鎮魂歌を聞く前に act.4
ファーイーストオフィスビル屋上。 すっかり日も暮れて暗くなった景色の中に、白い大きな鳥が翼を広げ、今、まさに飛び立とうとしていた。 言うまでもなく、怪盗キッドである。 キッドは相変わらずなポーカーフェイスで、屋上からの景色を眺めていた。 美しい横浜の夜景はそこからは少し遠く、眼下の世界は物寂しいものだった。 だが、のんきに感慨に耽っている場合ではない。
スケボーで飛び出して行った小さな名探偵を、追走したバイクは2台。 1台は、二手に分かれた当初、西の探偵 服部が引き受けたはずであるが、撃退までには至らなかったようで、結局のところ、1人飛び出して行った小さな名探偵が、一手に請け負うことになったのだ。 阿笠博士による改良されたスケボーは、確かにバイクにも負けない猛スピードではあるが。 だが、いくら逃げ足が速いとはいえ、相手は二人でしかも銃を持っているとなると、どう考えても分が悪い。 ───相変わらず、無茶してくれる。 冷静に推理するかと思えば、後先考えないようなところもある危なっかしい名探偵に、怪盗は苦笑した。 「・・・ま、これもオプションの内ということで。」 らしい不敵な笑みを1つ、キッドはビルから身を投げる。 そして、鳥のようにその翼を操ると、すぐさま小さな名探偵を追った。
上空からバイクのテールランプを目印に、さらに前方を走るスケボーを発見する。 バイクを振り切りそうなほどのそのスケボーのスピードには、さすがにキッドも眼を見張るが。 2台のバイクがとある道で二手に分かれたのを見て、キッドはふむと頷く。 「───挟みうちか。確かにそれが妥当だろうな。」 敵もそれほどバカではないらしいと苦笑を浮かべつつ、キッドは二手に分かれた内の一方にとりあえず狙いを定めた。 本当に挟みうちにされてしまっては、高速スケボーも万事休すである。 どちらか一方だけでも先にカタしておいてやろうと、キッドはグライダーを反転させ、そのまま急降下する。 スピードに乗って、そのバイクの背後から近づき、一気にそのバイクを転倒させることに成功した。 容易いものである。 さて、もう1台は・・・と、キッドが軌道を修正した時であった。 思わず、目を見開く。 銃弾の雨の中、小さな名探偵が工事中の現場を強行突破。 ───おいおいっっ! キッドは、慌てて小さな名探偵目がけて飛んだ。 いくらなんでもこの先、スケボーでの走行は無茶過ぎる。
だが、次の瞬間。 キッドの目に飛び込んできたのは、何かに弾かれたように、川へと落下しようとしている小さな名探偵の姿だった。
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ポチャンとスケボーが川に落ちた音が響く。 そう。 落ちたのはスケボーだけで、小さな名探偵はかろうじて川につかることはなかった。 すんでのところでキッドが間に合ったのである。 まさにギリギリセーフだ。 本来ならナイスキャッチと自画自賛したいところだが、事態は少々深刻だった。 キッドの腕の中に納まるほどの、小さなその体。 いつもなら当然聞こえてきそうなその罵声はない。 くたっと気を失っている名探偵に、キッドはチッと舌打ちした。 「───だから、素直に人の忠告を聞いとけば良いものを・・・。」
そのまま人目を避けられる適当な場所を見つけて、降下する。 ───ケガはっ?! 意識のない体を慌てて抱き起こして見るが、特に出血しているところはない。 とりあえず、撃たれたわけではないらしいことを確認して、キッドはほっと胸を撫で下ろす。 となると、橋から落ちたのは、撃ち込まれた弾丸がスケボーのウィールの部分にでも当たったせいなのだろうと、予測した。 しかし、無傷かと言えば、そうでもない。 小さな名探偵の左足は、酷く熱を持っていた。 「・・・落下の際にどこかに強打でもしたかな。骨折はしてなさそうだけど───。」 骨にヒビが入っているかもしれないと、キッドは渋い顔をする。 本当なら、さっさと医者に連れて行ってやりたいところだが。 「───そういうワケにもいかない・・・か。何しろ、お互い時間がない。」 キッドは苦笑した。 今夜10時までに、事件の解決を迫られている小さな名探偵である。 だとすれば、きっと本人は医者へ行くのは時間のロスだと言うだろう。 応急手当こそ必要ではあるが、命に別状はないのだから。 そして。 「───オレも、そろそろタイムリミットだ。」 白いシルクの手袋に覆われた手が、小さな名探偵の頬を優しく撫でた。 と、そのままそのキッドの手が小さな名探偵の衣服をまさぐる。 再び出てきたその手に握られていたのは、小さな名探偵の携帯だった。 電話帳を検索して、阿笠博士の番号を呼び出す。 彼が横浜に来ていることは、事前に盗聴して知っている。 今、この怪我した名探偵を保護するには彼が適役だと、キッドは阿笠博士にコールした。 呼び出し音が数回なる中、キッドは小さく咳払いをする。
『・・・あ、もしもし?新一か?』 小さな名探偵の携帯からの受電に、そう応対する声が聞こえた。 すると、キッドは姿は怪盗のままで、しかし声だけはまた白馬のものになって話し出した。 「すみません、僕は、江戸川コナン君と一緒にミラクルランドの件で事件捜査に取り組んでいる、高校生探偵の白馬探と申しますが。今、彼の携帯をお借りして、そちらにお電話しています。」 『・・・えぇ?!あ、ああ、ハイ・・・!』 江戸川コナンの正体をうっかり口にしてしまったことを焦っているのか、それとも予想外の人物からの電話に動揺したのか、その両方かもしれないが、電話の向こうの声は明らかにうろたえていた。 だが、お構いなしにキッドは話を進める。 「実は、事件の捜査を妨害する連中の襲撃を受けて、コナン君がケガをしたんです。申し訳ありませんが、大至急、彼を迎えに来ていただけないでしょうか?」 『えぇぇ?!新・・・っいや、コナン君がケガを?!』 「左足を・・・。骨折はしていないと思いますが、骨にヒビが入っている可能性があります。医者に行きたいところですが、その時間はないでしょう。かわいそうですが、とりあえず応急手当だけでもお願いします。それから、西の高校生探偵 服部君も僕らと一緒に捜査に加わっているので、彼にも連絡を取っていただけませんか?」 『・・・わ、わ、わかったっっ!』 「では、今から場所をお伝えします───。」
キッドは、居場所を阿笠博士に伝えると、電話を切った。 横たわる小さな名探偵へ目線を下ろす。 「これでヨシと。」 まもなく、阿笠博士がここへ彼を迎えに来るだろう。 添え木でもしてもらって、とりあえず、この場はしのぐしかない。 事件を解決するのは、あくまで探偵の仕事なのだ。 キッドは手を伸ばして、小さな名探偵の柔らかい髪に触れる。 「最後までおつきあいできなくて悪いけど、あとは任せたぜ、名探偵。」 名残惜しそうに、その触れた髪からその手を離した。
さて、お遊びはこれで終わりだ。 名探偵を阿笠博士に託したら、いよいよ怪盗キッドとしての本業が待っている。 目指すは深山美術館。 「───とりあえず、名探偵のカタキはとっといてあげるけど。」
・・・・・・この貸しはデカいよ? キッドは、そう笑った。
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「来ると思っていたよ、怪盗キッド。昼間の内に天井に仕掛けをして、やっとそこに入れたようだな。」 美術館に忍び込んだキッドに対し、勝ち誇ったように深山社長が言った。 勘違いもいいところである。 自社ビルのセキュリティ強化が、本当にキッドに有効だったと信じて疑わないからこその台詞だが、それ自体、既にキッドの掌で踊らされているのだというのに。 まるで気づいていない。 キッドは肩越しに振り返ると、自信満々の社長に対し、あっさりと言い放つ。 「私は予告状なしに、宝石は盗りませんよ。」 「何っ?!」 いささか驚いた表情を浮かべた社長に、さらにキッドは続けた。 その口調は、どこか相手を小馬鹿にしている。 「今夜は貴方にお別れを言いに来たんです。もう命を狙われたくありませんから。」 「・・・さすがは怪盗キッド。見抜いていたか。」 「ええ、薄々は。しかしわからなかった。盗んだダイヤは貴方に送り返したはずなのに、しつこく命を狙ってくる理由が。それが今日、やっとわかりました。貴方がとても後輩思いだということがね。」 不敵に微笑む怪盗に、負けじと深山社長も笑みを浮かべる。 「かわいい後輩のゲームを目撃してしまった、君がいけないのだよ。」 そんな社長を、キッドは鼻で笑った。 「ガードマン1人殺しておいて、ゲームとは。」 「ゲームにアクシデントは付きものだ。君に見られたこともだ。かわいい後輩に相談されれば、何とかしなければならないだろう?」 すると、どこかに隠れていたのか、先程、バイクで襲撃してきた奴らが、再び銃を持って現れた。 事前に気配を察知していたキッドにとっては、もはや驚く事でも何でもなかったが。 銃口を向けられても、キッドは相変わらず顔色1つ変えることはない。
そして、不敵な笑みを1つ。 キッドはまるで踊るように滑らかな動きで、その両腕を掲げる。
「・・・何のマネだね?」 キッドのその動作に、深山社長はやや引きつった笑みを浮かべた。 「私が何の準備もせずにノコノコやって来たと、本当に思いますか?」 怪盗は、少々意地の悪い顔をして笑った。 そんなわけないのである。 無論、準備万端でここに訪れているのだ。 いい加減、わかってほしいなと言わんばかりにそう微笑むと、ようやく深山社長の顔色が変わった。 「・・・やっ、やれっっ!!キッドを撃ち殺せっ!!」 と、銃弾が撃ち込まれるよりも先に、キッドはパチンと指を鳴らした。 瞬間、天井に取り付けられていた照明が次々に割れ、そこからはもうもうとした煙が吐き出される。 あっという間にフロアは白い霧の世界に包まれた。 立ち込めるガスの中、むせ返りながら崩れるように倒れていく狙撃手達。 とっさにハンカチで鼻と口を覆った深山社長は、膝をつき、ゴホゴホとむせながらも、倒れるまでには至らなかった。 そんな社長に、キッドはガスマスクで隠した顔を突き出してやる。 「ご安心を。ただの催眠ガスですよ。気づきませんでした?私は4月4日に入った後も、ここには何度も侵入しているんです。」 ───そう。ここのセキュリティなんて、ハナから目じゃないんでね。 「・・・何っ?!」 目を剥いた社長に、キッドはツラツラと述べる。 「そして今日、白昼堂々とあの仕掛けを天井につけに来たのは、今夜、ここに私が現れることをわからせて、貴方と貴方の雇った殺したをここにおびき寄せる為。」 「馬鹿なっっ!!」 声を荒げる社長を尻目に、キッドはガスで充満した部屋の窓へ向かって歩いた。 最上階の窓から下を覘くと、地上には計算どおりパトカーがやって来ている。 その様子をしっかりと確かめながら、キッドは言った。 「言い訳なら、私が呼んだ警察にしてください。」 そして、再び咳でむせ返っている社長のもとへ、キッドは足を向ける。 「このカーテンの後ろで眠っている、貴方のかわいい後輩とともにね。」 だが、社長の背後にあるカーテンをめくったそこには、いるはずの人物はいなかった。 ───ふーん?逃げたか。となると、彼女の始末は名探偵かな。 キッドは苦笑する。 「・・・後輩の方がクールなようだな。ま、そこの二人がいろいろ喋ってくれるでしょう?この盗品だらけの美術館のこともね。」 言いながら、キッドは倒れている狙撃手の手の中から機関銃を拾い上げると、その銃口を深山社長の鼻先に突きつけた。 殺気を込めて銃を構えてやると、恐怖に歪む社長の顔。 他人の命は容易く奪っておいて、よくもそんな顔ができるとキッドは呆れ返った。 いっそこのまま撃ち殺してやろうかと言いたいところだが、さすがにそうもいかない。 ひとしきり深山社長に恐怖感を存分に味わってもらった後、キッドは円形に取り囲むようなデザインの窓へと銃を向けた。 そして、その引き金を引く。 派手な音と立てて飛び散るガラスに、深山社長はしゃがみこんだまま悲鳴をあげ、、頭を抱えこんだ。 彼が悲痛な叫びを上げても、キッドは機関銃を連射し続けた。 怪盗キッドにしては、少々不機嫌に見えたかもしれないその行動。 ポーカーフェオスが崩れる事はないまでも、その心情は怒りを表していたのかもしれない。
やがて、弾を全て撃ち終えた怪盗は、その銃を床へと乱暴に投げ捨てる。 窓ガラスはすべて吹き飛び、部屋に充満したはずのガスも、外へと流れ出ていた。 キッドの派手過ぎるパフォーマンスに、地上の警察もまもなくここへ駆けつけるだろう。 彼らが飛び込んでもガスにむせ返ることがないように、空気の入れ替えはこれでできたはず。
いまだ恐怖におののいて立ち上がれないでいる深山社長を、キッドは冷ややかに見下ろした。 「貴方のゲームもこれでゴールだ。それも、最悪のオウンゴールかな。」 吐いて捨てるようにそう言い放つと、冷たく一瞥する。 ───ヘタにオレや名探偵を敵に回すようなマネなんかするから、自ら撃沈するハメになるのさ。 さて、じゃああとは警察にお任せするとして。 キッドは白いマントを翻し、すっかり風通しがよくなった窓へと向かった。 そのまま、キッドはビルの最上階である美術館の窓から、ダイブしたのであった。
翼を広げ、怪盗キッドは深山美術館をあとにする。 ───ま、これでも、名探偵の敵討ちには、物足りない気もしないでもないけどね。 キッドは肩越しに背後を振り返りながら、そう微笑んだ。
「さて、時間的には名探偵の方もそろそろクライマックスかな。」 そう呟くと、キッドは再び進路をミラクルランドへと向けたのだった。
一気にラストまで書き上げるつもりでしたが。 |
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