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NOVEL

は   とても

に   もできない

 

だけど   ずっ守っていて

叶えせる

 


僕らは同じ空の下で

                                       ✚ act.5 ✚


 

 

「でもさ〜、驚いたぜ!進藤!!お前がいきなり一人暮らし始めるなんてさ〜っ!!」

 

棋院の廊下、壁際の自販機のすぐ傍に寄りかかりながら、和谷がグイっとポカリスエットを飲み干して、オレの顔を覗きこむ。

そんな和谷に、オレはへへん!と得意げに笑って見せた。

 

 

中学卒業後、学生だったら春休み真っ最中のこの時期、プロ2年目を迎えるオレは、急激に家を出る決心をし、親の反対も押し切って、その意志を強行した。

早々に棋院のある市ヶ谷近くに部屋を見つけ、つい先日引越ししたばかりだ。

 

家を出る決心をしたのは ―――。

ほんの偶然だったけど、塔矢が家を出ることを考えてると聞いた、その時。

 

けど、塔矢と違って親元を離れて自立したいとか、そんな思いなんてオレにはなく。

ただ、単純にあのオレの部屋を ―――。

佐為と過ごした、佐為とずっと一緒に打ってきたあの部屋を出るのもいいかもしれないという、単なる思い付きに過ぎない。

 

佐為との思い出がたくさん詰まったあの部屋を出ることによって、佐為と少し距離を置く。

佐為から離れたいとか、そういうのではなくて。

少し佐為と距離を置いたら、もう少しちゃんと見えてくるかもしれない。

佐為のことも、そして塔矢のことも。

――― そう思ったからだった。

 

でも、結果的に見て、この時期、家を出たのは正解だった。

 

春が来て、桜も散り始めた今日この頃。

佐為が消えたあの季節がまた来るのだと思うと、無性にやるせなさがオレを襲う。

正直、5月をあの部屋で過ごすのは、ちょっと辛かった。

 

佐為が消えたあの部屋で、オレ一人でいるのが ―――。

 

 

「ま、とりあえず必需品は冷蔵庫と電子レンジだろーな?オレはメシとか家で食ってるんだけど、お前はどーするつもりなんだ?もしかして、料理とかできんのか?」

「まさか。でも、棋院にも食べるトコあるしさ、外食か、コンビニで弁当でも買うからいいよ。」

「何なら、森下先生んトコ、オレと一緒に行くか?晩飯、ご馳走になりにさ!
もれなく、指導碁付きだぜ?」

和谷のその言葉に、オレは苦笑した。

 

そんな風に、去年から一人暮らしをしている和谷から、いろいろと生活のコツみたいなものを、オレはレクチャーしてもらっていたのだけれど。

 

「・・・ケド、お前が一人暮らしを始めるとは思わなかったな。全然、家を出たいとか言ってなかったのに。また、どうして急に?」

 

和谷がもう一度、オレの顔を不思議そうに見つめた。

オレはそんな和谷から視線を逸らすと、手にしたジュースの缶をぎゅっと握り締める。

そのまま、それを飲み干すとゴミ箱へ放り投げた。

スコンと音を立てて、狙い通りに缶がゴミ箱の中へ消える。

 

「・・・・別に。ただの心境の変化だよ。もう学校も卒業したしさ。」

言いながら、オレは和谷に背を向ける。

オレの背中で、和谷もジュースの缶をゴミ箱に投げ入れた音がした。

「ふーん? ま、いーんじゃねぇ?春は、新生活を始めるのに良い時期さ!
わかんないことがあったら、何でもオレに聞けよ?進藤!」

「うん、サンキュ。」

「さっ!そろそろ時間だな!行くか、進藤!今日も白星を掴まねーとなっ!!」

「おうっ!!」

 

オレの肩に軽くポンと手を当てると、和谷がそのまま靴を脱いで部屋へと入っていく。

オレもそれに続いた。

 

 

そうして、まもなく。

対局開始のブザーが鳴り響いたのだった。

 

 

○●○○●●   ○●○   ○○●○●○

 

 

対局が終わって部屋を出ると、外に塔矢がいた。

『週刊碁』の天野さんと、何やら話してる。

 

塔矢の顔を見るのは、実に一週間ぶりだった。

アイツはここしばらくあちこちに飛び回っていて、家に帰っても寝るだけという多忙さだ。

それでも疲れた顔1つ見せず、天野さんに取材させているところなど、さすがだと思う。

 

見つめていたら、塔矢がこっちを向いた。

 

「あ、進藤!」

「よぉ、塔矢!久しぶり!」

 

オレが片手を上げて笑うと、塔矢は天野さんとの話を切り上げて、こっちへやって来た。

 

「終わったのか?進藤っっ、どうだった、対局はっ?!」

「なんだよ、お前?いきなり〜っ!! ・・・いや、勝ったけどさ、一応。」

ちょっとむくれて言い返すと、塔矢はにっこりと笑った。

「今日はこの後は時間があるんだ。よかったら、いつもの碁会所へ行かないか?」

「お前、疲れてないの?」

「平気だよ。」

「タフなヤツ〜!」

オレは言いながら、リュックを背負ってスニーカーを履く。

「じゃあ、天野さん・・・。」

塔矢がそう言って軽く頭を下げると、天野さんは口髭を撫でながら不思議そうにオレ達を見た。

「・・・いやぁ、君達、ライバルだっていうのに、本当に仲が良いんだね〜。」

しげしげとそう言われて、オレも塔矢も顔を見合わせた。

 

一瞬、塔矢がオレのことを好きだと言ったことが頭の中を過ぎる。

カァ〜っと顔が熱くなる気がした。

 

「行こう、進藤! じゃあ天野さん、失礼します。」

「ああ、二人とも気をつけてね?」

 

オレは天野さんに通りすがりにちょこんと小さくお辞儀しかせずに、塔矢に引きずられてエレベーターに乗り込んだ。

 

狭いエレベーターの中、オレはきっちりスーツ姿の塔矢を眺める。

「お前の方はどうだったんだよ?この一週間、大忙しだったんだろ?」

すると、塔矢は少しだけネクタイを緩めながら、小さく溜息を漏らした。

「・・・まぁね。でも、ほとんどが退屈な取材ばかりだよ。」

「ふーん?面倒くさそうだな。」

「じき、君もわかるよ。」

「え〜?わかりたくもねーよ。」

 

オレがそう言ったところで、チンとエレベーターの戸が開く。

塔矢は胸ポケットから携帯電話を取り出すと、自宅に碁会所に寄ってから帰ると連絡を入れた。

帰りは少し遅くなるかもしれないと電話口でそう言い切る塔矢に、オレは一体何時までつき合わされるのかと、ちょっぴり笑ったけど。

 

・・・ま、いいか。

オレはもう一人暮らしなんだし。

家でお母さんが夕飯を作って待っているわけじゃない。

 

塔矢の気の済むまで付き合ってやるか。

どうせ、なんだかんだ言って、この一週間、コイツ、ストレス溜まってるんだろうから。

 

オレはそう思って、塔矢と一緒に棋院を出たのだった。

 

 

○●○○●●   ○●○   ○○●○●○

 

 

結局、塔矢とは碁会所が閉まるギリギリまで居座る事となり。

市川さんに呆れられるようにして追い出されたのは、夜中9時過ぎだった。

 

途中、市川さんがラーメンの出前を取ってくれたので、空腹は満たされている。

夕飯はそれでいいだろうと、オレは夜空を仰いでうーんと伸びをした。

 

「・・・ちょっと長居をしすぎてしまったな。君は家の人に電話もしていないが、平気なのか?」

「あ? ああ、オレは平気。」

さらりと返すオレを、塔矢が不審そうに見つめる。

そんな塔矢を見、オレはニンマリした。

 

実は一人暮らしを始めたことは、塔矢にはまだ内緒にしてあった。

塔矢がバタバタ忙しそうにしてたのもあるが、オレは家を出ることの相談など、塔矢には一切していない。

塔矢の方も家を出たいとは言っていたものの、スケジュールが立て込んでいたせいでそんな話はどこへやら・・・の状態である。

だから、オレとしては塔矢を出し抜いて、一足先に一人暮らしを実現させてやろうと企んでいた。

実際に、家を出たら教えて驚かせてやろうと、そんな算段だったのだ。

 

・・・けど、そろそろ教えてやるか。

オレは唇の端をつり上げると、塔矢の顔を覗きこんで笑った。

 

「塔矢、オレ、一人暮らし始めたんだ。」

 

そう言ってやると。

切れ長の塔矢の目が、大きく見開いた。

 

「・・・!僕は、聞いてないっっ!!」

「前にちょこっと言ったろ?家を出てみようかなってさ。」

「そうは聞いたが、実際に出るとは・・・!具体的な話なんて、何一つ聞いていないが。」

「あはは! だって、言ってねーもん!」

「何故?!」

「怒るなよ〜。だーかーら・・・。ワザとだってば。お前よりも先に家を出て、威張りかっただけなの!ただそれだけ!!」

 

予想通りの塔矢のリアクションに、オレは大いに満足する。

言いながらオレがVサインしてみせると、塔矢は「くだらない・・・」と面白くなさそうに呟いた。

 

「・・・それで?どこに部屋を借りたんだ?」

「飯田橋。市ヶ谷まで一駅だしさ。棋院に通うのに便利だろ?狭いけど、わりといい部屋だぜ? 駅からも近いんだ。」

「ご両親は?反対しなかったのか?」

「いや、それがさ・・・。」

 

オレは苦笑しながら、親が猛反対だったことを告白する。

オレが家を出るにあたり、我が家では、じいちゃんまで引っ張り込んで家族会議で論議を繰り返したりと、それはもう結構な騒ぎだった。

 

「ま、何かあったら、すぐに帰れる距離に実家もあるし。和谷だって、一人暮らししてるしさ。お前だって、そのうち一人暮らし始める予定なんだろ?だからさ、その辺を全面的にアピールして、なんとか了解をもらったんだよ。」

「そうだったのか・・・。」

「うん。で、塔矢。お前はいつ、家を出るつもりなんだよ?」

「いや、それが・・・。僕としては、家を出る理由がなくなってきてしまったのが、正直なところでね・・・。」

「何それ?」

「以前、僕が家を出たいと思ったのは、父から離れようとそう思ったからなんだけれども。その必要が無くなってしまったんだよ。父が中国やら、韓国やらに興味を持ってね。母と一緒に行く事になったんだよ。」

「ええ?塔矢名人が?!」

「うん。それで、僕まで出てしまったら、家を空けることになってしまうからね。
とりあえずは、出なくてもいいかな?って思ってるんだ。」

「げっ!そうなの?! オレ、塔矢も一人暮らしするってお母さんに言っちゃったよ・・・。お前も一人暮らしをするっていう点が、ポイント高かったんだけどな〜。ま、いっか。」

 

オレは塔矢を見て、ニカっと笑った。

オレだけの砦は、まだ誰にも公開していない。

ちょっと、塔矢に見せてやろうかと思った。要するに自慢したかったのだ。

 

「塔矢、お前さ、オレの部屋、見に来る?」

「今からか?」

「うん、あ、そっか。もう遅いよな。」

「いや、僕は明日は予定が何もないからいいが。君は構わないのか?」

「あ、オレも明日は手合いないよ?」

「なら、行こう。 ところで君はいつ、引っ越したんだ?」

「二日前。」

「・・・・だったら、まだ荷物が片付いていないんだろう?まさか、僕に手伝わせるつもりか?」

 

キラリと鋭く目を光らせる塔矢に、オレはそんなつもりはないと肩を竦める。

 

そうして、駅の方角へ二人揃って歩き出きだした。

 

 

○●○○●●   ○●○   ○○●○●○

 

 

小さなアパートの階段を上る。

二つの足音が静まり返った夜に響いた。

やがて、とあるドアの前にオレは立ち止まると、パーカーのポケットからじゃーん!!とキーを出した。

「えへへ!オレの部屋の鍵!いーだろ?!」

「・・・わかったから、早く開けろ。」

「ちぇっ、何だよ、つまんねーな、お前・・・。」

カチャリと開錠して、ドアが開く。

玄関にある灯りのスイッチをつけると、パッと部屋の中が明るくなった。

 

「・・・狭いな。」

「・・・お前っっ、一言目がそれかよっ!失礼なヤツだな!!!」

 

オレはムッとしながら、他の靴(・・と言っても全部オレの靴なのだが。)でいっぱいの玄関にスニーカーを脱ぎ捨てると、ズカズカと部屋に上がりこんだ。

塔矢も革靴を脱ぐと、オレの散らかした靴をそっと脇に避けて、隅の方にお行儀よく靴をそろえて置いた。

塔矢はダンボールだらけの部屋をぐるりと見回すと、その顔をオレへ向ける。

 

「まだ、ほとんど荷をほどいていないじゃないか。」

「そ。だからこのダンボールを片付ければ、少しは広くなるんだって。とりあえず、当面着る洋服だけはクローゼットに閉まったし、ベットさえあれば寝れるから、問題はないよ。ああ、TVも冷蔵庫もちゃんと使えるようにはしてあるしさ。」

オレのお気楽な台詞に塔矢は呆れたように言う。

「・・・で、この小さなダンボールには何が入ってるんだ?」

「えっと・・・。それはCDかな?あ、いやゲームかも。とにかく適当に部屋にあったものを突っ込んできたからさ。」

「まったく、君ときたら・・・・。」

溜息に塔矢の前髪が舞う。

オレはそんな塔矢にケラケラ笑いながら、キッチンにおいてあるコップを取った。

「何か飲む?ま、選ぶほど飲み物はないけどさ。 『おーいお茶』と『アミノサプリ』、どっちがいい?」

言いながら冷蔵庫を開けるが、塔矢からは返事が戻ってこない。

・・・何だよ?どっちも嫌なのか?

振り返ると、塔矢の目が何かを見とめているのがわかった。

 

 

塔矢の視線の先にあるもの。

 

それは、碁盤だった。

オレが佐為とずっと打っていたあの碁盤。

 

オレの心臓が、ドキリと嫌な音を立てる。

あの碁盤を塔矢にはまだ見られたくないと思う自分が、確かにいた。

 

 

「こんなに部屋が散らかっていても、ちゃんと碁盤は出ているようだな。」

そう言って、塔矢は静かに碁盤の前に跪き、そっとそれに触れる。

 

瞬間、まだ治りきっていない傷に触れられたような、そんな痛みがオレの胸に走った。

 

 

・・・ダメだっ! 塔矢っっ!!!

お前は、まだそれを見ないでっっ!!

お前だけには、まだ見られたくないっっ!!!

 

 

「塔矢!!」

悲鳴のような声だったかもしれない。

心の動揺を隠そうとして、変に大きな声を上げてしまった。

オレの声に、塔矢も驚いて顔を上げている。

 

「進藤?」

「・・・ごっ、碁盤なんてどーでもいいだろっ?!それより飲み物っっ!!」

「あ、ああ。じゃあお茶を頼む。」

 

コップにお茶を注ぎながら、オレは内心舌打ちした。

 

そうだ。

ここには、佐為とずっと打ち合った碁盤があったんだ。

部屋に上げれば、塔矢に見られるのは当たり前のことだったのに・・・・・。

 

 

あの碁盤では佐為以外に打ったのは、伊角さんだけ。

でも、伊角さんとのあの対局は、佐為との再会を果たす事のできた忘れられない一局で、普通のものとは違う。

それだけ、特別な意味を持った一局だった。

それからはこの碁盤で他の誰とも打ってないし、打ちたいとも思わない。

 

それだけじゃない。

塔矢とだけは、この碁盤で打てない。

打ちたくない・・・っ!!!

 

 

無言でお茶を用意するオレを、塔矢も黙って見つめている。

オレの様子が少し変だと、感づいたのかもしれない。

 

塔矢はオレがお茶の入ったコップを差し出すと、お礼を言ったその口でこう付け足した。

オレが恐れていた一言を。

 

 

「進藤、今から一局打たないか?」

 

 

 

 

●○○●●   To Be Continued

 

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