まもなく「春の彼岸入り」。
「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言うが、まだ3月の半ばを過ぎたばかりだというのに、ここ最近、日中は初夏を思わせる程の暖かい日が続いている。
おかげで、都内ではもう桜も開花したとか。
異常気象による温暖化なんていう言葉は、それこそ当たり前になりすぎて、
近頃はめっきり聞かなくなったような気もするが、関東地方でこんなに早く桜が見られるのは、実に珍しい事らしい。
・・・この分では、新入生の入学式までに散ってしまっているかもしれませんね。
警視庁入り口の前に立つ桜の樹を眺めながら、白馬 探はぼんやりとそんなことを思った。
朝っぱらから引っ張り出されていた事件を無事解決し、やっと開放され、たった今から帰宅の途につくところである。
門を出ようとしたところで、彼を呼び止める声がした。白馬が振向くと馴染みの刑事が車を回している。
「白馬君!!よかったら送るよ!」
「あ、すみません。でもいいんですか?」
「気にしないで。いつもお世話になってるし。僕も午後から休みなんで、これから帰るところなんだ。」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて・・・。」
白馬は恭しく一礼すると、車の助手席へと乗り込んだ。
「本当なら、お昼ご飯くらいご馳走してあげたいんだけどね。」
ハンドルを握るその若い刑事は、実はこの後、久々に恋人とデートなのだと笑いながら告げた。
「僕なんかを送って、時間は大丈夫なんですか?」
せっかくのデートに遅刻させてしまっては申し訳ないと、心配そうに言う白馬に、
刑事はそれくらいの時間はあるよ、とにっこり笑顔を返した。
交差点で信号待ちのために車を停めると、刑事は白馬の顔を覗いて言った。
「それにしても、一人暮らししているんだってね。いろいろとたいへんじゃないかい?」
都内に実家があるにも関わらず、白馬は一人マンションに部屋を借りていた。
特に理由があったわけではない。
もともと外国育ちで個を重んじてくれている彼の家庭は、そのへんの事に理解があった。
早くから自立させようという親心であったのかもしれないが。
「そうですね・・・。でも何かと一人の方が気が楽で。」
信号が青になるのを見つめながら、白馬が答えた。ゆっくりと車が発信する。
「でも、一人暮らしだとペットとか飼いたくならない?僕もアパートに一人暮らしだけど、犬が欲しくて。けど、こんな仕事してちゃロクに世話もできないからね〜・・・。」
まっすぐに前を向いたまま刑事が苦笑する。
「・・・・・・ペット・・・・・・。」
白馬はそう呟いて、そのまま流れる車窓の景色へ目線を移した。
それきり黙ってしまった白馬に、刑事は小首を傾げる。
「・・・どうかした?」
不思議そうに訊ねる彼に、白馬は穏やかに笑った。
「・・・いえ。そういえば、もうかれこれ2週間も飼い猫の姿を見ていないので・・・。」
「猫?!白馬君、猫を飼ってたの?ああ、でも確かに猫なら手間もかからないよね。僕も子供の頃、飼ってたよ。野良猫を拾ってきてね。・・・ってそれより、2週間も見てないって、いなくなっちゃったってこと?」
白馬は苦笑しながら頷く。
「ええ、実に気まぐれな猫なので。フラリと行き先も告げずによく出かけてしまうんですよ。
・・・ま、そのうち帰ってくるとは思うんですけどね。」
・・・普通、猫が行き先など告げて出かけるはず無いのだが。
刑事は特に気にも留めずに聞いていた。
「そうだねぇ。猫って本当に気まぐれで要領がいいっていうか・・・。僕の飼ってた猫なんてさ、ある日、よその家に入ってちゃったもんだから、お詫びして引き取りに行ったんだよ。そうしたら、どうだと思う?実はその家でも飼い猫として扱われてたんだよ?びっくりしちゃったよ。
もしかしたら案外、その白馬君ちの猫も、よその家に転がり込んでいるのかもしれないね。」
・・・確かにそうかもしれない。
自分は彼にとって、ほんの羽根休めの仮の宿の一つにしか過ぎないのかも。
刑事の話に大いに頷ける部分があった白馬はそう思った。
□ □ □
さて、白馬の言うところの飼い猫とは、もちろん黒羽 快斗のことである。
怪盗キッドという、もう一つの闇の顔を持つ人物。
キッドの正体が快斗であるということを、探偵生命に賭けて早くから見抜いていた白馬は、いつも真剣に彼だけを追いかけてきた。
探偵業という仕事柄、人の本質を見抜くことに長けている白馬ではあったが、快斗は例外だった。
だから、興味が湧いた。
彼が怪盗キッドだったから、という理由だけではない。
彼自身に、決して解けない難解なトリックのような魅力を感じずにはいられなくて。
事実、快斗は白馬にとって、本当につかみ所のない人間だった。
彼の言動、及び行動は、白馬の気を面白いようにかき乱していく。
白馬の感情すらも巧みに操るその小悪魔性は、生まれながらにして持つ彼の才能か。
いい様にされているとわかっていても、どうすることもできないのは、惚れた弱みというヤツで。
自宅マンション前で、白馬は送ってもらった車を見送ると、空を仰いだ。
「・・・一体、今頃どこで何をしているのやら?」
もう2週間も行方をくらましている快斗を思って、小さく溜息をつく。
いきなり快斗が転がり込んできて始まった、奇妙な同棲生活。
うやむやなままスタートした二人の関係は、よくわからないうちに身体を重ねる関係にまで進展した。
けれどもこれは、俗に言う『恋人同士』という関係とはいささか異なるものだと、白馬は思っている。
白馬にしてみれば、快斗への恋愛感情はもちろんあるのだが、それをきちんと伝えた事もまた、快斗の気持ちを確かめた事もない。
ただ一つ、確信が持てるのは、お互いの信頼感だけ。
その信頼感の上にだけ成り立っている、微妙かつ曖昧な関係。
でも、この関係に白馬は不満はなかったし、何より快斗が今の状態を気に入っているように思えた。
敢えて、二人の関係を明らかになどしたら、自分から快斗が去っていくような気がして。
だから、白馬はこのままでいいと思っていた。
そうして。
プライベートな時間をともに過ごすようになって、もっと快斗の内面を知ることができるかと思えば実はそうでもなかった。
白馬が最も触れたいと思う、快斗の心の奥底は相変わらず見えてこないし、謎のままだ。
怪盗キッドとしての仕事に関しては、尚更。
快斗が白馬に打ち明ける事など何一つない。
フラリと出て行って、そのまま何日も家をあけることなど、ざらである。
その間の行動においては、皆目不明で。
さすがに世界を股にかける大怪盗だけあって、フット・ワークの軽さは否めないし。
ともかく、彼が不意に姿を消したりすることは決して珍しい事ではないので、今更慌てる白馬ではないが。
さすがに2週間も音信不通では、少々気にもかかるのももっともなことで。
快斗の抱えている問題がいかに大きいものかぐらいは、認識のある白馬である。
こんな自分にでも、少しは力になれることはないのかと思ってしまう。
もちろん、それを快斗が望んでいないことも充分承知しているので、口にすら出してはいないが。
「・・・いつも待つことしかできない、こっちの身にもなってほしいですね・・・。」
勝手気ままに空を流れる雲を見つめながら、まるで彼のようだと白馬は一人ごちた。
□ □ □
部屋の前までたどり着いた白馬は、ジャケットのポケットに突っ込んであるキー・ケースを取り出す。
キーを差し込んでドアを開けると、今朝、自分が出てきたときにはなかったはずのスニーカーが玄関に乱雑に脱ぎ捨てられていた。
・・・黒羽君っ・・・?!
見覚えのあるスニーカーに白馬は目を見開くと、手早く靴を脱ぎ、自分の靴とともにそのスニーカーも綺麗にそろえる。
そのままリビングへと足を進めると、ソファには快斗が普段羽織っている薄いレザーの上着が置かれてあった。
だが、彼本人の姿は見えない。
白馬は自分もジャケットを脱ぐと、それを手にしたまま、奥の寝室へと向かった。
ドアを開けると、白馬の探し求める人物はそこにいた。
ベッドの中で真っ白な羽布団に包まって、彼の柔らかそうな黒い毛だけがちょこんと見えた。
・・・寝ているんですか。
白馬が部屋に入ってきても、快斗は起きる気配も無い。
もしや怪我でもしているのでは、と一瞬不安を掻き立てられたが、ベットサイドに近づいて覗いた快斗のその穏やかな寝顔に一気に脱力する。
あどけない少年の寝顔に、規則正しい寝息。
・・・こうしていると天使のようなんですがね。
快斗の顔をしみじみ見つめながら、白馬はそう心の中で呟いた。
そのままくせのある柔らかいネコっ毛に手を伸ばす。
優しく撫でると、黒曜の瞳がゆっくりと開いた。
「・・・起こしてしまいましたか。」
「・・・おはよ・・・。」
黒の双眸が白馬を捕らえると、面白そうな笑いを含んだ光を灯す。
「おはようございます・・と、言っても、もうお昼ですが。」
「・・・まぁ、そう言うなよ。夕べはロクに寝てないんだ。」
欠伸をしながら、快斗はベットから起き上がる。起き上がったものの、ベットから出る気配はなかった。
枕を抱えて、その上に気だるげに頭を乗せた。
どうやら、まだ寝足りないらしい。
白馬はその様子に苦笑しながら、クローゼットからハンガーを出すと、着ていたジャケットをかけた。
「一体、何時頃帰ってきたんです?僕が外出したのは8時半でしたが。」
「・・・う〜ん、何時だったかなぁ〜・・・。」
髪の毛を軽くかき上げながら、言う快斗の声はのんきなものだ。
・・・・・・・・・人の気も知らないで。
白馬はチロリと快斗を見つめる。
「・・・まったく、2週間も黙って留守にするなんて。何かあったんじゃないかと心配するじゃないですか。」
クローゼットを閉めて振り返る白馬を、快斗はニヤリと笑って迎える。
「・・・どっかで野垂れ死にしてるかもしれないって?」
「やめてください!君が言うとシャレにならない。」
幾分低い声で白馬が言う。真面目に否定したのは少し怒っているからなのだが、言われた当人はわかっているのかいないのか、ニヤニヤ笑うばかりだ。
「・・・とにかく、連絡くらい入れてください。電話一本寄越すくらいの時間はあるでしょう?」
「電話はキライなんだよ。そんなに言うなら、白馬の方から電話してくれればよかったのに。」
・・・よく言う。 仕事中は電話など決して取らないクセに。
白馬は僅かに眉をつり上げた。
「・・・どうせ僕が電話したところで、君は出てはくれないでしょう?」
すると、快斗はにっこり笑ってウインク付きでこう答えた。
「お前からなら、出たぜ?」
そんな言葉が、どうせこの場限りのウソだとはわかっていても。
それでもうれしいと感じてしまうのは、自分は相当彼にイカレているらしいと白馬は改めて実感した。
「2週間も学校を無断欠席して、留年したって知りませんからね?」
「そのへんはちゃんと計算してるよ。学年末のテストもきっちり受けてるし、抜かりはない。」
悔し紛れに吐いた白馬の言葉は、案の定快斗にはあっさりかわされて。
白馬は溜息を漏らした。そして、そんな白馬を見て、快斗が楽しそうに微笑む。
「・・・じゃあ、僕はリビングで調べ物をしてますから。黒羽君はまだ寝るんでしょう?」
去りかけた白馬の腕を、快斗がそっと掴む。
「お前も朝早くから仕事なんかして疲れたろ?眠くならない?」
言いながら、快斗が妖艶に微笑んだ。
それを見つめてしばらく考えていた白馬は、そうですね、と頷く。
「・・・確かに眠くなりました。」
そう言って穏やかに笑うと、快斗の腕に引き込まれるようにして、唇を重ねる。
優しく触れるだけだった口付けが角度を変えるたびに深くなっていくと、
白馬はそのまま、快斗の身体をベットに押し倒していった。
■ To Be Continued ■
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