週末を控えた金曜の夜。
やや混雑する道のりを避けるように、一台の車が横道に入っていった。
オレを後部座席に乗せた高木刑事の車である。
放課後、特に予定を入れていなかったオレは、のんびり本屋にでも寄って行こうかと思っていたところで毎度お馴染み捜査1課からお呼びがかかり、事件に顔を出していた。
内容は閑静な住宅街で起きた強盗殺人。
犯行自体は極めて単純で、犯人を導き出すことは、証拠さえ見つかれば大したことじゃなかった。
そんなわけで。
民家に押し入った強盗殺人事件の被疑者は、緊急配備が布かれている間に、現場付近にたむろしている野次馬の中から発見、逮捕され、事件は無事解決に至った。
「・・・ああ、もう8時を回っちゃったねぇ。工藤君、おなか空いた?
ごめんね。まっすぐお家まで送ってあげられたら良かったんだけど、一度署の方に戻らなきゃならなくて。」
運転席に座る高木刑事は、バックミラー越しにオレを見て苦笑した。
「いえ、構いませんよ。警視庁まででも乗せて行ってもらえれば、助かります。
あそこからなら、自宅まで電車ですぐですし。」
オレがそう言うと、ミラーに映る彼の顔がちょっとだけ申し訳無さそうに笑った。
道々、高木刑事が今日起こった他の事件を話してくれる。
公園内で刃物を振り回している男がいるという通報が入って止めに向かったとか、
母親が買い物をしている間に幼児がいなくなったとか。
結局、どれもこれも大した事件には発展しなかったものの、バタバタしてワリと忙しかったようだ。
今日は実は高木刑事は日勤だったそうで、本当ならもう上がっていていい時間である。
普通、強盗や通り魔、傷害事件などは圧倒的に夜間に集中しているので夜勤の方が気が抜けないとは
よく言うけど。
ま、日勤だったとしても変死体が発見されたとか、誘拐事件だとか、穏やかでない事件も少ないからどちらが楽とは言い難い。
とにかく、夕方発生したこの強盗殺人事件のおかげで、高木刑事は今日予定していた友人との約束を泣く泣くキャンセルするハメになったとかで、そのタイミングの悪さにオレも苦笑してしまう。
そんな高木刑事の話を聞きながら、オレはシートに深く腰を沈めた。
車窓から、流れる景色に目をやる。
・・・それにしても、だ。
例の組織が関わっていそうな事件には、かすりもしないな。
オレがずっと追いつづけているあの『黒の組織』の正体は、依然として謎のまま。
簡単に尻尾を出さない奴らの情報を集める事は、思った以上に難しく、まるで捗らない。
だからこそ、できるだけ多くの事件に顔を出して、少しでも奴らに関係している事件に出くわす事ができたらと思ってるんだけど。
・・・・そう、うまくは行かないもんだな・・・・。
オレは、空に細くかかった月を見上げた。
ふと、嫌なヤツの顔を思い出す。
そういや、あの怪盗もここのところナリを潜めているのか、予告状を出したとかそんな話は聞かないな。
・・・と、そこまで思って、不覚にもヤツの事を考えてしまった自分を死ぬほど呪った。
なぜなら、キッドの事を思い出した瞬間、また嫌な記憶がオレの頭に蘇ったからだ。
ここ最近ずっと、忘れよう忘れようと努力していたアレのことを。
・・・・・あんのヤロー・・・・・!
思い出しただけでも腹が立つ。
オレは自分の唇へそっと手を当てながら、夜空に浮かぶ月を睨みつけた。
っていうか、オレもオレだ!
あの時、どうしてアイツを蹴り飛ばしてやれなかったのか。
別に振りほどけないほど、強く押さえ込まれていたわけでもない。
突き飛ばす事だって本当ならできたかもしれないのに。
・・・・・あー、クソッ!
あの時、キッドは気になることを言っていた。
ヤツの父親、おそらくオレの考えるところの初代キッドを殺したのが、例の組織の奴らだと。
だとすると、キッドは親の代から例の組織との関わりがあることになる。
あの場でもっと問い詰めてやりたかったのに、あんなマネしやがって、キッドのヤツ!!!
・・・・・っていうか。
アレは・・・。そうだよな、アレでうまくごまかされたんだ、きっと・・・・・・。
あの後。
屋上で、散々キッドに好き勝手されたオレは、立っている気力さえ失って(=正確には腰が砕けた)思わずその場にへたり込んでしまい、不敵に笑って去っていくアイツを
ただ見送る事しかできないで終わった。
「・・・・・キッドのヤツ、キスがうま過ぎなんだよ、チクショー。」
「・・・えっ?!何か言った?工藤君?!」
思わず漏らした独り言を高木刑事に聞かれて、オレは慌てて何でもないと首を大きく横に振った。
とにかくだ。
なんだか、アイツにいい様にされているようなのが気に入らない。
オレは大きく溜息をついた。
今、オレが例の組織で掴んでいる事と言えば、唯一関わりのある人物として挙げられるのが『怪盗キッド』であるということだけ。
それに。
キッドとオレで同じ組織を追うという点から比較するとだ。
悔しいが、現時点ではヤツの方がオレより情報を持っていそうで、有利なのは間違いがない。
・・・仕方ないな。
過去18年前のものも含めて、『怪盗キッド』の犯行をもう一度あらい直してみるか。
・・・・・できれば、アイツとは関わらないようにしておきたかったけど・・・・・・。
オレはちょっと不本意ながらもそう決意すると、腕組みしていた手を解いて
高木刑事のシートへ視線を移した。
「・・・高木刑事、お願いがあるんですけど。」
「えっ?!何、何?工藤君!」
ハンドルを握りながら、慌てて振り返った高木刑事にオレはにっこり微笑んで見せた。
「・・・キッドに関する資料を見せていただきたいんですが。
ここ最近のものだけでなく、過去16年前に登場した時からのもの、全部。」
「・・・え?キッドの?一体、またどうして?」
「ちょっと、気になる事がありましてね。」
オレがそう言うと、高木刑事は悲痛そうな表情を浮かべた。
「・・・・く、工藤君・・・・。まさか、これからは中森警部のもとでキッド専任になるつもりなんじゃあ・・・1課が担当する殺人事件とかより、やっぱりキッドの方が興味があるんだ?そうだよね、暗号解読とかいつも楽しそうにやってるみたいだし・・・・。」
などと、酷く落ち込んだ様子で言う。
え?それは誤解だ! 高木刑事っっ!!
「ち、違いますよっ!!ちょっと調べたい事があるだけで・・・。」
「ほ、本当?!」
「本当ですってば!」
・・・何なんだ、一体・・・。
高木刑事のちょっと恨めしそうな視線を買いつつ、オレは再度キッドの件をお願いしてみると彼はうーんと唸った。
「中森警部のお許しが出ないと何とも言えないけど、まぁ工藤君なら大丈夫なんじゃないかな?」
「キッドの事は、中森警部が全部取り仕切ってるんでしたっけ。」
「そうそう。中森警部のキッドに懸ける執念はすごいからね〜。
僕なんかが刑事になる前から、ずっとキッドを追ってたわけだし。8年ぶりのキッドの復活をある意味一番待ってたんじゃないかな。」
・・・・ずっと、『怪盗キッド』を追ってた・・・・。
ってことは、中森警部は初代のキッドと会ったり、話をしたことがあるんだろうか?
そのあたりも聞いてみたいな。
「とりあえず、中森警部に頼んでみてあげるよ。それでいい?工藤君。」
振り返ってくれた高木刑事の優しい笑顔に、オレはお礼を言って小さく頭を下げたのだった。
+++ +++ +++
警視庁に到着すると、オレはすぐには帰らずに高木刑事にくっついて中へ入って行った。
うまくすれば、今夜そのままキッドの資料を見せてもらえるかもしれないと、そう思って。
ところが。
フロア内はただならぬ雰囲気でざわついていた。
・・・何だ?また事件か?
同じ事を感じたらしい高木刑事が、慌しく走る一人の刑事を呼び止める。
「何かあったんですか?」
すると、彼は足を止めずに振り返り、早口で答えた。
「火災です!都民会館のイベントホールで火災が起きたと東京消防庁から先程、連絡が入って・・・。これから現場に急行するところです!!」
イベントホールで火災?!
大勢の観客を集めて何か催し物をしていたんだとしたら、それって大惨事にもなりかねないぞ?!
緊迫した表情でオレと高木刑事が顔を見合わせていると、そこへ千葉刑事がやってきた。
「高木!良い時に帰ってきたな!」
「・・・ああ!それより都民会館が火災だって?!」
「そうなんだ。火災自体は大したことないらしくて、もうほとんど鎮火したらしいけど。ただ、ショーを行なっていた男性が一人炎に包まれ、全身酷い火傷で重体だそうだ・・・・。」
「ショー?」
オレが訊ねると、千葉刑事は今夜、そのイベントホールでマジック・ショーが行なわれていたのだと教えてくれた。
「で、観客は?!観客にも被害が?」
目を剥いてそう聞く高木刑事に、千葉刑事は首を横に振った。
「観客の方で被害者は出たとの報告はまだ・・・・。」
オレ達は、千葉刑事に今、現在でわかっているその火災の件について聞きながら
1課のデスクのあるフロアに向かった。
今のところわかっている被害者は、その火傷で重症を負ったマジシャン一人。
他にも観客に被害者がいるのか、詳細はわからない。
火災の規模が小さかったのが不幸中の幸いで、大惨事になることはどうやら免れたらしいけど怖いのは、会場がパニック状態になっている場合だ。
あんな大ホールでいっせいに避難なんかしたら、将棋倒しになることだってあるし
もしかして、避難の最中に大怪我をする人だって出てくる可能性は十分にある。
とりあえず、ケガのあるなしに関わらず、煙を吸い込んだ事もあるし、外へ出た観客は全員近辺の病院へ搬送するよう、現場に到着した救急隊が指示を出しているとのことだった。
「・・・ごめん、工藤君!目暮警部はもう現場に向かったらしいんだ。
僕も至急行かなきゃ行けないから・・・。例の件はまた今度でいいかな?」
今、戻ったばかりなのに急いで出かける準備をしながら、高木刑事がオレを振り返る。
当然のことなので、オレももちろん頷く。 そしてついでにお願いもしてみる。
「もちろん!それより、僕もご一緒させてもらってもいいですか?」
「え?い、いいけど、帰るのが遅くなっても知らないよ?」
「大丈夫ですよ。明日は土曜で学校は休みですから。」
オレはそうにっこり笑うと、高木刑事らとともにフロアを出ようとしたところで、捜査2課の中森警部と出くわした。
彼も別件で出ていたようで、今、本庁へ戻ってきたみたいな様子だった。
「こんばんわ、中森警部。」
オレはそう言って、軽く会釈する。
けれども、中森警部はオレのことなんかまるで目に入らないようで真っ青な顔をしていた。
・・・・中森警部?
オレはその尋常ならぬ彼の様子に首を傾げる。
「中森警部?どうかしたんですか?」
あらためて、オレがそう問い掛けると、彼は初めてオレを見、それから高木刑事を見据えると唸るような低い声を発した。
「・・・都民会館のマジック・ショーで火災が起きたってのは、本当か?!」
「あ、は、はいっ!今から現場に急行するところですが・・・。」
そのあまりの迫力に、高木刑事は一歩下がってそう答えるが。
中森警部はギリっと唇を噛んだままだった。
「・・・中森警部? 何か?」
顔色をなくしたままの警部の顔をオレは覗く。
すると、彼は搾り出すような声で言った。
「青子が・・・娘、娘が!!そのマジック・ショーに行ってるはずなんだ!!幼馴染と一緒に!!」
+++ +++ +++
現場には、中森警部も同行することとなり、オレは高木刑事達の車ではなく
中森警部の乗る車に同乗させてもらう事になった。
中森警部は娘さんの安否を気にしているのか、指が白くなるほど力を入れて携帯を握り締めている。
先程から、何度か中森警部から娘の青子さんに電話をかけているものの、電波が届かない旨のアナウンスを繰り返すばかりらしくて、一向に連絡が取れる気配はなかった。
助手席では中森警部の部下の若い刑事が座り、ノートパソコンを広げている。
病院へ収容された観客のリストが転送されてくることになっているためだ。
観客達はホール近くの幾つかの病院へ分けて収容されたため、その全員の所在を確認するのにどうやら少し手間取っているらしく、いまだに連絡はなかった。
それでも、観客から怪我人が出たという情報は相変わらず入ってこないので、おそらくそう心配することもないとは思うけど。
オレは心痛な面持ちをしたままの中森警部にそっと声をかけた。
「お嬢さんは、病院にいるから繋がらないだけかもしれませんよ。
・・・・・大丈夫です。 きっと、落ち着いたら向こうから連絡をくれるはずですから。」
オレがそう言うと、中森警部は力なく笑って見せた。
そして、今回のマジック・ショーのチケットは中森警部が知人からもらったチケットをお嬢さんにあげたものだと話してくれた。
「娘の幼馴染がマジックに興味のある少年でな・・・。彼を誘って一緒に行ったらどうだだなんてガラにもないことをしたのが、いけなかったのか・・・。」
そう小さく呟く中森警部は、どこにでもいる優しい父親の顔だった。
「・・・しかし、よりに寄ってマジック・ショーでの事故に巻き込まれるなんて・・・!!」
悔しさのあまりか、中森警部はギュッと拳を握り締めていた。
「・・・マジック・ショーが何か?」
何か事情がありそうだったので、オレがそう訊ねてみると、警部は窓の外へ視線を移して一呼吸置いた後に、落ち着いた声で話した。
「・・・彼の父親は世界的にも有名なマジシャンでな。
工藤君も名前くらいは知っているんじゃないか?『黒羽 盗一』というんだが・・・。」
オレは、マジックなんかには詳しくないけど、その名前には聞き覚えがあった。
確か、日本では珍しく世界に通用する素晴らしいマジシャンだっていう人とかいう・・・。
・・・あ、でももう亡くなっていたんじゃなかったっけ?
「もうずいぶん昔の話だが、彼の父親はショーの最中に、事故で亡くなってな・・・。幼いながらにも、彼はその現場を不幸にも目撃してしまったんだ。心に深い傷を残さないはずはない・・。」
と、辛そうな表情で中森警部は語った。
・・・ああ、そうか。
だとすると、今夜の事故は彼にその父親の死を思い出させるようなものだったということになる。
・・・確かに。
自分の親の死に目と同じ境遇を味わうなんて、その本人も辛かっただろうな・・・。
オレは中森警部の言わんとしていることがわかって、何も言えないまま視線を下へ落とした。
と、その時だった。
中森警部の手の中にある携帯が、ブーンと電子音を立ててバイブした。
慌てて落としそうになる携帯を握り直し中森警部が出ると、それはどうやら待ちに待った
娘さんからの電話だったようだ。
「あ、青子かっっ!!お前、ケガはしてないのか?!ああ、そうか・・・。いや、連絡が無いから何かあったんじゃないかと、気が気じゃなくてな・・・。・・・ああ、そうだな、いや、無事ならいいんだ。」
興奮のあまり大きな声で話す中森警部が心底安心した笑顔を作って、オレを見た。
オレも、よかったですね、と笑って返した。
そうしている間にも、中森警部の声色が微妙に変わっていく。
「・・・で、そこに快斗君もいるんだな?彼にもケガはないんだろうな?・・・え?何っ?!何で、お前ら一緒にいないんだ?!・・・じゃ、じゃあ快斗君はその病院にいないのか?!・・・わ、わかった!!なら、こっちで探すっっ!!」
ピ!と中森警部は荒々しく携帯を切り終えると、助手席の刑事の方へ身を乗り出した。
「おいっ!!病院へ収容された観客のリストはまだ届かんのか?!」
「は、はい・・・!まだ・・・・。」
刑事の答えを聞くと、中森警部は苛立ちを隠せないまま、ボスンと後ろのソファに背を預けた。
「幼馴染の方はお嬢さんと一緒じゃなかったんですか?」
オレがそう訊ねると、中森警部は重々しく頷いて見せた。
「・・・あ、ああ。何でも娘の話だと、救急車が満員で同じ車には乗れなかったそうなんだ。娘だけ先に行かせてくれたらしくてな。彼は後で行くと告げたそうなんだが・・・・。」
「・・・お嬢さんと一緒の病院でないなら、どこか他の病院に搬送されたってことですよね?」
オレがそこまで言ったとき、助手席に座っていた刑事が後部座席の中森警部を振り返った。
「中森警部!観客のリストが来ました!!」
その声に、オレも中森警部も思わず、身を乗り出す。
病院ごとに名前が表示されている細かなリストが画面いっぱいに広がっていた。
「名前をいただければ、リストから検索できます!」
パソコンのキーを叩きながら刑事がそう言うと、中森警部はわかったとばかり頷いて
娘さんの幼馴染である彼のフルネームを告げた。
「名前は、『黒羽 快斗』(くろば かいと)だ。」
言われたとおりに、刑事は名前を打ち込んだ。
病院にいるなら、これでヒットするはずなのだが。
「・・・・警部、該当ありませんが・・・・。」
「そんなはずはないだろうっ?!観客は全員、病院へ搬送されたんじゃないのか?」
「・・・ですが・・・。」
何度調べても、送られてきた観客のリストの中から『黒羽 快斗』の名前は見つかる事がなかった。
「・・・病院にいない・・・ということは、まだ彼は現場に?」
オレがそう言うと、一瞬全員がこっちへ注目した。
緊迫した雰囲気が車内に漂う。
だが、それを一掃するように、オレは言った。
「火災は大した被害ではなかったんですよね?
だったら、彼が会場内に残っていたとしても、絶望視する必要はないでしょう?
どこか安全なところに、避難しているという可能性も充分にありますからね。」
+++ +++ +++
都民会館。
銀色の消防服を着た消防隊員達が消火活動を終えて、ぞろぞろと建物の中から出てくる。
ホール前の駐車場に停まっていた消防車は、消化を知らせる鐘を鳴らしながら、
一台、また一台と戻り始めた。
残っているの消防の車は、この後警察と現場の検分を行うための調査担当者が使っているものだけになった。
去っていく消防車と入れ違うように、パトカーが続々と到着する。
その喧騒たる風景から、まるで別世界のように切り離された空間があった。
その都民会館で、一番空に近い場所。
ドーム型のホールの屋根の、そのまた上の通常、人がいるとは非常に考えにくいところに一つの小さな影があった。
影は良く見れば少年で、その狭いスペースで片足をぶらりと宙へ投げ出して座っている。
彼の視線はぼんやりと空に浮かぶ月へと注がれていた。
この場にこうしているのが、巷を騒がせているあの白い怪盗の姿であったのなら
そう珍しい光景でもないのかもしれない。
けれども、そこにいたのは、黒いシャツにジーンズ姿のごく普通の少年だった。
彼こそ、実は 『怪盗キッド』。
本名 『黒羽 快斗』 である。
いつもの白いコスチュームを着ていないのは、今日が別に『キッド』としての仕事ではなかったから。
今日は単に普通の高校生『黒羽 快斗』として、幼馴染と一緒にマジック・ショーを観にきた観客の一人に過ぎなかったのだ。
なのに。
・・・・・ツイてねーな・・・・・。
快斗は小さく溜息をついた。
『怪盗キッド』の仮面をつけているときに、トラブルに巻き込まれるのは仕方ないとして今日のこの事故はまったくの予想外の出来事である。
しかも、マジック・ショーでの火災事故だとは。
快斗は自分の運の悪さを呪わずにはいられなかった。
あの時。
ステージ中央に立つマジシャンの体が赤い炎に包まれたその瞬間、
快斗の脳裏に浮かんだのは、忘れたくてもきっと一生忘れる事のできないあの父の最期。
全身の血が急速に冷却されるような気がして、酷い頭痛に襲われた。
何も考えられなくなって、自分自身が制御できなくなるようなそんな感覚。
「・・・・オレもまだまだ修行が足らないね。」
苦笑しながら、そう呟く。
それでも快斗が自分を失わずに済んだのは、彼以上に周囲が酷いパニック状態になったからだった。
慌てふためく他の観客達を見ているうちに、逆に快斗は冷静さを取り戻す事ができた。
彼の横に幼馴染の青子がいたというのも、ある意味、救いだったかもしれない。
とりあえず、彼女を無事なところまで連れて行かなければいけないということもあったし。
・・・・・もし、あの場に一人きりだったら、ヤバかったかも。
快斗は月を見ながら、クスリと笑った。
そのまま視線を足元に落とす。
サイレンを鳴らしているパトカーが、また数台到着したところだった。
「・・・・・・さてと。 もう頭も充分冷えたし、そろそろ帰るかな?」
快斗は軽やかに立ち上がると、そのまま一気にフワリと非常階段を飛び降りた。
人目につかないようにこっそり地上に降り立った快斗は、影から外の様子をこっそり覗う。
このまま警察の目に触れないまま消えるのが、彼としてはベストである。
現場にいた観客は全員病院へ搬送されたみたいだし、自分だけ残っていたと知れたら何かと面倒なことになりかねない。
病院へ行かなかったことなどは、後でなじみの警部にでも話せば納得してもらえるとはして。
「・・・・あ、そういや青子のヤツは無事、病院へ行ったかな?」
そろそろ連絡してやらないと、心配しているかもしれない。
そう思うと、快斗はジーンズのポケットに突っ込んだままの携帯を取り出した。
切りっぱなしだった電源を入れようとしたところで、その手が止まる。
たった今、到着したらしきパトカーから見知った顔が降り立ったからだ。
幼馴染の青子の父で、『仕事』の時にも世話になっている捜査2課の中森警部である。
彼は車から降りるや否や、大声を張り上げていた。
・・・・やべ。 おじさん、心配してっかな。
落ち着きの無い中森警部の様子から見て、どうやら自分を探しているらしいと気付いた快斗はそのまま携帯をポケットに突っ込む。
酷く心配しているような中森警部の顔。
先に彼を安心させてやるべきかと快斗はそう考え、叱られるのを覚悟で影から一歩踏み出した。
中森警部らがいる場所へ出て行くために。
だが。
・・・げっ!
快斗はその目を一瞬見開くと、再び慌てて物陰へと引っ込んだ。
彼の視線は、まっすぐに中森警部の横に立つ少年に向けられていた。
仕事現場では、もう顔を会わせることも珍しくないあの名探偵、工藤新一である。
・・・・さて、どうしたものか。
出るに出れなくなって、快斗は息を潜めたまま、新一を見つめた。
快斗が出られないのには、ワケがある。
実は、あの『名探偵』には『怪盗キッド』として面が割れていた。
依然、仕事で傷を負った時、不覚にも名探偵宅に運ばれ、手当てしてもらった際
モノクルを外した顔を見られてしまっていたからだ。
・・・・ま、この顔が素顔だと公言したわけじゃないけどね。
それでも、素顔であることには間違いない。
『怪盗キッド』の正体については、今のところ新一が興味もないというのも幸いしてか、面が割れたわりには特にバレることなく済んでいる。
今、ここで快斗が出て行ったら、『怪盗キッド』=『黒羽快斗』だと自ら言うようなものだ。
・・・・バレても問題なさそうだけど、何もわざわざ自分からバラすこともないしな。
・・・・だとすると・・・。うーん・・・出られない。
目の前で青い顔をしている中森警部を、早く安心させてやらなければならないのだが。
姿を見せてやった方がいいと思うものの、ここは諦めて電話だけしておこうと
快斗は再び携帯の入ったポケットに手をやる。
目線は新一を追ったままで。
あの名探偵がお出ましという事は、彼が今回の事件解決に乗り出してきたことになる。
ふと。
快斗の手が止まった。
「・・・・良い事、思いついた♪」
ニヤリとする。
その顔は紛れも無く、白い怪盗のもので。
と、何もなかったはずの彼の左手に真っ白なキャップが現れた。
快斗はクセのある黒髪をふわりとかきあげると、そのキャップを目深に被る。
そして、ゆっくりと影から出て行ったのであった。
新一達のいる方へ向かって。