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NOVEL


BISQUE DOLL V
〜 矢車菊の青 〜

■■■  act.2  ■■■

 

 

葉山の海を見下ろす高台に、ちょっとした外国の古城を思い浮かべるような、そんな豪邸が建っていた。

 今はもう、立光フーズ社長宅として買い取られてしまったが、もとはアルディ氏の別宅だったと言う。

 

 ゴージャスな調度品が並ぶ一室の窓から、新一は海の向こうに見える美しい夜景をその目に映した。

 だが、そんな美しい光景とは裏腹に、屋敷内は物々しい警備体制が敷かれ、殺気立っていた。

 

 それもそのはず。

 今夜0時、あのビスク・ドールが立光氏の命を奪うと予告してきているからである。

 加えて、その1時間前には怪盗キッドまで参上すると言い出したのだから、現場はそれはもう厳重な警備だ。

 何しろ、世界の大悪党と大怪盗を迎え撃たなければならないとあって、警視庁も力が入るのは無理はない。

 

 不意に新一の目線が動いて、秘書を連れて部屋を歩いていく立光氏と中森警部を捕らえた。

 

「中森警部!」

「ああ、工藤君・・・。」

「今から、立光氏の立会いの下、このサファイアを金庫室にしまうところだ。」

 

 中森警部の言葉に、新一は秘書の抱えていたガラスケースの中の青い石を覗き込む。

「・・・これが『矢車菊の青』・・・。」

 新一の呟きに、立光氏がおや?と眉をつり上げた。

「君は宝石に詳しいのかね?」

「あ、いえ。知り合いからちょっと。何でも、極上のブルーサファイアの事をそう呼ぶそうですね。」

 にっこり答える新一に、立光氏は自慢げな笑みを浮かべ、そのとおりだと頷いた。

「今はもう滅多に手に入れることなどできない貴重な石だ。怪盗キッドなんぞ、コソドロにくれてやるものか。」

 吐き捨てるようなその言い草に、新一は肩をすくめる。

 この石を狙っているのは、キッドだけではないのにと思いながら。

 

「ところで、例の殺し屋のことだが。」

 ギロリと立光氏が新一を見た。

「ビスク・ドールのことですか?」

「そう。ソイツのことだ。そもそも『ビスク・ドール』というのは、白磁器のアンティーク・ドールのことだろう?なぜ、そんなフザけた名前を名乗っとるんだ?」

「名乗ってるわけでは、ありませんよ。」

 新一は苦笑し、続ける。

「人形のように血の通っていない面構えをしているところから、あちらの警察の方が勝手に命名したそうです。」

「何しろ、国籍不明の大悪党と名高いヤツですからなぁ!」

 と、中森警部も付け加えた。

 

 

 『ビスク・ドール』(陶器人形)。

 

 それは、まさにそう呼ぶにふさわしい人物だった。

 

 瀬戸物のように真っ白な肌。

 冷たく光るマリンブルーの瞳は、まるでガラス玉。

 そして、残忍な笑いを浮かべる赤い唇。

 

 

 過去、二度程関わって、ヒドイ目に合わされている新一としては、正直、ずいぶん気分は重かった。

 逃げるつもりは毛頭無いが、まともにやりあって、勝てる相手でないことは、充分に承知している。

 それに、この場に乗り込んでくるバカな怪盗のことも気がかりだった。

 

 

「・・・何もなければいいけど。そうはウマくは行かないだろうな・・・。」

 

 新一の小さな呟きは、周囲の喧騒にかき消された。

 

 

 

 夜風に純白のマントが舞う。

 

 なるほど。獲物は今から金庫室か。

 それにしても、すっごい警備員の数。

 

 中森警部ら捜査2課だけでなく、対ビスク・ドールとして捜査1課も出てきてるんだから、当然といえば当然だけど。

 オレは、盗聴器のイヤホンを耳から投げ捨てると、前方の古城を双眼鏡片手に見据えた。

 

 金庫室と称してるのは、崖っぷちに飛び出た離れの塔。

本館と繋ぐ唯一の道は細い渡り廊下だけで、前方は海、後方は切り立った崖と、まぁ、逃げ場がない。

 翼のあるオレにとっては、そうさしたる問題じゃないが、動きにくいことは確かだ。

 で、塔のその一室がまさに金庫となっており、出入り口も厳重なロックがされているドア1つのみ。

 ドアの素材は耐火性、耐弾性だけでなく、爆弾などの耐破性にも備えた強度なもの。

 このオレに破れない金庫なんてないから、それは良いとして・・・。

 

 問題は、ビスク・ドールがどう動くか、だが。

 アイツの性格から言って、オレに盗ませておいて、後から奪うつもりだろう。

 

 と、なると。

 早いトコ、仕事を片付けて、トンズラするのが利口なのだが、そうも言っていられない。

 さっさと名探偵と合流しておかないと、アイツがヤバイ。またどんな無茶をしでかすか、わからないし。

 

「・・・やれやれ。」

 

 夜空に高く上っているはずの月は、暗雲がすっぽりと覆い隠し、闇を照らすものは何も無い。

 オレは胸元からトランプ銃を抜き出すと、装填されているカードを一枚引いた。

 

 スペードのエース。

 

「頼むぜ!」

 

 冷たいカードに軽く唇を押し当てると、再び銃に装填する。

 

 そして、これから対峙するであろう敵へ向けて、不敵な笑みを1つ浮かべてやると、そのまま空へとダイブした。

 白い翼が闇夜に大きく羽ばたいて、真っ直ぐに古城を目指す。

 

 

 さぁ、ショーの始まりだ!

 

 

 

「本当に大丈夫なんでしょうな?」

 捜査1課の警備員によって、壁のように取り囲まれてその中心にいる立光社長は、

僅かにできた人垣の隙間から、ブルーサファイアが眠る金庫の塔を見て、そう不安げにこぼした。

 『ビスク・ドール』という殺し屋がいかに凶悪であるかということを、目暮警部達がとくとくと聞かせたものの、本人にはまるで自覚が無い。

 どうやら、まだタチの悪い嫌がらせの何かだと思っているようで、彼の関心はもっぱらキッドへ向いてしまっていた。

「ブルーサファイアは、2課の中森警部らが全力でお守り致します。ご安心を。」

 きっぱり言い放つ目暮警部を、立光氏は疑わしそうな瞳で返している。

 

「なんだか、大変な事になっちゃったね。出来る事なら、今回は僕もキッドの捜査に回して欲しかったなぁ。・・・なんてね。」

 そう高木刑事が、こそっと新一に耳打ちする。

 新一も確かに、と思いながら苦笑する。

 

 そして、手元の時計で時刻を確認した。

 

「キッドの予告時間まで、あと5分を切りましたね。」

「ああ、本当だ。それにしても、キッドの予告がビスク・ドールと1時間ずれていて助かったよ。とりあえず、同時にバタバタするのは免れたわけだし。」

「そうですね。でもキッドはもちろんですが、ビスク・ドールも、もうこの屋敷内に潜入しているかもしれないですよ?」

 新一の言葉に、高木刑事は気を引き締めて頷く。

 そして、改めて新一へ向き直ると真剣な表情を作った。

 

「工藤君も充分用心してよ?単独行動とか、絶対に禁止だからね!」

 対して、新一は。

「ええ、もちろん。」

 そうにっこり笑って見せたが、この笑いにどのくらいの信憑性があるかは、疑わしいものである。

 

 そうして。

 

 新一の視線が、チラリと金庫室の塔へと注がれる。

 

「・・・ドジんなよ?キッド。」

 

 その呟きは誰の耳にも届かなかったが。

 

 

 

 数分の後、ドーンという音とともに窓の外が閃光に包まれた。

「何だっ!?キッドか!?」

 思わず、窓の外へ駆け寄ろうとした立光氏を目暮警部が慌ててガードする。

「落ち着いてください。キッドが現れたのなら、こちらに連絡が入るようになっています。ビスク・ドールの予告時間まであと一時間。ここを動かれては困ります。」

 目暮警部に促され、泣く泣く立光氏はもと居た場所まで戻るが。

 

 窓の外の様子を新一と一緒に窺っていた高木刑事が口を開く。

「・・・キッドかな。」

「・・・まず、間違いなく。」

 頷く新一の瞳には、派手に打ち上げられた花火が映っていた。

 

 しばらくして、花火は止み、あたりは静かになった。

 離れの塔で何が起こっているのかは、新一達の居る場所からでは確認できない。

 

「おいっ!向こうからは何の連絡もないのか!?」

 荒々しい声で叫ぶ目暮警部に、若い刑事はただただ首を振った。

「ま、まさか、もうキッドにやられてしまったんじゃないだろうな?!」

 青ざめる立光氏を宥めながら、仕方なしに目暮警部は警備員の一人に2課の様子を見に行かせることにした。

 

 その警備員が部屋を出て行こうと、ドアを開け放った瞬間。

 カランと小さな金属音が響いたと思うと、突然部屋に白い煙が立ち込める。

 あっという間に、部屋は白い霧に覆われた。

 

「うわっ!!何だ?!これは・・・!!」

「キッドか?!」

 ゴホゴホとむせ返りながら、口々に喚く。

 

 ・・・キッド?

 そんなはずはない。だとしたら、これは!!

 

 新一はとっさにハンカチで鼻と口を覆うと、煙の中をかき分けて走った。

 

 部屋に充満しているのは、催眠ガスの類。

 すでに、吸い込んで倒れ伏している何人かの警備員を足元に確認しながら、新一は部屋の中心にいたであろう人物へ駆け寄った。

 

「立光さん!立光さん!!無事ですか?!」

 うっすらと黒い人影を確認する。

 肩膝をついて激しく咳き込んでいるのは、目的の人物だった。

 

「立光さん!!」

「・・・ああっ!君っ・・・!」

「立てますか?このままここに居たんでは、ガスでやられてしまう。危険ですが、外へ出ます。僕について来て下さい!」

 

 新一達を除く、全ての警備員達は、既に床に倒れ伏している。

 そこには、目暮警部や高木刑事の姿もあった。

 新一はクッと奥歯をかみ締めると、立光氏の腕を引いて走り出した。

 部屋の外にも、微量のガスが漂っている。

 頼みの捜査1課の警備は、既に全滅状態だった。

 

 すっかり静まり返った屋敷内を走り回って、しばらく。

 

「うわぁぁぁ!!」

 

 階段の踊り場に倒れている一人の警備員の姿を見、立光氏が悲鳴を上げた。

 新一も思わず、息を呑む。

 

 警備員の首もとには、ナイフが一本グッサリ。

 カーペットを赤く汚していた。

 

「・・・ビスク・ドール。やっぱり、アイツが・・・。」

 新一はグッと拳を握り締める。

「・・・何だと?ほ、本当にビスク・ドールなのか?!」

 

 立光氏の言葉に返事をする代わりに、新一は血まみれの警備員に近寄り、膝を折った。

 そのまま彼の腰から、拳銃を抜き去る。

 慣れた動作で弾倉に弾が入っているのを確認すると、右手に銃を握り締めて立ち上がった。

 信じられないという形相で、立光氏が新一を見つめる。

 

「・・・き、君は一体・・・?」

「とにかくっ!どこか安全な所へ・・・」

 

 

「どこに安全な所があるって?」

 

 ゾクリと、背中を刺すような声が新一の背後から響く。

 

 聞き覚えのある声だった。

 そして、聞きたくない声だった。

 

 ゆっくりと振り返った新一の目線の先には、1つの影。

 

 忘れもしない、その人形のような顔。

 

 何の感情も映さない冷たい瞳が、こちらを射るように見つめていた。

 

 

「・・・ビスク・ドール!」

「何だって?!あんな若造が?!」

 

 赤い唇がニヤリと嫌な笑いを浮かべた。

 

「これはこれは、名探偵。妙な所で会うものだな。」

 

 

 言いながら、ビスク・ドールが血の滴るナイフをギラリと見せると、新一は立光氏を庇うように前に立ち、銃を構えた。

 それを見て、ビスク・ドールはさらに笑みを濃くする。

 

「安心しろよ?今夜は仕事だ。お前には用は無い。用があるのは、そっちの男だ。」

 ガラス玉のような瞳が、新一からその影に隠れる立光氏に向けられる。

 新一の背中で、悲鳴が聞こえた。

 新一はぐっと銃を握り締める。

 銃口は、ビスク・ドールに向けられたまま。

 

「・・・あいにく、こっちも仕事だ。お前の好きにはさせない!」

「へぇ?オレは構わないが。お前と遊ぶのも楽しいしな。」

 

 黒いジャケットの中から、銀色に光るナイフが5本。

 ビスク・ドールはその全てを片手に持つと、花が咲くように掲げて見せた。

 

「今夜はツイているな。キッドだけでなく、名探偵とも会えるとは。良い夜になりそうだ。では、早速楽しませてもらうとしよう。」

 

 言い終わらぬ内に、ビスク・ドールが軽々と宙を舞う。

 新一があっと思った時には、その残忍な顔をした人形はすぐ目の前にいた。

 

 

 

 その頃、オレはまだ離れの金庫室の塔にいた。

 中森警部ら2課の方々には、渡り廊下でぐっすり眠っていただいて。

 とりあえず、獲物は既に手の中。

 

 『矢車菊の青』か。

 

 確かに、美しい色だな。ちょっとアイツの瞳の色に似てるかも。

 名探偵の蒼いあの瞳に。

 

 思いながら、塔の屋上から空を見上げる。

 月は見えない。

 

 『パンドラ』かどうか確かめるのは、後回しだな。

 

 オレは青く輝く石を胸にしまうと、渡り廊下を一気に駆け抜け、本館へと忍び込んだ。

 が、入った途端、倒れ伏している警備員達の姿に仰天する。

 

 あのヤロウっ!

 

 舌打ち1つ、慌てて名探偵達がいたであろう部屋を目指す。

 厳重に閉まっていなければならない扉は、既に開け放たれていた。

 部屋は催眠ガスに包まれている。

 倒れている警備員達の中に、名探偵の姿はない。

 立光の社長も・・・!

 

「クソっ!どこ行った?!」

 

 オレはマントを翻し、真っ白な霧に包まれている部屋を後にした。

 

 ギリギリと胃が痛む。

 広い屋敷内を駆け回るオレの中に、今更してもしょうがない後悔の念がどっと押し寄せた。

 

 悪いが、どこかの社長の身を案じてやる余裕は、今のオレにはない。

 

 無事でいろよ?!名探偵っっ!!

 

 そう思った刹那、オレの耳に銃声が届いた。

 

 To be continued

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