・・・ふざげんなよっっ!!このヤロウっっっ!!!!
堅く閉ざされた扉を睨みつけ、オレはベットの脇に置かれていたパイプ椅子を力任せに蹴飛ばした。
派手な音を立てて、椅子が床に転がる。
さっきまでキッドが腰掛けていた椅子だ。
くっそうっっ!!キッドもキッドだっ!!あのバカ、何を考えてやがる?!
冗談じゃねーぞっ!!人殺しだなんて!!!
オレはもう一度、この部屋に一つしかない出入口であるドアを睨みつけた。
当然のことながら、鍵がかかっている。
どこかの気障な泥棒ではないので、オレにはこれを開けて脱出することなんてできない。
狭い部屋には換気口さえない。
あるのは、高層な造りのためか開閉式になっていない窓一つだけ。
オレは、真っ黒な闇を映すその窓に目をやった。
幸い解体工事中のこのビルの周りには、足場となるような鉄パイプが所狭しと組まれている。
これを足がかりにして行けば、脱出できない事もない。
オレはそのまま視線を下へと移して、はるか彼方にある地上を見下ろした。
・・・・・ま、この高さだ。
間違って足でも滑らせたら、それこそ命はないだろうな。
・・・・・けど!
迷っているヒマは無い!!
オレはぎゅっと唇を噛み締めて、床に転がったままのパイプ椅子を拾い上げる。
そしてそのまま両手で担ぎ上げ、勢いをつけると、思いっきり力をこめて窓へと投げつけてやった。
瞬間。
ガッシャーン!!と一際、派手な音が閑散としたビル内に響き渡った。
粉々に割れたガラスの破片と共に、外へ投げ出された椅子は重力へ従ってまっすぐに落下していく。
地上に落ちただろうその音は、ひどく小さくオレの耳に届いた。
オレは素早く割れた窓へとよじ登った。
よし!このまま一気にここから脱出だ!!
目も眩むような高さだが、この際、そんなことを気にしている場合じゃない。
とりあえず、手近なところへ足を伸ばそうとしたところで、左手にチクリとした痛みが走った。
見ると、左の掌から血が出ている。
どうやら、窓ガラスの破片が刺さったらしい。
ポタポタと音を立てて、鮮血が滴った。
それを見て。
オレの心臓がドクン!!と、音を立てる。
頭の奥に針でも刺されたような鋭い痛みがして、体中から冷や汗が噴出した。
・・・・やばっ・・・・!!またっっ・・・・・
この状況がどういうことなのか、オレは瞬時に理解していた。
あまりの頭痛にケガをしていない方の右手で額を覆う。
「・・・・うっ・・・・!」
自分の意識が、何者か黒い意識に侵食されていく感覚。
・・・ダメだっっ!!
今、ここで殺人鬼になったりなんかしたら・・・・!!
オレは・・・・!!
アイツを、キッドを止めないとっっ!!!
脳裏にあの白い怪盗の顔が浮かぶ。
・・・キッドっっ!!!
オレは知らず知らずの内に、左手を強く握りしめていた。傷口にさらに自分の爪が食い込んでいく。
その痛みと共に、今、自分がしなければならないことを必死で考えた。
・・・オレはっっ!!
ここから出て、アイツのとこへ行くんだっ!!
キッドのところへ行って、人殺しだたんてバカなマネはやめさせるっっ!!
・・・絶対にっっっ!!!
と、不意に嫌な感覚が消えた。
・・・・まるで、波が引いていくように。
オレは激しく上下する胸を押えて、呼吸を整える。
「・・・・・なんとか・・・・・、持ちこたえたか・・・。」
とりあえず、人格が入れ替わらなかった事にオレはほっとして、一呼吸入れた後、
そのまま地上を目指して足を進ませたのだった。
□ □ □
同じ頃。
白い影と、もう一つの黒い影は、もと居た場所からそう離れてはいなかった。
人気のないビルの屋上に佇む二つのシルエットを、月光が照らし出す。
もうそろそろ人々が寝静まる時間だと言うのに、パトカーのサイレンの音が先程から鳴り響いていた。
その様子を、同じように肩を並べて立つ二つの影が見下ろしている。
ビスク・ドールはその青いガラス玉のような眼をやや細め、何やら楽しそうに。
キッドは、ただ茫洋として。
白いマントを風に靡かせて街を見下ろす視線は、とりたてて今までと変わりはなかった。
「・・・なんだか、街がにぎやかだな。」
青い眼がニヤリとして、隣に佇む白い怪盗を見る。
「・・・そりゃ、誰かさんが日本警察の救世主様を誘拐なんかするからだろ?」
少し不貞腐れたようにそう言ったキッドに、ビスク・ドールは笑いかけた。
「キッド、お前・・・。何を考えながらここに来た?」
問われて、キッドはチラリと隣の蝋細工のように白い顔へ視線を向ける。
「・・・いろいろだよ。」
「・・・あの『名探偵』のことか?」
「・・・・・まぁね。」
キッドの答えに、ビスク・ドールは肩を震わせて笑う。
「相変わらず、のんきな奴。
・・・にしても、もう少し手こずるかと思ったが。意外にあっさりと手に落ちたな、キッド。
やはり『ジョーカー』を手に入れた時点で、オレの勝ちは決まっていたわけだ。」
「・・・まぁ、そう勝ちを急ぐなよ。」
もうすでに乾いてはいるが、血で真っ赤に染まった左の手をヒラヒラと振って、キッドがにこりとする。
それを見て、ビスク・ドールの目が蛇のように鋭い光を帯びた。
「ここまで来て何をほざく?名探偵は既にオレの手の中だぞ?
オレがひとたび命令を下せば、オレと組んでお前を殺すことさえ厭わない。
殺人鬼と化した名探偵を、お前が止める方法があるか?」
他に止める方法などないからこそ、キッドは大人しくビスク・ドールの後についてきたはずである。
誰の目から見ても、ビスク・ドールの勝ちは明らかだ。
なのに。
「オレのもとに来る以外、お前にできることはないぞ?
それともまさか、オレを倒し、無事名探偵を救い出す自信でもあるのか?」
「あっても教えないよ。」
キッドはちょっと胸を張って言った。
それはこの状況では、単なる負け惜しみとしか取れない。
だが、キッドの人間性を考えれば、本当のところはどうなのか、かなり疑わしいものである。
どこまでが本気で、どこまでが演技なのか。
この辺、よくわからないところがこの怪盗の不思議なところであった。
しかし。
ビスク・ドールは小馬鹿にしたような笑いを一つ浮かべると、こう言った。
「下手な強がりも、お前のそのとぼけた面構えに救われたな。」
「余計なお世話だよ。」
顔をけなされてか、キッドは不服そうに口を尖らせた。
「・・・どうでもいいと思うことはないのか?」
不意に生真面目な口調でビスク・ドールがキッドに訊いた。
「何が?」
「何もかも。」
青い眼がじっと白い怪盗の眼を見つめた。
「名探偵のことや、お前が追っているくだらない石のこと。お前を取り巻くすべてのことだ。
それらがお前自身を縛り付けて、世界を狭めていると考えた事はないのか?」
ビスク・ドールの言葉に、キッドはその眼を僅かに細める。
それを見て青い瞳は笑いを帯び、さらに続けた。
「そんなものに囚われているから、こんな目に合う。
すべてを捨てて、自由気ままに生きる方がお前のような人間には似合っていると思うが?」
「勝手に決めるな。オレが何にこだわろうがお前に関係ないだろう?
大体、オレは自由気ままに人を殺すシュミはないぞ?」
少し呆れたようにキッドは腕組みして言った。
「好きな時に好きな場所へ、誰に気兼ねすることもなく好きなものを手に入れるためだ。
そのために、他人がどうなろうと知ったことじゃない。」
ニヤリと嫌な笑いを浮かべながらビスク・ドールが言う。
それを見て、キッドは小さく溜息をついた。
「・・・お前の悪党ぶりはよくわかったからさ。頼むからそれを人に強要するなよ?」
うんざりしながら言うキッドに、ビスク・ドールは苦笑する。
「・・・だが、今からお前もその悪党の仲間入りだ。それほどまでに大事か?あの名探偵が。」
「そんなこと訊いて、どうするんだ?」
と、キッドは訊ねた。もっともな反論である。
すると、ビスク・ドールは妖しく笑って、
「・・・・・何でもない。では、行くか。ちょうどいいところに、ターゲットも現われた。」
足元に輝くパトカーの赤い光を指差したのだった。
□ □ □
荒い息が闇に響いていた。
カラカラに乾いた喉は、息をするたび切れるように痛い。
夜風がさっき傷つけた左手の傷口を思い出させるかのように刺す。
出血は既に止まっていたが、細かいガラスの破片は刺さったままだった。
あーー!クソっっ!!イテーなっ!!
・・・で、キッドとビスク・ドールのヤロウはどこ行きやがった?!
あの後、オレはなんとか閉じ込められていたビルの一室を脱走する事に成功した。
鉄パイプをうまく足場に利用して、隣接するビルの屋上に飛び移るところまでは良かったのだが肝心の二人の姿が見当たらない。
ビスク・ドールはともかく、キッドはあのナリだ。
いくら夜中だからって、公道を歩くわけにもいかないだろう。
・・・・そして。
ビスク・ドールはキッドに人殺しをさせるつもりなんだから、そのターゲットがいなくては話にならないはず。
ここでは、人通りが少なすぎる。
もう少しにぎやかな通りの方か?
だとしたら・・・・。
オレは今居る地点から、ぐるりと周囲を見渡した。
立ち並ぶ雑居ビル群の中に、アイツらの行きそうなところはないか、もう一度注意深く見る。
「・・・あっちか!」
オレは方向を見定めて、再び足を急いだ。
・・・・キッドにコロシなんか、絶対にさせないっ!!
頼むっっ!!
間に合ってくれっっっ!!
そう祈るような気持ちで。
ふと、急にパトカーのサイレンの音が大きくなった。
見ると、今いるビルのすぐ近くに3台のパトカーが停まっている。
そう高くはないビルの非常階段にいたオレの位置からは、ちょうどパトカーの傍に立つ人物が誰なのかもよく見えた。
・・・・中森警部?!
ってことは、2課か。
オレの家にビスク・ドールが現われたのを高木刑事達が目撃しているし、おまけにキッドまで都合良くその場にいたとあっちゃ、中森警部が動かないわけにはいかないもんな。
・・・・オレのことも心配してくれているかもしれないけど・・・。
オレの頭に目暮警部や捜査1課の面々の顔が過ぎった。
・・・・ゴメン。今はまだ、そっちには行けないんだ!
先にキッドを止めないと!!
そう思って、非常階段を駆け上がりかけた時だった。
何気なく見上げたその視線の先に、白いものがチラリと映った。
・・・・えっ?!
オレが今、まさに上り掛けていたビルの屋上に、いきなりキッドが現われたのだ。
ってことは、ビスク・ドールも傍にいるばず!
非常階段から身を乗り出して屋上の様子を窺う。すると、思ったとおりキッドの少し後方に人影が見えた。
ここに居やがったかっ!!
あのヤロウ!!今、行くから待ってろよっっ!!!
と、キッドが動いた。
白いマントがゆらりと風に舞う。
・・・何だ?キッドの奴、何してる?
オレは階段を駆け上がりながら、もう一度キッドを見上げ、それから奴の目線の先にあるものを追った。
奴が真っ直ぐに見据えるその先にいたのは!!!
オレが驚愕に目を見開いたと同時に、キッドの白い右腕が風に翻るマントの中から、踊るようにしなやかな動きで現われた。
その手には黒い塊が握られていた。
奴が普段持つ、トランプ銃とは別の。
それは、紛れも無く拳銃だった!
・・・・キッ・・・・!!!
次の瞬間。
冷たい銃声がビル群を木霊した。
恐る恐る振り返ったオレの目に映ったのは。
胸を真っ赤にして、ゆっくりと崩れるように倒れていく男性の姿。
・・・・・う、うそだ・・・・・
・・・・・こんな・・・・・!!
「中森警部ーーーーーーーーっ!!」
オレの絶叫が夜空にむなしく響いた。