眩しく輝くネオンが、瞬く星の光さえかき消す夜空の下。
怪盗キッドは、目の前にそびえる巨大な建物をある感慨を込めて見つめていた。
緑に発色するその建物の前には、ホテルのシンボルである金色のライオンの像が見る者を威圧するように立っている。
MGMグランドホテルである。
そのMGMから、ラスベガスのメインストリートを挟んだちょうど対岸。
ライトアップされた白亜の外観が美しいこのホテルは、モンテカルロ。
フランスの東南、地中海に面した小さな国モナコの首都モンテカルロの名がつけられたヨーロッパ調の高級感漂うエレガントなホテルだ。
MGMのちょうど真向かいに位置するこのモンテカルロの屋上に、キッドは居た。
むろん一般人は立ち入り禁止だが、それを強制する鍵やチェーンを当たり前のように通過してきたのは、もちろん彼が『怪盗』であるからこそである。
何気なく
、キッドはシルクハットのつばを上げると、目の前の手すりに両肘を置いた。
「面倒な事になったなぁ。だから、こんな事になる前にさっさと奪っておきたかったのに。」
やれやれと溜息もつかんばかりにそうキッドが呟く。
面倒な事と言うのは、当然、あのビスク・ドールからもともとキッドの獲物であった『矢車菊の青』を取り戻さねばならない事を指す。
そもそもキッドの当初の計画では、ビスク・ドールの手に落ちてからでは厄介なので、そうなる前に手に入れるつもりだったのだ。
それが。
『矢車菊の青』を所有する立光氏の殺人事件と絡んだおかげで、妙な具合になってしまった。
首尾よく手に入れたはずの宝石を、立光氏の命と引き換えに自分から差し出すなんていうマネまでしたのだ。
結果、それで本当に彼の命が救われたのなら、まだ良かった。
けれども、実際はそうではなく。
立光氏は無残にも殺され、『矢車菊の青』も奪われた。
すべては、あの非情な殺人鬼に。
右目のモノクルの下に輝くキッドの瞳が僅かに細められ、口元は笑みを象った。
今回、いつになく好戦的な態度を取ったのにはワケがある。
前回の雪辱を晴らすため、一矢報いてやるつもりでわざわざラスベガスにまで出向いたのだ。
しかも一人ではなく、二人で。
「・・・『勝てない相手にケンカは売るな』。 これって、生きていく上での基本的なルールだと思うんだけどね。」
その瞳にネオンを映しながら、キッドは苦笑する。
「・・・・・・性格だよなぁ。 オレもアイツも。」
言いながら、キッドはここにはいない自分と良く似た顔を持つ探偵のことを思い浮かべた。
勝てない相手に勝負を挑むことに対して。
あの名探偵は、何とかしてみせるとそう豪語していた。
その強気な顔ときたら。
クスリとキッドは小さく笑った。
笑った後に、軽くコホンと咳払いなどして「さてと」と、シルクハットを目深に被り直した。
体調は相も変わらず絶不調。
致死量の毒は、間違いなくキッドの体を蝕んでいた。
だが、しかし、自分の体が毒に侵されているということを、キッドはあまり気にしていなかった。
勝ち目のない相手と、こんな体調不良の状態でやり合わなければならないことが、どんなに絶望的な状況か、普通の人間なら死を意識してうろたえるところである。
だが、白い怪盗は。
ただ、厄介な使いを頼まれたような子供のような、不機嫌そうな顔をしているだけだった。
しかも、上辺ばかりか、内面的にもそれほど追い詰められているとは思えない。
最期の時が来たとしても、「仕方がないな」と肩を竦めてあっさり終わってしまいそうだ。
死ぬかもしれないという状況下で、これだけ平然としてられる自分をキッドはこう分析する。
確かに。
自分には、それほど「生」に対する執着がない。
それは、いつ、命を落としてもおかしくない闇の世界に身を置いている人間として、常に「死」と隣り合わせでいたせいかもしれない。
「ま、命くらい惜しくはない。惜しくはないが―――」
幾分、声のトーンを落として、キッドはそう言う。
そしてその後、ニヤリとした。
「――― 今はまだ死ねない。 オレも、そしてあの名探偵もね。」
「・・・・・さて。 お前と遊ぶのもこれが最後だ。ビスク・ドール。」
純白のマントが風になびく。
星のない空の下、白い怪盗はただ一人、悠然と立っていた。
+++ +++ +++
同じ頃、オレはちょうどMGMグランドホテルの前に、博士の運転する車で到着したところだった。
車を停めた博士は運転席から心配そうに、オレを振り返る。
「・・・やっぱり、わしらもMGMで待機しておった方がいいんじゃないか?新一。」
「心配いらねーって。いいから、博士達はとりあえず、ヴェネチアンのオレ達の部屋でくつろいでてくれていいからさ。」
「しかしなぁ・・・・・。」
納得いかなさ気な博士を尻目に、オレは後部座席のソファに広げていたMGMのホテルの見取り図をガサガサと折りたたむ。
それから、シートに転がしていた様々な小道具をバックに仕舞い込んだ。
言うまでもなく、それらはありがたい博士の発明品。
これからホテル潜入のために、役立ってもらうこととなるワケだ。
シートの上が綺麗に片付くと、オレは博士に向けてにっこりした。
「・・・日本からわざわざ駆けつけてくれただけで充分だよ。 それに――― 」
「それに?」
「・・・いや。とにかく、博士達には安全なところ居てもらわないと、もしもの時の救援をお願いできないだろ?」
「そうは言っても・・・・・。」
「ムダよ、博士。」
今まで大人しく助手席で、オレ達のやりとりを聞いていた灰原がピシャリと言った。
「今更、この無謀な探偵さんが人の助言を大人しく聞き入れるワケなんかないんだから。」
「・・・哀君。」
おろおろする博士に目もくれず、灰原は人の悪い笑いを浮かべてオレを見る。
「―――そうでしょ?工藤君。」
・・・そう言われると、返す言葉がない。
博士と灰原の視線を一心に浴びながら、オレは僅かに目線を逸らして左手首の腕時計を確認した。
そろそろMGMに入っていたい予定時刻だ。
「・・・・じゃあオレ、もう行くから。悪ィけど、博士は灰原と二人で部屋に戻ってくれ。」
それだけ言って、オレはそそくさと車を降りた。
まだ何か言いたげな博士と灰原には、振り向きざま笑顔で手を振って。
―――悪いね、博士。
毎度、心配かけて申し訳ないとは、オレだって思ってはいるんだ。
もちろん、自分のやろうとしていることがいかに無謀で危険な事かというくらい、オレだって承知はしているつもりだが。
だからこそ、これ以上、博士は灰原を巻き込むわけにはいかないんだ。
相手は、あのビスク・ドール。
何が起こるかわからないからな。
・・・ま、でも。
それでも、オレは死にに行くつもりなんて、これっぽちもないし。
それは、たぶんキッドのヤツも同じなはず。
そうして。
オレは、にぎやかに賑わっているMGMホテル入り口方面に足早に向かったのだった。
+++ +++ +++
ホテルに一歩踏み込めば、そこは吹き抜けになった広々としたカジノフロアが視界に飛び込んできた。
一角にあるステージでは、ソウルフルな歌を聞かせるシンガーによるショーも行なわれている。
大勢の人で賑わうそのフロアをオレは横目に、足早に通り過ぎた。
とりあえず、向かうのはホテルフロントの奥にある客室インフォメーションセンター。
ビスク・ドールがいるだろうVIP専用の客室フロアには、一般観光客は行く事ができない。
・・・なので。
申し訳ないが、ここは少々、強硬手段を取らせてもらう事にする。
目の前に見えてきたインフォメーションセンターの案内を見つつ、オレは周囲を確認する。
人の良さそうな顔をした案内係の男性がそこには一人。
オレは、被っていたキャップのつばをグッと下げると、彼のもとへ近づいた。
「Excuse me.How should I go
to this room? 」
《すみません。この部屋にはどうやって行ったらいいですか?》
当たり障りのないルームナンバーを告げて、そう訊ねる。
案内係の男性は、にっこり笑ってオレにホテル内の地図を見せてくれた。
どのエレベータから行くのが、一番近いかを教えてくれるためだ。
丁寧にオレに説明してくれている彼の視線は、手元の地図に真っ直ぐに注がれている。
オレはその隙に、すっと左手首を持ち上げる。
彼の眼がこちらに再び向いたその時、オレは麻酔銃の針を彼に目がけて撃ち込んだ。
デスクにゆっくりと前のめりになるようにして、彼が倒れていく。
・・・すみません。ちょっとの間だけ、お借りします。
オレは心の中でそう詫びて、すばやく彼のポケットからIDカードを抜き取った。
───とりあえず、これさえあれば。
あとは、昨晩、調べ上げた従業員のパスワードと照合させるだけで、大抵のところへは潜入可能となる。
オレはそのまま寝こけている彼を残し、インフォメーション奥にある従業員以外立ち入り禁止のドアに手をかけた。
ドアの向こうに続いている狭い通路を、慎重に進んでいく。
途中、何度かあったプロテクトについては、先程奪ったIDカードで切り抜け、それでも対処できない場合は、博士お手製のメカを使わせてもらった。
そんなわけで、オレは従業員専用のエレベーターまで、どうにかたどり着く事ができたのだが。
VIPフロアまで行く事のできるエレベーターに乗り込んだオレは、エレベーター内に設置されている監視カメラの死角に立ちつつ、ほっと息を吐いた。
なんとか、ここまでは上手くいったな。
・・・・・・・・・けど。
こんなマネしちまって、なんかオレって、どっかのコソ泥みたいじゃねーか?
などと、加速するエレベーター中で少々自己嫌悪に陥りつつ。
と、急激にエレベーターが止まる。
オレが指定した最上階のVIP専用フロアには、まだ到達していないのに。
・・・やべっ!
誰か乗り込んでくる!
オレは、とっさに麻酔銃を構えた。
開かれたエレベーターのドアの向こうには、金髪の女性が立っていた。
彼女の青い目が、オレを見とめて大きく見開く。
「・・・Hey boy how did you
come here? 」
《・・・ぼうや、どうやってここへ来たのかしら?》
訝しげな目をし、エレベーターに乗り込んできた彼女は、そう言いながらオレに近づく。
とっさにオレは身を退くが。
残念ながら、彼女の方が行動を起こすのが早かった。
オレを逃すかとばかりに、あろうことか麻酔銃を構えていたオレの左腕を掴みあげたのだ。
間髪入れずに、捻り上げ、そのまま一気に体重をかけてオレの体を投げ飛ばす。
外見はか細い女性なのに、信じられない力強さだった。
・・・うわっ!いきなり問答無用かよっっっ!!!
狭いエレベーターの壁に体をぶつけそうになったオレは、とっさに右足一本で壁を蹴り、なんとか受身を取ることに成功した。
方膝をついた姿勢で、彼女を見上げる。
・・・・この人、何者だ?
ただのホテルの従業員が、ここまでの動きをできるはずがない。
一体・・・?
すると、彼女も少々眉をつりあげてオレを見下ろした。
「You don't seem to be a
mere lost child. 」
《どうやら、ただの迷子ではなさそうね。》
───確かに、ただの迷子ではないけど。
オレは、下唇を軽く噛んだ。
ここまで来て、とっ捕まるワケにはいかない。
しかし、彼女の方も不審者であるオレを見逃す気など、毛頭もないようで、攻撃の手は止まない。
なんとか、オレは応戦するが。
まさか、女の人を蹴り飛ばすわけにもいかず、防戦の一方である。
と、彼女が大きく立ち回ったその時。
床に何かが落ちた。
あれは・・・!FBIの・・・・っ!!
ってことは、この人はFBI捜査官???
オレは目を見開いた。
・・・なるほど。
FBIなら、当たり前だ。 訓練されたようなこの動きも。
───FBIが、ここにいるってことは・・・。
オレは、ぺろりと唇を舐める。
「・・・・Is your purpose
BISQUE DOLL?」
《・・・・貴方方の目的は、ビスク・ドールですか?》
オレがそう言うと、彼女はびっくりしたように眉をつり上げた。
その顔は何でそれを知っているのかと、言いたげだ。
・・・やっぱり。
ビスク・ドールは、世界的に名の知れた悪党だ。
FBIに追われていたって、何の不思議もない。
どうやって、FBIがここを嗅ぎ付けてきたかは知らないが、この状況は、オレ達にとって決して悪くはなかった。
オレは唇の端を持ち上げながら、言う。
「There is no reason why we
fight.A purpose seems to be the same.」
《どうやら、僕らが敵対する理由はなさそうですね。目的は同じみたいですよ。》
「What kind of meaning is
what you say? Who are you?」
《それ、どういう意味?貴方は一体何者なの?》
大きく眉をつり上げる彼女に、オレはにっこり一言。
「───I
am a detective. 」
《───探偵ですよ。》
そう告げると。
一瞬の隙をつき、彼女へと麻酔針を発射。見事命中させた。
オレは倒れた彼女の体をエレベーター脇の壁に預けると、その手にはメモを握らせた。
これから行なわれる取引のことなんかを、簡単に書いただけのものだが。
とりあえず、この場はこれで去ることにする。
本当のことを話したからといって、FBIと一緒に行動ができるわけじゃないからな。
再びエレベータのドアを閉め、オレは改めて最上階へと向かった。
───待ってろよ、ビスク・ドール。
オレやキッドだけなく、FBIまでお前には用があるみたいだぜ?
エレベーターのその限られた空間の中で、オレは一人腕組みをする。
取引開始まで、あと30分を切っていた。
To be continued
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