「それじゃあ、新一は父の日のプレゼントを結局、買えずに帰ってきたというワケか?」
阿笠邸。
中森警部のお嬢さんと別れた後、オレは自宅には帰らず、隣家へ夕食をご馳走になるべく顔を出していた。
食事をしながら、今日の寄り道の理由を博士に話して聞かせたら、冒頭の台詞といただくハメになった。
食後のコーヒーを口に運びながら、オレは苦笑いするしかない。
「仕方ねーだろ?博士・・・。大体、良く考えたら、母の日だってオレは完全にスルーしてたし。父の日だけ、プレゼントなんかしたら、母さんがスネるに決まってるだろ?何か贈るなら、二人一緒にしてやらねーと・・・。」
オレの台詞に、博士もなるほどと相槌を打った。
「・・・ま、とりあえず、父の日までまだ時間はあるし。月末頃には何か二人分のプレゼントでも用意するしかねーな。」
「それがいい。優作君達もきっと喜ぶぞ。」
博士はにっこり、オレにコーヒーのおかわりをくれた。
カップに注がれた琥珀色の液体を目に映しながら、この場にいない灰原のことを思った。
何やら研究に夢中になっている灰原はずっと地下室にこもりっきりで、食事にも出てこない始末だ。
両親が既に他界している灰原にとって、今日のオレの悩みなんて贅沢なものなので、聞かれなくて幸いだったのだが。
「・・・で、灰原のヤツは、メシも食わずに何をやってんだか。」
「さぁ、哀君の研究の中身はワシにもよくわからんことばかりじゃからのぅ。ま、でもそろそろ何か口に入れんと・・・。あまり根を詰めすぎても体に悪いだけじゃ。」
「そうだな。」
もっともだとオレが頷く間もなく、博士は灰原を呼びに地下へと続く階段へ消える。
オレはそんな博士の背中を見送った後、再びコーヒーを一口飲んで息をついた。
博士には、今日偶然、中森警部のお嬢さんと会ったことは話す必要がないと思って黙っていたが。
オレはふいに、壁にかかっているカレンダーの6月21日の日付に目が行った。
────キッドの誕生日・・・か。
誕生日プレゼントをどうしようかと、うれしそうに悩んでいた中森さんの顔が鮮明に思い浮かぶ。
“アイツが欲しがっているものは何か?”
彼女にそう相談された時、オレが何も思いつかなかったと言えば、ウソになる。
“キッドが欲しいもの”
アイツが喉から手が出るほど欲しいものと言えば、『パンドラ』という名の宝石で間違いはない。
────ま、もちろんそれを彼女に言えるわけもなかったのだが。
『パンドラ』
命の石。
永遠の命を手に入れることのできる魔石だと、キッドのヤツから以前、聞いたことはあるが。
そもそも、そんなものが存在するんだろうか?
不老不死だなんて、本当に?
仮に『パンドラ』にそんな力があったとして、どうやって使うんだ?
まさか、石を手にするだけでどうなるというわけじゃないはずだ。
・・・考えられるとしたら、石に含まれる含有物だが。
例えば、何かの薬品に調合するとか???
・・・・・・・・・・ダメだ。
そういうことは、さっぱりわからねーな・・・。
オレの専門外だ。
疲れたように大きく息を吐いた。
コーヒーカップを持つ、オレのこの手は間違いなく17歳であるオレのもの。
だが、ついほんの少し前まで小さな手だったことを思い出す。
人間の細胞が後退化するなんてことが起きたんだ。
実際、不老不死なんて、もしかしてもうそんな夢の話でもないのかもしれない。
薬品の分野の研究については、例の組織はかなり力を注いでいると言っていいだろう。
パンドラを追っているということからして、不老不死の研究も進めてるってことか・・・。
オレがそこまで考えた時、博士と一緒に灰原が現れた。
「・・・よぉ。」
「何?難しい顔して考え込んじゃって。 何か事件でもあったの?」
「いや、そういうんじゃねーんだけど・・・・。」
「新一が悩んでいるのは、もっと単純なことじゃよ、哀君。今月は・・・」
「博士っ!その話題はもういいんだって!」
博士の言葉を遮るようにオレは言ったが、カンのいい灰原は察したようで。
「あら、貴方でも父の日に何かしようとなんて思うのね。意外だわ。」
本音をつく灰原は、たまには親孝行もいいんじゃないかと意地悪く笑いやがった。
そんな灰原を横目で見つつ、オレはふとさっき頭を掠めた疑問をぶつけてみた。
「なぁ、灰原。 組織って、不老不死の研究もしてるのか?」
オレの言葉に、灰原は僅かに眉を寄せて聞き返す。
「・・・・どうして?」
「あ、いや。組織の連中も例の『パンドラ』って石を追ってるだろう?だとしたら、不老不死の研究も恐らくしてるんじゃねーかと思ってさ。」
オレの目を見ていた灰原の目がすっと細められた。
「・・・さぁ。私は自分の作っていた薬ですら、何かも知らなかったのよ?他の研究のことなんて知る余地もないわ。」
ピシャリとそう言い切った灰原には、これ以上の質問は受け付けないような空気が漂っていた。
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6月20日(日)。
言わずと知れた6月の第三日曜日、父の日。
父の日にかこつけて母の日もまとめてやってしまおうと目論んではいたものの、結局、オレはこの日まで何もプレゼントを用意する間もなく過ごしてしまった。
なんとかせめて、今日中にカタをつけようと思ったのだが、それは叶わない。
他にしなければいけないことができたからだ。
「工藤君、こっちこっち!」
パトカーの脇から飛び出して、手招きしてくれるのは高木刑事。
オレは小さく会釈して駆けつけると、高木刑事も相変わらず人の良さそうな笑顔を見せてくれた。
「悪いね。呼び出しちゃったりして。学校は大丈夫だった?」
「ええ、ちょうど授業も終わったところでしたから・・・。それより、殺人事件って・・・。」
「ああ、うん。現場はこっち。警部もそこにいるから・・・。」
都心の高級ブティックが立ち並ぶ通りに、パトカーが処狭しと停まっている。
その脇を通り抜けると、捜査官達とともに目暮警部がちょうど一軒の店から出てきたところだった。
警部が出てきたのは、名の知れた高級ブランドの宝飾店だ。
「おお、工藤君。すまんね、わざわざ。」
オレに気づいた警部が、帽子のつばを上げながらそう言った。
警部の後には、その宝飾店の店主らしい中年男性が青い顔をして立っている。
彼はオレの顔を見ると、不審そうに警部の顔を伺った。
「彼は、高校生探偵の工藤新一君です。ご存知ですかな?」
「初めまして、工藤です。」
「工藤君、こちらはこの店の責任者の磯部 秀行(いそべ ひでゆき)さん。事件の目撃者でもある。」
目撃者? ・・・なるほど、顔色が悪いわけだ。
オレはその気の毒な店主を眺めたあと、その宝飾店の入り口付近に目をやった。
さすが有名ブランド店だけあって、ゴージャスな造りの石段。
だが、そこには似つかわしくない、おびただしいほどの血痕があった。
「銃で心臓を一発だ。薬莢もすでに見つかっている。」
警部が険しい表情を作った。
「被害者の身元はわかっているんですか?」
オレの質問に、高木刑事が手帳を広げた。
「被害者は、小松田 貴則(こまつだ たかのり)さん、30歳。こちらの宝飾店には、預けていた指輪を受け取りに来て、店から出たその直後、胸に銃弾を受け、死亡。」
高木刑事の報告に被るように、目暮警部も付け加える。
「銃弾に倒れた小松田さんを、店内の窓から偶然目撃した磯部さんが、慌てて店の外に飛び出した時には、犯人らしい人物が、小松田さんの手から宝石を盗もうとしていたらしい。だが、磯部さんが出てきたことで驚いた犯人は、結局宝石を盗らずに、そのまま逃走したとのことだ。」
「・・・強盗殺人ですか。」
「まぁ、宝石を手に入れることに失敗はしてるとはいえ、そういうことになるな。」
オレの呟きに、警部は髭を撫でながらそう低い声で言った。
「それで・・・。犯人の特徴は?」
そうオレが訊ねると、目撃者である磯部さんは申し訳なさそうに頭を垂れ、代わりに高木刑事が代弁した。
「いや、それが。磯部さんの話では、全身黒づくめだったってことだけで。顔も帽子やサングラスで覆われていて、ほとんどちゃんと見れたわけではないらしいんだ。」
───全身黒づくめだって??? まさか・・・っ!
オレは僅かに目を見開いた。
「犯人はっ・・・、犯人はどっちの方向へ逃げたんですか?」
「・・・いや、あのっ・・・・!車で・・・駅の方へ・・・。」
「車?車種はわかりますか?」
「す、すみません・・・あのっ。本当に気が動転してしまって、黒い車だったことは覚えているんですが、何だったかまではちょっと・・・・。」
思わず詰め寄ったオレに、磯部さんはおどおどしながらそう応えた。
・・・ダメだ。 これだけじゃ組織の奴らの犯行かどうか、わからない。
だが、奴らかもしれない。
その可能性はある・・・!
オレは、下唇をぺろりと舐めると、ぐっと拳を握り締めたのだった。
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サイレンの音が鳴り響く外から、壁一枚でも挟むと大分静かになるものだ。
事件の起きた宝飾店内に入ったオレは、改めてそう感じた。
きらびやかな宝石が並ぶ店内の奥にある一室で、オレは警部達と一緒にさらに詳しく磯部さんから話を聞くことにした。
店主である磯部さんは、被害者の小松田さんと面識があったらしい。
そのあたりのことを聞くためだ。
「・・・では、小松田さんはこちらの常連のお客だったというわけですか。」
警部の質問に、まだ落ち着かないのか、目を白黒させながら磯部さんは何度も頷いて見せた。
「はい、小松田さんはよくうちの宝石を買って行かれました。でも、今回お預かりしていたものは、うちの宝石ではなくて、小松田さんが海外のどちらからかで、お買い求めになられたとかで・・・。それを、私どもにフルオーダーで指輪を作るようにと・・・。」
「へぇ。オートクチュールのジュエリーですか!そんなこともやってくれるんだ!」
関心した様子で高木刑事が声を上げた。
「ええ、まぁ・・・。多少、お値段は張りますが。デザインをお客様と一緒に相談して・・・。この世に一つだけのデザインのものを作りたいとおっしゃるような方もたくさんいらっしゃいますので。」
「なるほど・・・。」
あまり縁のない話なのか、目暮警部はわかったようなわからないような顔をしながら、先を促す。
「では、今回、小松田さんは自分で宝石をこちらに持ち込み、指輪を作って欲しいとそうお願いされたわけですな?」
「はい、そうです。婚約者に贈る指輪とかで・・・。ああ、あの今日が彼女の誕生日なので、今日中にお届けしたいとそうおっしゃられて、受け取りに見えたんです。」
・・・・気の毒な話だった。
きっと今頃は、その婚約者にも事件のことが伝わっているはずだ。
そこへ若い刑事が白い手袋をしたまま、指輪のケースを持って現れた。
「こちらが被害者の所持品から発見された指輪です。」
スッとケースが開けられると、中には赤く輝く石が入っていた。
「うわ、すごい石ですね。赤い宝石って言ったら、ルビーしか思いつかないんですけど、これ、ルビーですか?」
石を覗き込んで開口一番、そう言ったのは高木刑事だった。
・・・いや、これはルビーじゃない。
ルビーにしては、透明度が在り過ぎる。
「ああ、えっと。 こちらは『レッド・ダイヤモンド』です。」
「「レッド・ダイヤモンド?!」」
聞きなれないネーミングに目暮警部と高木刑事の声が重なる。
「へぇ〜っ!僕、赤いダイヤモンドなんて、初めて見ました!」
そう付け足した高木刑事の言葉に、磯部さんは宝飾店店主らしい顔つきになって答えた。
「ダイヤモンドの中で、最も産出が少ないのがこの赤い色なんです。世界最大のレッド・ダイヤモンドと呼ばれる『ムサイエフ・レッド』という石だって、僅か5,11カラットしかないんですから。それくらい稀少性の高い石なんです。」
「「はぁ〜・・・」」
目の前に輝く赤い石が、どうやらとてつもなく高価なものだということがわかると、ちょっと警部達も引き気味になった。
磯部さんは、レッド・ダイヤモンドが宝飾関係者の間でも実に珍しい石であることから、『奇跡のレッド・ダイヤモンド』と呼ばれていると話してくれた。
───それほど貴重な石であるなら、ますます組織が狙う可能性も高い。
だが、もし本当に組織が狙っていたとして。
小松田さんを殺害した犯人が、組織の連中だったとしたら・・・・。
奪い損ねたこのレッド・ダイヤモンドを、もう一度、盗りにくるかもしれない。
オレはケースの中でじっと輝く赤い石を見つめながら、そう一人考え込んでいた。
「・・・あの。」
宝石を見つめ、黙り込んでしまったオレ達に、磯部さんが口を開く。
「警部さん。このレッドダイヤモンドを、小松田さんの婚約者の方に今夜中に渡していただくことは可能ですか?小松田さんに私はそう頼まれていましたし・・・。こんなことになってしまって、ぜひとも最後の思いを叶えてあげたいんです。」
思いもかけぬ磯部さんの申出に、オレを含む警部達は目を見張った。
「え?いや、今夜中・・・と言われても・・・!」
慌てて警部が言いかけた時、不意に高木刑事の携帯の着信メロディが室内に響き渡る。
「あ、すみません。」
会話を中断させたことに少々詫びながら、高木刑事が部屋の隅の方で電話に出る。
と。
しばしの沈黙の後、高木刑事は、オレ達を振り返ってこう叫んだ。
「・・・・け、警部っ!そのレッド・ダイヤモンドに怪盗キッドからの予告状が届きました!!」
To be continued
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