最高にムカつくキッドとの再会を果たしてから、一夜開けて。
オレはというと、呼ばれてもいないのに、朝っぱらから警視庁へと繰り出していた。
・・・というのも。
家にいたら、どうにもあのバカの昨夜の態度を思い出してしまい、腹を立てずにはいられなくて。
何かに集中すべく、前々から閲覧を許されていた過去の事件ファイルがある資料室へでも行って、片っ端から目を通してやろうかと思ったわけだ。
・・・気をそらしていれば、そのうちあんなことも忘れるさ!
頭のどこかを掠めるあの不敵な怪盗の笑いを必死に消し去るために、オレは活字に全神経を注ぎ込む。
狭い資料室の中で、オレは一人分厚い書物を広げていた。
と、そこへノックもせずにいきなり高木刑事が入ってくる。
「あ!いたいた!!工藤君っ!!」
「・・・どうしました?高木刑事、何か事件ですか?」
「キッドだよ!怪盗キッドから予告状が届いたって、今、2課から連絡が入って・・・」
「キッドっっ?!」
・・・あンのヤロー、やっぱ来やがったかっっ!!
オレが思わず声を荒げたので、高木刑事はちょっとビビッたらしく引いてしまったが。
あ、いや、ごめん。高木刑事を怒鳴ったわけじゃないんだって。
「・・・あ、いや、それでね、工藤君。君が今日ここに来ている事を2課の連中に話したらぜひ協力して欲しいってことらしいんだけど。・・・あの、無理にとは言わないよ?」
オレの顔色をうかがいながら高木刑事がそう言うが。
頼まれなくたって、オレは行くつもりだ。
あのバカにもっぺん会って、今度という今度はぶっとばしてやらないと、こっちの気がすまない。
広げていた資料を手早く書棚に戻すと、オレは高木刑事の前を横切った。
「・・・それで、中森警部はどちらに?」
オレのその言葉を聞いて、高木刑事がほっとした顔で微笑む。
「あ、ありがとう!手伝ってくれるんだね?やっぱり工藤君がいないとキッドの予告状の暗号解読はできないからなぁ!!あ、中森警部達はこのフロアの第二会議室で打ち合わせ中だよ。」
そう言われて。
オレは高木刑事とともに、資料室を後にする。
「・・・ところで、工藤君ときたら一課ではお馴染みだけど、なんだかもう『怪盗キッド』の件でもすっかり専任みたいだね?!」
会議室へ向かう廊下の途中で、何も知らない高木刑事がそう笑いかけてきた。
・・・キッド専任・・・。どーも、イヤな感じだな。
オレは無意識のうちに、高木刑事に冷たい視線を返してしまったらしく、彼は萎縮してしまいそれからオレについてはこなかった。
廊下では、一人高木刑事が首を傾げる。
「・・・あれ?僕、何か工藤君の気に触る事でも言ったかな?」
オレが会議室の扉をノックすると、ちょうど中森警部達が出てくるところだった。
「おお、工藤君か!」
「・・・キッドから予告状が届いたそうですね?」
「あ、ああ、そうなんだ!まだ通報だけで本物かどうか確かめていないのだがね。
これから予告状を受け取ったという人物に直接会いに行くところなのだが・・・・・・。」
「・・・僕もご一緒させてもらっていいですか、警部?」
オレはそう言いながら、にっこりと笑顔を作った。
今の自分の気持ちとは裏腹に。
□ □ □
「見城(けんじょう)グループの会長・・・ですか?」
車中、オレは中森警部達からこれから向かう先について聞いていた。
見城グループとは、全国規模に輸入食品を中心とする大手スーパーを展開していることで有名だが他にも手広く事業を拡大していて、その総資産はかなりなものと言われている。
今回、キッドが予告したのはその見城グループの会長が所有する宝石、ということらしいが。
「見城グループの会長といえば、3年くらい前だったか、結構騒がれた話があったな・・・。」
タバコに火をつけながら、中森警部が呟いた。
「ああ、そうですよ!確か前会長が病気で亡くなった時、後継ぎ問題で・・・。」
車を運転している若い刑事がそう付け加えた。
中森警部が煙をふかしながら、それに頷く。
「工藤君も記憶しているかね?本来であれば後を継ぐはずの会長の親族一家を乗せた自家用機が墜落事故を起こして、一時後継者がいない状態に陥ったんだが・・・。
会長の遺書に、何かあった際には昔、愛人との間に作った子供にすべての資産を明渡すという文言があったから、その遺言どおり今の会長はその愛人の子供がやっとるらしい。」
「子供は認知はされていたものの、その愛人と一緒にずっと国外にいたらしいですよね。見城グループのお偉方なんかとは、もちろん一度として会ったこともないっていうのに、いきなり後継ぎとして迎え入れるっていうんで、当時、結構話題になりましたよね。確かその時にはもう愛人本人は亡くなってたんでしたっけ。」
・・・ああ、そういえばそんな話があったかも。
あんまり関心なかったから、気にも留めなかったけど。
ま、でも。それから3年経っても、見城グループはこうして健在なわけだし、その愛人の子供とやらもいきなり会長に大抜擢されたわりには、大したもんなんじゃねーの?
本人にしてみれば、まさか自分が会長になれるなんて思っても見なかっただろうからな。
だから、細々とその愛人である母親と海外で暮らしていたんだろうし。
「・・・けど、ほんとに人生何があるかわからないですよねぇ?
今、会長やってる『見城 明彦』氏って、海外では定職にもつかず、チンピラだったらしいじゃないですか。
それが、いまや日本を代表するグループの会長だなんて・・・。」
ハンドルを握る若い刑事は、大きく溜息をつきながらそう言った。
「・・・新しい人生を手に入れた男・・・だっけか?週刊誌にはよくそんな風に取り上げられていたな・・・。」
言いながら、中森警部はタバコの煙を出そうと、少しだけ窓を開けた。
・・・・・・新しい人生を手に入れた男・・・か。
確かにただのチンピラから、総資産何十億のクループ企業の会長になっちまうなんて
まるで夢物語だよな・・・。
オレは、思いながら流れる窓の景色に目をやったのだった。
□ □ □
程なくして、都内の一等地にある見城グループ本社ビルの前にオレ達を乗せた車は到着した。
受付ロビーは、この不況時など、まるでものともしないような見事にリッチな造りで。
そこらへんからも、確かにこのグループが順調である事を大いにうかがわせていた。
品の良い受付嬢に若い刑事が挨拶に行くと、彼女はにっこり微笑んで秘書に連絡を取る。
「受付に警視庁の中森警部がお見えです。・・・はい、わかりました。」
彼女は手早く電話を切ると、
「では、こちらにどうぞ・・・。」
そう言って、オレ達を応接室へと案内した。
お茶とお菓子を出されて、待たされること10分弱。
ようやく、見城グループ会長、見城 明彦(けんじょう あきひこ)氏が姿を現わした。
「・・・お待たせしてしまって申し訳ありません。会議が少し長引きまして・・・。」
そう言いながら、頭を下げる様子は、会長らしからぬ腰の低さで。
大企業のトップにありがちな横柄な態度など微塵も感じられなくて、好感が持てるくらいだった。
メガネをかけて、いかにも生真面目そうなタイプ。
まだ37歳という若さのわりにはしっかりと落ち着いていて。
3年前までは、ただのチンピラだったとも思えないほどちゃんとした人だった。
ひととおり挨拶をし終えるとふと、彼はオレへと視線を投げた。
「・・・えっと。君は?刑事にしてはずいぶん若いね?」
中森警部以下3名ということで、きちんと挨拶をしていなかったオレは、当然彼の目には不思議に映った事だろう。
「あ、いえ、僕は・・・。探偵です。工藤新一といいます。」
「・・・探偵?」
見城氏の目がいぶかしげに細められた。
そこへ、中森警部が話に割ってはいる。
「会長はご存知ないですかな?高校生探偵、工藤君ですよ!
まだ高校生ながら、その推理力はすばらしいものがありましてね。キッドの暗号解読に関してはいつも助言をもらっているので。今回も何か気づいた点があれば、アドバイスでももらおうかと。」
そう言って、中森警部が豪快に笑う。
中森警部のその説明に見城氏は納得したようだったけど、オレの方を見たその目が
一瞬迷惑そうな色を漂わせたように感じたのは、気のせいだろうか?
さて、それから見城氏は丁重に頭を下げてから本題に入った。
「・・・で、これが昨夜届いた例のものなんですが・・・。」
言いながら、見城氏は白いカードを中森警部に差し出す。
オレも横からそれを覗き込んだ。
「ふむ。これは間違いなく怪盗キッドの予告状ですな!!」
カードの終わりにあるふてぶてしいマークを見て、中森警部が鼻息荒く言い放つ。
文面は相変わらずな気障な文句の羅列で、ぱっと見、何が言いたいのかはわからないが。
それでも、獲物についてだけは誰にでもわかるほどに明確に記してあった。
「キッドが狙うと言ってきたエメラルドは、私の父が生前フランスで手に入れたとかいうもので。時価2億円くらいだとは思うのですが。今、お持ちします。君、アレを・・・。」
入り口に立っていた秘書の一人に見城氏はそう告げると、オレ達の目の前にまもなく
目も眩むばかりのエメラルドがお目見えした。
それを見て、中森警部は力強く頷く。
「すばらしい!実に美しい輝きだ。」
「・・・そうでしょう?私も父がこんな大層なものを遺してくれて本当に感謝しています。」
宝石を愛でるように眺めながら、見城氏はうっとりと言った。
「・・・では、見城氏!予告状はこれからすぐに解読して、正確な犯行時刻などを割り出すつもりです。
その上で最も有効な手立てを考えて警備体制を敷く予定ですが・・・。」
やけに自身ありげに中森警部はそう言うけど。
・・・おいおい、暗号を解読すんのはオレなのに・・・。まるで自分でやるみたいに言うんだもんなー・・・いいけどね、別に。
毎度毎度、キッドにやられてる割には、まるで堪えないんだもんな、中森警部って。
まったく、タフとしか言いようがない。
けど、キッドに予告状を出された本人達は違う。
キッドに全戦全敗の警察を信用していない、いや、信用できないという気持ちは大いにあることだろう。
まぁ狙われた宝石は比較的に、一度はキッドの手に渡っても、後日、持ち主に戻ってくる事は多いが。
それだって確約されたわけではない。
何と言っても、相手は怪盗だ。返してくれる保証などあるはずがないわけで。
そう考えると、持ち主が気が気でないのは当然の心理だ。
だからこそ、警察に頼らず自力で守ろうとする人も少なくない。
けれども、見城氏は平然として言った。
「中森警部に、すべてお任せしますので。」
それを聞いて、中森警部はかなり気を良くしたらしく、胸を大きく叩いてはりきっていたが。
オレとしては、かえってこの見城氏に対して少し違和感を感じてしまう。
・・・・・・この人、別にキッドに盗まれてもいいのか?
そう思ってしまうほどに。
何か、考えがあるのか?
もしかして破格の保険金をかけてあるとか・・・?
オレは中森警部に薄く微笑む見城氏の顔を盗み見しながら、そんなことをぼんやり考えていた。
□ □ □
「さて、工藤君はこれからどうするかね?我々は署に戻ってこれから対策会議をするつもりだが。」
見城氏との話を終え、応接室を出たところで中森警部にそう声をかけられた。
・・・・・・そうか、どうしようかな。
とりあえず、このキッドの暗号を解読しなきゃならねーんだけど。
別にそれは警視庁でなくてもできるし・・・。
「・・・あ、じゃあ僕はここで失礼して。暗号が解読できたらご連絡しますよ。」
オレはそう言ってにっこり笑うと、その見城グループの本社前で中森警部らと別れた。
中森警部達の乗った車を見送って、オレも自宅へ帰るため最寄の駅へ向かおうと踵を返したところで背後から、女性の激しく怒鳴る声が聞こえた。
「何よっっ!!ちょっと会わしてくれるだけでいいって言ってるじゃないのっっ!!」
振り返ると、オレ達がさっきまでいたビルから、警備員に引きずられるようにして女性が連れ出されて
きたところだった。
「会長はお約束の無い方とは、お会いになれません!」
警備員とともに出てきた若い男にそう冷たく言い放たれると、女性はギッと彼らを睨み返す。
「だからっっ!!私の名前を言ってくれればわかってくれるわっっ!!」
「会長は貴方の事はご存知ではないとおっしゃっておりますが。」
「・・・そんなっっ!!」
とうとう女性は力なく、ガクリと地面に膝を折った。
それを見て、彼女が諦めたのかと思ったのか、警備員達はビルの中へと戻っていった。
入り口の前で、俯いたままの彼女はまだ立ち上がる気配を見せない。
オレは、そんな彼女の方へ自然と足が向かっていった。
「・・・大丈夫ですか?」
言いながら手を差し出すと、彼女は涙に濡れている顔を慌てて拭きながら、オレを見た。
「・・・あなた、誰?」
「僕は、工藤新一、探偵です。先程まで中で見城会長と会っていたのですが・・・。
貴方は、会長のお知り合いの方なんですか?」
彼女はとりあえずオレの手を取って立ち上がる。
スラリとした細身の美人だった。
「・・・お知り合いね・・・。でも、向こうはそうは思っていなかったみたいだけどね。」
言いながら彼女は悲しげにオレに笑って見せた。
「ねぇ、若い探偵さん。もしこの後時間があるなら、少し付き合ってもらえないかしら?お茶くらいごちそうするわよ?」
彼女にそう誘われて。
オレは、ちょっとの時間だけならいいかと彼女に付き合うことにした。
なんとなく、あの会長にはオレとしてもひっかる点があったのだ。
それが何かはまだわからないけど。
彼女は、辻 朋子 (つじ ともこ)と名乗った。
見たところ、年齢は20代後半か30代前半かと思われる。
キレイにネイルが塗られている細い指をティ・カップにかけて、穏やかに微笑んだ。
「・・・明彦に会ったんですって?」
「え?あ、はい。」
いきなり、彼女の口から出たのが見城氏のファースト・ネームだったのでオレは一瞬ピンとこなかったが。
なるほど。要するに、彼女は見城氏のそういう関係の人ということか。
「・・・彼、元気だった?」
「・・・ええ。」
オレはコーヒーを口に運びながら彼女の顔を見る。
その目には僅かだがまた涙がにじんでいた。
「・・・あの。失礼ですが貴方は会長の・・・」
恋人なんですよね?と言いたいところだが、そんなストレートに聞けるわけが無い。
いくらなんでもぶしつけにも程があるだろう。
オレは思わず言いよどんだ。
すると、彼女の方がオレの言おうとしている事を察してくれたのか、口を開いた。
「・・・ええ。そう、私は彼の・・・この場合『自称恋人』とでも言った方がいいのかしらね。・・・・・・3年前、彼がまだ韓国にいたころ、私達向こうでつきあっていたの。
彼、どうしようもない人でね。仕事にも就かないし。
だから、私が食べさせてあげていたのよ。」
彼女は当時を懐かしむように、そうオレに話してくれた。
つまり、見城氏がチンピラだったっていう話は本当ってわけだ。
いや、チンピラというか、ヒモだな。
「けれど、突然、大企業グループのトップだなんていう話が転がりこんだでしょう?
そんなの彼に勤まるなんて、とても私には思えなかったけど・・・。
それでも彼は日本へ飛んで帰っていったわ。
落ち着いたら、私を会長婦人として呼んでやるからって言ってね。」
彼女は自嘲的な笑みを浮かべる。
「・・・それから3年、音沙汰が無くて。私もバカよね。いつまでもあんな人を待ってるなんて・・。でも別に彼の事、恨んでなどいないの。
だって、お金が人を変えてしまうことって、よくあることでしょう?
大体、彼が立派な会長さんになっていたとしたら、私なんて彼にはふさわしくないし。」
・・・そんなことないのに。
話を聞いてるだけなら、よっぽど彼女の方が立派なように見えるけど。
まぁ、世間体を気にしたら、そういうことになるのかな。
でも、アレだぞ。
会長だって、もとは正妻の子供じゃあないんだし。
「私が日本に来たのはね、彼の顔を一目見ようとそう思ったからなの!」
気を取り直したように、彼女はにっこり笑った。
「もしかして、もう素敵な奥さんをもらっているかもしれないし。
そうしたら、それはそれで諦めがつくじゃない?
実際、まだ結婚はまだのようだけど。別に私と結婚しろだなんて迫りに来たんじゃないのよ?
・・・彼にとって、もう私が必要ないなら大人しく諦めるわ。」
「・・・いいんですか?」
オレがそう言うと、彼女は構わないのだと綺麗に微笑んだ。
「・・・私、一人じゃないもの。」
「・・・え?」
「実はね、彼との間に子供ができていて・・・。あ、彼が帰国した後に生んだから、彼には内緒だけど。子供と二人でがんばって生きていくから、平気よ!」
・・・『母』は強いというけれど。ほんとだなぁと、オレは彼女を見てそんな感想を漏らしていた。
せめて、彼女を見城氏に会わせてあげたいけど・・・。
さすがにプライベートには立ち入るわけにはいかねーよな・・・。
オレがそう思っていると、彼女が何やらバックから取り出して見せた。
白い封筒である。
「これは・・・?」
「ねぇ、探偵さん。あなたなら明彦に会う機会はあるかしら?」
・・・あると思うけど。少なくともキッドの予告日は確実に。
オレは彼女の言葉に頷くと、彼女はお願いがあると頭を下げた。
「これを彼に渡して欲しいの。・・・中身は彼と私との思い出の写真と、手紙よ。
ただ、彼と過ごした時間は楽しかったって、それだけをどうしても伝えたいの。」
彼女の熱い思いが込められたそれを、オレは受け取った。
「・・・わかりました。見城氏には僕から渡しておきますから。」
そう言うと、彼女はありがとう、と儚く笑った。
それから。
オレはキッドの予告状と、見城氏の昔の恋人だった辻さんから預かった手紙を抱えて今度こそ、家路をたどって行った。
その晩遅く。
東京湾で身元不明の女性の変死体が発見された。
警視庁捜査一課は、深夜からその捜査に乗り出していたが、オレのところにはその連絡はこなかった。
キッドの暗号解読があると思って、気を回してくれたのかもしれない。
実際、オレは本当に予告状に夢中で、そんな事件が起こっていたことすら知らなかったのだ。