とりあえず、なんだか事情は知らないが、具合の悪そうなキッドをタクシーに押し込めて、オレは泊まっているホテルへ向かった。
当然、キッドには私服に着替えてもらって。
当たり前だ。 いくらラスベガスだとはいえ、あんなフザけた格好で一般のタクシーなんかに乗せられるわけがない。
そんなワケで、だ。
とにもかくにも、オレ達は追走される前に足早にヴィンセントの店を後にしたのだった。
車中、キッドの顔色を覗き込むが、冗談ではなくずいぶん顔色が悪い気がする。
おまけに冷や汗でびっしょりだ。
・・・・・コイツ、本当に大丈夫か?
「・・・おい、大丈夫なのか?」
「・・・・・・たぶんね。」
ニヤリとそう笑う顔は、いつもとそう変わらない小憎らしい怪盗の顔なのだが。
どう見ても、大丈夫だとは言い難い気がする。
一体、あそこで何があった?
ビスク・ドールも居たのか?
まさか、ビスク・ドールの仕業じゃないだろうな?
キッドのヤツには、それこそ問いただしたい事が山のようにあったのだが。
―――とりあえずはホテルに帰ってから、だな・・・。
後部座席のソファにぐったりと身を預けているキッドを横目に、オレは小さく溜息をつく。
と、オレの横でキッドが小さな声を出した。
「・・・心配しなくても、あとでちゃんと話すって。だから、今だけちょっと肩、貸して。」
言いながら、キッドが体重をオレの肩に預けてくる。
ヤツのクセッ毛がオレの頬に当たって、少しくすぐったい。
本来だったらこんな状況を許すつもりはないオレだが、さすがに病人?に冷たくするわけにもいかない・・・ので、今だけ好きにさせておく。
さっきとはまた違う意味で溜息を零したオレを、キッドが口元だけで笑った。
それに目をやると、キッドの黒い瞳もくるんとオレを見上げてニヤリとした。
「ヤツの居所は掴んだよ。」
そう言ったキッドの顔を、オレは少しだけ目を見開いて見返す。
紙のように白いキッドの顔を、窓の外の眠らないラスベガスの街のネオンが照らしていた。
+++ +++ +++
同じ頃、ラスベガス・マッカラン空港。
大きなスーツケースを椅子代わりに、赤毛の少女が一人で英字新聞を読んでいる。
しばらくそこで一人時間を潰していたらしい彼女のもとに、保護者らしき男性が戻ってきた。
阿笠博士である。
「いやぁ、哀君。お待たせしたな。レンタカーの手配、無事、完了じゃよ。」
彼の声に、少女は新聞をパサリとたたむと、腰掛けていたスーツケースの上からちょこんと飛び降りた。
「車はこっちに回してくれとるそうじゃ。とりあえずは、新一君達のいるホテルに向かうとするかの。」
「ヴェネチアンね?空港からは近いのかしら?」
「ああ、確か20分から30分以内には着くはずじゃよ。」
博士の答えに哀は黙って頷くと、空港のロビーを歩き出した。
外へ出ると、彼女らを涼しい風が出迎える。
ラスベガスは日中は真夏のような暑さでも、日が暮れてしまえはそれなりに過ごしやすい陽気だった。
少し離れたところに見える、ネオンが哀の瞳に映る。
「哀君は、ラスベガスは初めてじゃったな。」
「・・・ええ、ギャンブルになんて、興味はないもの。」
「・・・そうか、それは残念じゃのう。哀君なら、こういった賭け事にはすごく強そうな気がするんじゃが。」
「何言ってるの。ギャンブルなんて、統計的に見ても、絶対に勝てないようにできてるのは知ってるでしょ?勝ちを得るのは、その極少数派のみ。本気で勝ちたいんなら、どこかの怪盗さんにでも、イカサマしてもらうように頼んでみたら?」
「こらこら、哀君・・・。」
「もっとも、彼らはもうそれどころではないとは思うけど。」
風に乱れる赤毛を押さえながら、そう答える哀を博士は見返す。
哀は相変わらず冷静な眼差しで、ネオン輝く街を見据えていた。
「・・・何事も起きなければいいけど・・・。そうはいかないでしょうね・・・。」
哀の小さな呟きは、そのまま乾いた風にさらわれて行った。
+++ +++ +++
「・・・MGM?MGMグランドホテルにビスク・ドールのヤツがいるのかっっ?!」
「そ。ヴィンセントの一派が取引のために、ヤツをそこにご招待したんだとさ。」
「取引・・・。『矢車菊の青』か。」
「ま、そういうことだろうね。」
ミネラルウォーターをガブガブ飲みながら、キッドがそう答える。
顔色は相変わらず優れないが、一人で立てるところを見ると、さっきよりも体調は良くなったようだ。
ホテルの部屋に着いたとたん、堰を切ったようにキッドに問い質したオレに奴は一つ一つ答え始める。
で、オレはアイツがホテルから姿を消した後のことを、ようやく知るに至ったのだが。
・・・・・にしたって。
いっくら情報を得るためとはいえ、自ら進んで毒を煽るコイツの神経がオレにはわからない。
一つ間違えば、命を落としかねないのに。
オレがそう信じられないという顔をしてやったら、キッドの奴はあの場合は仕方がなかったのだと笑って言いやがった。
“あのくらいの毒性なら、たぶん大丈夫かと思ってね。” と、にっこり。
・・・「たぶん」って何だよ?「たぶん」って。
オレはただただ呆れ返ったが。
キッドは気にした風でもなく、掴んだ情報の話を続けた。
ドサリとソファに腰を落としながら、キッドがあちこちに向いたクセッ毛をかき上げる。
「でもって、取引が行われるのは明日の深夜0時5分。」
「確かなのか?」
オレがそう聞き返すと、キッドはさぁ?と首を傾げた。
「あのヴィンセントとかいうオヤジが、冥土の土産に教えてくれた情報だけどね。もちろん、100%信頼性があるとは言い難い。」
「だが、あの店にもう一度、潜入して確実な情報を得るというのも難しいな。万一、MGMに乗り込んだとしても、奴がそう簡単に尻尾を出すとは思えない。」
「そういうこと。今回の潜入で、オレ達がこっちに来てることは十中八、九、ビスク・ドールの奴には知れる事となっただろうからね。迂闊には動けない。」
キッドの言うとおりだった。
しばし、オレは顎に手を添えて考えをめぐらす。
キッドの得た情報が真実かどうかはわからない。
だが、それを確かめる術は今はない。
だったら―――。
「・・・行って、確かめるしかないな。」
「まぁ、それしか手はないだろうね。けど・・・。」
そこまで言って、言葉を区切ったキッドをオレは見やった。
奴はそれまで背もたれに預けていた体を起こして、オレを見上げる。
視線が交差した。
「・・・奴はまともにやりあって、オレ達の手に負える相手じゃない。」
・・・・・・わかってるさ、そんなこと。
「何とかするさ。ってか、しなきゃなんねーだろ?ここまで来て、黙って帰るワケにはいかねーからな!」
オレはそう言い返す。
オレの強気な姿勢に、キッドはニヤリとした。
オレがキッドに、これからどう動くつもりなのかと聞こうとした時、不意に部屋のチャイムが鳴って、会話を遮った。
・・・誰だ?こんな時間に。
一瞬、オレとキッドは顔を見合わす。
が、次の瞬間、お互い緊張が走る。
居場所がバレた?!
お互いに目で合図を送りながら、ドアへ近づく。
すぐにも応戦できるつもりで、ドアの扉を開けると・・・・。
「よぉ〜、新一君!元気だったかね?!」
「・・・はっ、博士?!それに灰原も!!」
「こんばんわ、工藤君。それに怪盗さんも。ご無事で何よりってとこかしら?」
クスリと笑う少女に、キッドは安心したように再びソファに腰を静めて苦笑する。
「・・・いや、あながちそうとも言えないんだけどね。」
+++ +++ +++
「・・・毒を飲まされた?」
灰原の細い眉がつり上がるのを見て、キッドはニヤニヤしながらただ頷く。
「あ、いや。正確に言うと、自分から飲んだことになるのかな?」
キッドの返事を聞いて、灰原はますます顔をしかめるが。
何にしたって、灰原と博士のこの登場のタイミングはちょうど良かった。
自分では平気だと一点張りなキッドの体調も、実は気になるところではあったし。
この際、灰原にちゃんと診ておいてもらった方が良いに越したことはない。
「・・・・・言っておくけど、私は貴方達の専属医師になった覚えはないわよ?」
灰原は一応そうは言うものの、キッドにベットに横になるように告げる。
簡単にキッドに体調を伺った後、さらさらと小さなメモに何やら書いてオレに寄越した。
「工藤君は、博士とそこに書いてあるものをそろえて来て。」
どうやらキッドの治療に必要なものらしい。
「ああ、わかった。んじゃ博士、疲れてるとこ悪いけど、一緒に来てもらえるか?」
「構わんよ、レンタカーもあるしな。」
博士は頼もしげに胸を叩くと、オレの後に続く。
オレはまた目深に黒いキャップを被って、外出スタイルに切り替えた。
キッドが背中で用心しろと言っているのを軽く受け流し、そのまま博士と連れ立って部屋を出て行ったのだった。
博士達が出て行って、怪盗と少女しかいなくなった部屋には静寂が訪れる。
赤毛の少女と眼が合うのを合図に、怪盗の体がボスンとベットに沈んだ。
「・・・・貴方も大概、見栄っ張りな人ね。」
「いやいや、それほどでも。」
キッドはのんびり答えながら、呆れたように溜息をついてみせる少女の顔を見つめた。
どこからどう見ても幼い美少女の容貌には、患者を前に話す医師の威厳が謹厳さが漂っている。
「・・・・・本当は立っていられない程、辛いんではなくて?いくら、毒に耐性がある体だとはいえ、致死量の毒を服用してそうそうピンピンしてられる人間なんかいるわけないんだから。」
「・・・・・ごもっとも。」
哀の言葉に、キッドは小さく肩を竦めて見せた。
「―――で、実際のところ、どうかな?」
キッドは首筋を揉みながら聞いた。
どうかなというのは、自分の体調についてである。
「さぁ? 何にしたって、服毒してからそろそろ丸一日経つわけでしょう?今から中和するんじゃあ・・・」
かわいい少女の顔で、哀も恐ろしい事を言う。
「もっと早く医者のところへ行くべきだったわね。」
「手遅れかい?」
キッドはうんざりしたように聞いた。
「いえ。まだ、大丈夫だとは思うけど。」
「治療できるかな?」
「いいえ。」
あまりに簡潔な返事に、キッドは宙を仰いだ。
「・・・・まいったな。明日、ビスク・ドールとやり合うつもりなんだけど。」
「それはまた、絶望的な相談ね。」
あくまで茫洋とした怪盗に、少女は冷ややかに笑っただけだった。
To be continued
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