シャツから滑りこんだ白馬の手が、快斗の胸をまさぐり始める。
突起に触れると、快斗は甘い声を出した。
指先で撫でつけるように執拗に愛撫を重ねながら、徐々に快斗のシャツをはだけさせていく。
ひきしまって無駄な筋肉の無い快斗の身体は、裸体になると案外細くて薄い。
着太りしやすい身体なのだということは、脱がせて見ればすぐにわかった。
それでも、決して貧弱というのではなく。腕にも胸にもきれいに発達した筋肉がついていた。
そして。
その細い身体に残る、いくつもの傷跡。
鋭い刃物で切りつけられたものや、銃で撃たれたことによってついた傷。
それを見る度、快斗がいかに危険な闇の世界に身を投じているかということを、再認識させられてしまう。
・・・・・・・無茶は決してしないで欲しい。
もう消えることの無い傷跡を、せめてこのときくらい癒してやる事ができたら。
白馬はその痛ましい戦跡を目で追った。
・・・・・・傷があっても、この身体は綺麗だ。
白馬はそう思いながら、鎖骨から下へとゆるゆると唇を這わせていくと、その先で出会った銃創をペロリと嘗め上げた。
「・・・んっ!」
とたんに、快斗から鼻に抜けるような、艶っぽい声が漏れる。
その声がもっと聞きたくて、白馬は丹念に舌を使った。
快斗はそんな白馬をクスリと笑い、わざと鳴いてみせる。すると、白馬の息も徐々に上がり始めた。
白馬が自分に欲情しているのだということがわかる。
そんな白馬に快斗は欲情する。
だからこそ、白馬がもっと行為に没頭するように、快斗は甘い声を上げるのだ。
「・・・あっ・・ああっっ・・・ん。」
快斗の体のラインを確かめるように、白馬の手がゆっくりと撫で下ろしていく。
そうして、服の上から快斗自身へと指を這わせた。
すでに熱くなり始めているそこを、白馬がじらすようにやんわりと握りこんでやると、
快斗は両腕を白馬の首に回し、より身体を密着させた。
白馬によってもたらされる感覚に身をよじりながらも、快斗は自身を白馬にすりつけた。
触れた先から感じたのは、白馬の熱さ。
快斗が同じように白馬へ手を伸ばしてやると、白馬はもどかしそうに目を細めた。
「・・・2週間ぶりじゃ、すぐイッちまうんじゃねーの?」
白馬の下で、快斗が上目使いに見上げて笑う。白馬はそんな生意気な快斗の口を黙らせるように
激しく塞ぐと、喘ぐ快斗の口腔内を存分に犯した。
唇を貪りながらも、一気に快斗のズボンを下着ごと取り去り、立ち上がり先走りの溢れたそれに直に刺激を与え始める。
「・・・うぅ・・・んっっ!ん・・・!」
瞬間、痺れるような甘い疼きが快斗の下半身を襲う。
唾液に濡れた快斗の唇を開放すると、白馬の唇は下りて行き、ためらいもなく快斗自身を口に含んだ。
先端に舌を這わせながら、時々甘噛みしてやると、艶のある声が響く。
最早、快斗が意識せずとも、自然と喘ぐ声が溢れた。
「ああぁっ!・・・あ、あっ!!は・・・くばっっ!!」
快斗の手が白馬の髪に伸び、指を絡ませ始める。
白馬は舌を裏側にまで這わせながら、その指を双丘の奥に忍ばせた。
「・・・あっっ!!」
ビクリと身体を反らせた快斗にかまわず、白馬は内部をゆっくりとかき回すと、さらに快斗から
嬌声が上がった。
「あっ、あっ・・・・!ああっんっ!」
快斗のその声に満足した白馬は、奥に進ませている指を2本に増やしていった。
体の中に蠢く白馬の指の感触に、快斗は己の欲望を白馬の口の中に放ってしまう。
わざと聞こえるように淫猥な音を立てて、白馬はそれを飲み干すと、荒い息を繰り返す快斗の顔を覗き込んだ。
「・・・君こそ、いつもより早いんじゃないですか?」
言いながら、すでに白馬のモノも限界だった。
この2週間、快斗に触れていないのだ。こんな快斗を目の前にして、我慢などできるはずがない。
すべての感覚は快斗に集中していた。
白馬の言葉に、熱い息を吐きながら、快斗が快感に潤んだ瞳で負けじと睨み返す。
「・・・は・・やく、ヤレば?」
言葉を終える間もなく、白馬が快斗の内部を容赦なく貫いた。
「・・・ああっ!!んっ、くっ!痛っ・・・・!!」
先程まで指で慣らされていたとはいえ、まだ充分な準備などできていなかったそこを一気に貫かれ、快斗は背を弓なりに反らせた。
「・・・ちょっ・・バ・・・カ野郎っっ!い・・・き・・なり、入れんな・・・・っっつ!!」
「・・・すみません・・。どうやら久しぶりで、押えが効かなくて・・・。少し我慢してください。」
久しぶりの挿入は、ややお互いに圧迫感を与えた。
けれども、それは最初の内だけ。何度も繰り返された行為で、体に覚えこまされた快感。
二人はそれを追って、さらに体を深くつなぎ合わせていった。
□ □ □
「・・・動きますよ?」
徐々に早くなっていく白馬の律動は、快斗にあられもない声を上げさせる。
喘ぎながら、すがるものを求めて、必死で自分に手を伸ばしてくる快斗を、
白馬はこの上なく愛しい目で見つめていた。
彼が自分へ手を伸ばすなんて、こんな時ぐらいしかない。
だから、わざと激しく攻め立ててやる。
久しぶりで余裕がないのもうそではないが、そんなものは言いわけにしか過ぎない。
せめて、体を繋いでいる時くらいは、快斗のすべてを掴まえた気でいたいから。
白馬はそう思っていた。
「・・・うっ・・・んっ!あっ、あっ、ああっっ!あ!」
白馬の首筋にしがみつきながら、快斗は必死に快感と苦痛に耐えていた。
この2週間、触れずにいて、もどかしく感じているのは何も白馬だけではなかった。
だから、容赦のない攻めを受けながらも、快斗も足を絡め、白馬の腰を放そうとはしない。
思考感覚さえ奪う、目も眩むような激しい快感を快斗はキライじゃなかった。
肉体が快楽だけを追う。
その時だけは、何もかも忘れて相手に素直になれる気がして。
ひっきりなしに漏れる快斗の甘い声を耳にしながら、そろそろ白馬も限界に達しようとしていた。
「・・・くっ!」
白馬は低くうめくと、快斗の中に熱い欲望を放つ。
「あああっっ!!」
同時に快斗自身も2度目の解放を迎えると、白馬がそのまま快斗の上に上半身を預けるように倒れこんできた。
暫くの間、二人の荒い息使いだけが部屋に響いていた。
床に落ちていたシャツを軽く肩から羽織ると、白馬はそっとベットからおりた。
そのまま黙って部屋を出て行く姿を、快斗は目線だけで見送ると、すぐに白馬は戻ってきた。
手にはミネラルウォーターの入ったペットボトルとグラスを二つ持って。
よく冷えた水を二つのグラスに注ぐと、そのうちの一つをどうぞ、と快斗に差し出した。
枕に背を預けたままの快斗は、それを受け取ると一気に飲み干した。
「もっと飲みますか?」
「・・・いや、いらない。」
開いたグラスをベッド・サイドに置くと、快斗はふぅ〜と溜息をついた。
そんな様子を見て、白馬は苦笑する。
「・・・すみません。少し無理をさせてしまいましたね。」
「まったくだ。やみくもに犯りやがって!」
け!と、吐き捨てるように快斗はそう言うと、乱れた羽毛布団を整えて肩まで被った。
どうやらこれから一眠りするらしい。
白馬はベットの下に落ちたままの快斗の衣服を拾い上げると、簡単にたたんで
そっとベットの脇に置いた。
「黒羽君、昼食はどうします?」
「いらね。オレ、このまま夕方まで寝るから。起こすなよ?」
「じゃあ、夕食はきちんとしたものを食べないと。ああ、ここしばらく買い物に行ってなかったので材料がありませんね。買出しにも行かなかれば。黒羽君、何が食べたいですか?」
「うーん・・・。何かかったるいな・・・。今日はどっか近場に食いに行こうぜ?」
「そうですか?わかりました。」
白馬も快斗も料理することは嫌いではなかったが、お互いに不規則な仕事のため、生活の時間にすれ違いが多く、最近では自炊する事の方が減ってきている。
ま、幸いにして白馬のマンションの傍には、おいしい食事をさせてくれる店も結構多いので、外食するのにも何の問題も無いのだが。
白馬は快斗の申出をにっこり笑って了承した。
と、すっかり寝る体勢を作った快斗がちらりと白馬の方を見た。
「・・・そういやオレ、明日は久々に学校行くつもりだけど、お前は?」
「あ、僕は明日はちょっと。休む予定でいますが。」
「へぇ?なんか厄介な事件でも起こったのか?」
「・・・いえ。事件じゃありませんよ。単なる私用です。父親が何やら話があるそうで。実家の方に行ってくるつもりなんです。」
「・・・ふーん、あっそ。」
自分で振った割には、返って来た白馬の答えに、快斗は大して関心もなさそうな返事をした。
そうして枕に顔を埋めて、瞳を閉じる。
白馬はそんな快斗の顔を、少しの間、無言で見つめた。
「・・・何?」
もう開かないと思っていた快斗の瞼が不意に開いて、黒い瞳が白馬を映す。
相変わらず他人の気配には敏感な快斗に、白馬は苦笑した。
「・・・何だよ?言いたい事があるなら、早く言え。オレは眠い。」
「・・・・・・いえ。何でもありません。明日は僕の代わりに、しっかり授業を聞いておいてくださいね?」
そう言いながら白馬がにっこり笑うと、快斗はそんなこと知るか、とばかりに欠伸で返してきた。
「・・・では、おやすみなさい。黒羽君。」
白馬は小さく呟くと、すでに寝息を立て始めた快斗をベットに残して、寝室を静かに出て行った。
□ □ □
翌日。
2週間ぶりに訪れた学校で、快斗を待ち受けていたのは、欠席中に配られたプリントの山だった。
学期末を控えて、いろいろと配布物は多いようで。
長期間不在だった快斗の机は、白いプリントで埋め尽くされていた。
快斗は興味なさげに溜息をつくと、それらをよく見ようともしないで、無造作にカバンに突っ込み始める。
と、ヒラリと一枚のプリントが舞い、床に落ちた。
快斗がよっこらしょっと、かがんで手を伸ばすより先に、別の誰かの手がそのプリントを掴むとバン!と快斗の鼻先に突きつけた。
「コラっ!!快斗!!このプリント大事なんだから!!落とさないのっ!」
腰に手を当てて勇ましく快斗の前に現れたのは、幼馴染の青子である。
「・・・別にわざと落としたんじゃねーって・・・。」
目の前に翳されたそのプリントを片手でひょいとどかすと、快斗はふぁ〜っと欠伸をかます。
それを見て、青子の眉が大きくつり上がった。
「・・・まったく、いい度胸ね。2週間もサボって。いくら成績優秀だって、そんなに授業態度が悪かったら内申に響ったって知らないから!一体今までどこで何をしてたのよ?!」
一気にまくし立てた青子に、やや後ずさりしながらも、快斗はヘラヘラ笑って返した。
「いやぁ〜・・・、マジックの修行っていうかさぁ〜・・・。」
「何が修行よ!!それより、ソレ!!明日が提出期限なんだから、さっさと書いて先生に出しなさいよ?」
やや呆れ顔で青子はそう言うと、持っていたプリントを快斗に押し付けた。
快斗の眠そうな目が、ようやくにしてそのプリントに注がれる。
「・・・あーん?進路希望調査?」
[ 1.大学、及び短期大学進学 2.専門学校進学 3.就職 4.その他 ]
と、まぁ、中身はこんな感じである。
考えてみれば、もう4月からは高校3年生。
卒業後の進路調査をされるのも、時期としては不自然ではなかった。
とは言うものの・・・。
高校卒業後の進路についてなんて、快斗はこれっぽっちも考えていなかった。
いかに学校側が彼の進学先に期待しようが、そんなこと知ったことではない。
進路より何より、快斗には優先すべきことがあった。
『怪盗キッド』として、やるべきことを果たす。
それが果たせない限りは、自分は前へは進めない。
快斗はそう思っていた。
『キッド』を受け継いで、まもなく1年。
依然としてパンドラの所在は不明で、父親を殺した組織の全貌も謎のまま、進展は見られない。
そのことの方が、よっぽど今の快斗にとって大問題であった。
正直、受験なんかより、そっちに専念したいくらいである。
・・・などとは言えるわけもない。
快斗はどうでも良さそうに、乱雑に《大学進学》に○印をつけた。
とりあえず、こうしておけば誰も文句は言わないだろうと。
「・・・お前はどーすんの?」
きちんと進路希望の用紙に記入するのを見届けている青子に向かって、快斗は訊ねた。
「私は短大に行こうと思って。家政科を希望してるんだ。」
そう言って青子は微笑む。さすがにどの短大を志望しているかまでは口を割らなかったが。
「ね、そういえば、白馬君だけど。」
「ん?アイツなら今日は休みらしいぜ?」
「あ、ううん。そうじゃなくて。白馬君の進路のこと。」
青子の話題に、快斗はへ?と視線を彼女の方にチラリと向けた。
「私、こないだ職員室で白馬君が先生と話してるのを偶然、聞いちゃったんだけど。白馬君、ロンドンにまた戻るかもしれないんだってね。快斗、知ってた?」
青子の言葉に、快斗はほんの僅かだが目を見開く。
「・・・いや、初耳。」
・・・・コラ。 オレ、そんなこと一言も聞いてねーぞ?
机の上に乗っていたプリントを全部カバンに詰め込み終わると、快斗はガタンと席を立った。
「ちょっと!快斗!!もうすぐ授業始まるわよ?どこに行くの?!」
すると、快斗は振り返りもせずに一言、
「・・・フケる。」
と、言って教室から出て行った。
快斗の声は幾分、不機嫌そうだったのだが、果たして青子がそれに気付いたかどうか。
「せっかく2週間ぶりに出てきたと思ったら、何なの〜?!」
彼女の方こそ、快斗に対する怒り爆発でそれどころではなかったようである。
□ □ □
同じ頃、白馬は実家を訪れていた。
警視総監である彼の父親は極めて多忙で、プライベートな時間などほとんどない。
その父が、わざわざ時間を作ってまで話したい事とは・・・・。
白馬は大方その内容について、予想がついていた。
リビングでお手伝いさんが出してくれた紅茶を飲みながら、白馬は小さく溜息を漏らした。
と、ドアが開き、彼の父親が穏やかな笑顔を浮かべて入ってきた。
「やぁ、朝から呼び出したりしてすまなかった。どうにも時間を作る事ができなくてね。」
「・・・いえ。相変わらずお忙しそうですね。」
白馬の言葉に彼は苦笑しながら頷くと、悠然とソファに腰掛け、足を組んだ。
そして、タバコに火をつける。
「・・・元気そうで何よりだ。ところで、学校の方はどうだね?」
「ええ。楽しくやっています。」
「探偵としてもずいぶんと活躍しているようじゃないか。捜査2課の方から聞いているよ。」
「・・・おかげさまで。」
白馬の目の前で、白いタバコの煙がふわりと舞った。
「・・・では、早速本題に入ろうか。何故、私がお前をここに呼んだかはわかっているね?」
父の目が細められたのを見て、白馬は頷いた。
「・・・僕の進路のことですね?」
アール・グレイの入ったカップに砂糖をスプーンで混ぜながら、彼の父親はゆっくりと口を開いた。
「前にも少し話したが。ロンドンへの大学進学の件だ。私としてはお前に留学を勧めたいと思っている。幸い、向こうの大学ではすぐにでもお前を受け入れてくれると言っているし、学長とも私は個人的な付き合いがあるが、とても信頼のおける人物だ。 何も問題は無いと思うが?」
父の言葉に、白馬は少し視線を落としてカップの中の液体を見た。
「・・・僕はまだ高校2年生ですよ?大学進学まではあと1年ありますが・・・。」
「1年くらいのスキップは良くある話だ。・・・どうかしたのかね?
お前自身、今回は一時帰国で、いずれはまたロンドンへ留学することを希望していたのでは?」
確かにそうだった。
白馬にとってはロンドンは第二の祖国のようなものでもあり、とても愛着がある。
目的があってこちらに一時帰国したものの、いずれはまたロンドンへ行くつもりだったし、
日本で大学受験するつもりなど到底なかった。
・・・・だが、今は。
深く押し黙ってしまった白馬を見やり、彼の父親は苦笑しながら溜息を漏らした。
「・・・お前をそこまで夢中にさせたあの『怪盗』のことが、まだ気がかりなのだね?」
父の言葉に、白馬ははっと顔を上げた。
そう。もとはと言えば、自分は『怪盗キッド』を捕まえたくて、わざわざロンドンから帰国したのだ。
白馬のキッドにかけるその情熱については、彼の親が知らないわけは無かった。
まさか、今はその『怪盗キッド』である人物と、自分が一つ屋根の下に暮らしているなどとは口が裂けても言えないが。
『怪盗キッド』を捕らえたいという白馬の思いは、実際にその人物と出会って変わってしまった。
その正体がクラスメートの黒羽快斗であったこと。
その盗みを働く目的が、何かしらの信念をもとになされていること。
それらを暴いていくことによって。
白馬は、『キッド』に手錠をかけて監獄へ送り込みたいのではなく、『キッド』が持つ謎を解きたいのだという、自分の気持ちに気付いた。
同時にそれが恋愛感情だとも。
だからこそ、『キッド』を夢中で追いかけて。
今は、やっとその白いマントの端くらいは掴んだような気がする。
だが、『キッド』のすべてを捕らえるには、まだその道のりは程遠い。
だから、今、『キッド』の傍から離れるわけにはいかないし、離れたくもない。
いや、今だけではなく、ずっと離れたくはない。一緒にいたい。
それが、白馬の本心だった。
そんな白馬の本心など、もちろん彼の父親が知る由もないのだが、
とりあえず、白馬が今は留学したくはないという意思だけは、しっかりと伝わったようだ。
「・・・まぁ、いいだろう。志半ばにして、中途半端に留学したくはないというお前の気持ちも確かにわかる。なに、別に留学は4月からでなくてもできるし、お前の言うとおり高校卒業後でも遅くはない。学長には私の方から話しておこう。」
父の言葉に、白馬は安堵の溜息をついた。どうやら、今すぐ快斗と引き裂かれることは免れたようだ。
自分の将来を真剣に考えてくれる父の好意はありがたいが、もし留学することを強制されでもしたら、親子の縁を切ってでも、従わないくらいの覚悟で、白馬は今日この場に臨んでいた。
とはいえ、白馬とて、むやみに父との関係を悪化させたいわけではない。
今日は無事和解できてよかったと、心底そう思った。
「・・・ところで、お前がご執心の『キッド』だが。今回は少々危険なことに首を突っ込んでいるようだね。」
「・・・えっ?!」
不意に転換された話題に、白馬は目を見開いて父を見返した。
「どういうことです!?彼から予告状でも?僕のもとには暗号解読の依頼は来ていませんが。」
キッドの予告状の暗号解読については、到底白馬以外にできる人間がいないため、すべて白馬のところにその依頼が来る。そういった意味ではキッドの仕事において白馬はすべてを網羅する事ができた。
だが、今回は何の連絡も無かった。というか、予告状が出ていたという事実さえ知らない。
食い入るように白馬は父を見、次の言葉を待った。
「公にはしておらんのだ。何しろ今回、キッドが予告状を出したのはイギリス大使館だからな。私のところに一報が入っただけで、詳しい情報はよくわからん。」
「・・・イギリス大使館・・・。」
白馬は眉を寄せた。
確かにそこは日本権力の及ばない場所。情報が開示されないのも頷けるのだが。
「・・・予告状の中身は?」
「それについても詳細は不明だが。今回はいつものような暗号文ではなかったらしい。」
・・・なるほど。と白馬は思った。
おそらく、キッドは今回の予告状が白馬の手に渡らないことを、最初から読んでいたのだろう。
キッドの予告状が、その犯罪を誇示するためのものであることを良く知っている白馬はそう思った。
解読できない暗号など作っても、彼にとっては意味がない。いつだって、解読されるための暗号なのだ。
・・・だが、しかし。
今回、暗号を使わなかったキッドの真意が、あえて白馬の手に渡らないようにするためだったということも考えられる。
白馬はその手を顎に添えて、思案するようにすっと目を細めた。
「・・・では、大使館側から、予告状について何一つ明らかにされていないのですか?」
「いや。今回キッドが狙っている獲物が、今、一時帰国している大使が来日する際に持って来るダイヤだということは、わかっている。」
「・・・キッドが危険なことに関わっているというのは?」
白馬の問いに、彼の父はうむ、と頷いた。
「・・・実は、大使の暗殺計画が何者かによって、企てられているという情報があってな。大使館側は警備を強化して、大使に近づく者を何人たりとも容赦せず、射殺もしかねない体制だそうだ。」
白馬の琥珀色の目が大きく見開かれる。
「・・・では・・・!!」
「・・・そう。大使の持つダイヤを奪おうとするキッドも例外ではない。大使館側としては、キッドこそ大使の命を狙う刺客とも考えている者もいるとのことだ。」
「そんなっ・・・・!!」
白馬の絶望的な表情を見つつ、彼の父親は続けた。
「それから、もう一つ。海外から殺し屋の組織が日本に潜入したらしいという情報が入った。これが大使を狙うものかは特定はできんが。確か、キッド自身が賞金首だという話も聞いたことがある。この機会に、彼を狙う者がいたとしても不思議ではないだろう。」
父の話を聞いて、白馬は見る見るうちに顔色を無くしていった。
「・・・そ、それで。キッドの予告日はいつなんですか?」
「3月30日の夜、8時だ。」
□ □ □
せっかく行った学校を早々に抜け出した快斗は、気晴らしに町をうろついていたものの、どうにも気分が乗らなくて、仕方無しに白馬のマンションへ戻る事にした。
今は白馬は実家に行っているはず。いくらなんでも、昼前のこんな時間に白馬が帰ってこないだろう。
・・・なんとなく、今は白馬の顔が見たくないから、丁度いい。
快斗はそう思って、渡されている合鍵を差し込んでドアを開けると、部屋に入った。
案の定、白馬はいなかった。
快斗はどすんとリビングのソファに腰を掛けると、テーブルを挟んだ向かいのソファにカバンを投げつけた。
心の中にもやもやと、どうにも説明のつかない感情が渦巻いている。
たぶん、それは怒りや不満。
でも、何に対して?
白馬がロンドンに行く事についての相談を、一言も自分にしてくれなかったから?
頭に浮かんだ考えを、快斗はあっという間に否定した。
・・・ふん、バカバカしい。例え相談されたって、どうだっていうんだ?結局は、アイツ自身のことで、オレがとやかく言うような問題じゃねーだろ?
じゃあ、白馬が自分一人残して、ロンドンへ行ってしまうから?
・・・何言ってんだか。オレ達はそんな関係じゃない。別にアイツなんかいなくったって・・・。
快斗はソファに転がるクッションをぎゅっと抱きしめた。白馬の匂いがする。
その匂いに包まれると、少しだけ心が落ち着くような気がして、快斗は目を閉じた。
いつのまにか始まってしまった白馬との関係。
でも決して、なし崩し的に始まったんじゃなく、すべて快斗の意思で始めたもの。
このマンションに転がり込んだのも。 そして、白馬に抱かれたのも。
白馬の気持ちが手に取るようにわかるから、それを逆手にとって利用したと言ってもいい。
とにかくこの関係を始めたのは自分で、だから、終わらせるのも自分であると、快斗は当然決めていた。
『怪盗キッド』という目的がある以上、今の関係が邪魔になるようなら、遠慮なく切り捨てられるぐらいの気持ちも覚悟もあったのだ。
・・・そうだ!別れを言うのはオレの方からのはずなのに、何でアイツから言われなくちゃならねーんだ?
・・・そうだ!!それがムカつくんだっ!!
快斗はプライドにかけて、まさか白馬に依存している自分がいるなどと、認めるわけにいかなかった。
・・・でも、ま。そろそろ潮時なのかな?白馬がいない方が仕事をするにも気が楽かもしれない。
・・・・・・アイツはいつだってオレの心配ばかりしているから・・・・・・。
不意に、快斗の上着のポケットに突っ込んである携帯が鳴った。
その音に、快斗はそれまでの考えを一切遮断して、電話に出る。電話の主はわかっていた。
「・・・はい。どーも、ご苦労さん。・・・うん、ごめんね、いろいろと面倒な事、頼んじゃって・・・。ああ、オレの方はなんとか・・・。ま、ほとんど準備はできてるよ。」
と、快斗が電話に出ているうちに、玄関のドアが開く音がした。
おや?と快斗の目線が横へ動く。
続いてリビングの戸が開き現れた人物に、快斗は携帯を手にしたまま、顔だけ向けた。
「・・・OK。あ、じゃあ詳しい事は、また後でオレの方から連絡するから・・・。」
快斗は手早く会話を終わらせると、携帯を再び上着のポケットに突っ込み、改めてその人物を見返した。
もちろん、白馬である。彼はリビングの戸口に立ったまま、じっと快斗を見つめて動かない。
「・・・何だよ?早かったじゃん?」
何事も無かったように、快斗がそう言って笑ってみせる。
先程まであった胸のわだかまりについては、もうすでに決着がついていた。
どうせ、次にはまっさきに学校をサボったことを問い詰めてくると思った、快斗の予想を裏切り、白馬は押し黙ったままだった。
そのただならぬ様子に、快斗の眉が僅かにつり上がる。 どうも怒っている・・・ように見えるが。
・・・どうかしたのか?と言いかけた快斗の言葉は、ようやく口を開いた白馬の言葉にかき消された。
「・・・今の電話、誰です?!」
それは、白馬にしてはめずらしく感情的な大きな声だった。
対して、快斗も不審げに眉を寄せた。
今まで誰と電話していようが、そんなことまで詮索された事はない。
というか、どうせ仕事絡みだろうことは白馬の方も百も承知で、敢えて聞くようなマネはしなかった。
それは、この関係を始めた時から暗黙の了解。 不可侵のルール。
なのに。
快斗の表情から笑いが消えた。
白馬は、そんな快斗の目を真っ直ぐに見返すと、堰を切ったようにしゃべりだした。
「わかっています!!君が誰と話しているかなんて!!君の唯一の協力者であろうことくらい!!」
快斗の顔からは完璧に表情が消え、その目付きが鋭くなった。
「・・・・・・何が言いたい?」
快斗の声はひどく静かなものであった。声を荒立てている白馬とは対照的に。
「今回の仕事は危険すぎる!!大使館側は、射殺さえ厭わないと言っているんですよ?!しかも、それ以外に海外からよからぬ連中が入国したという情報があります!君を狙ってのことかもしれない!!」
一気にまくし立てた白馬を、快斗は冷たく一瞥した。
それだけで、空気が冷える気がした。明らかに快斗の周りを取り巻く気が変わったのだ。
それは、紛れも無くあの大怪盗の持つオーラだった。
「・・・・・それで?」
何の感情も読み取れない程、冷たい声だった。
「だからっ!僕はっっ・・・・!!」
快斗の腕を掴まえようと伸ばされた白馬の手は、パン!と払われた。
「・・・く、黒羽君っ・・・・!」
ギッと相手を威圧する激しい瞳で睨まれた白馬は、思わず叩かれた手を引いてしまう。
快斗は座っていたソファからすっくと立ち上がると、音も無く白馬の脇を通り抜けて行った。
「ま、待ってくださいっっ!!黒羽君っ!!」
慌てて振向いた白馬に、快斗はきっぱりと言い放つ。
「・・・オレの邪魔をするヤツは許さない。それが例えお前でも!」
蒼い炎さえ見えるようなその快斗の気迫に、白馬はもうそれ以上何も言う事もできずに。
そのまま凍りついたように快斗が出て行くのをただ見ているしかなかった。
そうして。
その日から、快斗の姿はまた白馬の前から、忽然と消えてしまったのである。
■ To Be Continued ■
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