キッドの犯行予告時間まで、およそ後30分。
今回のヤツの獲物であるビック・ジュエルが展示されている市立美術館は、
物々しい警備で騒然としていた。
高木刑事は、キッドを良心的な泥棒だと言ったけど・・・。
一体この警備に、国民の血税がいくら注ぎ込まれているんだか。
そう考えると、キッドも結構、悪党だよな。
展示室の窓から外を眺めながら、オレはぼんやりそんな事を考えていた。
すると、辺りを怒鳴り散らしながら、中森警部が2人の部下を連れてやってきた。
警備の最終確認のためだろう。
「工藤君、キッドの予告状の暗号解読に協力してもらって、すまないね。
君のおかげで、適切なポイントに絞って警備ができて助かるよ。
今回という今度はこそは、キッドの奴を観念させてやる。」
意気揚揚と語る警部にオレは苦笑を漏らす。
ちょうどそこへ、美術館の館長さんが心配そうな顔をしてやってきたけど、
警部ときたら胸を張って、ご安心下さい、なんて言ってる始末。
毎度、キッドにはしてやられてるのに、その自信は一体どこから出てくるのやら?
まぁ、でもこのくらい前向きな人でないと、キッドを追い続けるなんてできないのかも
しれないけど。
キッド専任が彼だというのは、ある意味適任なのかもしれないな。
さて、そろそろ・・・。
オレは犯行予定時刻10分前をきったのを確認して、展示室を抜け出した。
そのまま近辺の、とある高層ビルへ向かう。
オレの考えが正しければ、キッドの逃走経路として浮かび上がる場所の一つだ。
ビルの屋上へと向かう非常階段の途中で、左腕のアラームが予定時刻になったことを
告げた。
と、同時に展示室の音声を傍受しているイヤホンから、
けたたましい警報の音が聞こえた。
現れたか!
キッドの出現によって鳴ったと思われる警報を耳にしながら、階段を進んでいると
今度は中森警部の尋常ではない叫び声が聞こえる。
何だ?どうした?
オレはイヤホンを押さえて集中する。
すると、展示室の中で何が起こっているのか、かなりパニックな様子がうかがえた。
気になって、警部に無線連絡を入れてみる。
『警部、工藤です。どうかしましたか?』
少し大きめの声でそう呼びかけると、慌てふためく中森警部の声が届いた。
『く、工藤君か!!たいへんだ!展示室が火事に!!
キッドが現れたと思ったら、突然、宝石の入ったショー・ケースから火が出て!!
今、こっちは火の海だ!一体、どうなってんだ、まったく!!』
なんだって?!
『負傷者はいるんですか?!』
『ああ、ケースのそばにいた警備員が何名か、今、搬送しているところだ。
消火活動もしているんだが、火の勢いが強すぎて、どうにも・・・!!』
『キッドは?!』
『わからない!もう本当に火がすごくて何も確認できないんだ!!
まったく、これもキッドの仕業なのかは解らないが・・・!!』
そこまでで、無線はブツリと切れてしまった。
展示室が火事だって?
まさかキッドがそんなことをするはずがない。
オレは一瞬美術館へ戻ろうと、途中まで上った階段を降りかけて止めた。
直接、キッドに確かめた方が早い。
オレは階段を駆け上がって、重い鉄の扉をバンと勢い良く開いた。
「キッド!!」
それは、夜目にも目立つ白い怪盗が現れたのとほぼ同時だった。
* * * *
展示室がひどい火事に間違いないというのは、キッドの様子からもすぐにわかった。
奴の純白のマントは、煤で所々汚れており、煙を若干吸い込んだのか、
小さく咳をしていた。
いつもの気障な挨拶をかましている暇がないあたり、めずらしく余裕の無さが窺がえる。
「一体、何があったんだ?!」
一通り、咳が治まるのを待ってやってから問い掛けると、
キッドは煙のせいで充血した目でオレをキッと睨んだ。
「こっちが聞きたいね。オレが近づいたら、いきなりショー・ケースが
火を噴出しやがってさ!もうちょっとで黒こげになるところだったぜ、まったく!」
さも忌々しそうにキッドはそう吐き捨てた。
いきなりショー・ケースが燃え出した?
キッドの命を狙って、誰かが何か仕掛けたのか?
誰か・・・。
キッドの命を狙う奴らといったら、例の組織の仕業なのか?
「・・・キッド、お前、宝石はどうした?」
「あんな火の海じゃあね、おかげでしくじったよ。」
・・・組織の犯行とは考えにくいか。
奴らの狙いも宝石なはず。パンドラかもしれない石を燃やすとは思えない。
・・・だとすると、犯人は一体?
キッドの予告時間を狙って時限発火装置でも置いたというのか?
!!
時限発火?!
オレの脳裏に先日のファースト・フード店の事件がよみがえった。
と、そのときだった。
オレ達以外いないはずの屋上に、突然ゆらりと黒い人影が現れた。
誰かいる!!
オレとキッドはとっさに身構えた。
暗闇の中で、顔も姿もはっきり見えないが、
そいつの眼だけが一瞬、月光を反射して、ギラッと光った。
その瞬間、オレは、心臓を掴み上げられたような気がした。
これほどドキっとしたことは後にも先にも一度もないくらいに。
凍てつくような殺気にオレは動く事ができなかった。
* * * *
息が詰まるほどの緊張感の中、黒い影はゆっくりとこちらに近づいてきた。
闇の中から現れたのは、ちょうどオレぐらいの背格好の男。
輝くような金髪で、瀬戸物みたいに真っ白な肌に
目鼻立ちの涼しいキレイな顔をしていた。
つり上がり気味のマリン・ブルーのその眼からは、相手を威圧する以外何物でもない
強い光を放っていた。
外人!?
オレは驚いてそいつを凝視した。
オレの横に立つキッドの表情が俄かに険しくなる。
「ビスク・ドール・・・!」
キッドは確かにそう言った。
『ビスク・ドール』だって?! こいつが?!
オレの脳裏に、昨日、警視庁で見たばかりの国際手配書が過った。
「久しぶり、怪盗キッド。」
そう言ってニヤっと笑ったそいつの唇は、まるで口紅でもぬっているかのように
赤かった。
「相も変わらず、まだ夢見たいな石っころを追いかけてるとは、
お前も大概、進歩がないな。」
冷たく光るガラス玉のような眼の下で、赤い唇だけが僅かに動いて
低い笑い声が漏れた。
その外見にはまるで似合わない流暢な日本語。
オレは隣のキッドの顔を見た。
キッドの全神経がビスク・ドールへ集中しているのがわかる。
それほどにヤバイ奴なのだ。
そしてそれは、オレ自身の本能も告げていた。
コイツは危険だと。
「いい加減、そんな魔法の石は諦めて、オレと手を組もうぜ、キッド。
前にも言ったが、お前ほどの技量の持ち主がこんな子供だましのパフォーマンスに
甘んじているのはもったいない。
ただの怪盗じゃ、お前だって満足できないだろう?
もう一歩進んでみろよ。オレと来れば世界中のすべてが手に入る。
スリルだって、今以上。
迷う事ないだろう?」
言いながら、ソイツは蛇のように光る目でキッドをのぞき込む。
「せっかくだけど、お断りするよ。あいにく、コロシは趣味じゃないんでね。」
口元には笑いを浮かべているが、キッドも切れるような鋭い眼差しを返した。
キッドのその台詞に、ビスク・ドールは赤い唇でクックッと笑う。
「やれやれ。相変わらずつれないな。せっかく久々に日本に来たのにさ。
再会の喜びを表して、お前の真似して花火まで用意したんだぜ?」
コイツが・・・!!美術館を火事にしたのか!!
オレは眼を向いた。
「オレはあんな物騒な花火はしない。」
さも心外そうに言い返すキッドを鼻で笑って、ビスク・ドールは口を開いた。
「あの花火のタネは、ちょっとしたとこから手に入れてね。」
オレとキッドは奴を見上げて、その続きを促した。
「ある組織から熱烈なラブ・コールを受けててさ、
鬱陶しいから、関連施設を潰してやったんだ。で、そこで見つけた。」
そう言って、ニヤっと笑ったその瞳の中に残忍で鮮やかな光がきらめく。
何だって?!
奴の言う関連施設というのは、爆発炎上事故を起こした例の化学工場のことだ。
オレは大きく眼を見開いて、叫んだ。
「過酸化ベンゾイルか!?」
その瞬間、こっちを見上げたビスク・ドールとオレは初めて視線が合った。
ビリっとしびれるようなその眼差しの鋭さに、オレは息を呑んだ。
その視線は、嫌でも心に焼きつくくらい強烈で、同時に冴え冴えとして冷たかった。
人形のようなその眼が穴があくほどオレを見据え、赤い唇が静かに動いた。
「お前、名前は?」
とっさにキッドがオレの肩を掴んで自分の方へ引き寄せ、何かを言おうとしたが
オレはその手を振り払った。
「・・・工藤新一、探偵だ。
その薬品を使って、『三京ケミカル』という化学工場を炎上させたのも、
昨日、そこの職員を時限発火装置で焼死させたのもお前なんだな?」
「それが、どうした。」
言いながら、奴は赤い唇を曲げて冷ややかに笑った。
・・・このヤロウ・・!!
オレは眼を見開いて、ビスク・ドールを見据えた。
すると奴は、マリン・ブルーの二つの眼で冷たくオレをにらんだ後、
再び視線をキッドへ移した。
「怪盗のオトモダチが探偵とは、笑わせてくれるな、キッド。」
奴のその冷淡な笑いに、キッドはギリっと唇を噛んだ。
その様子にビスク・ドールはちょっと目を細める。
「・・・今、ここでそのオトモダチを殺して見せたら、お前、どうする?」
奴のその青い瞳の底から冷たく激しい光がカッと浮かび上がって
まっすぐにオレの目の中に差し込み、オレはゾクっとした。
とたん、奴の体がフワッと浮いたかと思うと、一瞬のうちにオレの後ろに回りこんだ。
オレはとっさに振り返りながら、奴の咽下に蹴りを入れようとしたが、
もうそれ以上動けなかった。
オレの心臓の真上に奴のつき出したナイフの切っ先がピタリと当たっていて。
・・・!速い!!
オレはその速さに驚かずにはいられなかった。
目にも止まらぬ速さとは、まさにこういうことを言うのだろう。
その時、オレは初めて間近で奴の顔を見ることができた。
色の白い整ったその顔には、まるで表情が無く
なるほど 『ビスク・ドール』 (陶器人形)のようだった。
オレがそう思ったのと同時に、すっとビスク・ドールは後方へと下がった。
「イイ顔だな、キッド。殺意が漲ってるのがビリビリ感じるぜ。」
そう言って、先ほどまでオレの胸に当てていたナイフを口先に持っていき
ペロリと嘗める。
キッドは黙ったまま、ただビスク・ドールを見据えていた。
だが、その瞳は刺すように冷たく、オレが知っているキッドのものではなかった。
全身に漲る怒りのオーラは、奴の言うとおり間違いなく殺気だ。
そのピリピリした空気をビスク・ドールのはじけるような笑いが壊した。
「怒るなよ、冗談だ。それにしても、お前をそんな風にさせるとは
そのオトモダチにも大いに興味があるね。
・・・クドウ シンイチか。覚えておこう。」
言いながら、食い入るようにオレを見つめてニヤリと嫌な笑いをした。
「じゃあな、キッド。近いうちにまた会おうぜ。そう、そっちのオトモダチもな。」
再び赤い唇を動かしてそれだけ言うと、そのまま闇に掻き消えてしまった。
* * * *
オレとキッドは、ビスク・ドールが消えた闇からしばらく目が離せないでいた。
そして、ようやくオレは大きく溜息をついて、キッドを見る。
「・・・お前、厄介な知り合いがいるんだな。」
キッドもオレの方を見る。
その顔はもうオレがよく見知ったもので、先ほどの殺意は消えていた。
いつもどおりのポーカー・フェイス。
そして唇に不敵な笑みを浮かべて。
「モテる人間はツライね。」
・・・言ってろ。
それにしても。
あの何の感情もないガラス玉のような眼は忘れられない。
あれはきっと、人殺しなんてなんとも思っていない人間の眼だ。
イヤな奴に覚えられちまったな・・・。
そう思って、オレはちょっと舌打ちしたのだった。
■ To
be continued ■