「・・・つまりあなたは、組織が熱烈にラブコールを送るほどの国際手配の凶悪犯に
顔はおろかご丁寧に名前まで、しっかり売ってきたと、こう言いたいわけ?」
テーブルに静かにコーヒーカップを置いた後、
そう言いながら、灰原は凍るように冷たい目で、射るようにオレを見た。
冷え冷えしたその視線にオレは必死で耐えながら、
苦めのコーヒーをゴクリと咽を鳴らして飲み込んだ。
・・・いや、オレはただ、灰原に組織にいた頃、「ビスク・ドール」って奴のことを
聞いたことがあったかどうか、確かめたかっただけだったんだけど・・・。
結果として、先日、キッドを交えてその当人と対峙したことをかいつまんで
説明したところ、開口一番の彼女の台詞が先程のそれだ。
上目使いに灰原の表情を盗み見ると、彼女は呆れたように溜息をついた。
「・・・残念だけど。そのヤバそうな人物に関して、私は何も知らないわ。」
灰原の言葉にオレは小さく、そっか、とだけ答えた。
ただの国際手配の凶悪犯というだけなら、いざ知らず。
例の組織が欲しがるほどの逸材。
実際、会ってみて確信した。
『ビスク・ドール』は、オレが今まで出会ったことがあるどんな殺人鬼とも
はっきりと異なる種類の人間だった。
あの何の感情も映し出さないガラス玉のような目。
その瞳の中にある残忍な光。
他人に対して、あれほど恐怖を感じたのは初めてかもしれない。
できれば、もう2度と関わりたくはないけど・・・。
・・・そういうわけにはいかないんだろうな・・・。
「まったく次から次へと・・・。ここまでくると呆れを通り越して感心するわね。
あなたみたいなタイプは、気をつけないと、今に早死にするわよ?」
灰原は皮肉げな笑いを浮かべてそれだけ言うと、席を立った。
今日で、例のキッドの予告日から3日が過ぎていた。
奴が盗み損ねたビッグ・ジュエルは、幸い耐火性のケースに入っていたため
あの炎の中、無事だったと聞いている。
その後、どうやら今回はあきらめたのか、キッドから再び予告は来ていない。
あの日の美術館の火事も
例のファースト・フード店の事件発火装置による殺人事件も
そして化学工場の爆破事件も。
全てはビスク・ドールの犯行だった。
本人からそう聞いたのだから、間違いはないのだろうけど。
結局、奴が犯人だと確定づける証拠は何一つ見つからなかった。
* * * *
数日後。
深夜1時を少し過ぎた頃、オレは地元の駅に到着した。
例によって警部に呼び出されて、一つ事件を片付けてきたところである。
その後、ついでに警視庁に顔を出していたりしたら、すっかり遅くなってしまった。
車で送ってくれると言った高木刑事を、まだ終電には間に合うからと
断ってきたのだけれど。
・・・やっぱり送ってもらえばよかったかな。
警視庁で長時間、資料の細かい文字を追いつづけたせいか、少し頭痛がした。
疲れ眼からくるこの症状には睡眠が一番なことはよく知っている。
オレは一刻も早く帰って、さっさと寝ようとホームの階段を駆け下りた。
一歩改札を出ると、町はすっかり寝静まったように静かだった。
自宅までは徒歩で約8分。
オレはまるで人通りの無い、真っ暗な道を一人、足早に歩く。
ふと、ぽたりと冷たいものがオレの頬を濡らした。
雨?
オレは夜空を仰ぐ。
見上げた空には雲がかかっているのか、星一つ見えない。
頬を伝うそれを手の甲で拭ってみて、やけにその感触がべとりとしていることに
気づいた。
そして、その直後。
ゴトリ・・・!と、音を立ててオレの目の前に信じられないものが空から降ってきた。
アスファルトの上に転がるソレは、なんと人間の腕!!
な・・・!!
オレは目を見開いた。
血まみれのその腕は、骨格からして女のものなのだろうが、
その指先にはキレイな赤のマニキュアが塗られており、より一層リアルだった。
突然の事にオレは一瞬、凍りついたように動けなかった。
するといきなり、そんなオレをあざ笑うような声が空からした。
「ソイツはお前にプレゼントするよ、探偵君?」
「だ、誰だ?!」
今までまるで人の気配など感じなかったのに・・・!
オレは驚いて、声のした方を見上げた。
その先にオレが見たものは、忘れもしないあの陶器のように真っ白な顔をした
男だった。
・・・!!
ビスク・ドール!!
オレと視線が合うと、奴はその赤い唇をつり上げて、ニヤっと笑った。
とたん、一瞬のうちにオレの目の前までやってくる。
「お前のこと、いろいろ調べさせてもらったよ、工藤新一。
・・・何でも日本じゃ、結構名の知れた名探偵だっていうじゃないか。」
街灯の下で、ビスク・ドールのつり上がった青い眼がギラっと光った。
「キッドも、ずいぶんと面白い奴を友達に選んだもんだな。」
相変わらずの無表情。
赤い唇だけが静かに動いて、クックと笑った。
「・・・何か用か?それにこれは一体、何のマネだ?!」
オレは真っ直ぐヤツを見据えた。
と、ヤツは、ご挨拶だねぇ、なんて肩を竦ませる。
「せっかくのプレゼントだったのに。お気に召していただけなかったのかな?」
丁寧なその言葉とは裏腹に、青い瞳の底から冷たく激しい光が浮かび上がる。
そのままビスク・ドールは落ちていた血まみれの腕を拾い上げ、
自分の口元へ持っていき、軽いキスをして見せた。
真っ黒な手袋をしたヤツの手から、赤い血がしたたり落ちる。
その様子にオレはゾクリ、とした。
すると、ヤツはもう興味無しとばかりに、その腕を投げ捨て
代わりにオレの方へと左手を伸ばした。
オレは動けなかった!
まるで、足が地面に縫い付けられたように・・・!!
ガラス玉のような眼に射すくめられて、オレはその手が近づいてくるのを
ただじっと見つめているしかなかった。
薄い皮の感触が頬にあたる。
ヤツの手はオレの頬をゆっくりと伝い、そしてそのまま下へ下りていき
やがて首のあたりまでやってきた。
「・・・細い首だな。このままへし折れそうだ。」
相変わらず冷たく光るその瞳の下で、赤い唇だけが僅かに動いて
低い笑い声が漏れた。
・・・!ヤロウ!
オレは黙ったまま、ヤツを見据えた。
「へぇ、いい眼をするじゃないか。もっと見たいぜ。
そういう顔がオレはぞくぞくするほど、好きなんだ。」
言うなり、ビスク・ドールは左腕に一気に力を入れ、オレの首を締め上げた。
!
一瞬にして息が詰まる。
耳の奥がキーンとして、目の前のヤツの顔が徐々にかすんでいく。
が、とたんにその苦しさから開放される。オレは喉もとを押さえて激しくむせた。
咳をしながら振り仰ぐと、ヤツはニヤリと笑って見せた。
「殺すのはいつでもできる。わかっただろう、名探偵?
だが、せっかくのキッドのお気に入りだ。そう簡単に殺してしまってもつまらない。
もっと効果的じゃないとなぁ?」
オレがその言葉にギラっと目をむくと、ヤツは一層楽しそうに唇を歪ませた。
「そうそう、一つ教えておいてやろう。
オレが望んで手に入らなかったものなんて今まで無いが、
もし、どうしても手に入れられないくらいなら、オレはそれを壊しちゃうぜ?
・・・この意味、わかるよな?」
ビスク・ドールはそれだけ言うと、ふっと闇に掻き消えた。
オレはまだ幾分荒い呼吸をしながら、奴が消えた闇を睨みつけていた。
辺りはまるで何も無かったかのように静寂を取り戻している。
オレは締め付けられた感触がリアルに残る首元に手をやりながら
アスファルトを汚した血痕を眺めた。
ビスク・ドールのあの言葉・・・。
キッドを手に入れることができないくらいなら殺す・・・と。
そういう意味か。
「・・・ったく、キッドの奴、一体どこであんな厄介なのと知り合ったんだか・・・。」
大きな溜息を一つした後、オレは重い足取りで再び家へと向かったのだった。
■ To
be continued ■