しばらくして、 砂原さんがようやく姿を現した。
肩までかかる真っ直ぐな黒髪も艶やかな美人だ。
「お待たせしてしまって申し訳ありません。」
部屋に入るなり、凛とした声でそう彼女は頭を下げる。
婚約者を失ったばかりで動揺もしているはずなのに、冷静に振舞っているその様は見ていて痛々しい。
そんな彼女を取り囲むようにして、中森警部らが現段階でわかっている小松田さん殺害の詳しい経緯や、彼女の置かれている現状などを話して聞かせる。
彼女は終始取り乱すことなく、黙って俯いたまま聞いていた。
気丈な人だ。
一通り説明し終わった警部は一人の捜査官に指示を出すと、彼女の目の前にケースに入ったままのレッド・ダイヤモンドを持ってこさせる。
彼女は、それを表情もなく無言で見つめた。
「・・・・・お話はわかりました。それで────。彼を殺した犯人について、他に何かわかってることはないんですか?」
「小松田さん殺害の事件については、警視庁捜査一課の方で全力をあげて捜査中です。何か進展があれば、お知らせしますが、今のところまだはっきりと言えることは・・・。」
抑揚のない彼女の声に、高木刑事が少し表情を曇らせながら返答する。
そんな高木刑事の顔を見ることもなく、彼女の瞳はレッドダイヤに向けられたままだ。
「そのレッドダイヤの指輪のことは、砂原さんはご存知でしたかな?小松田さんが貴方へのプレゼントに用意されたものだとのことでしたが・・・。」
警部がそう砂原さんの顔を覗きこむと、彼女は小さく頷いた。
「・・・指輪になる前のものを彼に見せてもらったことがあります。」
「そうでしたか。」
警部は一つコホンと咳払いをすると、改めて部屋に響き渡るような声をあげた。
「では、とにかく。そのレッドダイヤにキッドの予告状が出ている以上、今夜は責任持って、我々が預からせていただきます。それと、この屋敷内に警備のための捜査員を配置させていただきますが、よろしいですな?」
「────お任せします。」
彼女がそう一礼したところで、中森警部は大きく頷き、そばにいる捜査員達に怒声をあげて警備の指示を出し始める。
彼女は肩越しにそれを見やると、近くにいた高木刑事に声をかけた。
「・・・・あの。先程伺った警部さん達のお話では、怪盗キッドと彼を殺した犯人は、別人だと考えていらっしゃるみたいですが。」
「え?あ、ああ、はい。」
「でも、彼を殺した犯人の目的が指輪の強奪にあるんなら、この指輪を奪おうとしている怪盗キッドが、殺人犯である可能性だってあるんじゃないんですか?」
「あ、えぇーっと・・・・。まぁそうなんですが、あの・・・・。キッドの今までの犯行パターンからして、ちょっとそれはありえないんじゃないかと、我々は考えておりまして・・・。」
苦笑いまじりに高木刑事は、キッドが犯行前には必ず予告状を出すこと、そして今まで人に危害を加えるようなマネはしたことがないことを彼女に説明する。
けれどもそれを聞いて、砂原さんは不審そうに眉を寄せた。
「・・・どうして?確かに今までそうだったかもしれませんが、それを逆手にとってキッドが裏を書くということもありえるんじゃないですか?」
彼女の指摘はもっともだ。
もともと犯行前に予告状を書くなんてレトロなマネ、キッドが好んで勝手にやっていることだし。
そのやり方をいつ変えてもおかしくはないし、ヤツが誰も傷つけないなんて保証だってどこにもない。
だが────。
「怪盗キッドは犯罪者なんでしょう?警察が信用しているなんて、おかしいわ。」
「い、いえ、あの・・・!べ、別に信用しているなんてことは・・・っ!」
しどろもどろにやや後ずさりした高木刑事に代わって、オレはその場から一歩踏み出した。
「────可能性の問題です。過去のキッドの犯行の手口を考えれば、小松田さんを殺害してまでレッドダイヤを手に入れようとするとは考えにくい。だとすれば、殺人犯はキッドとは別にいて、今もどこかでこの指輪を狙っている可能性があります。」
彼女の顔がオレの方を向く。
オレは彼女の目を真っ直ぐに見ると、にっこりとした。
「つまり、そのレッドダイヤを狙うものがキッド一人だけではなく、凶悪な殺人犯も含めて、複数いるかもしれないと考えて警備していた方が、より安全ということですよ。」
「・・・・貴方は?」
「工藤新一、探偵です。」
「・・・・あの高校生探偵の?」
どうやら、砂原さんは少なからずオレに関する知識はあったらしい。
向けられていた不審げな視線は、すぐに解かれた。
「・・・えっと、とにかく!今、工藤君が言ったとおり、我々としてはより念の入った警備をするということで、どうかご理解いただきたいんですが・・・。」
高木刑事がそう苦笑いすると、彼女はわかりましたと頷いて見せた。
砂原さんは一呼吸置いた後、かけていた椅子から立ち上がる。
そして、そのままケースに入ったレッドダイヤの指輪の傍まで歩くと、中を覗きこんで呟いた。
「・・・・小さな石。こんなちっぽけなダイヤなんか・・・・。」
「え?いやでもそのレッドダイヤ、ものすごい価値のある石だって伺いましたけど。」
一緒になってケースを覗き込んだ高木刑事が、砂原さんの背中に向かって言うと、彼女はいったんこっちを振り返ったが、またそのまま前を向いた。
「ええ、確かにこのファンシーパーブリッシュレッド・ダイヤは、とても稀少価値の高い石です。」
・・・・ファンシーパーブリッシュレッド・ダイヤ???
聞きなれない名前にオレと高木刑事が首を傾げると、彼女はそれがこのレッドダイヤの正式名称だと教えてくれた。
「・・・確かに、世界で最も産出が少ない奇跡のダイヤとも言われる石ですけど・・・・。どんなに高価な宝石だって、人の命に比べたら────。」
彼女の瞳から涙が溢れ、頬を伝った。
「・・・石が欲しいなら、あげるわ。だから、彼を返して・・・・。」
その消え入りそうな彼女の声は、確かにオレの耳には届いていた。
□□□ □□□ □□□
午後10時53分。
キッドの予告時間まで、あと10分を切った。
すでに中森警部の指示のとおり、屋敷内にも外にもいたるところに捜査員が配置され、あとはキッドが来るのを待つばかりとなっていた。
ヤツの獲物であるレッドダイヤは、厳重に捜査員達に囲まれ、簡単には手を出せないようにはなっているが。
・・・・とはいえ、アイツにかかればこんなもん、あっという間なんだろうな・・・・。
警備の邪魔にならぬよう部屋の隅で腕組みしていたオレは、そうこっそり胸の中だけで呟いて、窓の外へと視線を移した。
雲が立ち込めているのか、夜空には月は見えない。
小松田さんを殺害した犯人が、本当に例の組織の一員かどうかは別として────。
とりあえず、再度レッドダイヤを狙うとしても、この厳重な警備をかいくぐってまで盗もうとはしないはず。
もともと殺人犯で追われている身だ。
いくら狙った獲物があるからとはいえ、警察が待ち構えているこの場に堂々と踏み込むということはないだろう。
考えられるとすれば、この場からレッドダイヤが持ち出された後・・・・・。
つまり、キッドがレッドダイヤを奪った後か。
────ま、何にしてもキッドのヤツから目を離さないようにしねーと・・・・。
と、隣に人の気配がして不意に視線を戻すと、そこには砂原さんが立っていた。
「どうされたんですか?奥の部屋に捜査員の方々といるよう、中森警部からお願いがあったと思いますが。」
「・・・ええ、そうなんですけど・・・。邪魔はしませんから、ここに居てはダメでしょうか?」
「ここは危険です。いつ、レッドダイヤを狙った殺人犯が現れるかもしれませんから。さぁ部屋に戻りましょう。」
オレは彼女に部屋へ戻ってもらうようにそう促す。
彼女は仕方なさそうに頷くと、オレの後をついて歩き出した。
予告時間が迫る中、現場を離れるのは痛かったが、オレは砂原さんを屋敷の奥の部屋まで送ることにした。
途中、オレの横を歩く彼女が口を開く。
「────本当に・・・。彼を殺した犯人は、怪盗キッドとは別だと思ってるんですか?」
「・・・まぁ、可能性から言えば、そうなりますね。」
「それは、貴方の推理?」
「・・・推理と呼べるほどの根拠はないですが────。」
直感っていうか。
とりあえず、アイツの仕業か、そうでないかくらいはまぁ・・・・。
「・・・信じているんですね。」
「え?」
「私はキッドを信じられそうもありません。・・・・・もし
このレッドダイヤを奪いに来るなら、彼を殺した犯人だと思って、殺してやりたいほど憎んでしまうかも────。」
彼女がそう言った瞬間だった。
ボンと何かは弾けたような音が屋敷内に響くと、捜査員達がいっせいにざわめき出す。
そして次には、耳を破るほどの中森警部の声。
「キッドだ────っ!!」
・・・しまったっ! もう11時かっ!
「砂原さんは、このまま奥の部屋へ戻ってくださいっ!指示があるまで、絶対に部屋を出ないで!いいですね!!」
オレはそれだけ言うと、彼女をその場に残し、急いでもと来た道を戻って行ったのだった。
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部屋のドアを叩き破る。
と、そこは一面、靄がかかったように白い煙に覆われていた。
・・・クソッ! 催眠ガスか!
とっさにハンカチで鼻と口を覆うと、オレは必死に目を凝らす。
と、霧の向こうでうごめく人影が見えた。
キッドだ!
「・・・キッド────っ!」
オレがそう叫んだ時には、ヤツの手はすでにレッドダイヤの入ったケースにかかり、まさに獲物を手に入れようとしている瞬間だった。
モノクル越しに、ヤツがオレを見る。
そのままニヤリと笑いを一つ、キッドはさっさとレッドダイヤを奪うと、窓の外へと消えた。
ニャロっっ! 逃がすか!!
白いマントの後をオレは必死で追う。
やっと追いついたそこは、屋敷の最上階のテラスだった。
オレに背を向けたままの格好で立つキッドは、奪ったばかりのレッドダイヤを右手に、夜空を見上げているようだったが。
「あいにくだったな。残念ながら、月は出てないぜ?」
そう言ってやると、肩越しにキッドがこっちを振り返った。
目深に被るシルクハットの下、ヤツの口元が笑っているのがわかる。
「・・・・そうみたいだね。予報どおりだ。」
キッドは、ゆっくりとオレへと向き直った。
白いマントが風に煽られて大きく波打つ。
「用意周到なお前のことだ。まさか、わざわざ月の出ていない時刻を犯行予告に選んだわけじゃないだろう?」
「まぁね。」
「ってことは、やっぱり今日の犯行は予定外か。小松田さんの殺害事件の事、盗聴してやがったな?」
「一応、仕事柄、情報収集は欠かせないんでね。」
「それで?大事な獲物が横取りされる前に、予定を変更して先に奪う事にしたわけか?ま、小松田さんを殺した犯人との接触を計るにはいいタイミングだろうな。いや、それだけじゃない。お前がさっさとこのレッドダイヤを奪うことで、小松田さんの婚約者である砂原さんの身も安全になる。
違うか?」
確信をついてるはずなのに、キッドのヤツは両手を広げてさぁ?と、とぼけて見せやがった。
・・・ヤロウ。
キッドは、手の中にあるレッドダイヤの指輪を翳しながら言った。
「綺麗な赤い光だ。濃厚なパーブリッシュレッドはどこまでも深い。さすがは奇跡のレッドダイヤと言われるだけのことはある。」
「ずいぶんと稀少性の高い石だそうだな。それが、例の『パンドラ』である可能性は?」
オレがそう訊ねると、赤い石を見つめるキッドの目が細められる。
「・・・・さぁ。確かめてみない事には何とも。」
言い終えて、キッドの唇の端が持ち上がって笑みの形を作ったその直後だった。
オレの耳に届いたのは、撃鉄を起こす音。
・・・例の殺人犯かっっ?!
そう思って振り向いたオレの目に飛び込んできたのは、拳銃を構えた砂原さんの姿だった。
あまりのことに、一瞬オレは自分の目を疑う。
「・・・すっ、砂原さんっ!?何を・・・・っ!」
「来ないでっ!来たら、撃つわっっ!!」
彼女は、ガタガタする両手で必死に銃を握り締めている。
さっきまでの冷静な彼女は、もうどこにもいなかった。
泣きはらした彼女の目には、オレは映ってはいない。
・・・クソっ!どうして、銃なんかどこで・・・・って。ああ、キッドの睡眠ガスで倒れた捜査員から奪ったのか!
さっき、彼女が別れ際に言った台詞が脳裏によみがえる。
・・・そう、彼女は確かに言っていた。
"キッドがレッドダイヤを奪いに来るなら、小松田さんを殺した犯人だと思って、殺してやりたいほど憎んでしまうかも”と。
オレは唇を噛み締めた。
銃口は真っ直ぐにキッドへ向いている。
キッドは、ただ銃を自分に向けている砂原さんを黙って見つめていた。
「とにかく、落ち着いてください!銃を捨てて────・・・!」
「嫌よっ!レッドダイヤが戻ってきたって、彼を殺した犯人が捕まったって・・・・っ!彼はもう二度と帰ってこないのよ!!そんなの許せない────っっ!!」
瞬間、彼女の細い指が引き金にかかる。
「・・・っやめ・・・・・っ!!!」
オレが目を見開いて彼女に飛び掛ろうとするより先に、ガァ──ンと銃声がこだました。
・・・・キッドっっ!!
足を踏み止めて、オレはキッドを振り返る。
だが、白い怪盗はまるで何もなかったかのように、平然と立っていた。
純白のスーツには、赤い染み一つない。
・・・・良かった。 弾は外れたのか・・・・・。
安堵の溜息が零れる。
再び砂原さんに向き直ると、彼女は発砲のショックからか気絶してしまっていた。
オレは彼女の傍らに跪くと、彼女が堅く握り締めている銃を取り上げる。
涙に濡れた彼女の顔は、ひどく哀しそうだった。
・・・・弾が外れて、本当に良かった。
彼女のためにも。
こんな復讐みたいなマネしたって、本当の意味で彼女の救いになるはずがない・・・。
オレは銃を手に、キッドを見る。
白いマントを靡かせて、ヤツはただ茫洋としていた。
そんなヤツにだんだん腹が立ってきて、怒りのあまり怒鳴りつけた。
「・・・何やってんだ、てめ─はっっ!!」
「何もしてないけど?」
何で怒るんだと、キッドがきょとんとする。
だ─っ!コイツはっっ!!
「だからっっっ!! 何でよけなかったんだ!?もし当たったら────・・・!」
そうオレが言いかけた時だった。
ビシっという音と共に、銃弾が足元にめり込む。
一瞬にして、オレ達の間に緊張が走った。
今度こそ、小松田さんを殺害した犯人に違いない。
・・・そして、もしかして、組織の!!
「さて。 お客さんのお出ましだよ、名探偵?」
シルクハットのつばを下げ、キッドがそう笑った。
□□□ □□□ □□□
倒れ伏す黒尽くめの男の、黒いマスクをはがし取ったところで、キッドはがっかりしたように溜息を零した。
オレはその様子を横目に見、
「何だよ?知ってるヤツなのか?」
そう訊ねる。
キッドといくら二人がかりだったとはいえ、こうもあっさりKOできたこの犯人が、まさか組織音一員だとは、さすがにオレももう思ってはいなかったが。
「一応、宝石狙いの強盗としてはそこそこ名前も顔も通ってるヤツだよ。」
「・・・ただの強盗か。」
「そ。殺しまでして獲物を奪い損ねる、どうしようもない強盗だね。」
この男が本当に小松田さんを殺害した犯人かどうかは、所持している拳銃を調べればわかることだ。
ま、結局・・・・。組織の仕業じゃなかったってことか。
オレも溜息を一つつくと、手にしていた銃のセーフティをかけた。
これは、さっき砂原さんから奪ったものだが。
オレは、砂原さんに目をやる。
彼女は、意識を失ったままだった。
キッドは、この男が組織の一員でないのなら興味はないとばかりに、背を向けて歩き出していた。
獲物が『パンドラ』であるかどうかは、今、月が出ていない以上、確認できないはず。
となると、今夜はレッドダイヤをヤツが持ち帰るつもりか?
とりあえず、もうここには用はないと、今すぐにでも飛び立ちそうだ。
「・・・おい。さっき、どうして彼女の銃弾をよけようとしなかった?」
ヤツの背中にそう問いかけると、キッドは足を止めて振り返った。
オレは言葉を続ける。
「確かに彼女は銃に関しては素人だから、撃った反動で銃口が上がってしまい、狙いが外れる可能性は高い。だが、それは絶対じゃない。もしかしたら、まぐれで当たっていたかもしれないのに・・・。何故だ?」
と、オレを見ていたキッドの瞳が僅かに横に逸らされ、ちょっと思案する仕草が見せた後、口を開く。
「・・・別に。大してイミなんかないけど?」
「意味もなく、彼女に撃たれてやるつもりだったのか?!」
「
そういうわけでもないけどね。こんなところで何も無駄に命を落とすつもりはない。」
「だったら、何で────・・・・」
悪びれた様子もなく、淡々と返すキッドにオレは苛立つ。
「・・・・ただ、何となく。彼女の気持ちはわからないでもなかったんでね。」
彼女の気持ち?!
「・・・・・それは。砂原さんが小松田さんを殺した犯人に復讐したいっていう気持ちのことを言ってるのか?」
キッドはそれには答えず、オレに背を向けた。
冷たい夜風がキッドの白いマントをさらう。
キッドが、砂原さんの気持ちがわかるというのは。
コイツ自身も、初代キッドである父親を殺されたからだ。
オレは唇を噛み締めた。
「・・・・だけど、復讐なんてしたって、死んだ人は帰ってはこない。そんなことしたって・・・・」
キッドが肩越しにオレを振り返った。
その顔に表情はない。怒っているのかもしれないと、オレは思った。
けれども、言葉を続ける。
「・・・・そんなことをしたって救われない。死んだ人も、残された人も────。」
と、キッドの口元が笑いの形を作った。
「────そのとおり。正論だね、名探偵。だけど・・・。」
キッドがオレへと向き直る。
モノクル越しの右目がキラリと光った。
「名探偵の大事な人が殺されても、同じ事が言えるのかな?」
・・・なっ!!
驚いて目を見開いたオレに、キッドは笑っていた。
そして、まるで歌うような声で信じられない台詞を言った。
「試しに、今からオレが、名探偵の大事な人を殺してあげようか?」
To be continued
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