都民会館ホール前。
現場に降り立ったオレ達の前方には、外観はいつもと全く変わらぬ都民会館の姿があった。
「火災」と言っても実際にはその規模は小さく、ショーが行われていたステージを焼き尽くしただけにとどまったらしい。
それでも、マジシャンは重体。
せめてもの救いは、大勢いた観客の中に、今のところ怪我人が出たとの報告がないことだろう。
今回、その現場に偶然にも中森警部の娘さんが居合わせたという事実に一瞬青ざめはしたもののとりあえずは、彼女の無事も確認できて一安心。
・・・・と、思ったのもつかの間。
避難時に彼女と別れたという、彼女の幼馴染の少年が行方不明で。
病院に収容されている観客全員のリストの中に、彼、『黒羽 快斗』の名前はなかった。
病院にいないという事は避難していないという事で、つまり会場にまだ残っているという事になる。
ホール全体を覆い尽くすような酷い火災ではないとは言え、こんな事故現場に普通の人が理由も無しに一人で残っているとは考えにくい。
だとしたら考えられるのは、避難したくてもできないような状況にあるということ。
何かしらのトラブルに巻き込まれたとか。
例えば、ケガをして動けないとか。
オレは車を挟んで向かいに立つ中森警部の顔を見つめた。
自分の娘同様に、その幼馴染の少年のことを心配している警部の表情がそこにあった。
・・・・何もなければいいけど。
オレはそう願わずにはいられなかった。
あたりを見回すと、消火活動は既に終わっていたようで、消防車はもう一台しか残っていなかった。
と、ちょうどその時、ホール入り口付近から消防隊員と一緒に何人かの捜査員が出てきたところでオレはその中になじみの警部の顔を見つけた。
目暮警部だ。
先に現場入りしていた目暮警部なら、ホール内に誰か残っていなかったか知ってるはず。
オレは小走りで目暮警部のもとへ向かった。
オレに気付いた目暮警部と目があって、オレは警部に声をかけようと口を開けた。
その瞬間。
「・・・・おじさんっ!!」
・・・え?
背後で突然したその声に、オレは思わず振り返った。
すると、オレの背中の後ろを、白いキャップを被った少年がスッと駆け抜けて行くところだった。
すれ違うそのほんの一瞬。
彼が起こす風が柔らかくオレの背を撫でる。
不意に何かを感じて、オレは反射的にそのキャップの少年の顔を見た。
だが、オレが垣間見る事ができたのは、彼の口元だけ。
確かに彼は笑っていた。
その白いキャップを被った少年は、あっという間にオレの後ろを通り過ぎ、そのまままっすぐ中森警部へ向かって行った。
彼の姿に気付いた中森警部は、目を大きくして大声を上げた。
「・・・か、かか、快斗君っっっ!!!!」
「おじさん!」
「だ、大丈夫なのか?!、ケ、ケガ・・・。そうだっ!どこかケガでもしとるんじゃないのかっ?!!」
「大丈夫だよ、おじさん。どっこも何ともないからさ。心配かけてごめんね?」
「そーかっっ!!無事ならいいんだっ!!!良かった・・・本当に良かった!!!君にもしものことがあったら、天国にいる君のお父さんに申し訳がたたん・・・!!」
「・・・ごめん。おじさん、もっと早く連絡すれば・・・って、イテテ☆ イテーよ、おじさん!」
彼の無事が余程うれしかったのか、中森警部は力いっぱいその少年を抱きしめている。
・・・・彼が。
彼が中森警部の娘さんの幼馴染なんだ・・・・。
よかった。 ケガも無さそうだな。
オレはその微笑ましい光景を見つつ、そう思った。
すると、いつのまにかオレの隣に来ていた目暮警部が声をかけてきた。
「・・・工藤君。わざわざこの火災事件まで駆けつけてくれたのかね?」
警部の言葉に、オレは苦笑しながら会釈する。
「すみません。高木刑事に我侭言って、連れてきてもらっちゃいました。」
「いやいや、構わんよ。・・・それより、あの少年は誰かね?」
「中森警部のお嬢さんの幼馴染だそうです。今夜、この現場にお嬢さんと一緒に居合わせたそうで。彼一人、どこの病院にも収容されておらず行方不明だったものですから、とても心配だったんですよ。」
「えええっ?!青子君がここへ来ていたのかね?!・・・で、彼女は?!」
目暮警部は、中森警部の娘さんが事件に巻き込まれた事を知らなかったようで、大きな目をさらに大きく開けて、白黒させていた。
オレが娘さんは無事避難し、他の観客と共に念のために病院に収容されている事を告げると目暮警部はそっと胸を撫で下ろした。
「・・・ああ、そうか。なら、よかった。・・・で、友達・・・いや、あの幼馴染の少年も無事で何よりだ。・・・・にしても、今まで会場のどこにいたのやら・・・?ホールの外にでも逃げていたのかな?」
はて?と首を傾げながら目暮警部がそう言う。
オレはその言葉を聞きながら、もう一度振り返った。
オレに背を向けているその少年は、相変わらず彼の無事を喜ぶ中森警部とじゃれあっている。
頭をグリグリされたり、肩をバンバン叩かれたり。
まるで本物の親子みたいだ。
・・・にしても。
さっきのは何だったのかな?
すれ違った瞬間、何か感じたような気がしたけど。
・・・気のせいか?
「ところで、工藤君。」
マジメな目暮警部の声に、オレは首を戻す。
と、同時に事件の事に集中しようと、頭を切り替えた。
「現場は今、消防庁の捜査担当と本庁の火災犯担当係が調査しているところだ。ショー・スタッフからもあらかた事情聴取はしたがね。今回は、火を使ったショーの最中に起きた事故で、我々は事件性は低いと踏んでいるんだが。」
髭を撫でながらそうマジメな表情で言う目暮警部に、オレはいったん頷いた後、口を開いた。
「・・・・僕も現場を見せていただいてもいいですか?」
そのまま、オレは目暮警部と一緒にホール入り口へと向かった。
そんなオレの後ろで。
今まで、オレに背を向けていたはずの白いキャップの少年がそっと振り返る。
建物に入っていくオレの背中を見、彼がクスリと笑っていたなんて、この時のオレが知るはずも無かった。
+++ +++ +++
ホール内に入ると、焦げ臭い匂いが鼻についた。
火元となったステージの上では、ちょうど検分を終えたところなのか、捜査員達が次々と舞台から降りて奥の控え室へ入っていくところだった。
ステージの上は、まるで洪水にあったかのような水浸し。
そしてそこには、真っ黒に焼け焦げたおそらくマジック・ショーの道具であったろう物が散在している。
客席の脇を通りながら、オレは前を行く目暮警部に話し掛けた。
「火を使ったマジックって、具体的にはどういうものだったんですか?」
「聞いたところによると、ほら、アレだ。よくあるだろう?炎の大脱出とかそういう類の・・・。」
ちょっとオレを振り返りながらそう言う目暮警部に、オレも軽く頷いて見せた。
大脱出もののマジック。
それは灼熱の炎の中だったり、冷たい水の底だったり。
脱出困難な状況を自ら演出し、マジシャンがそれに生死をかけて挑む。
危険度が増せば増すほど、ボルテージは上がり派手なステージになることは間違いないのだが。
でもこれは一歩、間違えれば、本当にマジシャンの命を奪いかねない危険なもので過去、そういったマジックの最中に、実際命を落としたマジシャンだっているのだ。
「・・・脱出を失敗したっていうことですか?」
「ああ、おそらくな。そんな大掛かりなものではなかったらしいんだが・・・。」
ステージ前までたどり着いたオレを見て、目暮警部は舞台中央にある大きな箱らしきものを指差した。
「ほら、あそこに箱みたいなのがあるだろう?鎖で縛られ、おまけに錠までしっかりかけられた状態であの中に入ったそうだ。」
次に目暮警部は舞台天井を指し示す。
「で、その箱はワイヤーで天井まで吊り上げられる。箱の両端には導火線となるロープがついていてな。アシスタントの女性の合図で、一気に火がロープを伝い、その箱はあっという間に炎に包まれるというわけだ。」
そして、目暮警部は舞台の床をコンコンと指で叩いた。
「だが、本当ならもうマジシャンは舞台下の抜け穴を使って箱から脱出していなければならん。
そうして、客席の一番後ろに登場して大成功となるはずが・・・」
「・・・彼はまだその箱の中にいたということですか。」
オレは、焼け焦げたその箱の残骸を見つめた。
「時間になっても現れないマジシャンを不審に思って、スタッフがワイヤーを急遽切り落としたらしい。箱は落ちた衝撃で解体し、中からは火に包まれた被害者が出てきたそうだ。
慌てて消火器を使ったらしいが、火の勢いが強かったらしくてな。
おまけに燃えている箱自体を、いきなり落としたものだから、もうステージ中が火に包まれて観客は一気にパニックに陥ったそうだ。」
目暮警部の説明を聞きながら、オレはステージ全体を見回した。
舞台袖のカーテンまで焼け焦げている。確かに火の勢いはすごかったらしい。
観客席まで届かずに済んだのが、不思議なくらいだ。
すると、そこへ高木刑事が走ってきた。
「目暮警部!消防庁の方が呼んでますが・・・。」
「・・・ああ、わかった。工藤君、すまんがちょっと失礼するよ。
よかったら、もっと詳しい話は奥にいる火災犯担当係から聞いてくれたまえ。」
目暮警部はそれだけ言うと、高木刑事と共に再びホールの外へ急ぎ足で出て行った。
オレはそれを見送った後、もう一度ステージを見渡す。
詳しい話を聞く前に、もうちょっとステージをよく見ておくことにするか。
「・・・よっと!」
オレは黒く焼け焦げたステージに手をつくと、軽く床を蹴って舞台に上がってみたのだった。
被害者のマジシャンが入っていたという、もう壊れてしまった箱の傍に寄ってみる。
この箱に縛られた状態で入って・・・・。
で、ステージ下に特設された抜け穴を使って脱出ってことになると、この箱とその抜け穴が通じていなきゃならないわけだよな。
箱の底が抜けなきゃ、抜け穴に行けないだろうし。
・・・ってことは、箱と床の両方に何か仕掛けがあったはず。
けど箱は解体しちゃってるし、これじゃ仕掛けを見つけたとしても、試すのはムリだ。
なら、床は?
そう思ってオレは床を入念に見つめたが、こちらも煤だらけで見難い。
と、いきなり、オレの背後からすっと腕が伸び、舞台中央から少し外れた床の辺りを指差した。
「・・・ほら。 あそこにうっすら「×」のマークが残ってんの見える?アレが抜け穴を開くスイッチ。つまりアシスタントのお姉さんは、お客さんにマジックボックスを良く見せるようなフリをしながら
上手くあの位置まで移動する。で、あのマークを踏めば、抜け穴がぽっかり開くわけさ。」
ああ、なるほど!
・・・って、お前、誰だっっ???
慌ててオレが振り向くと、そこには白いキャップを被った少年が立っていた。
+++ +++ +++
え・・っと。
コイツは、中森警部の娘さんの幼馴染の・・・・。
オレが何か言葉を発する前に、目の前の少年が自ら名乗りをあげる。
「どーも♪ オレ、黒羽快斗。まさか、あの高校生探偵として有名な工藤新一と、こんなところで会えるとはね。青子なんて、アンタのファンだから泣いて喜ぶところだぜ?」
言いながら彼は、初めましてvvv と強引にオレの手を取った。
思わず、されるがままにオレは握手まで交わしたオレは、ついツラれて
「・・・・どうも。」
と、挨拶なんかしてしまった。
・・・・ってゆーか、コイツ。
・・・・全っっっ然、顔が見えねーんだけど・・・・。
目深に被っている白いキャップが彼の顔のほとんどを隠し、かろうじて見えるのは口元だけ。
・・・・挨拶すんなら、帽子くらい取れ。
・・・・いや、そんなことよりもだ!
「な、何でここに?! 病院へは?」
そうだ。観客はみんな病院へ行ってるんだし。 外傷が無くたって、念のために診てもらった方がいい。
なのに、その黒羽という少年は片手をヒラヒラさせて笑った。
「別にケガなんかしてないし。 必要ないよ。病院よりここに居た方が面白そうだし、何より少しはお役に立てるんじゃないかと思ってさ。」
「え?!」
「オレの親父はマジシャンでね。 オレもほんのちょっとはマジックをかじってるってワケ。だから、マジックに関してまったく素人の誰かさんに、何かアドバイスでもしてやろーかと・・・。・・・ああ、中森警部の許可はちゃーんともらってきてあるから、平気だぜ?」
・・・・・・・・悪かったな。 確かにオレはマジックに関しちゃ、ド素人だよ。
顔が見えなくても、この黒羽とかいうヤツがニヤついてるのがわかって、オレはちょっとムッとした。
別にアドバイスなんて不要だ。
トリックについての詳細は、後でちゃんとスタッフの人に聞けばわかるだろうし。
そう言ってやろうと思って、口を開きかけたオレの前に、彼がすっと左手を翳した。
・・・え? 何だ?
すると、彼はオレに良く見えるようにその左手を広げ、その掌にどこから取り出したのか100円玉を4枚のせて握った。
「よく見ててね?」
ヤツはそうニヤリとすると、もう一度、左手を開いてその中にあるコインを見せる。
すると、そこにヤツの右手が近づいてきて、一瞬両手が出会ったかと思うと、左手にあったはずのコインが右手に飛び移っていた。
・・・・え?
オレは目を見開いた。
左手にあるコインを、右手にただ投げ渡したようにしか見えない。
それだけなら何も不思議な事などないのだが。
なんと、一連の動作の中でヤツの両手が出会う時、コインが隠れる瞬間がない。
つまり、左手にあるはずのコインをいつ、右手でキャッチしているのかがまったくわからなかった。
「・・・目の錯覚か?コインを隠さないで右手に受け渡しなんて、できるはずないだろ?」
「錯覚っていうのとは、ちょっと違うね。
こうやって両手を近づけた時、コインの残像が生じるようにするのがポイント。ま、実際は0,1秒くらいは見えない瞬間があるんだけど、そのへんは残像でカバーされるわけ。」
言いながら、ヤツは何度か同じことをやって見せてくれたが、やっぱりどれが残像かなんてわからない。
マジックなんて今までにもTVかなんかで見たことはあるのだが、往々にしてタネは想像がついた。
けれどもこんな単純なマジックで、しかも目の前でやってもらったのに、まったくわからないとは。
オレが首を傾げていると、ソイツはにっこりした。
「昔からあるコインマジックの一つだよ。要は、マジシャンのハンドリングなんだけどね。」
「・・・どーやったんだ?」
「それは企業秘密♪ マジシャンとして種明かしはご法度なんだ。」
・・・・へぇ。
にしても、コイツ、ほんとにマジックが出来るんだな。
オレは、ちょっと尊敬の眼差しを送った。
すると、ヤツは4枚のコインを起用に指先で弾きながら言った。
「今、見せたコインのマジックはクローズアップ・マジックって言って他にもよくカードなんかを使うけど、お客さんの至近距離でやってみせるマジックなんだ。これらは、ま、マジシャンの手先の器用さが命ってとこかな。
で、人体浮遊とか、人や車を消しちゃったりするのってあるだろ?
よく言うイリュージョン・マジックってやつ。ああいうのは大掛かりな仕掛けがあったりするから
マジシャンだけでなくスタッフの協力が必須になる。」
「・・・今日の脱出のマジックも、スタッフの協力無しじゃできないものなんだろ?」
オレがそう言うと、宙に浮かんだコインを上手くキャッチして見せてソイツはにっこりした。
「そのとおり!・・・・・でさ。 実際に、ショーを直に見ていた一マジシャンとしての見解ってのを、参考にしてみても損はないと思うんだけど、どうかな?」
・・・確かに専門家の意見は一つでも多い方がいい。
もし、これが殺人で犯人がスタッフの一人だったりしたら、トリックを見抜くのが面倒になるし協力してもらえるなら、それに越した事はないけど。
・・・けど。
・・・・・・・何か、コイツ・・・・・・・。
この『黒羽 快斗』ってヤツ、何か、引っかかるんだよな。
オレは、もう一度、目の前の白いキャップに顔を隠した少年をまじまじと見つめた。
その訝しげな視線に気付いたのかどうかは知らないが、ヤツはキャップをさらに目深に被り直すと。
「オレって、良い助手になると思わない?」
そう言って、穏やかに笑ったのだった。