ぐらりと視界が揺らいで、オレは慌てて非常階段の手すりにしがみついた。
・・・・・キッドが、中森警部を撃った・・・・・?!
・・・・・そんなっっ・・・・・!!
何かの間違いだと思いたかったが、胸を赤くし倒れ伏す中森警部と、銃を構えたまま佇むキッドの姿はオレにこれが現実であることを突きつけた。
地上では、横たわる中森警部を取り囲むように他の刑事達が集まっている。
鮮血が派手に濡らしているのは彼の左胸部。
まさか、心臓を撃ち抜かれているとは考えたくは無いが、どちらにしても危険な状態には違いない。
・・・中森警部っっ!!!
オレはギュッと唇を噛み締めた。
そのまま屋上へと視線を投げて、そこに佇む白い怪盗を睨みつける。
そうして、ただ必死に非常階段を駆け上がった。
とうとうたどり着いた昇降口の扉を力任せに蹴り破ると、開けた視界の向こうに
佇むキッドとビスク・ドールの二人の姿が飛び込んできた。
いきなり屋上へ乱入したオレを、二人は瞬間的に振り返る。
青いガラス玉のような瞳がオレを認めてニヤリと嫌な笑いをし、一方、銃を手にしたままのキッドは開口一番こう言った。
実にとぼけた顔で。
「・・・何してんの?名探偵?」
・・・・なっ、なっ、何って・・・・っ! 何をふざけた事、言ってやがるっっっ!?
「・・・おっ、お前こそ、何やってんだっっ!!!このバカ野郎っっ!!!」
オレは大きく息を吸い込んでそう怒鳴ると、迷わずキッドのところまで走り寄り、
そのまま一気に胸倉を掴み上げた。
「お前っっっ!一体、何をしたかわかってるのかっ?!こんなことをしてっっ!!・・・」
キッドのシャツを掴む手に力がこもる。
だが、キッドは何食わぬ顔でオレの左手を取ると、その掌を見つめた。
「・・・・・何だ、ケガしたのか?」
言いながら、キッドはオレの掌に唇を持って行き、もう既に血が止まっている傷口を
ペロリと嘗めてウインクして見せる。
あまりにも拍子抜けするヤツの態度に、オレは一瞬唖然としてしまったが、すぐさま自分を取り戻した。
乱暴にキッドの手を払う。
「・・・オっ、オレのケガなんてどうでもいいっっ!!それよりお前っっ!中森警部に何てことを・・・!!!」
オレはもう一度、キッドに掴みかかった。
「まぁ、落ち着けよ、名探偵。」
「落ち着いてなんかいられるかっっ!!」
「落ち着けって。下を見ろってば。」
必死で叫ぶオレに対して、キッドは実に落ち着き払った態度でニヤニヤしながら、
ビルの下にいる中森警部の方を親指で指し示した。
・・・・・え?
思わず、下を覗いたオレの目に映ったのは、銃弾に倒れたはずの中森警部が
ちょうどムックリと起き上がった姿。
胸を真っ赤にしながらも何てことなく立ち上がったその様子に、回りの刑事達も驚いている風だ。
いや、何より撃たれたはずの中森警部自身が一番びっくりしているみたいだが。
・・・・・撃たれたんじゃ・・・・・ない?!
・・・・・じゃあ、あの派手な血は・・・・・?!実弾じゃなかったのか!!
どうやら無事なような中森警部は、自分に向けて発砲したであろうこちらの位置を
当然のごとく見上げた。
オレ達のいるこの屋上だ。
闇に映えるヤツの白いコスチュームを、中森警部が見間違えるわけがない。
その上、さらにキッドが彼に見やすいように一歩前へ出て、にっこり手まで振って見せたのだから。
おそらく彼の位置からなら、オレの姿も確認できただろう。
その直後、中森警部が何やらオーバーアクションで、周りの刑事に指示を出しているのがうかがえた。
さすがに彼のいつもの怒鳴り声はここまで届かなかったけど。
・・・・・つまり・・・・・。
キッドの奴は、警察にこちらの位置を気付かせるためにワザとあんなマネを?
オレはキッドを振り返った。
そこにはいつもの不敵な顔をした怪盗が、安心した?とばかりにニヤニヤ笑っている。
「・・・お・・・お前・・・!」
余計な心配をかけさせんじゃねぇ!・・・と言いかけたところで、キッドの後ろに佇む黒い影から刺すように鋭い視線を感じて、オレは後の言葉を呑みこむしかなかった。
・・・・ビスク・ドール・・・・!
黒衣をまとった奴が闇の中から一歩踏み出すと、月光がその顔を照らした。
「・・・・・どういうつもりだ? オレのもとへ来る覚悟を決めたんじゃなかったのか?」
陶器の人形のような白い顔をやや歪ませて、キッドをじっと見据える。
だが、とがめられた方は頭をかき、
「いやぁ、つい。」
と、まるで悪びれた様子も無く、にっこり笑った。
そんな怪盗に対して、ビスクドールも不敵に微笑む。
「・・・・・こんなナメたマネをして、ただで済まないのはわかっているな?」
「そう言うなよ。」
「腕の1本や2本、切り刻まれるくらいの覚悟はしておけ。」
いたって穏やかな口調だが、それが余計に不気味に夜の屋上に響いた。
要するに、本気で怒っているのだ。
なのに。
言われた当人は相変わらず飄々として、
「まぁ、そう力むなって。」
などと、のんびりと止めたりしてる。
この期に及んでもこんな呑気なことが言えるのは、キッドの生まれながらの気質だろうか?
オレとしては、どんな劣勢な状態でも決してポーカーフェイスを崩さないコイツの姿勢は嫌いじゃない。
だが、それは時として、相手を果てしなく煽り立てる事にも繋がる。
今、ここで、この強敵をこれ以上煽って、どうするつもりなんだ?
キッドの事は、前々からおかしな奴だと思っていたが、本当にとんでもない性格の持ち主であると、オレは実感せずにはいられなかった。
ぴんと張り詰めた空気の中で、キッドだけが茫洋とした雰囲気を醸し出す中、
とうとうビスク・ドールが動いた。
シュッと空気を切り裂く音と共に、オレ達のすぐ足元に一本のナイフが突き刺ささる。
息を呑んだオレに、ビスク・ドールの低い声が響いた。
「・・・・・・誤解するな、キッド。 お前の相手はオレじゃない。」
■ ■ ■
警視庁。
中森警部からの連絡を受け、捜査1課は慌しい動きを見せていた。
どやどやと建物から出てきたいつもの面々は、次々とパトカーに乗り込む。
もちろん、その中には目暮警部や高木刑事の姿もあった。
「警部っ!!工藤君は無事なんでしょうか?!」
早足で車に乗り込みながら、高木刑事が心配そうに後部座席の目暮警部を振り返る。
帽子を目深に被り直した目暮警部は唸るような低い声で言った。
「中森警部の話ではまだ詳しい事はわかっておらん。ただ、工藤君を発見したというだけで・・・。だが、現場にはキッドの姿もあったというし、おそらくビスク・ドールもいるに違いない。なんとかして、工藤君を無事に救出する事を考えるんだ!!」
「・・・は、はいっ!!」
高木刑事はそう力強く頷くと、一気にギアを入れた。
人気のない屋上に浮かぶ三つの影を、青白い月明かりが照らしていた。
影の一つが不気味に笑う。
口紅を塗ったような赤い唇がリアルに動いて、穏やかな声が響き渡った。
「キッド、お前の相手は『名探偵』だ。」
言うなり、ビスク・ドールはギロリと嫌な目付きでオレを見た。
瞬間、ゾクリとした感覚がオレの背筋に走る。
・・・コイツっっ!!また、オレにキッドを襲わせる気か?!
「・・・お前のっ・・・お前の言うとおりになんか、ならないっっ!!」
オレはそう叫ばずにはいられなかった。
だが、ビスク・ドールはそんなオレを鼻で笑い飛ばす。
「残念だが、手遅れだよ。メイタンテイ。お前はもうオレの意のままに動く人形なんだからな。」
ビスク・ドールの氷のように冷たい瞳を見た途端、心臓が早鐘のように鳴り出す。
急激な眩暈と頭痛がオレを襲って、たまらず俯いた顔を両手で覆った。
「・・・・あっっ・・・!!つぅ・・・!!」
・・・・・ダメだっっ!!このままじゃ、また飲み込まれるっっ!!
「・・・殺れ!」
絶対的な命令であるビスク・ドールの声が、オレの脳に突き刺さった。
意識が無理矢理ねじ伏せられ、代わりに何かがじわじわとオレを浸食していく。
『・・・・イ・・・ヤだっ!!やめろっっ!!』
オレは絶叫した。
だが、頭に響くのは
『殺せ!殺せ!!』
という、もう一人のオレの哄笑。
・・・・・止められないっっ!!!
左手の傷にどんなに爪を立てても、もう痛みすら感じなかった。
うっすらと開けた瞳に、こっちをじっと見つめるキッドの姿が映る。
「・・・キ・・ッド、逃げ・・ろっ!早くっっ!!・・・・オレは・・・っっ!!」
・・・・・オレは、お前を傷つけたくなんかねーんだよっっ!!
それ以上は、意識が朦朧として言葉にならなかった。
思考が白濁としていく。
だが。
突然、誰かに強く引き寄せられた感覚にオレは一瞬、自分を取り戻した。
はっとして見開いた瞳に、白いものが飛び込んできたかと思うと、次にはグイと上を仰がされ
何だかわからないうちに、がっちりと顎を固定された。
キッドの顔が、これ以上無いくらいに接近する。
・・・・えっ???
そう声を上げるつもりが、瞬間、キッドの唇によって塞がれた。
驚きのあまり、オレの全身は硬直する。
動けないオレへさらにキッドが強く唇を押し付けてくる。
「・・・うっ・・・んん・・・!」
たまらず吐息を漏らすと、キッドは僅かに開いたオレの唇の間に強引に舌を滑り込ませてきた。
歯列を割って忍び込んでくるそれは、オレの口腔を犯していく。
オレは思わず、キッドのシャツをギュッと握り締めていた。
頭の中がどんどん霞がかって、もう何も考えられない。
だが、それはさっきのように、誰かに無理矢理自分の意識を喰われるようなのとは違うということだけは感覚的にわかった。
完全に思考の停止したオレにできたのは、キッドから何度も流し込まれる唾液を飲み下すことだけ。
ふと、その唾液と一緒に小さな塊がオレの口にやってきたが、意識する間も無く、それはオレの喉を滑り降りて行った。
・・・・暖かい・・・・。
冷たく硬直していた体を、癒すように優しい温もりが包むのを感じる。
・・・・気持ちいいかも・・・・。
ぼんやりとそんなことを感じたオレの頭の中に、誰かの声が響いた。
『戻って来い、名探偵!!』
・・・・キッド?!
急激に意識が浮上する。
途端に今、自分の身に起きている状況を理解した。
目の前には、人の唇を蹂躙し尽くして何やらうれしそうに微笑む怪盗の顔がある。
しばらく呆然とその顔を見つめていたオレは、やがて我を取り戻すと
全身の血が顔に上る勢いで怒鳴った。
「・・・なっ!!て、てめーっ!!な、な、何しやがるっっっ!!!」
ようやく解放された唇を拭いながら、オレはキッドを突き飛ばした。
オレの行動を予想してか、キッドは後方に小さくジャンプしてかわすと、にっこりと笑ってこう言った。
「いや、なに。お姫様にお目覚めのキスなど・・・。」
「・・・誰が姫だ!!このー・・・っ!!」
「まぁまぁ・・・。言葉のアヤだってば。それより気分はどう?」
「き、気分なんか、最悪に決まってるだろーーっっ!バーローっ!!」
声を荒立てるオレを見ながら、キッドがうんうんと満足そうに頷いている。
・・・・てめーっ!一体どういうつもりだ?!
ギロリと睨みを効かすオレを、キッドは眼を細めてニヤリと笑った。
「・・・・・とりあえずは、名探偵をもとに戻すことはできたかな?」
・・・え?
言われて初めて気がついた。
それまでうるさい程、頭に鳴り響いていたあのもう一人のオレの声が消えていたことに。
そういえば、あの人格が取って代わられる前の、嫌な感覚が無い。
はっとしてビスク・ドールの方を見返したが、あの冷たいガラス玉のような青い眼に
もう意識が捕われることはなかった。
・・・・・消えた・・・のか? あの殺人鬼の人格が?!
まだ、半信半疑なオレにビスク・ドールが、もう一度命令する。
だが、オレの意識がそれに揺らぐ事はなかった。
それを見て、マリンブルーの眼がすぅっと細められる。
ビスク・ドールは薄いその赤い唇を少し噛み締めた。そのまま押し殺したような引く声で呟く。
「・・・・・これで形勢逆転したつもりか?」
「いや?さすがにそこまでは・・・。でも、いくらか気が楽になったよ。」
白いマントを靡かせて、キッドは奴に向き直るとそう不敵に笑ってみせたのだった。
■ ■ ■
冴え冴えとした青い瞳が真っ直ぐにオレ達を射る。
そこにあるのは、紛れも無い殺気だった。
「・・・甘く見すぎたな。そこまで名探偵に強い意志があるとは・・・。
もうてっきりこっちの手に落ちたと思ったが。」
ビスク・ドールは慇懃にそう言うと、胸元から5本のナイフをすっと取り出した。
ナイフの切っ先をこちらに向けて、ニヤリと不気味な笑いをする。
「・・・仕方ない。」
顔こそ静かな面影をたたえているが、その瞳は殺意に狂っていた。
確かにオレが殺人鬼にならずに済んだのは救いの一つかだったかもしれないが。
それだけではビスク・ドールの言うように、形勢逆転にはならないのももっともな話だ。
2対1だからって、そう簡単に行かない相手であることは、充分すぎるほどわかっている。
・・・・どうする?!
・・・・一体、どうしたら・・・・。
オレは、目の前の悪党を睨みつけながら、傍らに立つ白い怪盗へもチロリと視線を投げた。
すると、キッドが一歩オレの方へ踊り出て、オレの肩を軽く引き寄せると耳元で囁く。
「・・・いいか、名探偵。じきに警察が来る。それまで何とか粘るんだ。・・・もしもの時は、コレを使え。」
言いながら、キッドはオレの右手に拳銃を握らせた。
さっき、キッドが中森警部を撃った銃だ。
「・・・お、お前、コレっ・・・。」
「心配するな。ペイント弾は1発切りだ。残りは全部実弾だよ。」
ウインク一つすると、キッドはニヤリとそう笑った。
そして、そのまま視線を目の前の氷の殺意を纏うビスク・ドールへと向ける。
鋭い眼差しをしているキッドの横顔をオレは盗み見た。
・・・自分の身は自分で守れってことか。・・・・言われなくたって、お前の世話になんかならねーよ!
手渡された銃をオレは強く握り締めた。
オレより半歩だけ前に立つキッドが、前を向いたままで少し面白そうにのほほんと訊いた。
「恐いか?名探偵・・・。」
「・・・なっ!何言ってやがる!!んなわけあるかよ!バーローッッ!!」
相変わらず人を食ったキッドのその言い方に、オレは声を荒立ててそう言い返すと
奴は肩を震わせて笑いながら、振り返った。
「それは失礼。さすがは名探偵、頼もしいね。」
何言ってんだ、コイツ!人をバカにしやがって。
ムカつきついでに、キッドの言葉をそっくりそのまま返してやる。
「お前こそ、まさか恐いだなんて言うんじゃねーだろうな?」
するとキッドはにっこり笑って
「そーだねぇ。実は非常に恐い。アイツが相手じゃ、とても手に負えないのでね。」
と、言った。
・・・おいおい、ウソだろ?
オレはまじまじとキッドを見つめた。
果たしてそれが奴の本心かどうかはわからないが、そうであったにせよ、ここまでにこにこしながら言っていてはまるで真実味に欠ける。
・・・どこまでもふざけた奴・・・とオレは溜息をつく。
でも、逆に安心していた。
前にビスク・ドールと対決した時のように、刺し違えて死んでもいいだなんて、そんな悲痛な覚悟はそこには見受けられなかったから。
オレはキッドを見て、不敵に笑ってやった。
「・・・とにかくヤルしかねーだろ!前だってなんとかなったんだ!今回だってきっと・・・・!!」
オレはぐっとビスク・ドールを見据える。そして、喉の奥から声を搾り出した。
「・・・・どうにかしてみせるさ!アイツの思いどおりになんかなってやるつもりはねーよ!」
「そりゃそうだ!」
言うなり、キッドはビスク・ドールへ突進した。
宙を舞い、ビスク・ドールとの距離を一気に詰めたキッドを、残忍な青い瞳が面白そうに見やる。
オレはキッドとは反対側からビスク・ドールの方へ回り込み、銃を構えた。
■ ■ ■
月の光の下、三つの気配が凝結する。
うちひとつは、闇をも凍らせるほどの殺気を纏って。
両手でナイフを自由自在に操る、ビスク・ドールの懐に飛び込むのは容易なことではない。
トランプ銃で応戦するキッドの逆サイドから、回り込んで蹴り倒してやろうと思っても
まるで後ろにも目がついているかのように、オレの動きは完全に読まれていた。
繰り出される銀のナイフをよけるので精一杯で、近づく事もままならない。
・・・クソッ!!このままじゃ・・・!!
オレはいったん後方へ下がって、キッドを見る。
オレよりも格闘に長けているキッドだが、接近戦ではやはりナイフの方が有利だ。
しかもビスク・ドールの方が、キッドよりも僅かにスピードが勝っている。
よけ切れない鋭い刃がキッドのスーツを掠めた時、耐え切れずにオレも銃で援護してやろうと1発ぶっ放した。
ビスク・ドールが踏み込むであろうその位置を予測して、足元に撃ち込んでやったのになんとそこに飛び出してきたのは、キッドのヤロウだ。
パン!と乾いた銃声とともに、キッドが慌てて足を止める。
「・・・・・おいおい。オレを殺す気か?名探偵。」
「バ、バーロー!!オメーが勝手に飛び出てきたんだろうが!」
「・・・あのね、外すんなら撃たなくていいんだよ?弾が無駄だから。」
飛んできたナイフをひょいとかわしながら、キッドが生意気にもそう言う。
なんだとぉ?!せっかく加勢してやったのに!!なんてムカつく野郎だ!!
とは言え。
確かにここまで動きが激しいと、間違えてキッドにも弾が当たりかねないことは事実だった。
どうする?!
オレがそう思った時。
「工藤君っっ!!」
声がした昇降口の方をオレが振り返ると、そこには中森警部率いる捜査2課の刑事達の姿があった。
「・・・中森警部っ!」
「工藤君、無事なのか?!ええーいっ!!貴様ら武器を捨てろっっ!!!」
中森警部のその声を合図に、一緒にいた刑事らもいっせいにこちらへ向けて銃を構えた。
そのとたんに激しい戦闘もぴたりと静止し、二人の視線も昇降口へと注がれる。
振り返った金髪の青年に、警部らの目が大きく見開かれた。
おそらく、ヤツが「ビスク・ドール」と言われる意味を実感したのだろう。
オレが初めてヤツに会った時、そう感じたように。
しばし、言葉も無くして銃を構えていただけの警部がようやく我を取り戻し、
果敢にもビスク・ドールへ向けて呼びかける。
「・・・きっ、貴様が『ビスク・ドール』だな? おっ、お前があの連続殺人の・・・!!トランプのカードを送りつけて3人もの被害者を出した・・・あの事件はお前がやったことで間違いはないんだな?」
銃口をしっかりとビスク・ドールに定めて言う中森警部に対し、ビスク・ドールはその表情すら変えずに言い返した。
「・・・・だから?」
犯人にここまで開き直られた事など、めったにないことだろう。
中森警部はワナワナと怒りに震えていた。
「き、きっさまぁぁ!!よくもそんな堂々と・・・・!!」
眉を大きくつり上げてヒートアップする中森警部を、青い眼がやや鬱陶しそうに見やる。
ビスク・ドールの冷酷な瞳が中森警部らを映すと、彼の喉がゴクリと唾を飲むのがわかった。
「・・・うるさいヤツだな。」
細い眉をやや寄せて、ビスク・ドールが不愉快そうに呟く。
と、そのまま胸元へ右手を持っていき、胸ポケットから何かを出そうとした。
・・・・ヤバイ!!
「中森警部、さがって!!」
と、キッドが声をかけるのとほぼ同時に、オレも中森警部に「あぶない!」と声をかけていた。
次の瞬間、ビスク・ドールの手から放たれたのは、ナイフではなく何か小さな黒い塊だった。
だが、それは地に落ちたとたんに急激に火柱となる。
そうしてオレ達と中森警部らの間に、激しい炎の壁を作った。
「うわっっ!!!」
悲鳴と共に警部らの姿が炎の向こうに消えた。
な・・・・中森警部ーーーーっ!!
真っ赤に燃え盛る炎に向かってオレは叫んだ。
「中森警部っっ!!大丈夫ですか?!返事をしてください!中森警部っっっ!!!」
「・・・く、工藤君!!こっちは大丈夫だ!おい!早く消火器だ!!すまない!工藤君っ!もうすぐ応援部隊が来るから、それまでなんとか・・・えーいっ!消火器はまだか?!」
激しい炎の向こうで、消火器で火を消そうと刑事達に指示を出している中森警部の声が聞こえた。
・・・良かった。
どうやら、無事だったみたいだ。 そして、もうすぐ応援部隊も来る・・・!
オレはぎゅっと銃を右手で握り締め、キッドとビスク・ドールを見た。
僅かに生まれた希望に、オレは少し笑っていたかもしれない。
そんなオレを見て、ビスク・ドールの赤い唇が動いた。
「まさか、日本警察がこのオレを捕まえられるとでも思っているのか?
キッドでさえ捕まえられない無能な連中に・・・。なぁ?キッド。」
嫌な笑いをしながら、ガラス玉のような瞳がすっとオレからキッドへ流れる。
すると、キッドはシルクハットを目深に被り直しながら言った。
「ま、お前を捕まえるなんて、オレにはできっこない相談だけどね。」
キッドのその言葉にビスク・ドールは声を立てて笑い、笑い終わらぬ内に再びキッドへ向けてナイフを放つ。
トンと地を蹴って、白いマントが夜空へ広がった。
びっくりするほどの跳躍力でキッドは迫り来る銀のナイフをかわし、空中にいる間にトランプ銃を数発、ヤツ目掛けて撃ち込んだ。
長い滞空時間の後、キッドが着地したのはビスク・ドールのすぐ真後ろだった。
ヤツがキッドの方を振り向く寸前、殺気が爆発する。
ビスク・ドールの口元を淡い微笑がかすめているのを、オレは見た。
「・・・!キッドっっ!!」
オレが銃を構えるより早く、トランプ銃を持つキッドの右手が肘から上がる。
それが、鮮血を散らすのはまさに次の瞬間だった。
トランプ銃がキッドの右手から離れ、血と一緒に宙へ吹き飛んだ。
右手を押さえて白い影がよろめき、膝をつく。
・・・・キッ・・・・!!
キッドは倒れない。
片膝をついたをついたままだ。
でも今、ここで新たな一撃を食らったら・・・・!!
オレは慌てて走りこみ、ビスクの足元に向けて発砲したが、ヤツはそれをヒラリと飛んでかわすと同時にキッドを蹴り倒し、こっちへはナイフを投げて来やがった。
「・・あっ・・ツっ・・・!」
右太股を鋭い痛みが貫く。
オレはバランスを崩して膝をつき、第二の攻撃を送る余裕はなかった。
その間にも、倒れ伏したキッドへのヤツの攻撃は緩まない。
出血する右手をギリッと踏みつけると、赤い唇が歪んだ笑いを見せた。
「お前の右手はもう使えない。利き手は左だったか?左を使わないのは名探偵にヤラれた傷が痛むからなんだろう?ツイてなかったな。」
ヤツの言葉にはっとオレは顔をあげる。
・・・やっぱり、オレのせいで・・・!!
オレはなんとか立ち上がろうと、血の溢れ出す足に力をこめながら、キッドを見た。
すると、キッドは顔に苦痛の色を浮かべながらもニヤリと笑う。
「・・・・・残念、オレは両利きでした。ちなみに左を使わなかったのは単にオレの気分なんだけどね。」
負け惜しみとも取れるその言葉に青い瞳が幾分細められると、血まみれの右手を踏んでいない、もう片方の足で容赦なくキッドの腹に鋭い蹴りを入れた。
ゴホゴホとむせ返るキッドを見て、うれしそうに赤い唇が持ち上がる。
「今更、その左を使うこともできないだろう?さて、遊びは終わりだ、キッド。」
腹を蹴られて今だ呼吸が整わないキッドの首元へ、ヤツのナイフがピタリと当てられる。
・・・・キッドっっ!!!
パァーーーンと。
1発、乾いた銃声が木霊する。
オレは、キッドの右腕を踏みつけるヤツのその足のすぐ傍に狙いをつけて撃った。
「・・・キッドを放せ!!でないと、次は外さないっ!!」