ビスク・ドールと別れた後、重い足取りでオレがホテルに戻ったのはそろそろ日付が変わる頃だった。
静かにドアを開けると、部屋の明かりが落ちている。
博士や灰原が部屋にいる気配はなかった。
・・・キッドのヤツももう休んでるのか?
そう思ってもう一歩部屋に踏み込んだ時、
「おかえり。」
と、突然、闇の中から声がした。
・・・・・・このやろうっ!びっくりさせんじゃねーよっっ!!
ただでさえ、こっちは心臓に悪い思いをしてきたばかりだっていうのに!!
若干、引きつった顔をしながらも、声の主の方を睨み返す。
そこには薄闇の中、ベットから体を起こした状態で、こちらを真っ直ぐに見つめているキッドの姿があった。
オレは小さく深呼吸して息を整える。
「・・・起きてたのか。博士と灰原は?」
言いながらキッドに背を向け、オレは被っていたキャップをソファの上に投げ捨てる。
と、キッドはベットサイドの棚に手を伸ばし、部屋の明かりをリモコンでつけた。
「もうだいぶ遅いからね。彼らもこっちに来たばっかで疲れてるだろうし。部屋に戻ってもらったよ。」
「そういや、博士達、どこに部屋を取ったんだ?」
「ダウンタウン近くのモーテルだそうだよ。ここからそう遠くない。」
「そっか。・・・で、お前、体調はどうなんだよ?あんな栄養剤やビタミン剤程度で大丈夫だったのか?」
「・・・ま、一応ね。名探偵こそ、五体満足で帰って来れて何より。」
言い終えて、キッドが意図的にニヤリとする。
・・・・コイツ、気づいてやがる。 オレがビスク・ドールと出くわしたってこと・・・・!!
キッドは、すべてお見通しと言った風な眼をしていた。
オレが押し黙っていると、キッドはにこやかに続けた。
「もう少し帰りが遅いようなら、迎えに行くところだったんだけどね。」
「・・・・・何言ってやがる。お前こそ、そんな体して無理すんな。」
溜息交じりにそう返すと、キッドはそんなオレを鼻で笑い、枕を背もたれに上半身を起こして、改めてオレを見つめてきた。
「・・・で?まさか名探偵は、ノコノコ一人でMGMまで出向いたわけじゃないだろうね?」
「んなわけねーだろ。ドラックストアの駐車場にアイツの方が来やがったんだよ。」
「なるほど。こっちの動きは既にバレバレなわけだ。」
キッドは腕組し、少し考え込むような仕草を見せ、その目を伏せた。
部屋には少し重苦しい空気が流れる。
「・・・それで?何があった?話を聞かせてもらおう。」
オレはキッドの言葉に無言で頷いた。
「その前に―――。お前、その体で本当に明日、ビスク・ドールとやり合えるのか?」
「大丈夫だと言ったはずだけど。」
ニヤニヤしながらそう返すキッドの言葉が、真実かどうかはわからない。
もしダメであったとしても、コイツが泣き言なんて言うタイプではないことは百も承知だ。
・・・ったく。
『大丈夫』と言ったからには、自分の言葉に責任を取れよ?
オレは小さく息を吐き、先程、ビスク・ドールに言われたばかりの言葉を思い出しながら、キッドに告げた。
「―――なら、いいが。今更だけど、ビスク・ドールのヤツも今度こそ本気でオレ達を殺しにかかるらしいからな。アイツが言うには、オレ達に残された道は死ぬか、ヤツについて行くかの2つしかないそうだ。」
「うーん、どっちもご免だねぇ。」
頬杖をついて、キッドはのんびり返事をする。
オレはそんなキッドを見てから視線を窓の外の闇に流すと、先を続けた。
「
まともにやり合って敵う相手じゃないのを承知で戦いを挑むなんて、確かに正気ではありえねーけどな。それでも何とかなるって信じてるから、ここまで来たんだ。オレは
大人しくアイツの言うなりになんて、なってやるつもりはねーからな。」
グッと拳を握り締めて言うオレに、キッドがクスリと笑う。
「アイツに、何か言われたんだ?」
オレは何も答えなかった。
ただ、頭の中にはオレに諦めろと言ったビスク・ドールの嫌な声が響いている。
「まぁ、そんなに思いつめるなよ、名探偵。」
「・・・思いつめてなんかいねーよ!」
ニヤニヤしているキッドへ、オレは睨みを効かす。
キッドは、あ、そう?と舌をぺろりと出して見せた。
そして、柔らかいクセのある髪を軽くかき上げると、オレが良く知る不敵な怪盗の笑みをする。
「別に殺し合いに来たワケじゃないんだし。―――オレは、横取りされちゃった獲物を奪い返せればそれでいい。所詮、オレは泥棒だからね。自分のやり方でケリをつけるだけだ。名探偵だって、そうだろ?」
―――そうだ。 オレは、探偵だ。
オレに出来るやり方で、ビスク・ドールに一矢報いるしかないんだ。
少しばかり動揺していた気持ちが、収まっていくのを感じていた。
・・・・・・わかっていたはずのことだったのにな。
オレは薄く笑いを作ると、自分の意思を示すようにキッドに頷いて見せた。
ふと部屋の隅にあるデスクに目をやると、ノートパソコンが開いてある。
目に入ったのは、2,3行ばかりの英文。
―――これは・・・・・予告状?
オレはキッドを振り返ると、ヤツは唇の端を持ち上げた。
「今回は簡単だろう?名探偵相手じゃないからね。とりあえず、ご挨拶程度ってことで。」
「もう出したのか?」
「一応、ヴィンセントのとこにメールでね。ああ、オレ、もうパソコンは使わないから後はご自由にどうぞ。明日の下調べもしたいだろう?名探偵も。」
・・・確かに。
明日の現場になるMGMホテルの構造などについては頭に入れておく必要があるし、何よりVIP専用の客室フロアに、どうやってオレ一人で潜入するかも考えておかなくてはならない。
明日は、基本的にコイツとは別行動になる。
そう思ったら、途端にキッドが明日、どう動くのか気になった。
いや、だって。
コイツ、どう考えたって本調子じゃないわけだし。
「お前、明日はどうするつもりなんだ?」
「知りたい?」
・・・・・・ニヤニヤしやがって。人の気も知らないで。
「聞いてやるから、言ってみろ。」
けれど、キッドは人差し指を自分の唇の元へすっと持って行き、ナイショvだなんてほざきやがった。
・・・コノヤロウ。
「まぁ、オレのことはともかく。名探偵は自分のことだけ考えてればいいのさ。―――ってことで、コレ。」
と、言いながらキッドは枕の下から黒い塊を取り出した。
短銃だ。
長い指で器用にクルクルと回して見せると、いきなりソレをオレ目がけて投げて寄越すので、オレは慌ててキャッチする。
「赤毛のお嬢さんから預かった。」
「灰原から?」
オレは黒光りするその短銃を改めて見る。
それはモデルガンを博士が改造した品とかそういったものではなく、紛れもなく本物だ。
コルト・25口径。
正確には、ジュニア・コルトだ。
・・・・灰原のヤツ。
こんなもん、どこで手に入れた?
っていうか、どうやって機内に持ち込んだんだよ?
少々頭が痛くなる思いで、オレはグリップ脇の小さなボタンを押す。
中から飛び出した弾倉にはきっちり6発、弾が入っていた。
「補充用の弾はこっち。あと6発なんで、無駄使いしないようにね?名探偵。」
「・・・当たり前だ。あくまで護身用として持つだけだからな。むやみやたらびぶっ放すマネなんかするかよ。」
言いながら、オレはキッドの掌に乗っていた残りの弾を手に取って。
ありがたく灰原の好意を頂戴することにしたのだった。
銃をしまいながら、キッドを見やる。
そういえば、ビスク・ドールが言った台詞で、まだキッドに告げていない事があった。
「・・・キッド。ビスク・ドールが―――。」
「ん?」
こっちを向いたヤツの顔を見、一瞬、先を告げていいものかどうかオレは躊躇するが。
結局、一呼吸置いてから続けた。
「今回がお前がヤツのもとへ行く最後のチャンスだと、そう言ってた。お前の夢にも手を貸してくれるそうだ。だから、お前にとって決して悪い話ではないと―――。」
「・・・・・オレの夢?」
キッドが眉を顰める。
本当に『ソレ』がキッドの夢かどうかは、オレは知らない。
ヤツが『パンドラ』という石を探している本当の理由ですら、オレにはわかっていないのだ。
―――ただ。
黒の組織にヤツの父親が殺されたということは、どうやら間違いないらしい。
だとすると、ビスク・ドールが言っていたように、コイツが組織に私怨を抱いているというのも
あながちウソではないのだろう。
もちろん、本気でコイツが組織に復讐を願っているかはわからないが。
―――そう。
オレは、コイツが『怪盗キッド』であることの本当の目的を知らない。
コイツとはなんだかんだでつるんではいるが、肝心なところはわからないうやむやのままなのだ。
キッドが訝しげな眼でオレを見る。
オレは、そんなヤツに声のトーンを落として告げた。
ビスク・ドールが言ったそのままの言葉を。
『復讐』と―――。
キッドは何も言わなかった。
ただ、その顔からは表情が消えて、ヤツの感情を読み取る事はオレにはできなかった。
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「どこにもそれらしい記事は載っておらんのぅ。ニュースでも伝えておらんし・・・。まさか、キッドの送ったメールが届いておらんとか、そういうことはないじゃろうな?」
ガサガサと新聞を広げながら、そう言うのは博士。
夜が明けると同時に、博士は灰原と一緒にオレ達の部屋を訪れていた。
朝陽が差し込んですっかり明るい室内には、香ばしいコーヒーの香りが漂っている。
テーブルの上には、まだ手のつけられていないルームサービスの朝食がのっていた。
「それはないんじゃない?そもそもヴィンセントとやらが充分キナ臭い
んでしょう?今日の取引の成功を願うなら、警察になんて通報しない方が当然だと考えるべきね。」
部屋の隅にあるソファに腰掛けた灰原は、そう言いながらオレへと視線を向けてきた。
オレは、コクリコーヒーを一口飲み干す。
心地よい苦味が喉を伝った。
世の中に、キッドの予告状のことはまるで知れ渡っていなかった。
どうやらヴィンセント側は、予告状を警察に届出しなかったようである。
―――というか。
届出出来なかったと言った方が正しいか。
奴らがキッドのことをナメてかかっているのかどうかは、ともかく。
盗品である『矢車菊の青』をビスク・ドールから買おうとしているその行為こそが、すでに立派な犯罪として成立する。
一体、いくら支払うのかは知らないが、あの極上のブルー・サファイアを手に入れることのできるまたとない機会だ。
何も自らその取引を潰すようなマネをすることはしないだろう。
「・・・どうするつもり?」
不意にかけらてた声に思考が停止する。
顔を上げると、冷めた視線の少女と目が合った。
「決まってるだろ?奴らの取引をぶっ潰す。」
「どうやって?まさか、これから警察にタレ込みでもするつもりなの?」
―――まぁ、確かにそれも手の一つではあるんだが。
と、灰原には言いたい事があったのを思い出した。
「お前の方こそ。 ジュニア・コルトなんてどうしたんだよ?」
すると、灰原がすっと目を細めて笑う。
「あら。感謝はされても、迷惑がられる言われはないと思うけど?」
そりゃ、感謝はしてるけどね・・・。
オレはそれ以上、銃のことについて灰原に詮索するのはやめにした。
「ところで、さっきから死に損ないの怪盗さんの姿が見えないけど?」
「ああ、キッドなら・・・・。シャワーだよ。」
朝起きてすぐ、バスルームに消えたっきりのキッドを思い起こしながら、オレはそっちを振り返る。
この広いスイートルームでは、たとえシャワーを使用していようが、水音が響く事はないらしい。
バスルームへと続くドアを、オレだけでなく灰原も博士も見やった。
「・・・・・・大丈夫なのかのぅ、彼は。」
新聞を折りたたみながら、博士が心配そうな声を出した。
「一応、今朝からは問題なく動き回っていたみたいだけどな。」
苦笑しながら、オレは灰原へと目線を下げる。
「正直なところ、アイツはどうなんだ?まともに仕事ができる状態なのか?」
「とんでもない。毒を中和できてもいないのよ?」
うそのない灰原の端的な言葉に、部屋には嫌な沈黙が落ちた。
「なぁ、新一。やっぱり今回は見送った方がいいんじゃないのか?キッドも
万全ではないし、ましてや相手はあの凶悪な殺人鬼じゃ。しかも、警察も動いておらんとなっては・・・・。」
そう言いかけた博士の言葉を打破するように、勢い良くドアが開く。
そこには、シャワーを浴び終えたらしいキッドの姿があった。
「心配はいらないよ。ま、警察の方々にこのオレの姿が披露できないのは残念だけどね。」
「・・・・キッド。」
白いタオルを頭から被っているため、その表情がすぐには伺うことのできないキッドをオレは見つめ返す。
すると、キッドはタオルをばっさり取り去って、オレ達ににっこりして見せた。
「今回はいつもと多少、主旨が違う。そんなに大勢のゲストは必要ないさ。無駄に警察に足を運んでもらって、余計な死体が増えても困るだろう?」
「・・・よ、余計な死体って。」
キッドの言葉に博士がうろたえる。
キッドの言わんとしていることは、わからなくもないが。
・・・・おい、コラ。 もう少し言葉を選べっての。
「・・・・・・その様子じゃ、何を言っても無駄なようね。」
呆れたように灰原が言う。
それでもキッドは相変わらずのほほんと笑っているだけだった。
「さてと。それじゃ、オレはそろそろここを出るけど。」
言いながら、キッドは手早く着替えを済ませると、いそいそと荷物をまとめにかかる。
「キッド、お前、食事は?」
けれども、ヤツは軽く首を横に振るだけで、リュックを背負ってスタスタとオレの前を通り過ぎる。
そのまま一気に部屋を出て行きそうな勢いなので、オレは思わず声をかけた。
「おい、キッド!」
すると、ヤツは肩越しに振り返る。
「じゃあ、名探偵。現場で会おうぜ。一応、言っとくけど、無茶はするなよ?」
「・・・・お前もな。」
一瞬、交差した視線はすぐそらされて。
キッドは再び出入り口へ向かう。
ヤツの手がドアノブにかかったところで、その背中に今度は灰原が声をかけた。
「貴方こそ、“余計な死体”の内の一つにならないといいけど。」
物騒な灰原の台詞に、キッドはノブに手をかけたまま、もう一度オレ達の方を振り返った。
「そうだね。気をつけるよ。」
口元に微笑を貼り付けたキッドは、そう言い残してオレ達の前から消えた。
「・・・・貴方も。」
声をかけられて、灰原の瞳が自分を映しているのに気がついた。
「いくらラスベガスだからって、命を賭けるような大バクチをすることはないと思うけど。」
・・・ま、確かにな。
相変わらず容赦のない少女に、オレは苦笑するしかない。
と、彼女は小さく溜息をつく。
「馬鹿げてるわ。勝率の低い賭けを自ら進んでするなんて。でも、もっと救いようのないのは、こんな状況でもそれを心のどこかで当人が楽しんでいることね。―――結局のところ、貴方もあのイカれた怪盗さんと、そう変わりはないということよ。」
その灰原の指摘には、多いに反論したいところだが。
さらに辛辣なことを言われそうな気がするので、敢えてそれはしないでおくことにする。
オレはカーテンの向こうの青空に目をやった。
陽はまだ高い。
だが、日が暮れれば、またあの嫌な目をした悪党と会うことになるのだ。
そう思うと、俄かに緊張感が高まっていくのを感じていた。
To be continued
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