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NOVEL

BISQUE DOLL W

act  4

+++ このお話は、V〜矢車菊の青〜 の後日談にあたります。+++

 



 

 キッドは身を起こした。

 

 まっさきに感じたのは喉の痛みだった。鋭さはない。

 腐敗菌が進入した後のような鈍痛だ。

 そのくせ熱はない。

 

 その感覚が気のせいかどうか確かめてみようと、キッドはシルクの手袋を取り去ってから左手を己の額に当てた。

 瞬間、指先に滲んだのは小さな冷気。

 額いっぱいにかいた冷や汗だった。

 額から手を離すと、キッドは起き上がる。

 白い大きなマントがバサリと音を立てて広がった。

 

 薄暗いコンクリートの塀に囲まれた狭い部屋には、小さな窓が一つ。

 そこからは30度に近い陽光が差し込んでいる。

 それなのに ―――

 急速に体が冷えていくのをキッドは感じた。

 鳥肌が立っている。冷気の芯が体をえぐるように。

 体を襲う悪寒に、眩暈までしてくる。

 膝が折れそうになるのを、キッドは必死で踏ん張った。

 だが、それさえこらえきれば、何とかなりそうだ。

 そうキッドは溜息を漏らしながら、昨夜の出来事を頭に思い浮かべていた。

 

 ビスク・ドールの情報を入手する為、昨晩、キッドはラスベガスの街に巣食っている、胡散臭そうな連中との接触を果たした。

 ドジったつもりはない。

 実際のところ、欲しかったネタはかなり掴んだと言ってもいい。

 だが、しかし。

 こんなことになるとは―――

 

 「・・・やれやれ。厄介なことになったなぁ。」

 

 あくまでも茫洋とつぶやいた白い怪盗は、やつれてこそいるものの、相変わらず絶望などまるで浮かべてはいなかったのであった。

 

 

+++     +++     +++

 

 

 『ヴィンセント』という店は、ダウンタウンの外れにあった。

 どこか中世を思わせる石造りで、磨り減った石畳の上にひっそりと古風な木の門をかまえている。

 堅く閉じられたブラインドによって、店内の様子は外からは窺い知る事はできない。

 

 白いキャップを被った少年を取り囲むように、ガタイのいい男達が立っている。

 ホテル・ヴェネチアンから、ほとんど拉致されたような状態でキッドはそこへ来ていた。

 男達は門をくぐると、そのままキッドを連れて裏口の方へ回る。

 キッドはそれに大人しく従った。

 

 裏手の石の壁に埋め込まれた、重そうな鉄の扉を男の一人が開ける。

 ギィという音が響くと扉は内側に開いて、中に長方形の暗黒をのぞかせた。

 男達はキッドへ中に入るように促す。

 キッドは白い帽子を目深に被りなおすと、唇の端を持ち上げてゆっくりと闇の中へ足を踏み入れた。

 

 僅かな灯りの中に、下へと石段が続いているのが見えた。

 男達に続いて、キッドも石段を下りていく。

 途中、キッドは左右を見回した。

 右側の奥に、古びた鉄の柵があった。

 その中には、数体の人の形をしたものが横たわっている。

 ずたずたになった衣服から見て、かなり前からそこにいるものと思われた。

 生きているのか、死んでいるのか、それさえもわからない。

 だが、キッドはそれらを目に入れながらも、何の関心も示さなかった。

 やがて行き着いた一つの扉の前で

 「ふーん?」

 と、そう呟いただけで。

 

 そうして、男達がキッドの前に回りこむと、扉が開かれた。

 「珍しいお客だな。」

 奥からしわがれた声が響く。 しかも日本語だ。

 おや?とキッドは首を傾げた。

 「ここを訪れる連中は、途中にいる無残な輩を目にして、たいてい腰を抜かすか、気を失うかのどちらかだが、君はそうはいかなかったらしい。」

 声の主は、皮肉っぽい眼差しをキッドへ向けていた。

 立派な椅子に深く腰掛けているその男は、灰色の目を細めて笑っている。

 キッドも唇の端を持ち上げたまま、真っ直ぐに見返していた。

 男は言葉を続けた。

 「なに、彼らはいわゆる街のゴミという奴らでね。消えたところで何の支障もない。いや、むしろ、街の犬や鼠は大喜びだろう。」

 「それは良かった。」

 キッドはにこりとした。

 男はそんなキッドに鼻を鳴らして笑う。

 「なるほど。あれで驚かんとは大した度胸だし、我々の仲間が君の世話になったようだ。大人しくここへ来たのも、何か目的あってのことなのかな?」

 「さすが。話が早くて助かるね。――にしても、ずいぶんと日本語がお上手だ。」

 言いながら、キッドは少しキャップの唾を上げる。

 キッドの黒曜の瞳が男を映した。

 

 「・・・君が日本人とは部下から聞いていたのでね。日本には仕事の関係でよく出向く。ビジネスで必要だっただけのことだよ。よく言うだろう?遠方からの来客には礼を尽くせと。」

 「そりゃ、どーも。 でもあんまり歓迎されてる感じじゃないなぁ。」

 「君は本当に物怖じしないな。 何者だ?」

 「・・・・ただの一般観光客。」

 「最近は、ただの一般観光客でも信用できんな。」

 

 男はそう口元だけで笑って、葉巻に火をつけた。

 そして、改めてヴィンセント・エディと名乗った。

 この店の経営者であり、このラスベガスの裏の世界を取り仕切る者とも。

 

 「・・・それで、君は何が目的なのかな?」

 「ちょっとあるものを探していてね。知ってたら、教えて欲しいなぁと思って。」

 キッドは、愛想良くにっこり笑った。

 「・・・あるものとは?」

 「教えてくれるんなら、話すよ。」

 

 そのキッドの口ぶりに、周りの男達はいっせいに銃口をキッドへ向けるが、ヴィンセントはそれを制した。

 「なるほど。欲しいのは情報か。なら、君の度胸に免じて私の知っている事なら教えよう。だが、その前に一つゲームをしないかね?」

 「・・・ゲーム?」

 キッドが僅かに眉をつり上げたところで、ヴィンセントは部下の一人に命じて何やらケースを持ってこさせた。

 ケースの中には、赤いカプセルが2つ入っていた。

 「片方は空だ。中身を抜いてある。だが、もう片方には、とあるクスリを仕込んである。いわゆる死に至るというブツだ。」

 「・・・つまり、どっちかのカプセルを飲めってこと?」

 ヴィンセントは、口から煙を吐くとニヤリと笑った。

 「クスリの効果が現れるのは5分後だ。望んでいる情報は、君がこれを飲んだら教えよう。5分後にもし君が無事なら、君の勝ちとなる。欲しい情報を得て、帰るがいい。だが、50%の確立で君は天国行きということだ。」

 「・・・・・・ふーん。」

 キッドは言いながら、ケースの中を覗き込んだ。

 「自分の勝負運の強さを試してみる勇気はあるかな?」

 挑発するように灰色の瞳がキッドを射る。

 対して、キッドは面白そうに笑い返した。

 「・・・いいけどね、別に。ただハズレを飲んじゃったとしても、天国へは行けないと思うなぁ。」

 言いながら、キッドは赤い粒の一つを選んでつまみあげると、それをじっと見つめた。

 少々往生際が悪いようにも見えたが。

 「水が要るかね?」

 ヴィンセントがそう訊ねると、

 「もう飲んじゃったよ。」

 と、優美に口から手を離して、キッドは言った。

 

 キッドがカプセルを飲み下すのをしっかりと見届けてから、ヴィンセントは椅子の背にゆったりと寄りかかる。

 

 「それで・・・。何を知りたいのかな?」

 「この街にいるという噂の、ある人物の居場所。」

 「・・・・ある人物とは?」

 灰色の目がやや細められる。

 キッドはその目を見返すと、ニヤリとした。

 

 そして。

 「――ビスク・ドール。」

 キッドの穏やかな声が響く。

 

 瞬間、部屋の空気が凍りついた。

 だが、キッドはかまわずに続けた。

 「正確に言うと、ビスク・ドールがこっちに持ち込んでいる『矢車菊の青』っていう、ブルーサファイアを追ってるんだけどね。」

 ウインク付きでそう言うキッドに、ヴィンセントは目を見開いて、椅子から立ち上がった。

 「・・・貴様っっ!!一体何者だ?!」

 十数人いる黒服の男達がいっせいに銃を向けた。

 だが、キッドは少しも慌てた風ではなく。

 「質問に答えるのは、そっちなんじゃなかったっけ?」

 キャップの唾を少し下げて、そう笑った。

 するとヴィンセントは、再び椅子に腰掛け直して小さく息を漏らす。

 「・・・いいだろう。望んでいるのがビスク・ドールとそのサファイアのありかだというのなら、ここへ来たのはまさに大当たりだな・・・。彼は我々がこの街に招待した。何せ、次の仕事の大事な取引相手なのでね。」

 「なるほど。では、ビスク・ドールはここに?」

 「いや、ホテルはMGMを用意した。取引はそこで二日後に行われる。それまでは彼もこの街で好きにしていると思うが・・・。」

 その答えにキッドは満足そうに頷いた。

 だが、逆に部屋中には殺気は満ちてきている。

 「まさか、こんな情報を欲しがるヤツがいるとは。もはやただで返すわけには行かないな。」

 「約束が違うなぁ。」

 と、キッドは疲れたように言った。

 

 次の瞬間。

 ガァァァァーン!!と、銃声が響き渡る。

 キッドが立っていた場所に、銃弾が打ち込まれたのだ。

 逃げる術も時間もなかった。

 キッドは立ったままだった。

 男達が確実に勝利を意識した時、急激に彼らの視界が白く染まった。

 そうして、次に視力が回復した時、彼らが目にしたものは。

 

 石畳の上に佇む白い怪盗の姿だった。

 純白のマントをはためかせ、彼は無傷でそこに立っていたのだ。

 

 「・・・か、怪盗キッド・・・!!」

 「おや、私をご存知で?」

 右目のモノクルを光らせて、キッドはニヤリと笑う。

 だが、笑ったのはキッドだけではなかった。

 

 「・・・知っているとも。だが、本当にあのブルーサファイアを追ってここまで来るとは・・・。ビスク・ドールの言ったとおりになったな・・・。」

 「・・・・・ヤツが何と?」

 「キッドは必ずこの街に現れるから、その時は盛大に歓迎してやってくれと。」

 「それはそれは。」

 キッドはやや唇を歪めた。

 

 すると、ヴィンセントは手元の時計を見た。

 「・・・さて、そろそろ5分経過だ。例のクスリを飲んでいたとすると、そろそろ効果があらわれるころだろう。」

 「どんな効果かな?」

 キッドは小首を傾げた。

 「そうだな。まず、急速に体温が低下し、呼吸困難になる。」

 「ほう。」

 キッドの全身が不意に強張った。

 「次に、心臓に強烈な痛みが走る。優秀な医者が今すぐ手当てをすれば、どうにか対処できるかもしれんが、もう間に合うまい。―――後は、平凡な死者と同じだ。」

 キッドはもう石畳の上に伏していた。

 僅かに瞼が痙攣しているが、すでに意識はない。

 

 「What do you do? Boss?」
 (どうなさいますか?ボス)

 倒れ伏している白い怪盗の周りに男達が集まり、その中の一人がそう振り返った。

 「First of all, take it underground.Even a body will be a present to the fellow.」
 (とりあえず、地下へ連れて行け。死体でも奴には手土産になるだろう。)

 言いながらヴィンセントは再び葉巻に火をつけると、ふぅっと白い煙を吐いた。

 「It agreed.」
 (承知いたしました。)

 

 部下の一人がそううやうやしく礼をすると、また別の一人がキッドを肩に担ぎ上げ、悠々と部屋を出て行く。

 部下達が全員、出払うのを見届けてから、ヴィンセントはケースに残った赤いカプセルを見つめた。

 そして、それをつまみあげると、部屋の脇に置いてある水槽の中にポチャンと落とした。

 水槽には、カラフルな魚達が泳ぎまわっている。

 そうして、彼はその部屋を後にした。

 

 

 その五分後。

 誰もいなくなった暗闇の中、水槽には無残な魚の死体が浮いていたのだった。

 

 
 

To be continued

 


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さて、今回はキッドさまのパート・・・ということで。
新一さんはお休みです。

やっとほのぼのした感じから脱出できたような気がしてほっとしております。
さて、次回から話がようやく動き出す・・・ということでって・・・。

相変わらずペースが鈍すぎる自分にだんだん嫌気がさしてきました・・・。(苦笑)

2003.06.08

 


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