「・・・んじゃ、行って来るけど。」
まるで、ちょっとそこまで買い物にでも行くかのような気安さで、快斗は言った。
普段着に包まれている彼は、何処から見ても普通の少年で、まさかこれから得たいの知れない
人間に会いに行くような風にはとても見えない。
彼は、今から先日、『怪盗キッド』宛に届いた呼び出しに応じるつもりであった。
情報屋に公開しているキッドのフリーメール・アドレスには実際、ガセネタも少なくない。
ガセだけならまだしも、キッドをよく思っていない連中がそれを悪用する事だってある。
だから、キッドがそれを鵜呑みにして動く事はほとんどなかった。
ヘタな情報に踊らされるような彼ではない。
もともと無駄な事と無理な事はしない主義である。
だが、今回は例外。
今回がガセでないという証拠は何も無い。 逆にキッドの命を狙うワナだという可能性だってある。
それでも、わざわざ出向くのにはワケがあった。
メール差出人の名前 「RUM」(ラム)
例の組織の一員ならば、共有するはず酒のコードネームとしても考えられるソレ。
待ちに待った奴らとの接触の機会かもしれなかった。
と、なれば、多少の危険はいたしかたない。
自分の身を案じるより、圧倒的に好奇心の方が勝っていると、つまりそういう事なのだ。
「新一は、大人しくお留守番してる?」
「・・・なワケねーだろ!」
「ああ、やっぱり?」
出かけにちょっとリビングを覗いた時点で、新一のスタイルを見ればそれは一目瞭然ではあったものの、
快斗は敢えて聞いてみたのであったが。
新一の格好も、普段とさして変わりのないラフなもの。
だが、どうせポケットのあちこちに隣の阿笠博士作の面白メカが入っていたり。
そして、胸元には短銃のダブル・デリンジャー。
要するに、新一も完全装備で出かける気満々であった。
ソファから立ち上がった新一を見て、快斗が苦笑する。
そんな快斗を眺めて、新一はやや目を細めた。
「・・・・まさか、来るなとか言わないだろうな?」
「言わないよ。」
快斗はにっこり即答した。 そして、そういう約束だからね?と付け足した。
組織へのアプローチの仕方は各自自由で、お互いに口出しはしないという、共同戦線における
ルールその2に基づいてのこの台詞である。
組織との接触を待ちわびていたのは快斗だけでない。
新一とて、この絶好の機会を逃すつもりなど、さらさらなかった。
「・・・心配しなくても、オメーの邪魔なんかしねーよ。
呼び出されてんのは、あくまで『キッド』だからな。オレがシャシャリ出る事もねーだろ?」
「ああ、気を使ってもらって悪いね。一応メールにはオレ一人っていう限定こそなかったけど、
念のため、新一にはどっかに隠れててもらえるとありがたい。」
「言われなくても、そのつもりだ。」
新一の言葉に、快斗が笑って頷く。
それを確認してから、新一は付け加えた。
「・・・ケド。 場合によっては出て行く。」
新一のその申出に快斗は軽くOKを出した。
要するに、最初だけとりあえず隠れててくれれば構わないと、そう言って。
ついでに。
「新一の『場合によって』ってどんな時かなぁ?もしかして、オレがピンチの時とか?」
などとフザけて笑って見せた。
なので、新一も
「そうだな。骨くらいは拾ってやるよ。」
と、憎まれ口を叩いてやった。
そのまま、二人で一緒に玄関を出た。
目的地が一緒ならついでだからと、快斗は自分のバイクの後ろに新一も乗ることを提案した。
途中、適当なところで別れればいいだけの話である。
特に断る理由もないので、新一はその快斗の好意に甘える事にした。
早速、シルバーのメットを片手にバイクに跨る快斗は、新一に向かってもう一つの黒いメットを
投げてよこした。
それをキャッチしながら、新一は快斗をふと見返す。
「・・・なぁ、本当に奴らだと思うか?」
「・・・さあね。」
新一の問いかけに、快斗はクスリと笑ってあっさり答えた。
そうして、バイクのエンジンを吹かす。
「・・・ま、『ラム』って言ったところで、本当にラム酒のことを指してるとは限らないしね。
なーんも確証はないんだけどさ。」
それでも可能性は、ゼロではない。
確かめるには、行くしかない。
快斗は唇に不敵な笑みを浮かべて、新一を見つめた。
新一も快斗と考えるところは同じである。
同調するようにゆっくりと無言で頷いた。
メットを被ってバイクに跨ると、新一は快斗の背中に向かって思い出したように言った。
「あのメールの差出人の名前・・・。」
「ん?」
快斗が新一を振り返った。
「 『RUM』って文字だけ、赤く印字されていたな。」
快斗からやや視線を横にそらして、新一はそう言った。
何も言わずに、快斗は新一の次の言葉を待つ。
新一は視線を快斗へ戻すと、こう告げた。
「・・・・知ってるか? 『レッド・ラム』は殺人者の意味でもあるんだぜ?」
新一のその言葉に、快斗はニヤリとするだけで特に何も返す事はなく。
そのまま、前を向くとギアペダルを一気に踏み込んだのだった。
夜風を受けてバイクが走り出したとたん、新一の背中にゾクリと悪寒が走った。
それは、何か嫌な予感に似ている。
待ち望んだ組織の奴らとの遭遇の機会かもしれないというのに、一体何故?
自分達の行く先が、いっそう深い闇の中にあるように思えてならない。
ふと。
新一は、頭のどこかで『行くな』という声を聞いたような気がした。
+++ +++ +++
青白い月の光の下、ひとつの白い影が飄然と立っていた。
眠らない都会の夜とは切り離された一角。
人気も明かりも全くない廃墟のビルの屋上で、白い怪盗は茫洋とただ月を眺めている。
純白のマントが、時折通り過ぎる風に攫われて、緩やかに靡いていた。
不意に、シルクハットのツバをやや上げてキッドが振り返って見せる。
その目線の先には、新一がいた。
新一はキッドと同じくその廃ビルの屋上にいて、給水塔の影に身を潜めているのだ。
・・・あのバカ、こっち見るんじゃねーよ。バレたらどーすんだ!
新一の存在を確かめて笑うキッドに目配せする。
キッドは新一を見てにっこりすると、再び前を向いた。
新一はキッドの背にいったん視線を送った後、手元の時計で時刻を確認する。
深夜0時。
指定された時刻だった。
不意に、錆びた鉄をこするような音が響いてドアが開く。
奥から一つの黒い影が現われた。
まさに時間どおりである。
・・・・来たっ! 一人か?!
新一は緊張気味に壁際から顔を覗かせた。 同時に胸元の短銃にも手を伸ばす。
その位置からでは相手の顔までは判別はできない。
けれども、全身黒い格好をした長身の男が、そこに立っていた。
・・・・組織の人間なのか?!
新一は相手を凝視する。
殺気はない。
どうやら、今すぐキッドに手を出そうという気はないらしいことに新一は安心した。
男は何も言わずに、ゆっくりと足を進ませる。
すると、今まで月の方を向いていたキッドが悠然と振り返った。
目的の人物が現れたというのに、キッドには緊張の色は微塵も無く、まるで気心知れた友人と
待ち合わせしていたかのようにリラックスしている。
相変わらず、大したポーカーフェイスだと新一は思った。
もちろん、キッドが緊張をしていないはずはない。
殺気とはまでは行かないまでも、男が現われた途端、何とはなしに背筋に冷たいものは感じていた。
だが、そこはあの大胆不敵な『大怪盗』。
唇に微笑をたたえると、親しげにこう言った。
「・・・こんばんは。 今夜はいい月ですね。」
キッドの言葉に男は空を仰ぐと、安らかに微笑んだ。
帽子だけで素顔を隠していない男は、薄いグレーの瞳で再びキッドを捕らえる。
「まずは、こちらの申出に応じてくれたこと、礼を言わねばなるまい。」
低音で物静かな声が響く。
顔立ちからして、おそらく日本人ではないその男は、驚くほど滑らかにそう言った。
対して、キッドは「いや、なに」と首を横に振ってみせる。
「・・・で、ご用件は?」
「・・・その前に。 君は私が何者であるか、興味があるのではないのかな?二代目怪盗キッド。」
瞬間、すっとキッドの瞳に鋭い光が宿る。
それを見て、男はうっすらと笑った。
「君のお父上である初代キッドのことはよく存じている。こう言えば、わかってもらえると思うが。」
それを影で聞いていた新一の目も僅かに見開かれる。
・・・・アイツ!! やっぱり組織のっっ!!!
キッドは、表情も無く真っ直ぐにその男の顔を見つめた。
そして、ニヤリとすると。
「・・・なるほど。では、今夜はツイているということになる。」
そう穏やかに言った。
「『RUM』という私のコードネームまで教えたのは他でもない。君に今日足を運んでもらう為。
君が我々との接触を望んでいることは知っていたのでね。」
「・・・それはそれは。」
「何か他に質問はあるかね?」
言われて、キッドは少し考える素振りを見せると、次には不敵に笑った。
「・・・・・では、組織の本部はどこに?」
あまりに直球すぎる質問ではあったが、キッドは敢えて黒い衣装に包まれた男に向かってそう訊いた。
「一度、挨拶に行かなきゃならないのでね。住所と電話番号を教えてくれるとありがたい。」
「今、ここで、私の口から言うワケにはいかん。」
黒い帽子のツバをやや下げながら、男は低い声で言った。
「・・・・どうする?力づくで問いただしてみるかね?」
「そうしよう。」
音も無く、キッドは男の方へ歩き出した。
それを。
男の黒い手がスッと伸びてキッドに制止を促すと、そのまま振り返った。
新一の隠れている給水塔の方へ向けて。
突き刺さるような視線を受けて、影に身を潜めていた新一はごくりとツバを飲み込んだ。
・・・・・気付かれたか?!
そう思って、短銃のグリップを握る新一の手に力がこもる。
「・・・・そこに隠れているのは、君のお友達かな?」
+++ +++ +++
屋上に、男の声が穏やかに響き渡る。
1拍の間を置いた後、銃を再び胸ポケットに戻すと、新一は黒い影から踏み出して姿を露にした。
男の薄いグレーの瞳に、新一の姿が映る。
と、同時にその瞳が僅かに細そめられ、にやりと笑いを含んだものに変わった。
「・・・・これはこれは・・・・。」
新一の事を知っているのかいないのか、男は曖昧な笑みを浮かべてただ見つめるだけ。
「・・・・てっきり、ここへは一人で来るものだと思っていたのだがね。」
言いながら、男は再びキッドの方へ向き直った。
・・・マズったか?と、新一は思った。
男はまだ用件をキッドに伝えてはいない。
自分という、男から見れば部外者がいたことで、彼が何も告げずに帰ってしまうかもしれなかった。
けれども、そんな新一の心配をよそに、怪盗の方はニヤリと笑って見せた。
「・・・別に、あの招待状に同伴禁止とは、なかったと思いますが。」
おい、コラッ!!!同伴って何だっ!?コノヤロウ!!!
新一の睨みにもキッドは素知らぬ振り。
そんな二人を見て、男はほほぅ?と笑って頷いた。
「・・・構わんよ?こちらとしては、君と話ができればそれでいい。」
「・・・話?」
組織の人間が接触してくる場合、大概が有無を言わさず、キッドの命を狙ってくるものだった。
だが、今回は少し違うらしい。
もちろんそうかといって、気を緩める事などできるはずもないが。
思っていたより興味深い展開になったことで、キッドは不敵なその笑みをさらに濃くした。
『RUM』というコードネームを持つその男は、そんなキッドの挑戦的な笑みを見ると
その瞳を僅かに細めて、ゆっくりと言葉を告げた。
「君の活躍は本当に素晴らしい。まさに初代キッドに勝るとも劣らないほどのものだと言えるだろう。」
「・・・・それはどうも。」
男の大げさな賛辞の言葉を、キッドはあっさりと流す。
キッドのそのかわいげのない態度に苦笑しつつ、男は続けた。
「君のあのショー・パフォーマンスは、我々へ向けた一種の挑戦状でもあるのは知っている。
・・・・初代キッド、君の父君の仇を討とうという、その心がけもな。」
男の言葉にキッドの顔から笑みが消え、その瞳に鋭い光が宿る。
新一は、そんな二人の様子をじっと黙って見守った。
胸元に隠した短銃へは、いつだって手を伸ばす準備はできている。
今はまだ穏やかに構えている男が、いつ凶悪な殺人鬼に豹変するとも限らない。
そのタイミングだけは、見逃さないように。
新一は、そう思っていた。
「・・・君が我々に敵対する理由は、その私怨によるものなのだろうが・・・。」
男の薄いグレーの瞳が、妖しい輝きを纏う。
その目にしっかりとキッドを移してから、男は唇に笑いを浮かべるとこう言った。
「君は真実を知らない。」
「・・・真実?」
キッドは僅かに目を見開く。
動揺など見せない。 ただ、男の言葉に多少の関心を示すような。
男の言葉に目を見張ったのは、新一も同様だった。
だが、男のこれから告げようとしている『真実』に、嫌な胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
男はそんな二人の少年を見比べ、面白そうに微笑む。
そして。
「初代怪盗キッドは、我々組織の仲間だったのだよ?」
そう告げたのだった。
+++ +++ +++
月の光の下で、三つの気配が凝結した。
そのうちの一つが、穏やかではあるが闇をも凍らせるような声で紡ぐ。
「・・・信じられないかね? だが、これは紛れも無い真実なのだよ。
君は、我々を凶悪な犯罪組織だと思っているようだが、『怪盗』だって立派な犯罪には違いない。
共通する部分は少なくは無いはずだろう?」
男の言葉に、キッドは黙ったまま、真っ直ぐ射るような瞳で見つめ返す。
だが、男は構わず続けた。
「君の父君は実に優秀な男だった。
『怪盗』としてのその才能だけでなく、組織を統べるだけの力も充分に持ち合わせた大物だったと。
だが、同時に異質な存在でもあった。
上に従わず、単独プレーをすることが多くてね。ほとほと上は手を焼いていたと聞いている。
しまいには、手を出してはならないものにまで、手をつけてしまった。」
『手を出してはならないもの』
それが、あの永遠を与えるという魔石 『パンドラ』 を指しているだろう事は
キッドも新一もすぐに見当がついた。
「・・・結果、彼に『死』という制裁を与える事となってしまったが。
だが、それは、一部の連中の先走った行動で、我々組織の総意ではなかったのだよ。
彼は殺すには実に惜しい人物だった。」
今まで、男の言葉を大人しく聞いていたキッドが始めて口を利く。
「・・・・何が言いたい?」
僅かに眉をつり上げただけで、その声には何の感情も無かった。
対して、男はニヤリとする。
「君は父君と同じ目をしている。いい目だ。君まで殺すのは惜しいと言っているのだよ。」
・・・・結局は、ソレか。
キッドは、男を射るように見つめていたその鋭い目をスッと細めた。
そもそも不愉快な話を聞かされて、腹が立っている。
自分を組織に引き込むためのエサだったとしても、あまり気分の良い話ではなかった。
大体、そんな話をそう簡単に「ハイ、そうですか」と信じるつもりもない。
・・・・これ以上の話し合いは望めそうも無いな。
キッドの押し殺した怒りを察知した新一は、静かに胸元に隠してある短銃の方へを手を伸ばす。
いつ、キッドが男に仕掛けてもおかしくない緊迫した雰囲気が、あたりに漂っていた。
男が笑いを含んだ声でキッドに言った。
「私の話が信じられないかね?」
「・・・・どうやって信じろと?」
すると、男の黒い手がすっと伸びて、キッドのモノクルを指差した。
「 『Fourleaf Clover(フォーリーフ・クローバー)』 というカクテルを知っているかね?
そう、君のそのモノクルのデザインと同じ・・・。」
「・・・!!」
瞬間、キッドは目を見開いた。
それを見て、男は笑みを濃くする。
「君の父君、初代キッドの持つコード・ネームは、まさにそれだよ?」
男の言葉が、まるで鋭いナイフのようにキッドの胸をえぐった。
愕然とするキッドを前に、男はたたみ掛ける。
「・・・我々の仲間にならないかね?怪盗キッド。初代キッドがそうだったように・・・。
君がもし、我々のところに来てくれるなら、君の父君を殺した人物は君にあずけよう。
好きにするがいい。どうかね?」
切り出された取引の条件に、思わずキッドの黒曜の瞳が揺らぐ。
それを見た新一は、たまらず声を出した。
「・・・キッドっっ!!」
新一とキッドの視線が、一瞬、交差する。
けれども、キッドの視線はすぐさま、また男の方へ戻った。
男は満足そうに笑みをたたえると、
「・・・この場ですぐ結論を出せとは言っていない。少し考えるといい。
良い答えを期待しているよ?怪盗キッド。」
それだけ言って、闇の中に姿を消した。
キッドも新一も、まるで貼り付けられたようにその場から動く事も出来ず、
男が消えていくのを、黙って見つめるしかなかった。
屋上には、二つの影だけが残った。
白いマントが夜風に揺らめいている。
新一は少し離れたところに立つ、白い怪盗を見つめた。
少し俯き加減のキッドの表情はシルクハットに隠されて、よく見ることができない。
ただ。
シルクの手袋に覆われた両手は、ギュッと力強く握り締められていた。
「・・・・キッド。」
新一の声にも、キッドは顔を上げようとはしなかった。
そのいつもと違うキッドの様子に、新一は思わずズカズカと歩み寄り、力任せにキッドの腕を取って
自分の方を向かせた。
「・・・おいっ!キッド!! お前、まさかアイツの言った事を信じるのか?
本当にお前の・・・・!初代キッドが組織の一員だったなんて・・・・!!」
それでも、キッドは新一の方を見ない。
「コード・ネームがモノクルのデザインを指してるからって、なんだよ!
それだけじゃ・・・・・!そんなの証拠になり得ないだろ?!」
「・・・・そうだな。」
ようやく、キッドは俯いたまま告げた。
そのまま、腕を掴んでいる新一の手を外す。
「・・・・確かに、あんなコード・ネームなら、いくらでも思いつくかもしれない。」
言いながら、キッドは顔を上げて新一を見つめた。
「・・・だったら、何で!!」
新一も真っ直ぐにキッドを見つめ返した。
「・・・けど。あの 『Fourleaf Clover(フォーリーフ・クローバー)』 っていう名前のこと、
オレ、知ってたんだ。」
「・・・え?!」
薄っすらと笑いを浮かべてそう言ったキッドの顔が、大きく見開かれた新一の蒼い瞳に映る。
キッドは再び新一に背を向けて、月の方へ歩き出した。
「・・・オレん家にさ、『怪盗キッド』としての親父の隠し部屋があるんだけど、
それの隠し扉にはパスワードが必要でね。
ちょっとした暗号を解読しないと、そのパスワードはわからない仕組みになってるわけ。」
「・・・まさか、そのパスワードって・・・・!!」
新一の言葉に、キッドはにっこり振り返る。
「そう。 『Fourleaf Clover(フォーリーフ・クローバー)』だった。」
キッドはフワリと宙を舞うと、屋上の細い手すりの上に軽々と乗ってみせる。
月をバックに、ゆっくりと新一へ向き直った。
「 『怪盗キッド、またの名をFourleaf Clover(フォーリーフ・クローバー)』。
これが、正確な暗号文の解読。
最初、パスワードを見つけた時、『またの名』っていうので、結構考えるところはあったんだ。
本名の意を表わしていると取れなくも無いけどさ、どうにも違う気がしてね。
・・・なるほど。 組織のコード・ネームだったとも考えられなくはないわけだ。」
腕組みをしながら、キッドはそう自嘲気味に笑う。
そんなキッドに新一は一歩踏み出した。
「・・・待てよ! まだ、そうと決まったわけじゃないだろうっ?!」
「もちろん。 確証は無いよ? オレの勘だけ。 新一はどう思う?」
「・・・それは・・・・・っ!」
思わず言い淀んだ新一に、キッドは苦笑する。
「・・・・新一。」
ゾッとするほど穏やかな声がして、新一は慌ててキッドの方を見た。
新一と目があって、キッドは儚く微笑んだ。
「悪いけど、帰りは一人でもいいかな?」
「・・・え?おいっ・・・」
「気をつけて帰れよ!」
それだけ言うと、キッドは屋上の手すりからジャンプし、真っ黒な夜空へ身を投げる。
白い大きな鳥へと姿を変え、それは闇の中へ溶け込むように徐々に消えていった。
「・・・・キッド。」
キッドの消えた暗黒の空を見つめ、新一は小さく呟く。
無意識に胸元に当てていた手が、衣服を掴んでギュッと握り締めた。
胸の奥に小さな針が刺さったような、そんな痛みを感じて。
心に拡がるのは、漠然とした不安。
組織に繋がる情報を一つ得たかもしれないというのに、どうして?
後味の悪い気分だけが、そこに残っていた。