!!
絶対的な敗北感がオレを襲う。
悔しくて唇が切れそうな程噛み締めしめながら、ヤツの顔を睨みつけた。
白い陶器のような頬がぱっくり割れて、鮮血が零れ落ちている。
「お前が銃の腕も確かな事はよくわかったよ。だが、なぜ狙いをわざと外す?
最初からきちんと撃っていれば、もしかしたらもう少しまともにやりあえたかもしれないのに。使える腕を持っていながら使わないなんて、お前もキッドも本当にバカとしか言い様がないな。」
「うるさいっ!!」
オレが怒鳴るとヤツは声を立てて笑い、そして銀色に輝くナイフを目の前に翳した。
「これほど腕が立つなら、立派な殺人鬼になれたのに。・・・ま、言うとおりにならないおもちゃは嫌いでね。 悪いが殺す!」
ガラス玉のような瞳にすさまじい狂気の光が宿り、ヤツのナイフを持つ手が振り上げられる。
万事休す!!
銃も無い。
逃げ場も無い。
ヤツを蹴り倒せるほどの力は、もうオレの右足には残っていない。
これで、終わりなのかっ?!
そう思った時、視界の端に白い影が走った。
・・・・・・キッドっっ!!? まだ動けたのか?!
瞬間、オレの瞳が捕らえたのは、いつもの不敵な笑みを浮かべたキッドの顔。
・・・・・アイツ、笑ってる?
・・・・・そうだよな、まだ終わっちゃいない!!
オレもニッと笑った。
ビスク・ドールが背後のキッドの気配に気付く。
キッドが下に転がったトランプ銃を拾い上げ、1発、オレとヤツの間に撃ち放ったのは、そのすぐ後。
ナイフを持つビスク・ドールの白い手を、トランプが掠めて夜空へ消えた。
そのキッドの攻撃に、一瞬ビスク・ドールの動きが止まる。
間髪入れずにキッドの2発目のトランプがビスク・ドールの腕を襲う。
それをヤツがかわしたところ目掛けて、オレはもう一度右足を振り上げた。
・・・ケガのせいで大した威力はないけど、それでも腕一本くらいなら!!
鈍い音を立ててオレの足が、ビスク・ドールの手首にキマる。
それでもヤツはオレの蹴りを手首で受け止め、ナイフを落とすまでには至らない。
・・・ヤロー!なんてパワーだっっ!!
腕一本で足をグイっと力で押し戻されて、オレはギッとヤツを睨んだ。
だがそこへ、キッドのトランプ銃の3発目が鋭く切り込むと、ビスク・ドールの手から
ナイフを吹き飛ばしていった。
銀色のナイフがくるくると回転したまま、はるか彼方へ飛んで行く。
「・・・ちっ!!」
ビスク・ドールがそう舌打ちをし、新たなナイフに手をのばしたところで、その動きが止まった。
ヤツの首元に、後ろから一枚のトランプのカードが突きつけられていたからだ。
ビスク・ドールの頚動脈の位置にピッタリと当てられているのは、スペードのエース。
左手の人差し指と中指の間にそのカードを挟んで、キッドは薄く笑っていた。
・・・・キッドっっ!!
■ ■ ■
「・・・動くと切るよ。」
カードをじっと見つめたまま、キッドが静かに言った。
それを聞いて、オレの眼前にいる青い眼がうれしそうに笑う。
「ようやく本気になったか。だが、お前がオレを殺すよりも先に、オレは名探偵を殺すぞ?」
ギラリと殺気に輝くビスク・ドールの瞳にオレの顔が映る。
そこに。
「できるかな?」
と、静寂の笛みたいな声が後ろからした。
眼前のビスク・ドールの細い眉が僅かにつり上がる。
「・・・なんだと?」
「できるかな、と。」
キッドの表情からは、何の考えも読み取れなかった。
一瞬の沈黙の後、再びキッドが口を開いた。
「頚動脈を切り裂かれたことがあるのか?」
「いや。」
ビスク・ドールは、そっと答えた。 それを聞いて、キッドがにっこりする。
「たとえ、どんなにお前が速く動けたとしても、だ。
首を切られていつもと同じというわけにはいかないだろう?その隙をこの名探偵が見逃すと思うか?」
キッドの言葉に、ビスク・ドールは目を細めて静かに笑った。
「・・・だが、オレが動けないという保証はどこにもない。やってみないことにはな。」
すると、キッドがオレを見、穏やかに笑う。
・・・おいっ!!キッド!お前っっ・・・本気か?!
一呼吸置いてから、キッドは静かに言った。
「・・・・・試してみるか?」
キッドのその言葉にオレは息を呑んだ。
瞬間。
目も眩むような激しい光がオレ達を照らした。
《 えー、私は警視庁捜査1課警部の目暮だ!!このビルは完全に包囲した!!大人しく工藤君を解放して、投降しろ!!》
・・・・め、目暮警部っっ?!
照明で真昼のように照らされて、オレは目を細めながら周囲を見渡した。
すると。
オレ達のいる屋上は、まわりのビルに設置された多くのライトに取り囲まれている。
その周囲には警察の特殊部隊か。
いつでも狙撃できるよういっせいに銃がこちらに向けられていた。
・・・・応援が来てくれたんだっ!
オレが警部を見上げるのと同じように、ビスク・ドールもキッドも体はそのままに目線だけ上に向ける。
ビスク・ドールはそのマリン・ブルーの瞳を少し細めながらも、左右に目を動かし状況を確認しているようだった。
と、ちょうどその時、オレ達から少し離れた昇降口付近で上がっていた炎の向こうに
消火器を持った中森警部らの姿も見えてきた。
激しく燃えていた火もようやく沈静化してきたみたいだ。
「工藤君っっ!!大丈夫かっ?!今、そっちに行くからなっっ!!」
「・・・中森警部っ!!」
僅かに残る炎を飛び越えて、中森警部らがこちらへかけてくる。
「おい、こら、貴様っっ!!ビスク・ドールとか言ったなっっ!!もう逃げられんぞっっ!観念しろっっ・・・!」
ビスク・ドールに銃を構える中森警部は、今、どうにも動く事のできない状況にあるオレ達の姿を見て少々眉をつり上げる。
ま、そりゃそうだろう。
オレのすぐ目の前には、凶悪な殺人鬼のビスク・ドール。
そして、その後ろにはビスク・ドールの首にトランプを突きつけるキッドだなんて。
「・・・あ、えぇ〜っと、キッド!お前もだ!お前も工藤君から離れろっっ!!」
なんだかよくわからないような顔をしながら、中森警部が叫ぶ。
彼的にはビスク・ドールもキッドもまとめて逮捕したいところだろうが。
オレの頬を伝って、汗が流れ落ちた。
すぐそばには、にじり寄る中森警部ら。
そして、周囲のビルからはビスク・ドールに投降を呼びかける目暮警部の声。
ビスク・ドールは躊躇した。
一秒。
ガラス玉のようなマリンブルーの瞳が、フッと微笑む。
「・・・邪魔が入ったが、かえってよかったのかもしれないな。」
言葉だけ残して、ビスク・ドールはオレの前から屋上のフェンスの上に跳んだ。
オレとキッドはヤツを見上げる。
目が合うと、ニヤリと笑いやがった。
次の瞬間、何かが小爆発するような音がしたと思うと、オレ達の前に炎の壁が立ちはだかる。
激しく燃え盛る炎の向こうで、ビスク・ドールがこちらを見て何かを言っているのをオレ達は見た。
そうして。
きらめく火花が黒い影を飲み込んでいく。
中森警部らの驚きの声が上がり、止まれ!という叫びに2、3度銃声が重なって静かになった。
炎の向こうにはもうビスク・ドールの姿はなかった。
「・・・おっ、追え〜〜〜っ!!ヤツを逃がすなっっ!!」
中森警部が振り返って周りの刑事に指示を出す。
オレ達のいる屋上を一点に照らしていたライトも四方八方へと散って、ビスク・ドールの行方を追った。
さらに応援を呼んでいたのか、後方から警視庁のヘリも数台やってきて、オレ達の頭上を超えそのままビスク・ドールを追って消えていく。
《 工藤君!工藤君っ!? 無事かねっ?! 》
隣のビルからメガホンで呼びかけてくる目暮警部に、オレは片手をあげて挨拶して見せた。
・・・さてと。
フェンスにもたれたままだった体を起こそうと、怪我した右足を踏ん張ったところでうまく体重を乗せられず
ふらついてしまったオレの体を、隣のキッドが支える。
「・・・あ、わりぃ。」
礼を言おうと思って覗き込んだキッドの顔はにっこりと笑っていた。
と、なんとキッドはオレの体をそのまま抱き上げたのだ。
「・・・わっ!!こ、こらっっ!!何しやがんだっ!!」
「いやなに・・・。そろそろオレ達もズラ駆らないとね。」
そりゃ、ケーサツに周囲を取り囲まれてりゃ、『怪盗キッド』としては当然逃亡すべきだろうが。
オレは関係ないぞ?!
「何でオレまでっっ・・・・!!」
ジタバタ暴れるオレを笑顔でキッドは押さえつけ、そのままフェンスをフワリと飛び越える。
「こ、こらーーーーっっ!!キッドっ!!工藤君をどーするつもりだっ!!」
背後で怒鳴る中森警部を、オレを抱いたままキッドが少しだけ振り返った。
「ご安心ください、中森警部。名探偵はこの私が、無事にご自宅までお届けしますよ。」
ニヤリとそう笑う怪盗に、あんぐりと口を開けたのは中森警部だけではない。
再び抗議をしようとしたオレより先に、キッドがぐっとオレの体を支える腕に込めながら
耳元で、「掴まれ!名探偵!!」と囁いた。
「・・・え?!ちょっ・・・・・っっ うわーーーーーーー!!」
黒い空へと一気にダイブする。
そのものすごい加速度に、オレは不本意ながらもヤツに体にしがみ付くしかなかった。
■ ■ ■
そうして。
警察の追っ手を撒いて、キッドが舞い降りたのは小さなビルの屋上。
着地したと同時に、オレはヤツの腕の中から逃れる。
「このヤロウ、無茶苦茶しやがって・・・!」
オレの言葉にキッドは苦笑しながら、その血の滴る右腕を押さえた。
「・・・おーイテ。」
当たり前だ。 ケガした腕でオレを抱えて飛んだりしたんだから、傷が開いたに決まってる。
「・・・大丈夫なのかよ?」
オレは盛大に血で濡れているキッドの右腕を見つめながらそう聞いたが、ヤツは平気だと
にっこり笑って見せた。
「名探偵こそ、右足は?」
「・・・ああ、大したことねーよ。そう深くは切られてなさそうだし。」
とは言ってみたが、立っているのがちょっと辛くて、オレはその場に腰を下ろした。
キッドもオレの横に立ってはいるものの、血まみれの腕をだらりと伸ばしたまま、少しダルそうに後ろのフェンスに体を預けている。
そのうち、スーツのポケットをごそごそして、オレに止血剤やら消毒薬やらをよこした。
相変わらず用意周到なヤツだ。
「左手の傷も消毒しとけよ?まだガラスの破片が刺さってるみたいだからな。」
キッドにそう言われて、そういやビスク・ドールに監禁されていたビルから脱出する時
窓ガラスでそんな傷も負ったっけと、思い出した。
だが、左手と言えば、だ。
「・・・お前の方こそ、左手の傷は?」
ビスク・ドールに操られていたオレがつけてしまった傷。
キッドはビスク・ドールには両利きだと言ってけど、いやそれは確かに違わないんだろうけどコイツが本当に得意なのはたぶん左だ。
その左を最後まで使えないでいたのは、やはり傷が痛んだせいだったのかもしれない。
コイツは黙ってるけど、本当は酷いケガなのかも。
オレがそう思って見つめると、キッドはそんなオレの心を読んだかのようにクスリと笑った。そしてヒラヒラと左手を翳す。
「・・・ああ、コレね。本当はちょっとイタイかな。」
「えっ?!」
「冗談だよ。」
「・・・・・・・お前な。」
本気で心配してやったのに、キッドのヤツはべーとベロを出して笑ってやがる。
・・・・このヤロウ、もう心配してやらねー・・・。
そう思って溜息をつくオレにお構いなしに、キッドが言う。
「せっかく一つ貸しにしとこうと思ったのになぁ。さっき名探偵にピンチを救われちゃったから、アレでチャラになっちゃったよなぁ。・・・・いや、待てよ?あの後の結果から考えると、やっぱり最終的に名探偵に貸しはあるような気もしないでもないな。」
モノクルの下の右目が楽しそうに笑っているのを見ると、オレの中の反省する気持ちがどんどん薄れてきてしまうのはどうしようもない。
「・・・・・どーしたいんだよ?」
「やっぱり面白いから、一つ貸しにしておこう!」
「・・・・・あ、そう。好きにしてくれ。」
「今度、会う時まで楽しみに取っとくからさ!」
・・・今度?!
じっくり時間をかけて考えられた、無理難題を押し付けられるのではないかと思うと、
オレはかなり憂鬱な気持ちに襲われたのだが・・・。
・・・ま、この場合、仕方がないか・・・。
大人しくキッドの要求を呑むことで、この場は合意した。
「・・・けど、オレの中のあの殺人鬼の人格は本当に消えたのかな?」
オレは掌についた血を見ながら、そう呟いた。
あの時、確かにビスク・ドールの命令を再度聞いても、人格を取って代わられる事はなかった。
・・・でも、それは単に偶然だったとしたら?
・・・本当はまだどこかにあの人格が残っているとしたら?
あのドロドロとした嫌な感覚は確かに消えた。
でも、これで本当にもとにもどったんだろうか?
「アレは人格形成だなんてそんな大掛かりなもんじゃない。ちょっと暗示みたいなもんだって。だから要は、本人の『思い込み』の問題なのさ。」
オレは横を向いて、そう告げるキッドの顔を見た。
キッドは視線を前にしたままで続ける。
「オレ的には、名探偵の意識をあのクスリと使って、さらに上書きしたつもりでいるんだけど。殺人鬼になりたくないっていう強い意志が、アレでうまく働いたはずだからもう大丈夫。 な?」
そう言われると、オレの中に、まぁ安心したような気持ちも生まれてくるが。
「・・・クスリって・・・。」
そういえばあの時、何か飲まされたような・・・。
「信頼のおけるお医者さんに、調合しておいてもらったんだ。」
キッドはそう言って、オレを見、にっこり笑った。
・・・・灰原か・・・・。
なんか、キッドよりもアイツへの方が借りが大きいんじゃねーのか?
オレは阿笠邸で今も待っているだろう赤毛の少女の事を思い出して、ちょっと溜息をついた。
「いやぁ、・・・にしても、お疲れお疲れ。」
言いながら、キッドもとうとうオレの横にペタンと腰を下ろす。
「・・・もう動きたくねぇな・・・っていうか、動けないか。」
オレは投げ出してある血まみれの右足を見ながら言った。
この足を引きずって帰るのはツライ。
かと言って、これ以上キッドのグライダーにお世話になるわけにもいかない。
っていうか、コイツだってこの右腕じゃ、もう飛行はムリだ。
「・・・仕方ねーな。博士に来てもらうしかねーか。おい、キッド。お前も家へ寄ってけ。 きちんと手当てをした方がいいだろ?」
そう言ってやるとキッドは、悪いね、と、ちょっとだけ肩を竦めた。
けど、オレに言わせりゃ、何を今更?って感じだ。
だって、今まで散々オレんちにも博士のとこにも居座ってたクセに。
博士を呼ぼうとして、オレは携帯を持ち合わせていないことに気付く。
ああ、そっか。
携帯は部屋に置いたまま、ビスク・ドールにさらわれて来ちまったんだっけ。
と、キッドがオレに自分の携帯をハイと差し出した。
「ケータイ、忘れたんだろ?」
「・・・・さんきゅ。」
オレはキッドの手から携帯を取って、阿笠邸に電話した。
深夜にも関わらず、数コールの後、電話を取ったのは博士だった。
『無事だったのか〜〜っっ!!しんいちぃィィっっ!!!』
思わず、受話器を耳から離したくなるほどの博士の声が響く。
声の様子からも、どんなに心配をかけたかわかる。
何度も無事を確認する博士に、オレは感謝とお詫びの言葉を告げた。
そして、事情を軽く説明したら、博士はすぐにでも車で駆けつけてくれると言ってくれた。
『よし!わかった!!今すぐそっちに向かうから。大人しくしておれよ?新一!!』
「ああ、悪いね。博士。面倒ばかりかけて・・・。」
『なに、構わんよ!・・・・・あ、ちょっと待ってくれ。哀君が君と話したいそうじゃ。』
「・・・え?ああ。」
受話器を手渡すような音が聞こえた後、オレの耳に届いたのは相変わらず冷静な少女の声だった。
『・・・もしもし・・・。』
「・・・灰原?わりぃ、心配かけたな。もう大丈夫だから・・・。」
『・・・終わったのね?』
「ああ。お前にもいろいろ世話んなって、本当にすまなかったな。」
『まったくだわ。』
「・・・・・。」
素直に詫びを入れているのに、これでは返す言葉がない。
・・・本当に容赦のないヤツだよな・・・。
オレが苦い沈黙に陥っていると、灰原が言葉を続けた。
『・・・彼は? そこにいるの?』
「・・・え。・・・ああ、キッドか?いるけど・・・。」
答えながらオレは隣のキッドを見ると、目が合ったキッドはきょとんとした。
『・・・彼に代わって。』
灰原がそう言うので、オレはそのまま携帯をキッドに渡した。
「・・・灰原。 お前と話したいって。」
「へ?」
きょとんとした顔のまま、キッドは携帯を左手で受け取った。
「・・・・・もしもし?」
少し訝しげそうな声でそう話し掛けるが。
オレの見ている前で、少々の沈黙の後、キッドは言った言葉は実に歯切れの悪いものだった。
「・・・いやぁ、きちんとカタをつけたかどうかと問われると、それはまたちょっと微妙なトコでね・・・。」
なんだか、ちょっとキッドが困っているようだったので、オレは灰原が何と言ってるのか、興味津々にキッドの持つ携帯に耳を近づけた。
すると、ちょうど灰原がキッドに問い掛けているところだった。
『・・・それで、ビスク・ドールは?』
「いや、それが・・・・・。」
灰原の質問にオレを見、肩を竦めてキッドがそう笑いながら言うと、
受話器の向こうから一瞬の沈黙の後、
『・・・・・・逃げられたのね?』
と、明らかに軽蔑した声が届いたのを最後に、プッツリ電話は切られた。
思わず、オレとキッドは顔を見合わせる。
どうやら、思うことはオレもヤツも同じらしい。
一番恐いのは、もしかしなくてもあの少女なのかもしれないと。
屋上に静けさが訪れる。
眼下に広がる夜景に目を細めながら、オレはビスク・ドールが炎に消えるシーンをもう一度思い出していた。
あの時、ヤツは確かに何かをオレ達に向かって言っていたんだ。
「・・・なぁ、キッド。 ビスク・ドールは何て言った?」
「さぁ?」
と、キッドは笑う。
オレはキッドのその意味深な笑いに、少々眉を寄せながら、もう一度聞き返した。
「・・・・また来ると言ったのか?」
「さぁ?」
けれども、白い怪盗は、ただ曖昧に笑っているだけだった。
そして。
オレは、空に浮かんだ青白い月を振り仰ぐ。
「・・・・頼むから、もう勘弁してくれ。」
そう静かに口ずさんで。