その日は朝からどんよりとした雲が空を覆い、傘をささなくても気にならない程度の
霧雨が降ったり、止んだりの、はっきりしない天気だった。
まさに、梅雨ならではといったところであったが。
午後2時を少し過ぎた頃、駅前のファーストフード店の入り口に1人の男が現れた。
ランチタイムのピークを過ぎて、混雑はすでに緩和されており、男はすぐにオーダーを
することができた。
「店内でお召し上がりになりますか?」
アルバイトの女学生がマニュアルどおりに応対すると、
男は無愛想に頷いただけだった。
それでも彼女はいたって笑顔で、男がオーダーしたフライドポテトとコーヒーを用意した。
トレイにそれらと数枚の紙ナフキンをのせ、お待たせいたしました、と
咽元まで出かかったそのときだった。
突然、炎が吹き上がった。
何が起きたかわからず、トレイを放り出した彼女の目の前で、一瞬のうちに男が
炎に包まれたのだ。
「熱い!助けてくれ!!誰か、助けてくれぇ!!」
火だるまになったままの男が上体をゆらりと揺らす。
店内に悲鳴が溢れた。
そのうち男は倒れこんで、床を転げ回り始めた。
炎は床伝いに店にも燃え移ってきている。
その様子を呆然と見ていることしかできなかった彼女の後方で声がする。
「もしもし、もしもし、人が、人が燃えて、店にも燃え移ってます!!」
ああ、あれは確か店長の声だと思いながら、彼女はそのまま意識を手放した。
* * * * * * *
「いやぁ、せっかくの休日のところ、すまないね。工藤君。」
「いえ、別に特に予定があったわけじゃありませんから。」
心底すまなそうに言う目暮警部にオレはにっこり笑顔で返した。
例によって例のごとく、警察からの呼び出しをくらって、オレは今警部と共に
事件現場へ向かっている最中である。
東京消防庁から火災の情報が入り、後に現場に急行した所轄の刑事から
警部の所へ応援要請があったということだけど。
「火災の方は、もうおさまったようですよ。」
パトカーを運転しながら高木刑事がそう言った。
「しかし通報では、突然、人が火を吹いたと言っておったそうだが
そんなことあるものかね?」
「焼身自殺なんじゃないですか?」
二人のやり取りを耳にしながら、今現在入っている情報を整理し、
オレは考えをめぐらせていた。
昼下がりのファーストフード店で、いきなり焼身自殺なんてする奴がいるだろうか?
そんな場所でわざわざガソリンを被るとは、考えにくい。
あらかじめ、被ってから店に行ったとしても、何か変だ。
店に何か恨みのある奴の犯行なんだろうか?経営者に恨みがあるとか。
ま、何にしても、とりあえずは現場を見てからだな。
そう思ったところで、タイミングよく現場に到着した。
野次馬を掻き分けて現場保存用のテープをくぐると、ちょうど消防隊員が一つの担架を
運び出してきたところだった。
担架をいったん下へ置くように指示し、警部がその焼死体に被せてある毛布を取った。
そこにあったのは明らかに不自然な火傷を負った男の変わり果てた姿だった。
「おい、これはどういう焼け方をしたんだ?」
高木刑事もハンカチで鼻を押さえてのぞき込む。
「・・・やっぱり、ガソリンでも被って焼身自殺したみたいじゃないですか?」
いや。これは自殺なんかじゃない。
オレは遺体を見て、そう確信した。
「ガソリンや灯油を被ったんじゃないことだけは確かですよ。
だってほら、被った場合下の方にたまりますから、火は下半身に集中するはずです。
なのに、遺体を見る限り、上半身の方が明らかに激しく燃えていますから。」
オレがそう言うと、周りが一様に頷いた。
そしてそこへ、所轄の刑事が割り込んでくる。
「突然、燃え始めたようです。それまで普通にレジで注文していたようで。
で、自殺の可能性も少ないですね。被害者が助けを求めて転げまわっていたという
証言も得られました。」
結局、焼死した人物自体から出火したとしか思えないという証言が相次いだことから
改めて現場を検証する事になった。
「店内の何かしらの設備から火が出たってことは考えられないんですかね?」
高木刑事が独り言のように言うと、他の捜査官があっという間に否定をした。
「ショートしたくらいであんな焼け方はしませんよ。」
確かに。
と、すると、一体どこに出火原因があったのだろう?
そう思ったとき、捜査官の一人が何かを発見したらしく、声をあげた。
ピンセットで摘み上げたそれを見て、警部が首をかしげる。
「何だ?それは?」
数センチにも満たないそれは、一見すると黒焦げの蛇のようにも見える。
「おそらく焼死した被害者のベルトの一部だと思われますが。」
捜査官がそう言って、みんなに見えるよう高々とピンセットを上げた。
それを見てオレは、はっとした。
「すみません。それ、ちょっと見せて下さい。」
オレは捜査官からそれを貸して貰うと、やはり、と思った。
これは、自殺なんかじゃない。明らかに他殺だ。
「ここ、見てください。タール状になってるものが見えますよね。」
オレは、今にももろく崩れ去りそうな燃え殻の一部を指差した。
「まだ、はっきりした事は言えませんが、この辺に発火装置の部品となるものが
落ちていないでしょうか?」
オレのその言葉に、捜査員たちは一斉に緊張を走らせた。
「く、工藤君、それはもしかして・・・。」
「まだ断言はできませんが、薬品を使ってベルトに仕掛けた可能性があります。」
オレがそう言うと、捜査官の1人が続けた。
「確かに薬品によっては燃えた後にタール状に残るものがあります。
通常、ベルトの内部にこんな燃え方をするものが入っているとは考えにくいし、
被害者本人から出火したと言う目撃証言にも一致します。」
その後、ベルトの一部を発見した周囲をくまなく捜査した結果、
一見ベルトのバックルのようなデザインにはなっているが、表面の蓋が開くように
なっていて、開けてみるとデジタル表示盤と思われるものが出てきた。
「確かに時限発火装置らしきものは出てきたな。
と言う事は何か、この事件は個人の体に直接仕掛けた殺人事件ってことか。」
目暮警部は顎に手を添えて呟くと、急いで被害者の身元を確認するよう指示を出した。
時限発火の証拠部品については、科学捜査研究所の担当官に渡され、
薬物の鑑定をされることになり、オレ達はとりあえず、現場を後にした。
* * * * * * *
その後、オレは阿笠邸に寄って、灰原を訪ねた。
「薬品を使った時限発火装置?」
灰原はパソコンが置いてあるデスクから振り返ってオレを見た。
オレは事件のあらましを灰原に聞かせた。
こいつなら、いろいろと薬品にくわしいだろうから、科学研の結果を待つより早いはず。
灰原はしばらく考えている素振りを見せたが、やがてゆっくり口を開いた。
「・・・そうね。有機化合物の中には、いくつか僅かな衝撃にも敏感に反応して
発火するものもあるけど・・・。過酸化ベンゾイルなんてどうかしら?」
「過酸化ベンゾイル?」
聞きなれない薬品名にオレが首を傾げると、灰原はメモ用紙に化学記号を
書いてみせた。
「プラスチック工業なんかに用いられる薬品で、
僅かな衝撃、摩擦にも爆燃するはずよ。」
なるほど。
けど、そんな危険な薬品がそう簡単に手に入るわけはないけど・・・。
実は被害者の身元は、駅前に停めてあった彼の車から意外に早く判明していた。
男は、『三京ケミカル』という、化学工場の職員だったのだ。
となれば、薬品との関連性は出てくる事になるわけで。
「被害者は、化学工場の職員だったんだ。
薬品がこれだけ特殊だと、工場関係者の犯行かな?」
「化学工場?」
灰原が首を傾げたので、オレは工場の名前を教えてやった。
すると、とたんに灰原は顔色を無くした。
「どうかしたのか?」
オレの問いには答えず、灰原は無言でデスクの引出しから新聞を出してみせた。
それは、4日前の夕刊だった。
記事には、『三京ケミカル』という化学工場が爆発炎上事故を起こし、従業員が
全員死亡したことが載っていた。
そういやそんな事件もあったな。
当日勤務していた10人を満たない従業員はこの事故で全員死亡ということだけど、
今回の事件の被害者は事故当時は工場に不在で、難を逃れた一人だった。
それが殺害されたとなると、これってつながりがあるんじゃないのか?
オレが考えにふけっていると、灰原が口を開いた。
「『三京ケミカル』は、組織の息のかかった工場なのよ。」
灰原の言葉にオレは、驚いて彼女を凝視した。
「何だって?!じゃあ、この事件は組織の仕業ってことか?」
「さぁ、そこまではわからないけど・・・。
どちらにせよ、工場の関係者が全員死亡しているところを見ると、無関係とは
言い難いでしょうね。」
もし、組織が事件に絡んでいるとなると、犯人はそう簡単にはあげられそうもないと
オレはがっくりと肩を落としたのだった。
* * * * *
数日後、オレは警視庁を訪れていた。
例の薬品の鑑定結果が、科学研の方から出たと聞いて。
薬品名は、やはり灰原の読んだとおりだった。
捜査は被害者の交友関係をあらうとこから始まったようだが、
今だ、犯人に結びつくような有力な情報は得られていないらしい。
もし、犯人が組織の連中だとしたら、無理も無いか。
オレはリフレッシュルームで、コーヒーを飲もうと自販機に小銭を入れた。
と、そのとき派手な音を立てて、書類が床に広がった。
「あちゃ〜・・・。やっちゃったよ。」
見ると、高木刑事が抱えていたファイルボックスが、重さのあまり底が抜けてしまった
ようで、書類が床一面に散乱してしまっていた。
オレはコーヒーをテーブルの上にひとまず置き、落ちた書類を拾うのを手伝った。
「いや、悪いね、工藤君。」
「いえ。それにしてもすごい量ですね。」
「きちんと整理すればいいんだけど、なんでもかんでもみんなこれにつっこんじゃうから
すごいことになってるんだよねぇ〜。」
頭をかきながら、笑う高木刑事につられて、オレも笑顔を返す。
しばらく二人で散らばった書類をかき集めた。
「これで全部かな?」
「あ、まだあそこに一枚ありますよ。」
オレは少し離れたところに落ちているペーパーを取りに向かった。
裏返っているそれを拾い上げて、オレはふと目をとめた。
それは国際手配に関するものだった。
『BISQUE DOLL』 (ビスク・ドール)?
「ああ、それかい?」
興味深げにペーパーを見ていたオレを高木刑事が覗き込んで来る。
「国籍不明の大悪党だそうだよ。
まだ日本じゃそれほど知られていないけど、海外じゃ有名らしいんだ。」
へぇ・・・。初めて聞いたな。
「これ、『ビスク・ドール』って白磁器のアンティーク・ドールのことですよね?」
「そうそう。なんでもあっちの警察が勝手に命名したらしいんだけど、
人形みたいに血が通ってない面構えをしてるところからきているって聞いてるよ。
殺しも盗みもなんでもござれの凶悪犯。
できれば、こんなのと関わりたくないよね〜。」
・・・そりゃそうだけど、それを捕まえるのが警察の仕事ってもんだろ?
「これに比べたら、怪盗キッドの方が良心的でほんと助かるよ。
だって絶対に人は傷つけないし、盗んだものも返してくれるし。
いやぁ、日本で刑事してて良かったよ。」
本心からそういう高木刑事にオレは苦笑する。
キッドが良心的・・・ね。
「ところで工藤君、明日はそのキッドの予告日だったよね。
二課からお呼びがかかってるんだろう?」
そうなんだ。明日はキッドの犯行予告日。
本当は、今はキッドより、この時限発火の犯人の方が気になるんだけどな。
まぁ、前から依頼されていたことだし、仕方ない。
「あっちもこっちも、工藤君に頼りっぱなしで本当に申し訳ないね。」
「いえ、好きでやっていることですから、気にしないで下さい。」
オレはにっこり笑顔で応えて、「BISQUE DOLL」のペーパーを渡す。
とりあえずは時限発火事件についてしばらくは進展は望めなさそうだし。
今は、明日のキッドの事を考えた方が良さそうだ。
そう思って、警視庁を後にしたのだった。
■ To
be continued ■