新聞には、毎日数多くの死亡記事が載る。
その記事の1つに、立光フーズ社長 立光 豪(たてこう つよし)氏の殺害について、掲載されたのは、少し前のこと。
当時は、世界的に大悪党として名高いあの『ビスク・ドール』の仕業として、かなり大きく取りだたされたものの、時間の経過と共にそれは沈静化して行き、今ではまるで何もなかったかのように、世の中からは忘れ去られていた。
そう。
あの『矢車菊の青』と呼ばれるブルーサファイアに絡んだ一件から、もうそろそろ一ヶ月が経つ。
休日の午後、ケガの診察も兼ねて阿笠邸を訪れていたオレこと工藤新一は、物騒な事件の記事が並ぶ紙面に目を走らせながら、重苦しい溜息をついた。
「新一、ほら、コーヒーを入れるから、こっちに来て飲まんか?」
「ああ、サンキュ。博士。」
ソファにふんぞり返っていたオレはにっこり阿笠博士を振り返ると、新聞をソファの上に置いたまま、コーヒーが用意されている食卓の席へとついた。
「・・・にしても、ケガが治って何よりじゃよ、新一。」
心底安心したような博士の言い草に、オレは苦笑する。
「心配しすぎだよ、博士。別にそんな大ケガじゃなかったろ?」
「あら、そうかしら?あと数ミリ刺さりどころがずれていれば、神経が切れてもう二度と右腕が思うように動かせなかったかもしれないのに?」
リビングに入ってくるなり物騒なことを言う赤毛の少女は、オレに冷ややかな視線を送りつつ、
食卓の定位置へとちょこんと座った。
「・・・・お前な。」
「本当のことよ。」
「おいおい、哀君・・・。」
「とりあえず、大事に至らずラッキーだったんじゃない?ビスク・ドール相手に、まだ右腕が繋がっているだけでも、感謝しないとね?工藤君。」
人を小ばかにした笑いでそう灰原がオレを見る。
オレはうるせーと呟きながら、ブラックを一口、口に含んだ。
「・・・・・・それで? いい加減、彼には敵わないということを、今回で身を持って知ることができたのかしら?」
毒を含んだ灰原の台詞がオレに突き刺さる。
無論、コイツが言いたいことは、オレにはわかっていた。
そう。 今回は完敗だった。
予告どおりビスク・ドールは立光氏を殺し、キッドの獲物でもあったブルーサファイアを奪って行ったのだ。
そしてオレとキッドは、そんなヤツを前に成す術がなかった。
オレはカップを握る手に力を込めた。 琥珀色の中に浮かぶ自分の顔を見つめる。
オレ達の間にどんよりと重い空気が立ち込める。
それを打破するように、博士がゴホンと大きな咳払いを1つ、口を開いた。
「ところで、キッドは大丈夫なのかのぉ? ここしばらく、とんと姿を見せんが。
新一の話じゃ、彼も相当なケガを負ったんじゃろう?」
「・・・え?あ、ああ・・・。」
・・・そうなんだよな。
ケガのワリにはピンピンしてたけど、アイツ、結構重傷だった・・・。
ここ最近、ナリを潜めてるのは、体調の回復を待ってのことなのかどうなのか・・・・。
「姿を現さないってことは、あの怪盗さんもどこかで養生しているんじゃない?」
「・・・だと、いいけど。」
オレは言いながら、眉を寄せた。
「何か気になる事でもあるの?」
「・・・・いや。」
そんなオレを不審げに灰原が見つめた。
オレは何も応えなかった。
気になることは、ある。
あの日、別れたきりのキッドの体のことももちろん、アイツが一人で勝手なマネをしていないかと言う事の方が心配だ。
アイツは、たぶんあのブルーサファイアを取り返しに行くつもりだろう。
一度はキッドが奪ったはずの、あの『矢車菊の青』を。
・・・・・まさか、もう動いてたりはしねーよな? キッド?
オレだって、ビスク・ドールには一発くらいお返しさせてもらわないと気がすまない。
そうそうアイツの好きにはさせてばかりいられるか!!
「・・・工藤君?」
灰原の細い眉が少し寄せられた時、不意に来客を告げるチャイムが鳴り響いた。
「はて? 誰じゃ?」
椅子から腰を上げて、博士が玄関の方へと消えて行く。
オレと灰原は無言でコーヒーを飲みながら、そんな博士の背中を見送ったのだった。
そうして、再び博士がリビングに戻ってきた時、オレ達はその目を大きく見開くことになる。
+++ +++ +++
博士の後ろにひょっこりと現れた人物を見て、オレと灰原は息を呑んだ。
「よっ!」
にこやかにそう手を上げて見せたのは、オレとよく似た顔。
ってーか、ほとんど瓜二つのこの顔が、キッドの百面相の1つであることはオレや博士達にとっても、既にお馴染みだ。
お馴染みと言えば、怪盗スタイルでもお馴染みの白いハトを一羽、肩に乗せてやがる。
「キ、キッドっっっ!?」
オレは思わず、ガタンと椅子から立ち上がってしまった。
だって、まさかコイツがここにノコノコ現れるなんて、思いもしなかったし・・・・。
「いやぁ、噂をすればなんとやらじゃな。ちょうど今、新一達と君の事を話しとったとこじゃよ。」
「え?そうなんだ?」
と、キッドはうれしそうに笑い、気安げな足取りでオレ達のいるテーブルまでやって来る。
そのまま空いていた灰原の隣に腰掛けた。
チロリと視線だけでキッドを見た灰原に、キッドはウインク付きでお久しぶりと挨拶してみせたが、ザマーミロ、灰原にはもちろんシカトされていた。
そうして、オレにもにっこり笑顔を向ける。
「やぁ、名探偵。 ケガの具合はどう?そろそろ全快した?」
「・・・そっ、そういうお前こそ、どーなんだよっ! 動き回って平気なのか?」
「まぁね。 オレは不死身だから。」
「言ってろ、タコ!」
「まぁまぁ、とにかく、コーヒーでいいかね?」
オレとキッドの間を割るように博士はポットを持って、口を挟んだ。
と、キッドは実に愛想のいい笑顔をして、ミルクと砂糖をたっぷりだなんて注文をつけやがった。
やがて、キッドの前にはご注文どおりの甘そうなコーヒー牛乳もどきが置かれる。
それを美味しそうに飲むヤツをジロリと睨みながら、オレは口を開いた。
「・・・で?何しに来やがった?ハトまで連れて・・・。まさか手品でも見せに来たって言うんじゃないだろうな?」
斜めに構えて見せるオレを、キッドはニヤリと見つめ返す。
「お望みとあらば、マジックの1つや2つ披露しても構わないけどね・・・。残念ながら、別の用件かな。」
「・・・・・何だよ?」
「いや、実はね。名探偵にお願いがあってさ。」
「お願い?」
オレが訝しげな表情で聞き返すのと同時に、灰原の視線もキッドに注がれた。
「・・・何だよ?お願いって。」
コイツがオレに頼む事なんて、どうせロクでもないことに違いない。
オレは、かなり警戒した。
すると、キッドは自分の肩に大人しく乗ったままの白いハトの喉もとを優しく撫でてやる。
ハトは気持ち良さそうに、「クルル」と喉を鳴らした。
「・・・オレさ、ちょっとしばらく留守にするんで、コイツの面倒を見てもらおうと思って。」
「え?」
キッドの意外な申し出に、オレは目を丸くする。
「いや、コイツさ・・・。ちょっと病気なんだよね。だから放っておけなくてさ。」
言いながら、ちょっとすまなさそうにキッドが笑う。
・・・なんだって?
オレにハトの世話をしろって???
かなり面食らったカンジで、オレはキッドを見返すが。
キッドはにっこり笑って、頼むよ、名探偵などと口走っている。
いや、ちょっと待て。 何かおかしい。
「しばらく留守・・・って、仕事か?」
「まぁ、そんなところかな。」
「キッドが予告状を出したなんて話、オレは聞いてねーぞ。」
「まだ出してないし、出したところで海外だからね。」
「海外?!どこに行くつもりなんだ?」
「・・・ラスベガス。」
「ラスベガス??! ショーやカジノで有名な・・・あのラスベガスか? お前、まさか仕事って、マジックショーだったりしないだろうな?」
「あはは。 確かにあんな大舞台でショーがやれたら、それはいいだろうけどね。」
キッドは頬杖をつきながら、唇の端を持ち上げる。
オレはそんなヤツを見ながら、やはりどこか腑に落ちない点を感じていた。
別にキッドが海外で仕事をすることなんて、今に始まったことじゃない。
別に珍しいことじゃないけど、でも何か・・・。
なんだか、キッドの笑顔のウラに何か隠れているような気がしてならない。
いや、大体において、コイツはインチキ臭いヤツには違いないのだが、今回に限っては特に。
・・・何だ?
何かが引っかかる。
・・・!!
まさか、コイツ・・・!! まさかっっ!!!
「・・・お・・・まえ、もしかしてっっ・・・・!!」
言いかけたオレに対し、キッドがニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
やっぱりだ!
やっぱり、コイツ・・・!!
オレは確信した。
「キッドっっ! お前、ビスク・ドールの行方を掴んだのか?!」
間違いない。 コイツはビスク・ドールのところへ行くつもりなんだっっ!!
直感だろうが何だろうが、絶対的な自信がオレにはあった。
キッドがこの場でどんなにシラを切ったって、オレはごまかされないぞっっ!!
そう思って、ヤツを睨みつけてやったのだが。
意外なことに、キッドはあっさりと降参した。
・・・というか、もともとシラを切るつもりは毛頭なかったらしい。
オレの“ビスク・ドールのとこに行くのか?”という問いに対し、“そうだよ”とにっこり頷いてみせたのだから。
「あれから、ずっと地道にビスク・ドールの動きを追って、ようやくにして掴んだ情報でね。
ガセではないと信じたいけど、確実とも言い難い。」
「それでも、お前は行くんだろう?」
「まぁね。」
「なら、オレも行くっっ!!お前が何と言おうと、オレも行くぞ!!」
バンとテーブルを叩いてそう言い募るオレを、キッドは何食わぬ顔で見つめ返す。
「ああ、そう? でも今回はちょっと遠出だよ?」
「かまうもんかっ! で、いつ行くつもりなんだ?!」
「今日。 名探偵にコイツを預けたら、その足で空港に向かうつもりだったんだけど。」
・・・・なっにィィィィっ!? 今日の今日だとぉぉ??!
オレはギリっと歯を噛み締めると、キッドを見据えて指を突きつけてやる。
「・・・のヤローっ!! ふざけやがって!! 絶対、オレも行くっ!! 今、パスポートを持ってくるから、先に行くんじゃねーぞ!
一人で行きやがったら、承知しねーからなっっ!!!」
「・・・おっ、おいっ、新一、何もそんな急にじゃな・・・」
背中で博士が何か言うのも聞かずに、オレは阿笠邸を飛び出す。
ああ、クソっ!! キッドの野郎っっ!!
こういうことはもっと前もって言いやがれっっ!! バーローっっ!!
心の中でそうキッドを罵倒しつつ、オレはイライラしながら自宅の門をくぐったのだった。
+++ +++ +++
一方、嵐が去ったように静まりかえった阿笠邸リビングでは、キッドがコーヒーをすする音だけが小さく響いていた。
その横に腰掛ける赤毛の少女が、ジロリと冷めた視線を送る。
「・・・一体、どういうつもり?」
「・・・何が?」
刺すような鋭い哀の眼差しを受け流し、キッドは飄々と切り返す。
そんなキッドの態度が、わかっていても哀を苛立たせた。
「とぼけないでちょうだい。そんなハトをダシに使ってまでここに来るなんて。」
「いやだなぁ。コイツはほんとに病気だよ?」
「だとしても、他にいくらでも頼める人はいたんではなくて? わざわざ、工藤君に頼む時点で、
充分に作為的だと思うけど?」
「そう?」
キッドは、哀の方を見ずにクスリと口元だけで笑った。
哀はその目を細めて、なおも言う。
「工藤君を誘いに来たのね? ビスク・ドールのもとへ連れて行こうと・・・。」
「――― そんな風に言った覚えはないけど?」
「言わなくたって同じことだわ。 彼がどう反応するかなんて、わかりきったことでしょう?」
キッドは何も言わなかった。
ただ穏やかに笑っている。 哀の言葉を肯定しているかのようにも見えた。
「危険とわかっているところへ、工藤君を連れて行くのね。」
「・・・・・行くか、行かないか、決めるのは名探偵だよ。 オレは強要はしない。」
キッドは微笑を浮かべている。
新一とよく似た顔のクセに、まるで違う笑い方をすると、哀は思った。
――― 連れて行きたいと思ってるクセに。
哀は、じっと真横に座る怪盗を見つめた。
「・・・・・貴方はズルイ人ね。」
その言葉に、キッドは初めて顔を哀の方に向けると、にっこりと少年らしい笑顔を見せた。
「・・・・・オレは、泥棒だからね。」
哀は、それ以上はもう何も言わなかった。
正直、哀にはキッドが理解できない。
新一の身を誰よりも案じているかと思えば、平気で危険なところへも連れて行こうとする、この少年の真意が。
本当に新一のことを思っているのなら、ビスク・ドールになど近づけさせるわけがない。
そう思うのが普通なはず。
なのに、キッドは違う。
確かに新一なら、自分の身を顧みず、危険へ飛び込んでいくだろう。
新一の意思を尊重してやっていると言えば聞こえはいいが、そんなもの本人のためにはまるでならないのだから。
ただの少年達ではない、この新一とキッドという組み合わせはある意味、最強だとは言える。
だが、同時に二人でいることが最も危険ではないのかとも、哀は思った。
「・・・ところで工藤君が出かけてしまったら、そのハトの面倒は一体誰が見るのかしら?」
キッドの肩から離れ、窓際に大人しくとまっている白いハトへと視線を移しながら、哀は言った。
「・・・さて、困ったな。・・・では、お願いしてもいいかな?」
わざとらしく宙を仰いだキッドの視線がやがて哀定まると、その目を細めてニヤリとした。
と、哀の瞳も妖しげな色を灯す。
「・・・構わないわ。 ちょうど新薬投与の実験に何か小動物を使いたいと思っていたところなの。」
「・・・・・・・こらこら。」
あながち、冗談とも取れない哀の発言に、ちょっとキッドは本気であせったものの。
新一を連れて行くのだから、多少のリスクは仕方がないかなとも苦笑を漏らす。
言葉を語れない小さなハトは、愛くるしい目でただただ主人を見つめていた。
To Be Continued
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