ホール奥の控え室は、マジシャン死亡の連絡を受けて重苦しい雰囲気に包まれていた。
「・・・えっと、亡くなったマジシャン、増山(ますやま)さんの素性についてですが、誰かスタッフの中で詳しい人はいらっしゃいますか?」
高木刑事のその言葉に、部屋にいた5人のスタッフは顔を見合わせるばかりで誰一人、挙手する者はなかった。
先に事情聴取をした捜査官の話では、スタッフはすべて今回のショーの為に雇われた人達ばかりで被害者のマジシャンと直接的な関係にある人は、全くいなかったということである。
彼のマジシャンとしての歴史はまだ浅く、しかも活動は個人的で小規模なものが多かったそうだ。
そんな中で、今回のショーは初めての大きなものだったらしいのだが・・・。
オレは部屋の壁に背中を預け腕組みしながら、スタッフ一人一人の顔を眺めた。
若い人が多い。
見た所、特に不信感を持つような感じな人はいないけど・・・。
それにしても、さっきから高木刑事が被害者のマジシャンの素性やら、身近な人のことをやたら聞いて回ってるけど、何かあったのか?
オレがそう思って、高木刑事の横に立つ目暮警部を見つめ返すと、やや難しい顔をして髭を撫でていた目暮警部がゆっくりと口を開いた。
「・・・実は被害者のマジシャン、『増山 幸一』(ますやま こういち)さんだが・・・。住民票も戸籍もデタラメであることがわかった。」
その声に、部屋にいた全員が目を見開いて目暮警部へ注目する。
もちろん、キッドも。
「・・・つまり、偽名を使っていたということですか?」
オレの問いかけに、目暮警部はそういうことだと頷いて見せた。
・・・でも、一体、何のために?
「理由は知らんが、とにかく『増山 幸一』という人物は、社会的には存在しない。スタッフの中で、誰かそのあたりの事情について少しでも知っている人はおらんかね?」
再度の目暮警部の質問に、スタッフの人達はそれこそ初耳だと言わんばかりに首を振った。
・・・にしても。
マジシャンの本名がわからないとなると・・・。
「・・・なんか、ウラがありそうだな。」
キッドが面白そうに笑って、オレにそっと耳打ちしてきた。
・・・てめぇ、純粋に楽しんでやがるだろう???
オレはヤツをギッと睨み返すと、一歩目暮警部の方へ歩み寄った。
「・・・ああ、工藤君。被害者の正しい身元については今、確認中でな。少し待ってくれたまえ。まぁ、偽名を語っていたからと言って、事件性があるとは限らないが・・・。」
「・・・そうですね。ところで、警部。スタッフの方から事故当時のマジックのトリックについて少し話を伺いたいんですが、よろしいですか?」
「構わんよ。」
目暮警部のお許しも出たところで、オレはスタッフの中の一人の女性に声をかけた。
「・・・何か?」
振り向いた女性は、まだ20代前半かと思われる若い人だった。
「あなた、誰? 警察の方には見えないけど?」
そう少し怯えた風でオレを見る女性に、オレはにっこり笑顔で返してみた。
「工藤新一、探偵です。」
「探偵さん? ずいぶん若いのね。 で、そちらは?彼も探偵さんなの?」
と、言う彼女の視線の先には、白いキャップに顔を見事に隠したキッドが立っている。
オレのすぐ後にいたんで、彼女としては気になっても仕方がない。
探偵ではなく、怪盗ですとは、もちろん言えるわけもないので、オレはキッドに冷たい視線を送りながら適当にごまかそうとすると、オレが口を開く前に、キッドが一歩前へ出た。
「オレは、この名探偵の助手なんで・・・。別に気にしないでください。」
調子良くそう答えるヤツに、彼女はクスリと笑みを零した。
「助手までいるなんて、大した探偵さんね。」
・・・・あはは。
これって、ある意味バカにされたんじゃねーか?
オレは苦笑しながらそう思ったが。 ま、とりあえずは気を取り戻すことにして。
オレ達に対する彼女の緊張が少し解けたところで、オレは事故が起きたマジックのトリックについての詳しい説明を彼女に求めてみることにする。
すると、彼女は快く引き受けてくれ、ステージへ行って話してくれる事となった。
「私、小島 麻美(こじま あさみ)っていうの。マジシャン志望とかそういうんじゃないんだけど。大学では奇術クラブに入っててね。一度、こういう世界でアシスタントととかでも良いから
体験したいと思って、今回のスタッフに応募したんだけど・・・・。」
まさかこんな事故になるなんて、と、彼女はうなだれた。
「・・・・・とりあえず、じゃあステージへ行きましょうか? 探偵さん。」
彼女の背中について、再びオレ達は控え室を出た。
ステージに向かう途中、オレの肩を引き寄せて、キッドが囁いた。
「・・・死んじゃったのは、一体どこの誰なんだろうね?」
そう。
それがわからないことには・・・・。
彼が素性を隠していたことが、果たして何か今回の事故と関係しているのか。
今の段階では何一つ、明確な答えは出ていなかった。
+++ +++ +++
実際のところ、そのスタッフの小島さんが話してくれたトリックは、先程キッドがオレに説明したものと大差はなかった。
と、いうわけで、残念ながら新たな発見もほとんどなかった。
一通り、トリックの説明を聞き終えて、オレは彼女に少し質問してみる事にした。
「・・・あの。このマジックって失敗した場合に備えて、何か対策はあったんですか?」
オレがそう訊ねると、彼女は一応あったと頷いた。
「実際、練習の段階で脱出がタイムアウトになることなんか、ほとんどなかったわ。だから、失敗する確立なんて少ないはずなんだけどね。それでも、もし失敗したら人の命に関わるものでしょう? だから、万一のことは考えてあったみたいよ?」
「つまり、何かトラブルが起きて、マジック・ボックスからマジシャンが脱出できない時に中から合図でもできるようにしてあったってわけ?」
横からキッドが口を挟む。
それに小島さんは、頷きながら続けた。
「そう。たとえチェーンでぐるぐる巻きにされていても、きちんと押せる非常ボタンがボックスの中にあるわけ。それを押してもらえれば、舞台袖にいるスタッフのところに連絡が行くようになってるの。」
「・・・なるほど。そうしたら、ステージにいるアシスタントへはボックスをつり上げる指示を出さないということなんですね。 だとしたら、マジックに失敗しても事故になる可能性は低かったはず・・・。」
オレは言いながら、顎に手を添えて少し考えを巡らせた。
マジックの失敗をスタッフに知らせる手筈になっていたのなら、誤ってボックスがつり上げられる事を充分に防げたはずなんだ。
なのに、それができなかったということは、一体・・・・。
・・・やっぱりあのマジック・ボックスに何かうまく作動しなかったということなのか?
誤作動・・・あるいは、何か仕掛けが施されていたか・・・。
「・・・本人的には意地でもマジックを成功させるために、非常ボタンを押さない決死の覚悟でやってたとか? だとしたら、見上げた根性だね。 尊敬するよ。」
今はもう黒く焼け焦げたマジック・ボックスを見つめて、キッドが言った。
・・・そう。
あとは、もうマジシャン本人の意思で非常事態をスタッフに知らせなかったのどちらかしかない・・・。
「増山さんは、そこまで生死をかけてマジックをするような人ではなかったと思うけど・・・。マジシャンになるのは子供の頃からの夢だったって、それをやっと実現できてうれしいって
よく話してくれたもの。まぁ、こんな脱出もののショーをやるのも初めてだって気合は入ってたようだけどね。」
彼女はそう亡くなった増山さんの印象を語った。
「・・・初めて? じゃあ何で今回、脱出モノなんかやることにしたんですか?」
「そりゃ、こんな大きなステージを用意されたら
イリュージョンとまでは行かなくても、いっちょ、派手にやってやろうと思うもんだろ?」
マジシャンとしてはさ!と、キッドが不敵に笑う。
・・・・確かに、お前もマジシャンの一種には違いないな。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・泥棒だけど。
同業者の気持ちはよくわかると、得意げに笑って頷くキッドへオレは一度冷めた視線を送り再び、彼女へ視線を戻した。
すると、彼女もキッドの言葉に同調したように首を縦に振った。
「・・・ええ、彼の言うとおり。今回、そういった派手なマジックも取り入れる事にしたからっていうので私達のようなスタッフが募集されたの。ただ、彼は本当はもっと小技を聞かせたマジックの方がどちらかと言えば得意だったみたいね。・・・でも、他にプライベートのことなんて何にも・・・。仕事以外の事を話す機会なんてなかったし。」
彼女の話からして、増山さんはスタッフの誰かと特別親しくしたとかいうこともなかったし、彼の交友関係もほとんど明らかになることはなかった。
つまり、増山さんを詳しく知る人が誰も周りにいないのだ。
とりあえず、彼女からの情報はこれ以上引き出せそうになかったので、彼女にはお礼を言って控え室に戻ってもらう事にした。
そして、ステージにはオレとキッドの二人だけが残る。
二人でボックスを取り囲むように立つと、ヤツと視線が合った。
「・・・・何かあると思うか?このボックスに。」
「・・・・さてね。それを確かめるために残ったんだろ?名探偵。」
目を細めてニヤリとするキッドを、オレはまっすぐに見返した。
「まぁ他殺だった場合、何か仕掛けるとしたらこのボックスしか考えられないからな。」
「そうだね。マジシャンを拘束してたチェーンや錠に細工をしてあっても、ボックスに非常ボタンがあったなら無事脱出できたわけだし。 つまり、マジシャンを確実に殺害するには、ボックス内の非常ボタンと脱出ボタンの両方を正しく作動しないよう細工する必要があるってことか。」
「・・・そういうこと。」
そう言って、オレがボックスを覗き込むと、キッドがオレの前に白い手袋を差し出した。
「どうぞ?素手じゃ調べられないだろ?」
「・・・・サンキュ。」
・・・相変わらず、用意周到なヤツ・・・。
変装マスクといい、手袋といい・・・。 コイツはオフの日でさえ、こんなものを持ち歩いているのか???
そんな疑問がオレの頭を過ぎったが。
もともと普段から何を考えているかわからないヤローのことだ。
深く追求するのはヤメにして、オレは事件に集中する事にしたのだった。
+++ +++ +++
その後。
オレがどれだけ入念にボックスを調べても、仕掛けらしい仕掛けは何一つ発見する事ができなかった。
「・・・本っ当に無い・・・。何にも。 仕掛けをしたらしい痕跡さえ見当たらない・・・。」
キッドから借りた白い手袋が炭ですっかり黒くなった頃、オレはそう呟いた。
独り言のように呟いたオレのその台詞を聞いて、様子を伺っていたキッドはのんきに言った。
「うう〜ん。 名探偵がそれほど探して不自然な点が何も無いんじゃ、本当になーんもそこには細工されてなかったってことになるね。 おっと、そうなると、つまりコレは他殺の線は圧倒的に薄くなったってことか。」
オレはキッドの方をチラリと見、もう一度マジックボックスへと視線を投げた。
・・・確かに。
キッドの言うとおり。 これで、事故の線は濃くなった。
・・・ケド。
何かこう・・・、引っかかるような。
・・・・あ、そういえば、だ。
「・・・お前、そもそも何でこのマジシャンのショーなんて見に来たんだよ?もしかして、増山さんのこと、何か知ってるんじゃないだろうな?」
目を細めて、目の前に立つ白いキャップの少年を睨んでやる。
すると、ヤツはその顔をはっきり見えるくらいにまでキャップのツバを上げてニヤリとした。
「まさか! ほんとに今日ここに居たのは偶然。 別に彼個人についての知識も特にないね。」
「・・・・・・本当だろうな?」
「誓います♪」
などと言って、キッドは神に誓いを捧げるようなポーズを取ってみせる。
・・・・そのフザけた様子を見る限りでは信憑性に欠けると思うが。
「けどさ。ボックスに何も仕掛けがないとはなぁ。てっきり何か仕込まれてるかと思ったんだけどね。」
フームとキッドが考えてる風に言った。
「・・・何だよ、お前。 この事件を他殺だと決めてかかってるのか?」
オレがそう言ってやると、キッドはにっこり「アレ?違うの?」と笑った。
「名探偵もそう考えてるんだと思ったんだけど?」
・・・・・・ま、確かにそんな予感はありはしたけど。
オレはそれには特に答えず、そのままステージを降りて、再び控え室へと向かった。
控え室では、相変わらず高木刑事達が増山さんの素性の手がかりを掴もうと、スタッフの人たちにいろいろ聞き込みをしていた。
「目暮警部、増山さんのこと、何かわかりましたか?」
「・・・いや、それが全然・・・。」
そう話しているオレ達の前を、小島さんが会釈をして通りすぎていった。
何やら両手いっぱいの荷物をいろいろと抱えて。
と、彼女の手から、カシャンと金属音を立てて何かが床に落ちた。
「あ!いけない。」
何かを落としたと気付いて、彼女が振り返る。
オレは素早く落ちたソレを目で追って、彼女に届けてやろうとしゃがんで拾おうとした。
テーブルの下を覗き込んでソレを発見する。
・・・何だ? キーケース?
手を伸ばして取ってみると、それは二つばかり鍵がぶら下がった皮のキーケースだった。
見た感じ、家と車の鍵と言ったところか。
ふと、裏返った皮のところに、金で刺繍されている文字に気付いた。
『 BRONX 』 (ブロンクス)
薄いベージュの皮の裏側。
もう擦り切れてしまってはいるが、確かにそうあった。
・・・!! これって・・・!!!
オレは僅かに目を見開いた。
キーケースを拾ったままの動こうとしないオレのところに、小島さんがやってきた。
「ごめんなさい。ありがとう、拾ってくれて。 これ、増山さんの私物なの。刑事さんに持ってくるように言われてね。」
「・・・私物? じゃあこれは増山さんのものに間違いはないんですね?」
「ええ、そうよ?何か?」
「小島さん、この刺繍の部分、ご覧になったことありましたか?」
「いいえ?何? 『ブロンクス』? そんなブランドなかったわよねぇ?」
オレはそうですね、と言いながら彼女に鍵を渡した。
鍵を受け取った彼女がそれを持って、再び高木刑事のもとへ小走りに駆けていく。
その背中を見ながら、オレは拳をギリっと握り締めた。
そこへ。
「キーケースがどうかした?名探偵。」
と、背後から能天気なキッドの声がかかる。
オレは、ゆっくりとヤツを振り返った。 見開いたままの瞳で、キッドの顔を見つめる。
もちろん、ヤツの顔はキャップに隠されていて、その笑った口元しか見えなかったけれど。
BRONX (ブロンクス)とは、マティーニにオレンジジュースを加えたカクテルの名前だ。
もし、それが増山さんのことを示すのだとしたら、酒の名前をコードネームとして持つ奴らとの関連性は否定できない。
もしかして・・・。増山さんは組織の一員だったのか?!
・・・だとしたら。
コイツが・・・。キッドがここにいるのも頷けるっっ!
オレはギっとキッドを睨むと、ヤツの腕を取って控え室から連れ出した。
「お、おい!名探偵?!」
「うるさい!いいから、ちょっと来いっ!!」
言いながら、ぐんぐんヤツを引っ張り、再びステージの方まで連れてきたところでようやく腕を放してやった。
ワケがわからないと、オレを見るキッドの瞳をまっすぐに見つめ返す。
「・・・お前、知ってたんだなっ?!増山さんが組織の一員だってことを!!」
すると、キャップの下でキッドの瞳が鋭く輝く。
「・・・何だって?」
ヤツの周りを取り囲んでいた空気が一気に冷える気がした。
先程までの能天気な少年から一転、目の前に立つのは明らかにあの『怪盗』だった。
威圧するような空気を放つヤツに負けないように、オレは少し声を荒げる。
「とぼけるな!『ブロンクス』はおそらく彼のコードネームだ!!奴らに共通する酒のな!だからなんだろう?お前がここにいたのはっ・・・!」
「・・・・・どういう意味?」
ナイフのように鋭い瞳がスッと細められ、キッドが低く聞き返した。
・・・そんなの、オメーが一番わかってんじゃねーかっ!!
そうオレが詰め寄ろうとした時、控え室の扉がバンと勢い良く開いた。
反射的にオレもキッドもそっちを見る。
扉から出てきたのは、高木刑事だった。
「工藤君、ここにいたんだ! 増山さんの身元が歯の治療痕で確認できたよ。たった今、歯科医師会から連絡が入ってね、治療カルテから全く別人の名前が浮かび上がったんだ!」
「えっ!? じゃあ、本名がわかったんですか?!」
「名前と住所、それから前の勤務先くらいだけどね。僕はこれから彼の自宅へ行って来るから詳しい事は目暮警部に聞いておいて!!」
高木刑事はそれだけ言うと、ホール出口の方へ駆けていく。
オレはキッド共に再び控え室へ戻ると、すぐに目暮警部のもとへ行った。
「警部っ・・・!」
「ああ、工藤君。増山さんの本名がわかったぞ。河村 武(かわむら たけし)。登録住所は横浜で、薬品会社勤務だそうだ。」
「・・・薬品会社・・・!どこのっ!何ていう会社ですかっっ?!」
そこからは、まさにオレが予想したとおりの展開だった。
河村さんが勤めていたという薬品会社は、以前に灰原から聞いたことのある組織の息のかかった薬品会社で、今はもう存在しない。
間違いない。
河村さんは組織の一員だったんだ。
なら、これは事故じゃない。
彼はきっと組織に殺されたんだ。
+++ +++ +++
ホール屋上。
青白い月明かりを背にして、キッドが立つ。
フェンスを背もたれにし、腕組みしてこっちを見るヤツの顔は逆光で良く見えなかった。
「・・・にしても。 奴らが酒の名前をコードネームに使っていたなんて、初耳だったね。ずいぶんシャレた事してるもんだ。」
白いキャップを宙に投げながら、キッドが言った。
キッドは。
本当に河村さんが組織の人間だとは気付いていなかったと話した。
もし、最初から知っていれば、もっと違った動き方があるだろうとも。
確かに、それもそうか。
「・・・で? 奴らはどうやって、事故に見せかけてあのマジシャンを殺害したのかな?」
キッドがニヤリとする。
給水塔の壁に寄りかかっていたオレは、そっと背を起こしてヤツを見た。
「・・・聞きたいか? でも、単にオレの推論でしかないぜ?」
「ぜひ、お聞かせ願いたいね。」
そうキッドが笑うので、オレは溜息を一つついて、自分が考えるところの事件の真相を告げた。
河村さんが奴らの関連する薬品会社に勤めていた、という点でピンときた。
おそらく、クスリ絡みだろうということを。
ショー開始前に、きっと奴らは何らかの方法で河村さんに薬品を飲ませたに違いない。
それが、何かはわからないけど。
とにかく、彼があのマジック・ボックスに入ってしまった後に、意識を失うような何かを。
「なるほどね。確かに寝てたら、マジック・ボックスからは脱出できないよなぁ。ヘタにボックスに細工する必要もないわけだ。」
「・・・けど。証拠は何もない。どうせ、河村さんの体内からそういった薬品が検出されることもないんだ。奴らは、そういう薬を開発することに力を注いでいるから・・・。」
そう。
だから、証拠は何もない。
彼が本当に薬品を飲まされたかなんて、誰にもわからない。
そんな痕跡を残すような、間抜けな奴らではないから。
「・・・クソッ!!」
オレは右手の拳で給水塔の壁をガン!!と力いっぱい叩いた。
ジンジンとした痛みよりも悔しさの方が勝って、ちっとも気にはならなかった。
キッドはそんなオレを黙って見つめ、そして再び口を開いた。
「・・・もう一つ。 あのマジシャンが殺害されなければならなかった理由は?」
「ああ、それは・・・。たぶん河村さんが組織を裏切ったからだと思う。名前を、いやたぶん、マジシャンとして公然と人前に姿を現すなら、顔も変えていたんだろうな。そこまでしていたのが、何よりの証拠さ。組織から逃れるつもりでやっていたんだろう。」
名前も。
姿形も変えて。
灰原のように。
「 ・・・ふーん。 『裏切り者には死を』っていうことか。せっかく第二の人生を歩み出したところで、逃げ果せなかったとはお気の毒な話だね。」
言いながら、キッドはオレに背を向け、月の方を眺めた。
それきり黙ってしまったキッドの背中が、オレには何か言いたげに見えてしまって仕方なかったがそれでも、声をかけずにただじっと見つめていた。
やがて、キッドが少し振り返る。
「・・・それにしても、今日、ここに居られたことはある意味、ラッキーだったかも。名探偵もさすがに奴らの事は詳しいらしいね。 おかげで良い情報収集ができたよ。」
そう不敵に笑うキッドはいつもの小憎らしい顔で、オレは少しムッとした。
と、同時に、結果的に奴らのコードネームの事をキッドに教える事になってしまった自分にちょっと腹を立ててみたり。
だって、コイツからは有力な情報なんて何一つ、提供された事なんてないのに。
ちっ!とオレは舌打ちをして、キッドから視線をそらす。
と、キッドがトンと地を蹴って宙を舞い、オレとの間合いを一気に詰めた。
慌ててオレは一歩引くが、あいにく後ろは給水塔の壁でそれは叶わない。
逃げ場が無くて、目の前のキッドをただ睨みつける。
自分と良く似た顔が、すぐ傍で妖艶に微笑んでいた。
「・・・他にも何か、オイシイ情報を持っていそうだね。」
クスリと笑いながらヤツの細い指がオレの顎を捕らえ、息がかかるくらいに接近してそう言う。
息が甘い。
思わず、胸がドキリと高鳴るのを感じた。
キッドの顔がゆっくりと近づいてくる。
・・・コイツっっ!! またっ!!!
この後、何が起こるのかを悟って、オレはぎゅっと目を閉じると慌ててキッドを払いのけた。
「っ・・・お前こそっっ!!」
ドンと力いっぱいキッドのヤツを突き飛ばして、真っ向から睨み返した。
「・・・お前こそ、どうなんだよっ?! 初代キッドを組織に殺されたって、一体っ・・・・」
オレに突き飛ばされたままのキッドの表情は前髪に隠れて、良く見えない。
ヤツはまた一歩後退し、そのまま屋上のフェンスの上に飛び乗った。
・・・キッド?
「・・・・8年前に名探偵と出会っていれば良かった。
そうしたら、事件解決とはいかないまでも、真実にもっと早くたどり着く事が出来たかもしれないのに。」
俯いたままでキッドが静かに言う。
「・・・え?お前、何を言って・・・」
1拍、間を置いてキッドがゆっくりと、顔を上げた。
「・・・・8年間も。 ・・・何も知らずにのうのうと暮らすこともなかったかもしれないのにな・・・!」
氷のように冷たい声だった。
けれど、その瞳はどこか哀しく揺れているように見えて。
「・・・キッドっっ!!待てっ!!キッドっ!!!」
フェンスから、今にも飛び降りそうなキッドをオレはこのまま行かせたくなくて、必死で叫んだ。
けれども、キッドがオレの制止の声を聞くことはなく。
空へ飛び込む瞬間、キッドはほんの少しだが、オレの方を振り返った。
その時見せたヤツの顔は。
いつもの見慣れた不敵な笑顔だった。
+++ +++ +++
都民会館の火災事件は、結局、事故として片付けられた。
河村さんが戸籍や住民票を偽造して、増山という別の人物になっていたことも不審な点はあるものの、他殺の可能性は極めて低かったということで、特には追求される事も
なかった。
すべては、奴らの計画どおり。
河村さんは、マジック・ショーの最中の事故死ということとなった。
事件から2日後、阿笠邸。
「河村とは、研究で昔、何度か顔を合わせたことはあったわ。
彼が組織を抜け出したのは確か2年以上前のはず。その後、奴らが河村を追っているかどうかなんて私は知らなかったけど・・・。」
灰原は俯いて、手の中に収まっているマグカップを見つめた。
「・・・まさか、マジシャンとして活躍していたとはね。」
「・・・何でも、小さい頃からの夢だったとかいう話だけどな・・・。」
気の毒な話だ。
やっと組織から開放され、自分の夢を叶えたと思った矢先にあんな事になるなんて。
オレは、苦めのブラックを口へと運びながらそう言った。
そうして、灰原はその視線をゆっくりと窓の外に移す。
「・・・名前も・・・。姿形さえ変えても、奴らからは逃れる事ができないのね。」
「・・・灰原、お前・・・。」
サラリと赤毛が揺れて灰原がこちらを見、クスリと笑った。
「・・・所詮、裏切り者には哀れな末路しか待っていないってことなのかしら。」
「・・・灰原っ!!」
ガタン!とテーブルに手をついて立ち上がったオレに、灰原は苦笑する。
「心配しないで。別にヤケを起こしているわけではないの。
最初から望みなど持たなければ、奪われるものなど何も無いわ。」
「・・・そんな風に言うな。お前にだって、望んでいる未来があるんだろう?今はこんな風に隠れて暮らしているけど、そのうち大手を振って日の光の中を歩けるように必ずしてやるから! ・・・だから! 望みがないなんて言うなよ。」
オレのその言葉に、少女は儚く笑って見せただけだった。
それから、週末が開けて。
オレはいつもどおり学校へ行った。
教室では、先週の金曜に起きた都民会館での火災事件について、少しだけ話題に上りはしたが
日常の話題にかき消されていった。
そうして。
その日は授業を終えても、警視庁からの呼び出しをもらうことはなく。
久々に、このまま行くと、放課後をゆっくりと自分の時間に当てる事ができそうな気配だ。
放課後をどう過ごすか、しばらく考えた後、オレは電車に乗った。
なんとなく真っ直ぐ帰る気分じゃなかったので、隣町の大型書店まで繰り出すことにする。
ふと、列車の窓から西の空を眺めると、昼間とはうって変わって暗雲が急激に立ち込めていた。
「・・・ヤな空だな。」
帰るまでに降らなきゃいいケド、と思いながら、オレは電車に揺られていた。
窓に映る自分の顔を見て、よく似た顔を持つ、あの怪盗の事を思い出す。
・・・あの晩。
キッドがあそこに居合わせていたのが偶然だとしても、何でさっさと帰らなかったのか・・・。
結果的に組織の絡んだ事件だったけど、それは最後になるまでわからなかったわけだし。
・・・単なる興味本位だけであったはずがない。
何か、きっと別の意味が。
・・・あったんだろうな、たぶん。
しばらく考えて、オレはキッドのことが気になりだしてきた。
そういえば、前に高木刑事にキッドの資料を見せてもらうよう約束を取り付けてあったはず。
よし! 本屋に行った後、その足で警視庁へ行ってみよう!
中森警部に会えたら、直に頼んでみたって構わない。
ちょうどそこまで思った時、電車が駅に到着した。
改札をくぐりぬけ、大きな交差点を挟んだ向かいにある書店を目指して足早に進む。
すると、とうとう雨がぽつぽつと降り出して、路面を濡らし始めた。
やべー! 降り出しやがった!!
折り畳みの傘は持ってはいるものの、書店は道を挟んでもうすぐ目の前。
今更、傘をさすのは面倒臭い。
オレはカバンを頭の上にのせ、とりあえずは雨を防ぎながら、交差点まで走る事に決めた。
駅前の大きな交差点。
急に降り出した雨に、所々で色とりどりの傘の花が咲き始める。
信号は『青』。
人の波がいっせいに大きく動き出したのを前方に見て、オレは足を急いだ。
早くしねーと、信号が変わるっっ!
信号の『青』が点滅し始めた頃、オレは人ごみをくぐりぬけ、ようやく交差点にたどり着く。
雨の中、信号待ちするつもりなんて毛頭ない。
だからそのまま足も止めずに、一気に横断歩道を走り出した。
行き交う人の波。
傘をさす人も、ささない人も。
すれちがう人の顔など、いちいち気にしてなどいなかった。
不意に。
オレの耳に、同世代の男女の元気な声が届いた。
「ほら! 快斗!!急がないと信号が赤になっちゃう!!快斗ってば!!」
「・・・青子っっ!! てめーっ!人に荷物持たせといて、自分一人でさっさと行くんじゃねぇーぞ!」
・・・『快斗』 に 『青子』 ?
どこかで、聞き覚えのある名前だな・・・。
ふとそんな思いが思いが過ぎった時、ちょうど人波をかき分けて、セーラー服姿の女の子がオレの前に現れる。
ハンドタオルを頭の上にのせた彼女は、そのまますっとオレの横を駆け抜けて行った。
・・・あれ? もしかして、今の・・・。
すれ違った少女の顔に、オレは見覚えがあった。
・・・・中森警部の娘さんじゃないか?
実際に彼女と会った事こそなかったが、以前、中森警部に写真を見せてもらったことがある。
そういえば、娘さんの名前は『青子』さんだったな、確か・・・。
・・・ああ、そうか。
彼女の幼馴染の名前は、『快斗』だ。
『黒羽 快斗』。
そうだ。 キッドがこないだ化けてた・・・。
前方から来る激しい人波をよけながら、オレは先日、現場であった白いキャップを被った格好で現われたキッドのことを思い出していた。
瞬間。
人の波をかき分けるようにして、一人の学ランの少年が飛び出す。
オレと同じようにカバンを頭にのせ、肩にもう一つバックをかけた彼はそのままオレの横を風のように通り過ぎた。
すれ違う、そのほんの僅かな一瞬。
目が合う。
時間が止まった。
人々のざわめきもその瞬間は聞こえなかった。
「「・・・え?!」」
お互いの声が重なる。
オレとよく似た顔が、驚いた顔でこっちを見ていた。
が、そんな表情をしたのはほんの一瞬で、通り過ぎるその時にはニヤリと笑っていた。
その顔は・・・!
見忘れることなど決して無い、あのふてぶてしい怪盗の素顔・・・!!
・・・キッ・・・・!!!
思わず、オレは足を止めて振り返る。
誰も立ち止まる事の無い、雨の交差点。
ヤツの姿は、もうすでに人の波にのまれ、どこかへ消えてしまっていた。