「さて、これで全部じゃったかな?」
ショッピングカートに様々な薬品類を詰め込みながら、阿笠博士がオレを振り返った。
今、オレ達がいるのは、24時間営業のドラッグストア。
毒を煽ったキッドの治療のため、灰原から頼まれたクスリを買いに来ていたところなのだが。
結局のところ、灰原のメモにあったのはビタミン剤や栄養剤の類で。
直接的な治療には役立たないようなものばかりだった。
・・・・・こんなもので、アイツは大丈夫なのか?
ま、確かに、こんな一般的なドラックストアで解毒剤が簡単に手に入るわけもないんだろうけど。
カートの中身を見て同じことを思ったのか、博士が心配そうな顔色をした。
「・・・それにしても、
彼も相変わらず無茶するのぅ。いくら情報が欲しいからとはいえ、毒なんか飲んで、普通ならとっくに天国行きじゃぞ?」
「・・・ま、アイツは普通じゃねーからな・・・。」
「本当に大丈夫なんじゃろうか?」
「・・・さぁな。けど、アイツが平気だって言ってるんだから、それを信じるしかないだろ。」
言いながら、オレはカートを押してレジの方へと向かう。
博士はオレの言葉に仕方なさそうに頷くと、オレの後をゆっくりと続いた。
さっさと会計を済ませて、外の駐車場へ向かう。
にぎやかな繁華街とは道一本挟んだところにあるこのドラックストアのあたりは、ひどく閑散としていた。
さびれた駐車場には、博士のレンタカーがぽつんと一台停まっているだけだ。
高層ビルの陰に隠れて、月明かりさえも差し込まない。
「悪かったな、博士。こっち着いたばっかで買い物にまでつき合わせて。」
「いや、構わんよ。もともとわしと哀君がこっちに来たのは、少しでも君らの役に立とうと思ってのことじゃったしな。こんなことくらいしか力になれなくて申し訳ないが・・・。」
車の後部座席に買い込んだ薬品の入った紙袋を押し込みながら、博士が言う。
オレは車の横に立ち、そんな博士の背中を見つめた。
「哀君も言葉にこそ出してはおらんが、君らのことをずいぶん心配しておったぞ。あまり無茶はせんでくれよ?新一。」
「・・・・わかってるよ、博士。 サンキュー。」
荷物を置き終わった博士が再びこちらに顔を向けたのと同時に、オレは柔らかい笑顔を作った。
少しでも博士に安心してもらいたいと、そう思って。
「じゃあ、帰るとするかの。キッドに早くこの薬を届けんとな。」
博士の言葉に頷いて、オレが車に乗り込もうとしたその時だった。
不意に、誰かに見られているような気配を感じた。
慌てて振り返るオレの視界に映るのは、闇ばかり。
だが、明らかに自分達以外の何者かの存在の気配があった。
いや、それは。
人の気配なんていう、生易しいものじゃなかった。
これは―――。
まるで背中をいるような、鋭いこの感覚は―――。
殺気だ !!
背中を冷たいものが伝っていく。
この嫌な殺気には、覚えがある。
これは。
こんな嫌な気配を放つのは―――。
オレは拳を握り締めて、暗黒を睨みつけた。
「・・・博士、悪いけど、先に戻っててもらえるか?」
「新一?どうしたんじゃ?」
運転席のドアを開けたまま、博士は不思議そうに首を傾げる。
オレは背中の気配に集中しつつも、博士に顔を向けた。
「心配はいらないから、博士は早く灰原にその薬を。アイツにもよろしく言っといてくれ。用が済んだら、オレもすぐ帰るよ。」
「・・お、おい、新一?」
「いいから、博士!早くっ!!」
オレは博士を無理矢理車に押し込むと、とりあえずホテルへ先に帰ってもらうようにした。
車のエンジン音も掻き消えて、闇の中に立つのはオレ一人。
すると、どこからともなく声がした。
「・・・久しぶりだな、名探偵。」
声のした方にオレは目を向ける。
と、闇の中から一つの黒い塊がふっと浮き出て、それはやがて人の形になった。
その黒い影を見つめ、オレは軽く舌打ちをする。
オレのすぐ目の前に立つのは、忘れもしない青い目のあの殺人鬼だった。
+++ +++ +++
「・・・それで、今、気分はどうなの?」
深海を思わせるサテンのワンピースを着た少女が訊いた。
「だいぶ、いいね。」
細いが鋼のような声が応じる。
少女の姿こそしているが、実は立派な化学者である灰原 哀と、もう一人はただの少年のような顔をして、実は世間をにぎわす怪盗である。
キッドはベットに横たわりながら、グラスの水を口に運んでいた。
ベットの脇にはルームサービスで取り寄せた食事が銀の食器に乗っている。
昨夜から何も胃に入れていないはずのキッドのために、哀が用意させたものだった。
何しろ、毒に侵されている体である。
大した治療もできないというなら、せめて本人に基礎体力を回復してもらうしかない。
「・・・あまり食べないのね。―――やはり、気分がすぐれないのかしら?」
「致死量の毒を飲んだ後じゃあね。さすがに少しこたえるかなぁ。」
キッドの声は細い上に低い。
言葉どおり、並みの人間ならとっく死亡しているはずである。
いくらキッドと言えども、体力の低下は免れなかった。
それでも。
大して良くない顔色をしながら、コトの重大さをまるで感じさせないこの怪盗の茫洋たる雰囲気に、哀はいささか疲れたように溜息を零した。
そんな哀の心労をわかっているのか、いないのか、キッドはのんびりと笑い、冷めた目つきの赤毛の少女に、ウインクして見せる。
「まだお礼を言ってなかったね。―――ありがとう。」
哀は色素の薄い瞳を伏せただけで、何も返さなかった。
しかし、キッドはそんな哀を見、にっこり微笑んでいた。
「で、いつ、まともに動けるようになるかな?」
「さぁ?明後日の朝イチってとこかしら?もちろんそれも、ちゃんとした病院で充分な治療を受けた上に、明日一日安静にしているということが前提条件ではあるけど。」
哀の言葉に、キッドはなるほどと小さく頷く。
「残念だけど、そんなにのんびりはしていられない。明日は日が暮れたら出かけないと。」
「相変わらず無茶苦茶な人ね。もし、この場で私が貴方に治療をできたとしても、それでは私のしたことが全て無駄になってしまうわ。」
「あの殺人鬼とやり合ってケガをしたら、まっさきに君の部屋へお邪魔するよ。」
哀は何とも言えない目つきでキッドを見つめた。
「・・・・・・二度と来ないで。」
投げつけるようにそう言うと、背を向ける。
キッドが食べ残した食事の乗った食器を片付けていく。
手にした銀のトレイは小さな体には大き過ぎるようだった。
「ちょっと待った。」
と、キッドが呼びかけた。
「何かしら?」
「あそこにあるノート、ちょっと取ってもらえる?」
ノートというのは、デスクに置いてあったノート型のパソコンのことであった。
哀は手にしたトレイとサイドテーブルに置くと、デスクまで行き、パソコンを手にして再びキッドの傍まで戻ってきた。
「どうするつもり?」
キッドに手渡してやりながら哀がそう訊くと、キッドはニヤリと唇の端を持ち上げた。
「いや、とりあえず。予告状だけでも作っておかないと。あのブルー・サファイアをこの怪盗キッド様が奪い返しに行くってね。」
「あら、どうせなら、貴方とあのビスク・ドールの決死の対決をショーにでもしたらどう?」
哀が冷ややかに言った。
「ラスベガス最大の入場者を見込めるんじゃなくて?」
+++ +++ +++
闇に溶け込んでいた影が分離するように、形を露わにする。
どこからともなく忍び込んだ月光が、それを薄っすらと照らした。
そこには蝋のように白い顔をした人間の顔が浮かび上がる。
細く青い目に、鮮血を思わせるほどの赤い唇。
不気味な笑みを浮かべた青年が、真っ直ぐにオレを見つめていた。
「・・・ビスク・ドール・・・!」
背筋も凍るような殺気を放つその相手に、オレは引けを取らないようぐっと見据えた。
「
まさか、こんなところまで本当に追って来るとは。しかもキッドだけではなく、名探偵までご一緒とはな・・・。一体、どういう了見だ?」
赤い唇が歪んで、笑いの形を作る。
相変わらず感情の無いガラス玉のような青い瞳がオレを映していた。
「名探偵は、怪盗キッドの助手になりさがったと、こういうことか?」
・・・・んなワケねーだろ!バーローっ!何で、オレがアイツの助手なんだよ!
オレが明らかにムッとして見せると、ビスク・ドールはさらにその口元を緩ませた。
人を小馬鹿にしたその笑いは、あの白い怪盗を思わせるが。
心底、悪人である分、コイツの方が数段タチが悪い。
「・・・確かに、お前を追って、キッドとここまで来たのは事実だけどな。オレとアイツじゃ、最終的な目的が違うんだよ。」
「・・・なるほど?では、名探偵、お前は何のために来たと言うんだ?」
蛇のように輝く青い瞳がすっと細められる。
オレは、そんなヤツに向かってワザと不敵な笑いを浮かべてやった。
「決まってるだろ?!いい加減、お前にやられるのにはうんざりなんでね。そろそろ監獄へ送ってやろうってワケさ。」
すると、ビスク・ドールはあっけにとられたような顔をしたかと思うと、次の瞬間にはすぐさまいつもどおりの笑みを口元に貼り付けた。
「・・・まさか本気で言ってるわけではないだろうな?」
「悪いが、お前相手に冗談を言う気はない。」
オレの言葉にヤツはフッと鼻で笑うと、左手に銀の刃物を持ち出した。
鋭い刃が鈍く月光に照らされる。
殺気がジリジリと肌を刺した。
「―――名探偵は、もう少し利口かと思ったが。オレに勝てるとでも言うのか?」
「確かに。まともにやり合って勝つ自信は、残念ながらねーよ。だから、オレはオレのやり方でやってやる。」
「・・・言っておくが、お前やキッドを殺すことなど、オレはいつでもできるぞ?今まで、お前らが生きてこれたのは、単なる運の良さじゃない。このオレが生かしてやってるからこそだ。いい気になるなよ?」
言いながら、ビスク・ドールが一歩踏み出す。
間合いが詰められるのを防ぐために、オレは一歩後退する。
悔しいが、ビスク・ドールの言う事は6割方は正しい。
アイツの理論はこの際、置いておくとして。
この場ではどうやったって、オレに勝ち目がないことだけは確かだ。
とりあえず、ここから脱出することを考えねーと。
「心配しなくても、この場で今すぐお前を殺るつもりはない。」
「・・・なっ?!」
「明日、キッドと一緒に乗り込んでくるつもりなんだろう?お前達と遊ぶのは、その時まで楽しみに取っておく事にするさ。」
「・・・・・それはどーも。」
オレは、大層ふてぶてしく返事をした。
目の前にいる殺人鬼を睨みつける。
―――オレに仕掛けてくる気が無いんなら、どうしてここに?
何かあるんじゃないのか?
そんなオレの心を読み取ったように、ビスク・ドールはニヤリとした。
赤い唇が薄く開く。
「―――どうにかなると、思っているんだろう?オレを殺すとまではいかずとも、何とか一矢報いてやろうと。キッドと一緒なら、何とかできると。」
「・・・・っ!!」
「ガキの考えそうなことだ。」
青い人形のような瞳がギロリとオレを見る。
ひんやりと空気が冷えた。
「いいか?そんなくだらない考えがいつまでも通用すると思うな。諦めることを学ぶのも大事だということは、お前もわかってるだろう?名探偵?」
ヤツの言葉にオレは下唇を噛んで、睨み返した。
「・・・いい目だな、名探偵。―――腹が立つか?オレの言う事に。」
「あいにく、聞き分けのいいガキじゃないんでね。」
二対の視線が激しく交差した。
と、赤い唇がニヤリと笑いを象った。
「口で言ってもわからないか?・・・なら、勝負をしよう、名探偵。」
「・・・・・・勝負?」
何を今更?
オレはヤツの言ってる意味がわからなくて、眼を見張った。
「今度はオレも本気でお前達を殺すつもりでやろう。お前達がオレに白旗を揚げた時点で、勝負は終わりだ。そうなった時は、お前達はオレと一緒に来てもらう。」
「何だと―――っ?!」
「要するに、明日、オレとやり合うということは、死ぬか、オレと一緒にくるかのどちらかしか道はないということだがな。」
「ふざけんなよ!オレ達が勝ったらお前はどーするんだ?!」
「どうもしない。だが、今回はオレが諦めてやるさ。さぁ、どうする?」
どうする・・・だとぉ?!
大体、そんな勝負なんかわざわざしなくたって、どうせ同じ選択肢しかオレ達にはねーだろうが!!
コイツと勝負するということは、いつだってそういうことだったんだからな。
返事をせずに、オレがギリギリとヤツを睨みつけていると、ビスク・ドールは言った。
「キッドにも言っておけ。今回がオレと一緒に来る最後のチャンスだ。もし、一緒に来さえすれば、復讐とやらの馬鹿げたその夢にこのオレも力を貸してやる。悪い話ではないはずだとな。」
それだけ言うと、ヤツは再び闇に溶けるようにその場からいなくなった。
凍てつくような殺気はもうどこにもない。
ビスク・ドールは、完全にオレの前から姿を消していた。
瞬間、どっと冷や汗が流れ出る。
それは、この場は助かった安堵からだったのか、それとも明日、起きるであろう死闘を思ってのことだったのかはわからないが―――。
「・・・・・おいおい・・・・・。もしかしなくても、今回、かなりヤバイんじゃねーか?」
・・・・・いや、今回も、か。
大体、あの殺人鬼を相手にして、何も無しに済んだ試しなんてねーんだからな。
『矢車菊の青』の一件で、ヤツに一発リベンジしてやろうと威勢良くラスベガスまで乗り込んできたものの、やっぱりそう簡単に行かないか・・・。
そりゃ、覚悟はしてきたけどさ。
振り仰いだ暗黒の空には、星は無い。
月も。
厚く、黒い雲に覆われてしまっていた。
To be continued
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