「そろそろ晩メシ作るけどさ。」
不意に背後からそう声をかけられて、ずっとパソコンとにらめっこしていたオレは弾かれたように振り返った。
すぐ後ろにはオレと良く似た顔のヤツがいて、人懐っこい笑みを浮かべている。
その顔をまじまじと見つめ返している内に、オレはここがキッドの隠れ家である事を思い出した。
そうだった。
今日は午前中に学校を早退し、ヤツの隠れ家で例の事件に関することを調べていたのだが。
せっかくキッドが居ないだろう時間を見計らってここへ訪れたというのに、予想外にコイツが居たのはまぁ仕方がないとしてだ。
やべ・・・。つい調べ物に没頭しちまった。
部屋の窓から見える景色はすっかり日が落ちている。
時刻は午後7時を既に回っていた。
「昼はお互いちょっとパンとかかじっただけだし
。腹も減ったろ?今から軽くチャーハンでも作るから、食べていけば?」
・・・・ウインクつきでそう言われてもな。
オレは乾いた笑いを浮かべつつ、どう返事をしたものか迷った。
今すぐ帰ってもよかったのだが、実のところ、まだ事件の事については調べ足りない。
ここで中断するのは、正直惜しかった。
ちょっと考え込んだオレを見て、キッドがクスリと笑う。
「オレの料理の腕は前回、お見せしたと思うけどね。別に今更、遠慮ってこともだろ?」
「バーロー!誰が遠慮なんかするかよ。」
吐き捨てるようにオレが言うと、キッドは手をヒラヒラさせながらキッチンの方へ消えて行った。
その後、何やら楽しげに口笛まで口ずさみながら食事のしたくを始めたみたいだが。
・・・・・陽気なヤツだな。
オレは溜息を一つ零すと、またパソコンの画面に向き直ったのだった。
程なくして、ダイニングに呼ばれたオレの目の前にはできたてのおいしそうなチャーハンが出された。
見た目にも確かにウマそうなそれは、もちろん実際の味も裏切る事はない。
食が進むオレを見たキッドは、満足そうに唇の端を持ち上げた。
「ウマいだろ?」
「・・・・・まぁな。」
「───で、どう?調べ物は進んだ?」
「・・・いや。ゴールドウェルのホスト端末にまで潜入してはみたんだが、大した情報は得られなかったな。」
「まぁ、そうだろうね。」
スプーンを指先でつまんで揺らしながら、キッドがさらりと言う。
・・・てめー、あっさりと言ってくれやがって。
オレがジト目で睨み返すと、ヤツはにっこり笑顔を作った。
「それで?まさか、これで諦めるわけじゃないだろう?」
「あったりめーだ。」
チャーハンを頬張りながら、そう返す。
当然だ。
もしかすると、例の組織と何らかの関係があるかもしれないというのに、このまま放っておくわけにはいかない。
「じゃあさ、名探偵。」
「何だよ?」
「一つ、提案があるんだけどね。」
「提案?」
キッドの言葉に、オレは目線を上げた。
目の前の怪盗はチャーハンを食いながら、何でもなさそうな感じで二の句を告げる。
「今から直接、ゴールドウェル本社に乗り込んで、調べに行っちゃうってのはどう?」
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・・・・・・ありえねぇ。
何でオレがこんなマネを・・・・・・。
ゴールドウェル本社、1F男性用トイレにオレは居た。
社内に誰もいないであろう時刻を見計らって、まぁなんとか潜入できたのはヨシとしよう。
だが。
鏡の中にいる
自分の姿にオレは盛大に溜息をついた。
そこに居るのは、どこからどう見てもごく一般的な警備員。
───そう。つまり、オレは変装しているのだ。
直接、ゴールドウェル本社へ乗り込むことをオレに提案したキッドは、わざわざご丁寧にも潜入用の警備員のコスチュームまで貸し与えてくれたワケで。
さすがは怪盗。用意周到と言うべきか。
にしてもだ。
今更、不法侵入にビビるつもりはないが、まさかここまでしっかり変装までするなんてな。
「・・・ったく。どっかのコソ泥じゃあるまいし。」
言いながら、帽子を目深に被り顔をなるべく隠すようにする。
と、トイレ入り口のドアに背を預けた格好で立つ、もう1人の警備員姿の少年がクスリと笑う気配がした。
「何か言った?名探偵。」
「いや、別に・・・。」
「さすがは女優の息子だな。 バッチリ警備員の服装も着こなせてるよ♪」
「バーロー。そんな風に言われても、ちっともうれしくねーっての。」
オレと同じくどこからどう見ても警備員姿の怪盗に睨みを聞かし、それから手元の時計を見た。
「そろそろ深夜0時か。」
「じゃあ準備も出来た事だし、行こうか?」
キッドの言葉にオレは黙って頷いて、ヤツに続いて明かりの落ちた廊下へ出たのだった。
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非常灯しかない薄暗い廊下を、懐中電灯の明かりを頼りに進んでいく。
先頭をオレに譲ったキッドは、大人しくオレの後をついて来ていた。
「───で?名探偵は、まずはどこへ行くつもりかな?」
背後からかけられた声に、オレは振り返らずに前を向いたまま答えた。
「とりあえずは、行方不明の社員・・・まぁ正確には公安の捜査員だが、その彼の所属していた部署だな。デスクもまだそのままだろうし、もしかすると何か手がかりになるような物が残っている可能性がある。」
「なるほどね。最悪、彼の正体がバレて始末されていたんだとしても、公安の捜査員だけに絶対、何か証拠を残してるって?」
「・・・・・・おそらくな。」
「じゃあ、そちらは名探偵にお任せするとして・・・。」
「え?」
瞬間、振り向こうとしたオレの肩にキッドの手が軽く添えられる。
そのままキッドはオレの耳元へ唇を持って行き、囁いた。
「では後ほど。名探偵の健闘を祈るよ。」
「お、おい・・・っ!」
っていうか、ヤメロ!
吐息が耳にかかるっ!
オレがキッドを振り払おうとした時には、ヤツはフワリと大きく後退し、そのまま煙幕と共に忽然と掻き消えてしまった。
そして、薄闇の廊下にはオレ1人。
オレは右手の中にある懐中電灯をぎゅっと握り締める。
「・・・・あんニャロウ。」
思わずそう零すしかない。
それから溜息一つ、再び足を前へと進めた。
まぁキッドのヤロウが勝手なのは、今に始まった事じゃないが。
だいたいアイツ、一体どこ行きやがったんだ?
先日奪った宝石は確かまだヤツの手元にあるはずだが、返品しに行ったとか?
何も聞いてねーが、キッドのあの様子からして、どうせ今回もハズレなんだろうし。
それとも、何か別の・・・・・・。
足が止まる。
オレは、もう一度キッドが消えた暗闇を小さく振り返った。
・・・・・・・・。
くそ。気になるじゃねーか。
いや、今はそれよりもだ。
先に、公安の捜査員の行方を指し示すような手がかりを見つけないとな。
優先すべきは、何をおいても人命だ。
「アイツはアイツで勝手にやってるんだから、こっちも好きにやらせてもらうだけだ。」
自分に言い聞かせるようなオレのその台詞は、誰もいない廊下に少し響いていた。
□□□ □□□ □□□
「企画・総務部・・・・。ここか。」
社員に扮した現在、行方不明の公安職員の所属部署、及び偽名については、予め高木刑事からリサーチしてある。
彼の潜入捜査用の仮の名は、『伊藤 満」(いとう みつる)。
ゴールドウェル社には今から約3ヶ月前に入社し、この企画・総務部に配属されていたと言う。
主だった仕事は広報担当で、海外で買い付けた絵画や貴金属類を雑誌などに広告・宣伝する事だったらしい。
潜入捜査における上官への報告も、つい最近まできちんと定期的になされていた。
それがまったく何の前触れもなく、いきなり姿を消してしまったのだ。
「・・・フロア全体の座席表か。えっと、伊藤さんの席は・・・。」
フロアの入り口傍の柱に掲示されていた座席表で、オレは伊藤さんの席を確認する。
懐中電灯で彼の席を照らすと、そこだけ暗闇からぼんやりと浮き浴び上がった。
整理整頓されて小奇麗なそのデスクには、仕事関係の資料だと思われるファイルや書類などが几帳面にきちんと並んでおり、特段、他の席と異なったようには見えない。
オレは腰を落とすと、デスクの引き出しにも手をかける。
幸いなことに鍵はかかっていないので、何の問題もなかった。
3段ある引き出しの中は、どれもガランとしていた。
普通に事務用品がいくつか入っているだけで、あとは私物らしい私物も無い。
・・・・まぁ、明らかに目に付くようなものを残していくわけもないか。
引き出しの中の事務用品(主に文具)を手に取りながら、その一つ一つをじっくり見ようと、手元のライトを照らした思ったその時だった。
引き出し奥で、何かがキラリと光を反射した。
何だ?
見ると、奥にあったのは細いプラチナのリング。
石のないそのシンプルなリングの内側には、アルファベットでメッセージが彫ってある。
『 Y.A to M.I 』
・・・これは───。
目を凝らしてそのリングを見つめていたオレの視界が、一気に明るくなる。
フロアの電気がついたのだ。
ハッとして部屋の入り口へ顔を向けると、そこには1人の男性が立っていた。
あの人は確か・・・・!
その人物には見覚えがあった。
実際に会うのは初めてだが、紙面上で顔は知っていたからだ。
ゴールドウェル社長 永田正夫氏。
何故、こんな時間に彼がここに?!
だが、オレ以上に彼の方が驚いているのか、大きく眉をつり上げた。
「そこで何をしている!?」
思っっっきり不審そうな顔でオレを睨みつけている。
片膝をついていた姿勢から、オレはゆっくりと立ち上がった。
立ち上がる際にオレは相手に気づかれないようなさりげない動作で、手の中にあったリングを自分の上着の右ポケットの中に落とす。
一方、永田氏はさらに警戒の色を濃くしていた。
「そこは確か、伊藤という者の席のはずだが。そこで何をしていた?」
一社員の席を社長が把握しているなんてのも奇妙な話だが、今はそんな事を言っている場合ではない。
・・・・この状況で、誤魔化すのはちょっと難しいか。
だが、ここで不審者として大人しく捕まるわけにもいかない。
無駄なあがきかもしれないが、とにかくこの場は適当に取り繕って、逃げるチャンスを作るのが最善だ。
オレはにっこりと笑顔を作る。
「社長こそ、こんな時間にどうなさったんですか?」
「君に話す必要はないだろう。それより、こちらの質問に応えてもらおう。」
「申し訳ありません。ちょっと靴紐がほどけまして、結び直していたところです。」
あからさまなウソに、無論、社長が納得するわけはなかった。
追随の手は緩まない。
「君が本当にただの警備員だと言うのなら、その証拠を見せてもらおう。
うちの会社の警備員なら二人一組で巡回するはずだが、君の相棒はどこだ?」
・・・げ。
っていうか、警備がペアだなんて聞いてねーっっ!!
実のところ、キッドと二人で潜入したのだから、一緒に居さえすれば、ペアに見えなくもなかっただろう。
だが、あいにく気まぐれな怪盗はどこかへ消えたきりだ。
返答に詰まるオレをよそに、彼は不気味な笑いを浮かべた。
「こそこそと嗅ぎ回るヤツが、まだいたとは・・・。」
その台詞に、オレは僅かに目を見開く。
なるほど?
彼自身、周辺を何者かに嗅ぎ回られていることは知っていたわけだ。
だとすると、伊藤さんの正体をこの人が知っている可能性は高い。
万が一、この件に組織の連中が絡んでいるとすれば、この人自身、組織と接触している可能性も───。
オレを不審者と断定した社長の右手が、非常ベルを押そうと壁際に伸びる。
オレも緩やかな動作で麻酔銃に手へと手を伸ばしたのだった。
To be continued
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