Heart Rules The Mind

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NOVEL

追ってくる君の足音が聞こえる

 

昔はまだ遠かったその足音が 今ではもうすぐそこまできている

 

逃げても   逃げても

振り切れない

 

君の足音が───

 

 

 


見えない柵   ■□ act.2□■


 

 

予想を裏切る進藤の大逆転の対局を見終わった後、芦原さんを見送って一人廊下に佇んでいた僕の背中に声がかかった。

振り向くとそこに居たのは、和谷で。

くせっ毛なのか左右にはねるその髪を軽くかき上げながら、彼が僕を見ていた。

 

「オレ達、この後、ファミレスにメシ、食いに行くけど。・・・・お前も来るか?」

そう言ってくれた彼の顔はちょっと不本意そうで。

その彼の後ろに見える越智も、少し面白く無さそうな顔をしたまま僕から目線を逸らしている。

 

 

囲碁中心に生きてきた僕の周りは、比較的年上で大人の人ばかりだったが、ここへきて交際範囲も少し変わってきた。

それと言うのも、全部進藤の影響だが。

僕と違って社交的な進藤には友人も多く、院生時代の仲間ともよくつるんでいる。

進藤は、僕を彼の仲間との集まりにも積極的に連れ出した。

おかげで、僕も彼の仲間と顔を合わせる機会もいやおうなしに増やされ、進藤がいないところでもこんな風に友達づきあいをしてくれるようにまでなってしまった。

お互い“進藤”という人間を間に挟んでいるだけに、関係を疎かにするわけにもいかない。

 

 

彼らにも気を使わせてしまっているんだなと、僕は小さく苦笑した後、その食事の誘いの申出を受けることにした。

 

この後、僕には1人で碁会所に打ちに行くか、進藤の部屋で彼の帰りを待つくらいしか予定はない。

今は、どちらもあまり気が進まなかったので、彼らと時間を潰す事にしたのだ。

 

 

○●●     ○○●     ●○●

 

 

向かった先は、駅前のファミリーレストラン。

そこへは、進藤を含めて彼らとも何度か行った事のあるお馴染みの場所だった。

その場に同行したのは和谷と越智の二人だけで、冴木という人は何か予定があったらしく、棋院を出て別れた。

 

レストラン奥の窓際の席に和谷と越智が並んですわり、僕はその彼らとテーブルを挟んで向かいに1人で腰をかけた。

一通りメニューをオーダーし終えたところで、おしぼりを手に和谷がソファにどすんと背を預ける。

「ふぅ〜。にしても、さっきの進藤の一手。あれには本当驚かされたぜ。ああいうヒラメキって、やっぱ才能だったりすんのかな?」

そんな彼を横目に、水の入ったグラスに口をつけていた越智は、小ばかにしたように鼻で笑った。

「対局中にそういうヒラメキができないんだとしたら、和谷に才能がないだけなんじゃないの。」

「越智、てめぇ!お前こそ、進藤の手を読みきれなかったくせに!」

「僕はっっ!僕だったら、あんな手は打たないというだけだ!あんな窮地に追い込まれる前に、上手く勝利に結びつくように石を運べば何の問題もないんだ!」

 

 

───確かに、越智の言うとおりかもしれない。

だが、それでも。

あの窮地を脱することのできる道を、一体どれほどの人間が見つけることができたろう?

少なくとも僕を含めたあの場に居た人間は、誰にできなかった。

つまり、あの瞬間、進藤はあの場に居た誰よりも上にいっていたということになるのだ。

 

 

僕の考えをよそに、二人の会話は続いている。

 

「まぁ、お前の言いたい事もわかるけどさ、越智。確かに中盤、進藤の攻めは強引だったし、それが招いた結果でもあるけど。それでもやっぱ、あの場でああ切り返せるのは大したもんだぞ思うぜ?昔からだけどさ、進藤って時々こっちがドキってするような一手をこう打ってきたりするんだよな。そういう時って悔しいけど、感じるんだ。ああ、コイツには敵わないって。情けない話さ。」

「フン、バカバカしい。和谷は勝手に進藤に敗北宣言でもしてるといいよ。」

「だ、誰が敗北宣言なんか・・・!別にオレだって、大人しく進藤に負けてやるつもりはねーよ!」

「そう?進藤に敵わないなんて思ってる時点で既に負けていると思うけどね。悪いけど、僕は自分が進藤に劣っているなんて思った事は一度もないよ。大体、進藤だけに才能があって、この僕に才能がないなんて、そんなの認めない。」

越智はそれだけ言うと、口を真一文字に結んでしまった。

 

 

───才能・・・。

囲碁の才能、か。

そういえば、僕も幼い頃、父に訊ねたことがあったな。

 

あの時、父は僕には二つの才能があると言ってくれた。

 

一つは、“誰よりも努力を惜しまない才能”。

そしてもう一つは、“限りなく囲碁を愛する才能”と。

 

囲碁が強いという才能が僕にあるかどうかはわからない。

だが、そんな才能より僕が持つその二つの才能の方が素晴しいと、そう父は語った。

 

だけど、本当にそうなのだろうか?

本当に囲碁が強いという才能を持つ人間の前では、僕の持つ二つの才能なんて───

 

 

僕が自分の考えに沈みこんでいると、急に肉の漕げる音がしてウェイトレスが食事を運んできた。

テーブルにそれぞれ注文した品が乗ると、食べようぜ!と明るく言った和谷の言葉を合図に僕もナイフとフォークを手に取った。

それからしばらく。

僕たちは無言で食事をしていたが、僕の正面に座る和谷は空腹だったのか、頼んだハンバーグステーキをパクパクと平らげていた。

皿の上に乗ったその残り少ないハンバーグの一切れにフォークを突き刺すと、それをちょっと僕の方に突きつけて彼が口を開く。

 

───なぁ、昔、ネット碁でsaiっていたろ?」

その和谷の言葉に、僕は食事の手を止めた。

 

プロ試験の初戦を棒に振って、僕がsaiと一局交えたことはもはや有名な話になってしまっている。

かく言う和谷も、僕がsaiと打つ前に対局した事があるという話は聞いた事があった。

実際にsaiとチャットまでしたと発言したその彼の言葉から、saiが実は子供ではないかという波紋まで広がり、僕もあの時はsaiの正体が進藤ではないかと疑惑を深めたものだ。

 

フォークに突き刺したハンバーグをくるくると回しながら、和谷が言う。

「オレさ。もしかして、saiって、進藤なんじゃねーかって時々思うんだよな。」

「・・・進藤がsai?!ありえないよ。saiの事なら僕も知ってるけど、世界中の棋士と名勝負をして、しかも塔矢名人にまで勝ってるんだ。進藤にもしそんな実力があったら、さっさとプロ試験なんて全勝してるはずじゃないか。」

和谷の台詞に、鼻息荒く越智が反論する。

越智の意見は、かつての僕のそのものだった。

僕は何も言わずに彼らのやり取りを見ているにとどまった。

すると和谷は越智の方には目もくれず、フォークに刺したままだったハンバーグを口に放り込む。

 

「・・・ま、そうなんだけどさ。実際、オレとsaiしか知らないチャットの内容を進藤が知ってたりとか、腑に落ちない点があるんだよな。進藤に問い詰めてもアイツはしらばっくれたけど。絶対、saiと進藤は関係があるとオレは見たね。」

「じゃあ何?和谷は進藤の師匠がsaiとでも?」

目を剥いた越智に、和谷は口に入れたハンバーグをもごもごさせたなが答えた。

「そうだとしたら一番つじつまが合うけどな。進藤の目を見張る成長振りには、saiって師匠がいましたっていう秘密があったとしたらさ。」

「だけど、進藤に師匠がいたなんて話は聞いた事がない。大体、進藤の周りにそんなすごい人物が居て、誰も気づかないわけないじゃないか。」

「・・・だよな。誰もsaiのことを見てねーし。ネット碁に現れたのだって一時期だけ。今は忽然と姿を消しちまったしなぁ。」

うーんと唸りながら、和谷は改めて僕を見た。

 

「塔矢はどう思う?」

「・・・え。 僕は・・・・。」

振られた話題にどう返していいものか、困った。

 

 

saiの正体について、追求したいという思いは、はっきり言ってもう失せている。

僕は進藤の碁の中にsaiを見つけることができて、その時点でもう僕の中での疑問は解消されてしまっていたのだ。

進藤の打つ碁が、彼のすべてで───

それだけでいい。

僕はもうそう思う事にした。

進藤とsaiとの間にあるその謎の部分については、いつか進藤自身が話してくれると言ってくれたし、僕はそれで満足していたから。

 

進藤が実はsaiなのかもしれない。

それとも、彼らが言うように進藤の師匠にsaiがいるのか。

どちらの可能性もあると思ったし、どちらでも構わないと思っていた。

 

 

「・・・・僕は───。 僕には、わからない・・・。」

それだけ言うと、僕は俯いた。

そんな僕にこれ以上の返答を期待できないと思ったのか、和谷が溜息一つついた後、口を開く。

「saiって今じゃその存在は完全に消えちまっているけど、オレ、進藤の中にsaiの強さを感じることがあるんだ。進藤がsaiなんじゃないのかなってオレが思うのはそういう理由。」

「何言ってんの?和谷。」

細い眉を寄せる越智に対し、彼は続ける。

「だからさ。例えば、進藤にsaiが乗り移ったっていうか・・・。」

「乗り移る???!何オカルトめいた話してるんだよ?それじゃ、和谷はsaiが悪霊の類とでも思ってるの?」

明らかに越智に馬鹿げた眼差しを向けられ、和谷もまぁまぁと苦笑する。

 

「けど、もし仮に、囲碁界にsaiっていう神様がいたとするとだろ?実際、saiのこと、神だって称える人も少なくないんだぜ?」

───で?その神様とやらが降臨して、進藤に囲碁を教えてやったって?」

「そうそう♪」

「・・・・和谷。一度、医者へ行って頭を診てもらった方がいいよ。」

本気で越智に呆れられると、和谷も心外そうな顔をした。

「冗談だよ。けどさ、もしそんなことがあったら、全部説明がつくと思わねーか?」

「思わないね。大体、そんな夢見たいな話が万が一にもあったとしてもだ。囲碁の神様に進藤だけが選ばれたなんて、そんなの僕には納得できない。」

 

越智はそうピシャリと言い放つと、席を立った。

店の外には彼を迎えに来たらしい車の陰が見える。

越智はそそくさと帰り支度を始めた。

 

「馬鹿げた話をしてたら頭痛がしてきたよ。僕はもう帰るから。和谷もそんなくだらない想像してるヒマがあったら、碁の勉強をした方がいいと僕は思うよ?」

そんな越智の捨て台詞に、和谷は“余計なお世話”と舌を出す。

 

それから彼は僕を改めて見た。

───言っとくけど。オレだって、いつもこんなこと考えてるわけじゃねーんだぜ?」

バカにするなよ?と言いたげなその彼の瞳を見つつ、僕は薄く笑いを口元に貼り付けて頷く。

それから越智が去ったのを見送ってすぐ、僕達も店を出て、彼とはそこで別れた。

 

僕は1人、ゆっくりと駅への道を歩く。

途中、先程の彼らの会話が頭から離れなかった。

 

 

越智は和谷の想像を鼻で笑ったが、実は僕はそうでもなかった。

囲碁の神様がsaiだというのなら、彼は間違いなく進藤のもとに舞い降りたのだろう。

 

進藤のその碁に宿る力が、神から授かったものだというのなら。

進藤と打っている時にsaiを感じるというのも納得のいく話だ。

 

だけど、もしそうなら。

なぜ、神は彼を選んだのだろう?

僕ではなく、進藤を───

 

 

○●●     ○○●     ●○●

 

 

心なしか、進藤の部屋へ向かう足取りが重い。

 

進藤は中学卒業後、棋院近くで1人暮らしを始めた。

僕は相変わらず実家だが、こうして彼の部屋へ訪れる事はめずらしくない。

お互い特に予定がなければ、空いている時間を一緒に過ごすのが日課だ。

 

彼の部屋のドアを前に、僕は息を一つ吐く。

無理矢理にでも気持ちを切り替えないと、進藤に向き合う自信がなかった。

 

渡されている合鍵を差し込んだところで、鍵が開いていることに気づく。

進藤は、僕より先にもう部屋に戻っていた。

 

 

「あ、塔矢。なんだよ、遅かったじゃん。」

「君こそ、早かったね。週刊碁のインタビューの後、彼らと食事に行くんじゃなかったのかい?」

「うん。けど、棋院の近くのそば屋だし。さっさと食べて帰ってきちゃったよ。塔矢は?メシは?」

「ああ、僕も和谷君達と一緒に食事は済ませてきた。」

「へぇ?珍しいじゃん。オレがいないのに塔矢が和谷達と一緒にいるなんてさ。」

「・・・たまにはね。」

 

上着をハンガーにかけつつ、僕はそう答える。

進藤はそんな僕を目で追いながら、ニコニコ笑顔を向けていた。

いつもどおりの彼の笑顔。

一点の曇りもなく、実に清々しい。

 

そんな彼に、僕はどんな顔をしているのだろう?

ふと、自分がどういう顔を向けているのか、心配になった。

間違いなく言えるのは、彼のような笑顔を作っていないということだけだ。

 

けれども、進藤はそんな僕のとまどいなど微塵にも感じていないようで、話題を転換した。

 

「なぁ、塔矢。さっきのオレの対局、検討する?あ、でもお前にまた叱られそうだから、やめとこうかな?じゃ、一局打つか?」

「・・・・いや、今日は打たない。」

 

僕が進藤の申出を断るなんて、めったにないことだ。

当然、進藤もこれには目を丸くした。

 

「何だよ?塔矢。疲れてるのか?」

「・・・・そうだね。そうかもしれない。」

「どうしたんだよ?大丈夫か?これから本因坊戦の予選だって始まるって言うのに。」

「うん、気をつけるよ。」

「しっかり頼むぜ?予選だって、今にオレもお前に追いついてリーグ戦に入れるようになってやるからさ!」

 

にっこりと笑う進藤の笑顔が眩しい。

そう、君ならあっという間に僕に追いついて。

───そして僕を追い越していくのかもしれないね。

 

 

何も返さない僕を、心配そうに進藤の瞳が覗き込む。

が、僕はそれから僅かに瞳を逸らした。

そんな様子に進藤もますます心配の色を濃くする。

 

「おい、塔矢?」

言いながら差し出された進藤の手が僕の頬に触れる。

いつもなら暖かくで心地よいその感触も、今は何故か冷たく感じられた。

 

「・・・打たないなら、する?」

息が触れ合うほどの近さまで迫って、進藤が少し笑って言った。

その笑みは無邪気なようでいて、少し妖艶な色が伺える。

もちろん、彼の言う言葉の意味がわからない僕ではない。

僕達はとっくにそういう関係だ。

だが、あいにく今日はそんな気分ではなかった。

 

「・・・すまない、進藤。」

僕は小さくそう言うと、進藤の体を押しやる。

すると、そんな僕の態度に進藤も眉をつり上げた。

 

「・・・何だよ?お前が沈んでるから慰めてやろうと思ったのに。」

「別に君になんて、慰めてもらう必要はないよ。」

「何だよ、その言い草?!」

 

部屋の空気が険悪になりかける。

自分から険悪にしたのだとわかっていても、修正することが今の僕には難しかった。

 

「すまない、今日は僕は帰るよ。このままここに居ても、君の気分まで悪くしてしまいそうだ。」

さっきハンガーにかけたばかりの上着を取り、僕はそのまま玄関へと向かった。

 

背中では進藤がわめいている。

「何なんだよ、塔矢!お前、感じ悪いぞ!」

「わかっている。だから、帰ると言ってるだろう?」

「わけわかんねー!」

 

それはそうだろう。

僕自身、説明のつかない感情に囚われて、君にあたってしまっているのだから。

 

「待てよ、塔矢!オレ、お前に何かした?」

進藤がそう僕に訊ねている。

けれども、僕は彼に後ろを向けたまま、振り返る事もなくドアノブに手をかけると、そのまま外へと飛び出す。

ドアを閉じると、僕を呼ぶ進藤の声は外の喧騒にかき消されてしまった。

 

 

●○○●●   To be continued

 

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