ドアの向こうに立っていたのは、キッドだった!!
シルクハットを目深に被り、その表情はよく見えないが
奴は唇の端をつり上げて、明らかにニヤリと笑っていた。
・・・てっめぇ!
こんな時に気障に登場してんじゃねーよ!!
突然、表れたキッドにオレ達は一瞬固まったが、犯人の男はすぐさま冷静さを
取り戻し、キッドへ向けて発砲した。
「貴様!キッド!!」
キッドはそれをふわりと舞ってかわしてみせる。
オレはその隙に男へ向けて麻酔銃を撃とうと、狙いを定めた。
そして撃とうとしたその瞬間、ド・・ンという低い音と共に船が激しく揺れた。
そのせいで麻酔の針は明後日の方向へ・・!!
振動でケースに入ったダイヤが床の上を転がる。
立っていた大田原氏もバランスを失って尻餅をついた。
何だ!今のは?!
「機関室へ仕掛けた爆弾が爆発したのさ。じき、この船は沈む。
悪いがこれ以上ここで遊んでいる時間は無い。さっさと終わらせよう。」
男は冷ややかに言うと、再びキッドへ至近距離で銃口を向ける。
くそ!さっきのが最後の針だったのに!!
なんとかしねーと、やばいぞ!!
と、オレは目の前でへたり込んでいる大田原氏の胸ポケットに刺さっている
万年筆に目を留めた。
「大田原さん、その万年筆貸して下さい!!」
オレはそう言って、訳がわからず彼が差し出した万年筆をそのまま
男めがけて蹴り飛ばした。
万年筆は男の後頭部に直撃し、奴がうめいたところをすかさずキッドが殴り飛ばした。
あっというまに男は気を失って倒れた。
そしてキッドは自分のジャケットのポケットから手錠を取り出し、男にカシャンとかける。
「・・・おい、お前、その手錠どこで手に入れたんだ?」
オレが疑わしげな視線を送ると、奴は、さぁ?と笑って見せた。
その瞬間、オレはわかってしまった。
コイツが警官の1人に化けてこの船へ乗り込んできたことが。
てっめー、グライダーで行ったと見せかけて、ずうずうしくもオレと一緒に来たのかよ!
オレがワナワナと振るえているのを、キッドは面白そうに目を細めると
トドメを刺してくれるような言葉をくれた。
「名探偵のボートの操縦、アレ、ちょっと荒っぽすぎ。
あんなんじゃ、女の子乗せたら酔っちゃうよ?」
「うるさい!!」
オレが怒鳴ると、奴は声を立てて笑った。
「まぁ、何はともあれ、これで一件落着かな?」
そう言いながらキッドは、床に落ちたままのケースからダイヤを拾い上げた。
目の前でダイヤを奪われているのに、大田原氏はぽかんと口を開けたままだ。
「こら、キッド!!これ外せよ!!」
オレは右手の手錠をガチャガチャさせながら言うと、キッドが思い出したように振り返った。
と、同時にニヤリと嫌な笑いをする。
「えぇ?どうしようかなぁ?」
コノヤロウ!!この非常時に遊んでんじゃねえ!
すると、大田原氏が驚いた顔で言った。
「き、君、まさかキッドとグルなのか?!」
はぁ?!そんなわけあるか!!
それは誤解だ!と、口を開きかけた時、物凄い振動が船を突き動かしオレはそのまま壁に叩きつけられた。
くっそ!痛ぇじゃねーか!
オレはぶつけた頭をさすりながら、ドアの方に目をやると、
部屋の外からじわじわと水が流れ込んでくる。
げ!沈むぞ!!
流れ込んできた水は床の上で渦を巻き、水位は上がる一方。
そろそろオレの足首の上にさしかかる。
見れば、床はゆっくりと傾きかけている!!
まずい!
「う、うわぁ〜!!」
大田原氏は慌てて立ち上がり、水をけり散らしながら部屋の外へ出ようとドアの方へ向かった。
直後、大音響と共に部屋の横の壁をぶちぬいて、大量の水が流れ込みオレ達はそれにのみこまれてしまった。
* * *
あっという間にオレは水の底。
ゴボゴボと息を吐き散らしながら、何とか水面上へ出ようと思うが、
手がパイプにつながれていて、そこから動けない。
くっそ〜!!
このパイプ、折れないかな?!
オレは水中でパイプを蹴り倒そうと、右足を何度か繰り出すが水の中じゃ威力半減で、びくともしない。
そうしている間にも、どんどん息が苦しくなる。
すると、トントンと肩をつつかれた。
振り返ると、キッドがにっこり。
お決まりのシルクハットこそないが、水中で白いマントをたなびかせている。
何の用だ!オレは今、忙しい!!
すると、奴はオレの前に手錠の鍵を出して見せた。
・・・お、お前、犯人から奪ってたのか?!
オレのびっくりした顔をうれしそうに見やると、キッドは手錠の鍵を外した。
自由になったオレは、必死で水中をかきむしり、
ようやくのことで水面上に顔を出した。
ぷは!
すぐそばにキッドの顔があった。が、大田原氏や犯人の男はいない。
まだ、下にいるのか?!
オレは再び水中に顔を沈めるが、中には何もいない。
あいつら、どこへ行った?!
「たぶん、あの二人はドアから外へ押し流されたと思うぜ?」
キッドが皮肉げな笑いを浮かべて言った。
オレはもうはるか下に沈んだドアを見やる。
二人を押し流した後、水の勢いで閉められてしまったのか、重い鉄のドアはしっかりと閉じられていた。
もうあの分じゃ、水圧で開けられない。
・・・ってことは、おい!
もしかして閉じ込められた?!
オレはまじまじとキッドの顔を見つめた。
そ、そうだ!壁がぶち抜かれてたよな!隣の部屋は?!
オレはザブッと水の中を潜って、ぶちぬかれた壁をくぐり、隣の部屋へ泳いでみた。
が、その部屋は完璧に水に沈んでいて他に出口はなかった。
たぶん、この地下のデッキはほとんど水没してるんだ。
オレは絶望的な思いで、もといた金庫の部屋へ戻ってきた。
「お帰り!やっぱ、出られなさそうだった?」
にこやかにキッドが言う。
「・・・お前な、うれしそうに言うなよ。」
額に張り付いた髪をかきあげながら、オレはキッドを睨みつける。
水位が上がっているのか、天井との距離がさっきより近くなっていた。
やばいぞ、このままじゃ・・・。
舌打ちをしながら、この状況でも飄々としているキッドを見やる。
「なんとかしろよ。」
「なんともならないな。」
「お前、いつも変な小道具もってるだろう?もったいつけずにさっさとやれよ。」
「いくらなんでも、壁をぶち抜くようなもんまで持ってないって。」
・・・ああ、不毛な会話だ。オレは大きく溜息をついた。
とたん、バリバリっという大きな音と共に天井に50cm四方くらいの穴が開きそこからも海水が雨のように降り注いだ。
一気に水位の上昇が加速する。
げ!オレは息を呑んでキッドを見た。
「どうする?!」
「どうにもならないな。」
てめー、ここで大人しく死ぬ気か?!
まるでなんとかしようと考えてなさそうなキッドを憎々しく睨みつけた。
キッドの方はオレのそんな視線など全くお構いなしに、天井を仰いでいるだけだ。
「・・・このままじゃ、時間の問題だな。」
ぽつりと呟いたキッドの言葉に、オレは少し心細くなる。
もしかして、本当にもうだめなんだろうか?
「名探偵、今のうちに遺言をしておけ、聞いてやるぜ?」
オレは目を向いてキッドを見た。
「バカ言うな!!オレはこんなところで死ぬ気はねぇよ!
しかもお前と一緒なんて、絶対にごめんだ!!」
オレがそう怒鳴るとキッドは、奴特有の不敵な笑いを浮かべて
真っ直ぐにオレを見た。
そのキッドの目を見て。
ふと、コイツとなら何でも出来そうな気がした。
コイツと一緒なら、出来ない事なんてない。
どこからか、そんな自信が胸の中に生まれたのを感じた。
・・・はっ!!何考えてんだ、オレは!!コイツは敵なのに!!
一瞬でもキッドに心を許しそうになった自分にオレは驚いた。
キッドはそんなオレのあせりを知ってか知らずか、ん?と
相変わらずの笑顔でのぞきこんできた。
その笑顔がいつもより、優しそうに見えたのはオレの気のせいに違いない!!
絶対にそうだ!!
オレは頭を振って、気持ちを切り替える。
とにかくだ!!
なんとかしてこの部屋を脱出しないと!
「壁がぶち破れないとなると、上に行くしかねーな。」
言いながら、オレは海水が降り注ぐ穴の開いた天井を振り仰いだ。
このまま水位が上がって、天井まで手が届くのを待つしかないか。
ここから出るにはそれしかない。
そのまま天井を見ているうち、ふと息苦しさを感じた。
なんだか、空気を吸っても吸っても肺に入ってきていない感じがする。
もしかして、酸欠?!
とたんに今まで必死で立ち泳ぎしていた足がだるく感じられ、
オレは自分の体を支えられなくなった。
「おい!名探偵?!」
そばにいるはずのキッドの声がやけに遠くに聞こえた。
そしてそのまま水中にゆっくりと沈む。
自分の吐き出した空気が無数の泡となって上へ昇っていく。
オレはその様子をぼんやり見ていた。
水底の少し手前で、ふと片腕をグイと引かれた。
・・・え?
とたんに唇から温かい息を吹き込まれる。
な、何?
突然の事に正気を取り戻したオレの目の前には、キッドの顔のアップ!!
驚いて水中で目を見開くと、奴はにっこり笑って、そのままオレの腕を掴み
水面上まで引き上げた。
ザバっと勢いよく水面から顔を出すと、オレはキッドを振り返った。
「て、てっめぇ、今、何しやがった!!」
めいっぱい怒鳴りすぎて、少し咳き込んじまったけど。
なのに、キッドはニヤニヤするだけ。
「もしかして、初めてだったとか?」
言われてオレは全身の血が頭に上るのを感じた。
・・・初めてなもんか!!キスくらい!!!
「お、男とすんのが初めてなんだよ!!」
するとキッドはにっこり笑ってウインクした。
「オレも初めてだよ。よかったな。」
「ちっとも、よくなんかねぇー!!」
と、オレが叫んだと同時に、天井にまた一つ大きな穴が開いた。
流れ込んだ海水に一気に水位が上がり、天井まで手が届く。
「このやろう!地上にあがったらおぼえてろよ!!」
オレは奴にそういい残して、穴の下へ向かう。
息を止めて、崩れ落ちた天井の端に手をかけて、一気に上へ体を持ち上げる。
上のデッキもすっかり水の底だ。
だが、通路への出口は塞がれていなかった。
オレはキッドに水中で合図を送りながら、奴と共に通路の方へ出る。
と、明かりが見えた。
水面が近い!
オレとキッドは光の方へ向かって泳いでいった。
そしてとうとうオレ達は水面上へ顔を出した。
そこは2階のデッキへ行く階段で、階段の半分下くらいまでは水に使っているがそれより上はどうやらまだ無事らしい。
オレ達は水を含んで重くなった衣服を引きずりながら、階段を駆け上った。
そうやって、やっと外へ出ることができたのだ。
* * *
2階のデッキから下をのぞいて見ると、1階のデッキから下は既に海中に沈んでいた。
バラバラとヘリのプロペラが回る音がする。
どうやら応援部隊も到着しているようだ。
助かったな・・・。
オレはほっと一息、キッドを見やる。
すると、キッドはダイヤを月にかざして見ていた。
・・・コイツ。
あんな状態でもしっかりダイヤは逃さなかったのか・・・。
何気に感心しながら奴の様子を伺っていると、キッドはポイと
それを投げてよこした。
「なんだよ、またハズレか?」
「・・・そういうこと。ああ、こんなに苦労したのになぁ。」
「よく言うぜ!盗もうと思ったら、もっと早く盗めたクセに!
お前、遊んでただろう?!」
すると、キッドはニヤリと笑って見せた。
「あのオヤジが、ダイヤを持って逃げるとこまでは計画どおりだったんだけどね。まさか、犯人が船を沈めようとしてるとは。」
「じゃあ、お前、犯人がボディ・ガードだって気づいてたのかよ?!」
オレが奴に詰め寄ったところで、後ろから声がした。
「工藤君!?」
振り返ると、目暮警部だった。
「よかった!!無事だったんだね?探しとったんだよ。」
走り寄って来た彼に笑顔を送る。
「あ、中森警部やみんなは?!大田原氏はどうしましたか?!」
「心配いらんよ。みんな救助した。後、犯人もな。
ああ、だがあと1人、君と一緒に来たはずの捜査員がまだ・・・」
心配げにうつむいた警部に向けてオレは言った。
「ああ、それなら心配いりませんよ、警部。それはキッドの変装です。アイツなら今オレと一緒に・・・」
言いながら振り返ったそこには、もうキッドはいなかった。
ヤロウ、相変わらず逃げ足が速いな・・・。
「ええ〜!!キッドが警官に化けていたのかね?
それでダイヤは?!」
「・・・はい、ここに。」
オレは警部にキラキラ光るダイヤを見せると、彼はおお〜!と感嘆の声を上げた。
「お手柄だ!工藤君。よくやった!!」
・・・いや、これは別にキッド本人から返してもらったんだけどね・・・。
オレはそう思いながら苦笑した。
「さぁ、そうと分かればもうここには用はない。すぐヘリで離脱しよう!!」
警部に肩を叩かれ、ヘリへ向かった。
沈みかけている船を眼下に見下ろしながら、ふと、キッドの事を考えた。
とたんにキスされたことを思い出す!!
あ、あんなことしやがって、アイツ!!
次にあったらタダじゃおかねぇ!!
そう思いながら、オレは拳を握り締めたのであった。