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NOVEL

BISQUE DOLL V〜 矢車菊の青 〜

■■■  act.3  ■■■

 

「・・・つぅ・・・!」

 赤い血が、ポタポタと床に滴る。

 切りつけられた右腕を押さえて、新一はギっと前方の敵を睨み付けた。

 

 銃は既に新一の手を離れて、床に転がっている。

 新一は、それを拾うことも許されずにいた。

 

 衣服には、小さな赤い染みがいくつも出来ている。

 それを見て、ビスク・ドールは赤い唇を歪めてうれしそうに笑った。

 

「さて。遊びは終わりだ。死にたくなければ、そこをどけ。お前もこんなところで死にたくはないだろう?」

 新一は何も言わずに、グッと奥歯を噛み締めた。

 

 今はただ、面白半分に自分を切りつけているだけのビスク・ドールが、本気で殺しにかかってきたら。

 この大悪党とのサシの勝負に関して、新一の中でとっくに答えは出ている。

 

 ・・・オレの力では、ヤツは倒せない!!

 

 それでも諦めるわけにはいかなかった。

 新一は、血まみれな右手をゆっくりと折り曲げると、反対側の左手首に添えた。

 袖口で隠れているそこには、最後の切り札の麻酔銃。

 

 普通に撃っただけでは、絶対にかわされてしまうだろうソレを、確実に命中させる為に、新一は最後の賭けに出るつもりだった。

 

 たとえ、ナイフを何本食らったとしても、ヤツが切り込んできた瞬間に、何とか針を撃ち込んでやる!!

 

 新一は、そう覚悟を決めた。

 もう、他に手立てはないのだ。

 

 自分を真っ直ぐ見据えたまま、依然、退こうとしない新一にビスク・ドールは口先だけで笑った。

 

「死にたいのかな?名探偵。」

「・・・殺りたきゃ、殺れよ!」

「へぇ?」

 

 言いながら、ビスク・ドールのガラス玉のような瞳にはこの上なく残忍な色が浮かび上がる。

 

 紛れもない殺気。

 

 嫌な汗が新一の背中を伝っていった。

 

 

 銀色のナイフを手にしたビスク・ドールが新一の下へ踏み出そうとした、まさにその瞬間。

 

 ビスク・ドールの背後にある大きな窓の向こうで、何かが光るのを新一は見た。

 新一の視線に気づいたビスク・ドールも、後ろを振り返ろうとした。

 

 すると。

 

 ガシャーン!!と派手な音を立てて窓ガラスが割れ、新一とビスク・ドールとの間を切るように、何かが飛び込んできた。

 

そして壁に刺さったのは、一枚のトランプカード。

 

それを目の端に映しながら、新一は脇にあった火のついていない燭台へ手を伸ばした。

と、右足を大きくバックスイングして、インフロントで天井へと蹴り上げる。

燭台が上からぶら下がるシャンデリアに大きな音を立てて命中すると、それと同時に灯りが落ちて、あたりは闇に包まれた。

その隙に、新一は転がっていた拳銃を拾い、後ろで腰を抜かしていた立光氏の腕を引いた。

 

「・・・早く!今のうちに!!」

 暗闇に乗じて、新一は立光氏を連れ、その場を逃げ去った。

 あちこち切りつけられた傷が、空気に触れて僅かな痛みを伴ったが、動けない程ではない。

 新一は背後の気配に注意を払いながら、闇の中を走り抜けた。

 

「・・・お、おいっ!待ってくれ、ちょっと・・・!」

 これ以上は走れないと、立光氏が息を切らす。

 ビスク・ドールが新一達を追ってくる気配はなかった。

 とはいえ、これで安心な訳ではない。

 

 新一は、恐怖に青ざめている立光氏の顔を見つめた。

 彼をビスク・ドールの手から守るのが新一の仕事だ。

 

・・・でも、キッド・・・!!

 

 新一は、横にある大きな窓へ視線を投げる。

 

 こちらがピンチを脱した代わりに、今はキッドがピンチに陥っているだろう。

 

 ・・・キッドっ!!

 

 新一は拳銃を持つ手をグッと握り締めると、立光氏を見据えた。

「立光さん、いいですか?これから何があっても、僕の傍から絶対に離れないでください。」

「・・・ど、どこに行くんだね?!」

「1つ、安全なところを見つけたんですよ。完全とは言い切れませんが、とりあえずはヤツの刃を防ぐことが出来る場所をね。」

 新一はそう言うと、綺麗な微笑を浮かべた。

 

 

 

 頭上で、ナイフが鋭く空気を切り裂く音がした。

 

「上手くかわしたな。」

 赤い唇が愉快そうに笑う。

 ビスク・ドールのナイフの攻撃を屋敷の屋根伝いに逃げ回りながら、オレはもといた金庫室のある塔の屋上まで追い詰められていた。

 

 軽やかなジャンプとともに、音もなく塔の上へとビスク・ドールが舞い降りる。

 ヤツの黒いコスチュームが闇に溶け、白い顔だけが浮いて見えて、なおさら不気味だ。

 

 人形のような双眼にオレを映すと、イヤな笑いをして見せる。

 

「お前の方から出てきてくれるとはうれしいね、キッド。 石を持って、さっさと立ち去った方が利口だったと思うが?」

 オレだって、そうしたかった。だが。

「・・・そうもいかない事情があってね。」

 オレの応えに、ヤツはなるほど、と意味ありげに笑いやがった。

 

 そして、新たなナイフをその手に用意してみせる。

 

「やるか?」

 赤い唇が愉しそうに歪んだ。

「・・・やらないと言えば、放っておくか?」

 お返しに、こっちもたっぷり不敵な笑みを送ってやる。

 

これは、できればお前とはやりたくないという、オレの精一杯の
意思表示だったりする。

 

 けれども。

 

「いいや。」

 静かで清涼で、身の毛もよだつヤツの返事によって、オレの願いは虚しく
一刀両断された。
 

「では、相手をするしかないか。」

 

 オレは胸元からトランプ銃を引き抜くと、挨拶代わりに2、3発お見舞いしてやったのだが。

 ヤツは踊るような仕草で両腕を動かし、手先のナイフでカードを全部
切り落として見せた。

 しかも、その内の1本はこちらに向って投げて寄こし、憎い事にオレの
左腕を掠めて行く。

 

 白いスーツにじわりと赤い染みが浮かび上がった。

 ビスク・ドールがニヤリとする。

 

「今のは、ほんの挨拶代わりだ。」

 イヤな挨拶だ。

 オレは舌打ちをした。

 

「大人しく石を渡せ。」

「イヤだね。」

「まさか、このオレを倒す自信があるとでも?」

「即答は致しかねる。」

 

 あくまでものんびりそう言うと、一気に身を躍らせた。

 着地と同時に、再度攻撃をしかける。

 だが、オレの放ったカードはヤツのもとへ届く前にまたもや
弾かれてしまった。

 

 くそっ!今の一撃は結構本気だったのに。

 

 そう溜息を吐いている間も、目の前の殺気の塊はオレへの攻撃の手を
緩めない。

 

 

状況はかなり切迫していた。

 

「おい、キッド。どうせなら、その石ごとお前もオレのところへ来たらどうだ?」

またその話か。しつこいな。

「悪いが、遠慮する。」

「でないと、お前をここで殺してでも奪わないとならなくなる。
これも一応、仕事だからな。」

「それも困る。」

 

 言いながら、オレは後方に飛んだ。

 追撃のナイフをヤツが投げるその一瞬をついて、トランプ銃を撃ち込む。

 ヤツの首の皮一枚のところを狙ったそのカードは、あいにくナイフに
弾かれて、若干軌道が変わったものの、陶器のように真っ白な頬をぱっくりと割ってみせた。

 

 

「やったな。」

人形のような顔が、悪戯っぽくオレを睨みつける。

「高くつくぞ、キッド。なぶり殺しにしてやろう。」

「ありがとう。」

 

 オレは肩を竦めた。万事休すの合図だった。

 

 瞬間。

 

 グサリと肉を切り裂く嫌な音がして、オレの左腕は棒切れのように
ぶらりとぶら下がった。

 派手に血を噴出している腕に、突き刺さったままのナイフを
睨みつけながら、オレはそれを抜き去った。

 

 血を撒き散らしながら、銀色のナイフが飛んでいく。

 血まみれの左から、慌てて右手に銃を持ち替えて発射するが、
憎たらしいことにかすりもしない。

 

「・・・まいったね。」

 

 

 正直、かなりヤバイ状況なんだが。

 

 まぁ、それはそれ。

 

 オレは、のほほんと呟いた。

 

 

 

「き、君っ!一体、どこへ行くんだね?こっちはもう金庫室の塔へ
向う通路しか・・・。」

 息を切らしながらそう言う立光氏を振り返り、新一はニヤリと笑った。

「・・・ま、まさか、金庫の中に私に入れと?!」

「そのとおりですよ。あそこは今、おそらくキッドによ って開錠されたままだ。あのドアは対弾及び対破性にも優れた頑丈なものだと
おっしゃっていましたよね?」

「た、確かにそうだが・・・。」

 

 不安そうな目を向ける立光氏に、新一は安心させるように、にっこりと
微笑んだ。

「大丈夫。金庫の傍には、絶対にアイツを近づけさせませんから。」

 

 

 新一の言葉に立光氏はおずおずと頷くと、金庫室がある塔へと向って足を急がせた。

 

 窓の外には、もう離れの塔が見える。

 その屋上に、白いものがはためいているのを新一は見た。

 

 キッドのマントだ。

 その傍に近寄る黒い影は、間違いなくビスク・ドール。

 

 不意に、白い影が倒れるように沈み込む。

 

 新一は目を見開いた。

 

 ・・・おいおい。何か、ヤバイ感じじゃねーか?!

 クソッ!待ってろよ、キッドっ!!

 

 新一は立光氏を連れて、キッドとそしてビスク・ドールのいる金庫室のある離れの塔へと向かった。

 

 

 

 

 塔の上では、相変わらず死闘が続いていた。

 

 それにしても、左腕の出血のせいか、体が重く、動きが鈍い。

 ビスク・ドールのナイフをかわす度にどくどくと流れ 出るその血に混じって、悪寒が休みなく全身をかけめぐる。

 

 体調はすごぶる不良だが、それでも気分は軽かった。

 とりあえず、こうやってオレがビスク・ドールを引きつけている間は、
名探偵は無事なはず。

 そう思えば、気は楽だった。

 

 だが、楽になりはしたものの、本来の目的はというと
こちらは暗澹たる有様だ。

 

 すでに予告時間から2時間が経過。

 獲物は手に入れ、今のところは何とか死守しているもの、
『パンドラ』かどうかは未確認。

 おまけに、勝ち目のない敵を相手に大立ち回りときた。

 

 普段なら、何としてでも逃げ果せるよう努力するところだが、
名探偵絡みではそうもいかない。

 

 ・・・やっぱり、名探偵には棄権してもらえば良かったかな・・・?

 

 などと、のんきなことを考えている場合では実はなかった。

 

 

 矢のように降り注ぐナイフをかわしそうとしたオレの頭上に、黒い旋風が
垂直に跳ね上がる。

 それが跳躍したビスク・ドールの姿だと、もちろんわかってはいたが。

 

 避けきれなかった刃がオレの胸を舐めていく。

 

 白いスーツの胸が裂け、鮮血が飛んだ。

 

 と、同時にふわりとオレのすぐ横にビスク・ドールが舞い降りる。

 黒く柔らかな霧のように見えた。

 

 が、その黒い塊から否妻が迸ったのは次の瞬間だった。

 

 足だ。

 

 触れれば、コンクリートでも穴が開くんじゃないかと思うくらい強烈な一蹴がオレを襲った。

 

 刹那、バキッ・・・!!と。

 

 嫌な音がした。

 

 

「・・・ぐっ・・・!」

 思わず、うめく。

 

 凄まじい激痛に、オレは体重を上手く下腹部に乗せられなくて、地に転がった。

 

 ビスク・ドールは背中に移っていた。

 

 オレに反転の余裕はない。

 

「いい音がしたなぁ。あばらが二本くらい折れたんじゃないのか?」

 

 鮮血の滴る胸を押さえて、上から降ってくる嫌な声に、オレはなんとか仰向けになった。

 するとヤツはオレの胸を踏みつけ、眼前にグイっと銀色に輝くナイフを突き出す。

 

「勝負あったな、キッド。これ以上、お前に打つ手があるか?」

「・・・うるさい。今、考え中だ。」

 

 折れたあばらの上に、ヤツがギリギリと体重をかけて踏みつける。

 苦痛に顔を歪めるオレを、ヤツは嬉しそうに笑った。

 

「バカな意地を張るのはやめろ。本当にこんなところで死ぬつもりか?」

 

 ガラス玉のような瞳がオレを捉えて、そう囁く。

 

 今にも喉元に突き立てられそうなナイフを見ながら、オレは薄く笑いを浮かべた。

 

あーあ。なぶり殺しはイヤだなぁ・・・。

 

 

 

 と。

 

「そこまでだ!!」

 

 

 凛とした名探偵の声が響いて、オレ達二人を振り向かせた。

 

 見ると、名探偵が立光社長を連れて、塔へと続く通路を渡ってくるところだった。

 名探偵は塔へ到着すると、立光社長を有無を言わさず金庫の中へ押し込める。

 

「いいですか、立光さん!何があってもここから出ないで下さい!僕がいいと言うまで絶対に!!」

 

 金庫を再びロックすると、名探偵はオレ達のいる塔の屋根をギッと見上げた。

 

 どうやら、こっちに来てくれるらしい。

 

 一発、撃ち込まれた銃弾が、オレの胸からビスク・ドールの足を退かせた。

 

 

「・・・バカがもう一人、いたな。」

 

 

 名探偵を見つめながら、ニヤリと残忍な笑みを浮かべる人形面に、オレも
この時ばかりは同感だと思った。

 

 To be continued

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