結局、キッドがこないだ、オレや灰原に見せた写真の男のことは、何一つわからずじまいで。
オレの中で、解けない謎として胸に引っかかったまま、キッドの予告日当日を迎えることになった。
厳重な警備体制が敷かれている現場で、オレは壁際に腕組みをして立つ。
中森警部が相変わらずな荒々しい声で、指示を出していた。
・・・さて、今夜はアイツはどこから来るか。
オレは窓の外に浮かぶ満月を見上げながら、今頃どこかでこちらの様子を窺っているだろう怪盗のことを思った。
「・・・あの、コーヒーをいかがですか?」
突然、目の前に出されたカップに、オレは目を丸くした。
見ると、秘書の井上さんだった。
オレが小さくお礼を言ってコーヒーを受け取ると、彼はにっこりとした。
「・・・工藤君は、まだ高校生だと伺いましたが。・・・・たいへんですね。」
「あ、いえ。」
井上さんは、もうすでにすっかり疲れきった顔をしていて、なんだか気の毒だった。
「警察の方々を信頼していないわけではないですが、相手はあの『怪盗キッド』ですからね。一体、どうなるのかと思うと、生きた心地がしませんよ。」
・・・まぁ、そうだろうなぁ。
オレは、ただただ苦笑するしかない。
と、思ってるオレの目の前を、小日向社長が数人の警備員を連れて通過した。
大事そうにきれいな青みの緑をした石を抱えて。
あれが、今夜のキッドの獲物でもある『アレキサンドライト』。
確か、アレキサンドライトという宝石は、周囲の光の状態によって色を変化させる宝石だ。
微量成分のクロムによる光線の吸収特性によるもの、ということだが。
太陽光や蛍光灯の光では、「綺麗な青みの緑」に見え、キャンドルや白熱電灯の光のもとでは、瞬時に「美しい紫みの赤」に変わるらしい。
オレは、その石を目で追った。
キッドは、いつも手に入れた石を月に翳して、『パンドラ』かどうか、確かめている。
・・・・なら、月の光に照らしたら、あの石は一体、何色になるんだろう?
そう思ったら、自然と足が石のある方へ動いた。
「え?工藤君?!」
「あ、ちょっと石を間近で見せてもらってきます。コーヒー、ご馳走様でした。」
オレは、カップを井上さんが手にしていたトレイに戻すと、軽く会釈して小日向社長さんらがいる方へと向かった。
「いやぁ!ほんとに美しい石ですなぁ!!」
展示用の特殊ガラスケースから出された、そのアレキサンドライトを見て、中森警部が感嘆の声を上げた。
オレはその場を取り囲むようにできている警備員の人垣をかき分けて、なんとか前へと顔を出したが。
中森警部は、石に顔をくっつけそうなくらい接近して覗きこんでいた。
「それにしても、この石の色、なんだか不思議ですなぁ!」
「それがこの『アレキサンドライト』という石の特徴ですよ。あとはまぁ、ここまで大きいものはなかなか手に入るものではありませんのでね・・・。」
石を褒められたことに、小日向社長は少し気を良くしたように言う。
オレも、改めてその石をじっくりと見つめた。
美しいその輝きを放つ宝石は、キッドの求める『パンドラ』なのか。
不意に、ちょっと確かめてみたくなった。
「すみません、ちょっと、触らせていただいてもよろしいですか?」
オレの突然の申し出に、辺りの視線が一瞬にしてこちらに注目する。
「くっ、工藤君!!いきなり何を言い出すんだねっっ!!」
中森警部が目を剥いている。
言われた小日向社長は、ポカンと口を開けているが。
・・・あ。 やっぱ、ダメかな?
ちょっと上目遣いで、オレは持ち主である彼を見つめてみた。
「こんな大きなアレキサンドライトを、近くで見るのは初めてで。 光によって色が変わるという特性をぜひとも見せていただきたいと・・・。」
と、オレが言ってるのに。
「く、工藤君っっ!!まさか、この石にキッドの盗聴器でも付いている可能性があるとか、そういうことかっ?!」
などと、中森警部が余計な勘違いをし始めて、辺りが騒然となる。
・・・そんなワケないって・・・。
石自体に盗聴器を付けるくらいなら、その時、盗んでるっての。
オレは内心溜息を漏らしたものの、その中森警部の勘違いなおかげで、小日向社長がオレに石を差し出した。
どうやら、不安になったらしい。
白い手袋をつけ、オレは石をそっと掴んだ。
冷たい感触が布越しにオレの指に伝わる。
本当だったら、窓辺まで行って月光に照らしたいところだったが。
さすがにそこまで持ち運ぶのは、許可が下りないだろう。
オレは窓の方へ向き直ると、一応外に見える小さな月へ翳すようにして『アレキサンドライト』を見つめてみた。
だが。
やはり、室内では月光よりも蛍光灯の光の方が強すぎて、何の変化も見られない。
・・・ここでは、無理か。
キッドがやるのと同じ様にマネをしてみたら、何かわかるかもしれないと思ったが・・・。
「・・・あの、それでまさか盗聴器なんてついていないだろうね???」
不安そうな顔の小日向社長に、オレはにっこり微笑んで見せる。
「大丈夫ですよ。」
言いながら、オレは石をもとあった場所にそっと戻したのだった。
けれども。
この時のオレは、まだ気づいていなかった。
こちら側を殺気を含んだ目で見ている人物が、じっと潜んでいる事に。
□ ■ □ □ ■ □ □ ■ □
予告時間まで、あと僅かと迫っていた。
騒然としてきた現場に張り詰める空気をよそに、オレは真っ暗な空を窓から見上げる。
・・・やっぱり、空からか?
予告状には何も記されていなかった。
いつも、どこから来てどう帰るかまでご丁寧に書き記しているアイツにしては、珍しい事だとは思ったが。
・・・何か事情があるのか?
いつもとは違う何かが・・・。
ま、泥棒がそんなことを敢えて警察に教えてくること自体、普通に考えてみればおかしな事だ。
だとしたら、あまり気にする事もないんだろうけど。
何しろ、アイツは普通じゃないからな・・・。
オレはそっと窓辺から離れた。
「工藤君、どこへ?!」
「・・・ちょっと、外の空気を吸ってきます。すぐに戻ってきますよ。」
中森警部にそう言い残すと、オレは建物の屋上へ行こうと非常階段の方へ向かった。
なんとなく、なのだが。
キッドは空から来るような気がしてならなかったので。
これは推理じゃなくて、ただのオレのカン。
そこには何の根拠もない。
けれども、その『カン』には、オレは不思議なほど絶対的な自信を持っていた。
鉄の重い扉を開けて、非常階段を一段ずつ上っていく。
暗がりに響くのは、ただ自分の足音だけ。
少し先に見える出口の明かりを目指して、オレは上へと足を進めていた。
が、その時。
シュンっっ!!と、空気を切り裂く音がオレの耳に届く。
意識するより速く、体が反応していた。
本能が狙撃だと教えた。
しかも、相当腕の立つ、プロの。
・・・どこからっっ!??
狙撃者を探すオレの足元に、また銃弾がめり込む。
サイレンサーをつけた銃の、空気を裂く僅かな音だけが頼りだった。
・・・このやろうっっ!!どこに居やがるっっ!!
オレは身を翻して、跳躍した。
相手の位置がわからなければ、対処のしようがない。
このままでは、狙い撃ちだ。
オレはギリっと唇を噛んだ。
と、左腕の時計のアラームが小さく鳴った。
・・・あ!
オレの視線が一瞬、時計に注がれる。
それは、キッドの予告時間を告げるものだった。
直後、背後にぞっとするような殺気を感じた。
慌てて振り返ったオレのすぐ後ろにいたのは、長身の黒い衣装を身にまとった男。
その男の顔を見て、オレは目を見開いた。
ソイツは。
例のキッドが見せた写真の男だった・・・!!!
オレが驚愕の顔で固まってると、その男はオレに向けて残忍な笑いを浮かべた。
「・・・観念しろ、キッド。ここが貴様の墓場だ!!」
□ ■ □ □ ■ □ □ ■ □
その頃。
白い怪盗は、すでに獲物が眠る建物の屋上に優雅に舞い降りて。
そのまま非常階段を使わずに、スルリと下の部屋の窓から建物内に侵入を果たしていた。
捜査2課の厳重な警備も何のその。
実に他愛もなく突破して、目的の獲物が眠る部屋へと難なく辿り着く。
お約束の催眠ガスで充満した真っ白な部屋の中へ、純白のマントを羽のように翻して舞い込んだ。
立ち込める白煙の中にただ一人立っているのは、もはや怪盗キッド以外、何者もいない。
口元に微笑を貼り付けたキッドは、颯爽と白い霧の中を歩いた。
白い腕が真っ直ぐに伸び、鍵のかかっているはずのケースに入った宝石を、いともたやすく手の中に収める。
「・・・相変わらず、チョロイね。 まったく、もう少しがんばってもらわないと、楽しめないなぁ。」
などと、ぐっすり寝こけている中森警部を尻目にそう呟く。
そして。
目深に被ったシルクハットを少し上向きにすると、もう床に倒れ伏している警備員達の姿を見回す。
ここに居るべき人物の姿を捉える事が出来ずに、キッドの瞳が僅かに細められた。
「・・・で? あの名探偵はどこ行った?」
この場に居ないということは。
「・・・・・・何か、あったかな?」
不敵な笑みを1つ。
胸元からトランプ銃を抜き去ると、再び白い霧の中に消えた。
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