それから、オレが目を覚ましたのは、昼過ぎだった。
なんだか、ひどくのどが渇いていたので、キッチンへ向かう。
冷蔵庫から、水の入ったペットボトルを取り出し、コップに開けずに
そのまま直接、口へ運んだ。
冷たい水が咽に染みる。
オレは充分、渇きを癒してから、ふと2Fに目をやった。
キッドの奴、どうしたかな。
オレは奴の分の水を持って、階段を上った。
ノックはせずに、そっとドアを開けてみる。
と、そこには、どこかで見覚えのあるシャツに、今まさに袖を通しているキッドの姿があった。
それっ!!オレの服じゃねーか!!
貸した覚えなんかねぇぞ!コノヤロ!!
キッドはオレの方を向いて笑う。
「よぉ、名探偵。悪いけど、服、貸してもらえるかな?」
「・・・順序が逆じゃねぇの?もう、着ちゃってるクセして。」
「仕方ないじゃん。オレの服、血がべっとりなんだからさ。」
まるっきり悪びれずに答えるキッドに、オレはため息をつきながら
持ってきた500mlの水のペットボトルを投げつけてやった。
これには、サンキュ、と小さく礼を言って、ゴクゴクとすごい勢いで飲んでいく。
あっという間に、全部飲みきってしまった。
空になったボトルを笑顔で返される。
その顔は、まるでどこにでもいる高校生で、
昨夜の今にも噛み付きそうな鋭い視線は、完璧に消え失せていた。
「怪盗キッド」であるということすら、信じられないほどにほのぼのしていて
はっきりいって、オレは脱力した。
「・・・とりあえず、何か食う?」
こんな言葉が出た自分に、正直驚いた。
言い出した手前、とりあえずキッチンへ向かう。
つまるところ、あんな人懐っこい笑顔のキッドにどう接していいか、わからなくて逃げるように部屋を出てきてしまったのだ。
結果、奴の食事の用意までしなければならないとは。
そーいえば、うちに食料なんてあったっけ?
一人暮らしは長いけど、一人分だけ作るなんて非経済的だし、
なにしろ面倒だから、自炊なんてほとんどしないからな。
冷蔵庫を開けて中身を確認。
水、アクエリアス、牛乳・・・ヨーグルト、あと、バター・・・?
バターっていつ買ったっけ、これ?
おわ!賞味期限切れてるじゃねぇか、これ!!捨てよ。
・・・ダメだ。何もないな。
弱ったな。
灰原を呼んで何か作ってもらう・・・なんてさすがに悪いよな。
オレはキッチンで固まる事、少々。
仕方ねぇな、コンビニでも行くしかねぇか。
と、玄関へ向かいかけて、ハタと非常用に買い込んでいた食糧があったことを思い出した。
その中に、レトルトのパスタを発見した。
病み上がりにこんな保存料バリバリなものを食べさせるのもどうかと思ったが他にないのだから、やむを得ない。
これでいっか。
オレは自分の分と奴のを用意した。
出来上がったものを味見してみると、レトルトにしてはうまいと思った。
キッドの分をトレイに乗せ、部屋へ運ぶ。
「悪いな、ろくなもんなくて・・・。」
オレが差し出したトレイを一瞬、奴がマジマジと見つめたので、
思わず言い訳めいた言葉が出てしまった。
が、良く考えりゃ、文句言われる筋合いなんかないよな。
嫌なら食わなきゃいいんだ。
キッドはしばらく見つめていたけど、笑顔でそれを左手で受け取った。
それを見てオレは気づいた。
あ、そうだ。コイツ、右腕を撃たれてる。
もしかして右でフォークを使えないかも・・・・。
しまった。もっと食べやすいものの方が良かった・・・よな。
オレは自分の気の利かなさ加減にがっくりして、
キッドの方を見やると、奴はそんなオレの心情を察したのか、ニッと笑って言った。
「あ、心配しなくても、オレ、両利きだから大丈夫だよ。
それとも、『あ〜ん』とか、してくれるつもりだった?」
するか!バーロー!!
キッドが両利きというのは、ウソではないようで、奴は左手でフォークに
パスタを器用に巻きつけて口に運んだ。
食事を終えたキッドに薬を勧めると、奴は必要ないと首を振った。
灰原が言った事は、どうやら正しかったようだ。
とりあえず、キッドはパスタも残さず食べたし、出血多量の名残でまだ幾分、顔色は悪い気がするけど、どうやら大丈夫そうだ。
オレは壁によりかかり、キッドを見やった。
よし、そろそろ本題に入るか。
おもむろに自分の上着のポケットに手を突っ込んで中にあるものを握る。
「なぁ、キッド。昨夜のお前の獲物ってコレだろ?」
そう言いながら、ポケットから大きなパールがついたピンクゴールドのリングを取り出した。
「お前の血まみれのジャケットの内ポケットから出てきたんだよ。
・・・・まったく見事なパールだよな。 作り物にしては。」
オレのその言葉にキッドは僅かに目を細める。
さっきまでのほのぼのした雰囲気は一瞬で消し去り、あっという間に
奴本来の「怪盗キッド」としての表情に変わる。
やっぱり、そうか。
「良く出来てるけど、これ、偽物だろ?」
「ご名答。
いや、驚いたね。そいつはちょっとした鑑定士の目を騙せるくらい精巧に
出来てるシロモノだよ。名探偵ってのは、並ならぬ鑑定眼までお持ちなわけ?」
「まさか。ここまで精密に作られてりゃ、さっぱりわかんねーよ。
けど、パールなんてデリケートな宝石を怪盗キッドともあろうものが、
裸のままポケットに突っ込むわけないと思っただけさ。」
「・・・なるほどね。」
オレはリングをキッドへ投げた。
キッドは軽々と左手でキャッチし、何度も宙へ投げる。
オレはその様子を見ながら、一呼吸して続けた。
「・・・つまり、オークションの出展品すべてが、偽物だったんだ。
おそらく、すりかえたのは主催者側の人間。」
「それも、正解。 さすがだね、名探偵。
このオレ様にこーんな偽物掴ませようとするなんて、ムカついたからさ、
一暴れしてオークションをぶっ潰してやったわけ。」
おいおい・・・。一暴れって・・・。
わざわざ敵を作るようなことして、どういう神経してんだ?まったく。
オレのあきれた視線をものともせず、キッドの表情はまるでいたずらをした
子供のようにイキイキしている。
「別に奴らの企みを暴露して、会場を混乱させただけだぜ?」
あ、そう。
それで、オークションは中止ね。
結局、オレ自身は会場に入れなかったし、
例の組織がこのオークションに本当に関与していたか、確かめる術はないな。
キッドは彼らを見ているだろうか?
オレはどうしようか迷ったが、奴にたずねてみることにした。
「・・・なぁ、主催者側の中に黒づくめの男達を見なかったか?」
「それって、お前のいうところの『黒の組織』とかいう奴らの事?」
え?!何で知ってんだよ?
オレは驚いて目を見開いたが、昨夜リビングに置きっ放しにしたノートパソコンのことを思い出した。
もしか・・・しなくても、見られた?!やばい!あそこにはいろいろなデータが・・・・。
「お、お前、人のパソコンを勝手に・・・・!!」
「ああ。見せてもらったぜ。名探偵、マメだよな。
事件ごとにきっちりデータ分析なんかしちゃったりしてさ!まるで犯罪マニアだね。」
・・・!!ほっとけ!
人の趣味を他人にとやかく言われる筋合いはないぞ!
「けど、なんでオレに関するファイルがないわけ?」
「・・・コソドロには興味ねーんだよ。」
「つれないねぇ、そのお言葉。」
わざとらしく肩をすくめておどけてみせるキッドに対して
蹴りでも入れてやりたい気もしたが、正直それどころではない。
他人に見られないようパソコンには、一応ブロックを掛けてあったはずなのに・・!
コイツ、ハッカーの才能まであるのか?油断も隙もあったもんじゃねーな!
・・・なんて言ってる場合じゃないぞ!!
ちくしょう!よりによって、嫌な奴に見られたな・・・・
オレはキリキリと唇を噛み締めるしかなかった。
「お前の追ってる組織の連中は、会場に姿を見せなかったぜ?」
ふいに本題に戻ったキッドの言葉で、オレは自身の思考に沈み込んでしまっていた意識を浮上させた。
え?!来なかった・・・?
「主催者側の人間はほとんど来てなかったんだよ。
会場を取り仕切ってたのは、おそらく主催者側から委託された別の連中。
まぁ、もっともそいつらも事情を把握できてなかったみたいだたけどな。」
・・・ということは、つまり・・・
何の手がかりも無しという事か。
ちぇ!久々、こんな危険なマネまでしたのに、結局のところ
何も得るものは無く、代わりにキッドと関わるなんていう厄介な問題を抱え込むことになろうとは・・・。
ほんと、ツイてねぇな・・・・。
大きくため息をついて、肩を落としたオレにキッドは追い討ちをかけるように
問い掛けてきた。
その時の奴の目が鋭く光った事にオレは気づく余裕もなかったけど。
「ところで、名探偵は何でアイツらを追ってるわけ?」
オレは最初、奴が興味半分で聞いてきたのだと思った。
もちろん聞かれて簡単に言えるような事情じゃないし、当然そんな義理もない。
だから、即答してやった。さも面倒くさそうに。
「お前には関係ないだろ?」
「・・・そういう訳にもいかないんだよ。奴らはオレの獲物なんでね。」
オレは驚いて、キッドを凝視した。
「え?お、お前も奴らを追ってるって言うのか・・?!」
「そう。だから、名探偵に余計な手出しをされると困るんだよね。」
キッドはいつもどおりのおどけた口調で、口元には笑みを浮かべていたけど
目は笑ってはいなかった。
むしろ鋭く光りを放ち、怒りさえ感じるような視線をオレに向けている。
キッドが本気なのはわかった。
だが、オレだって引くわけにはいかない。
これは、少なからず奴らと関わりを持ったオレ自身の事件でもある。
たとえ脅されようと、引く気なんてない。
キッドの視線に負けないくらいの強さで、オレは奴を見やった。
自分の決意を表わすように。
しばらくの沈黙の後、キッドはふっと笑ってそれを破った。
「OK。正義感溢れる名探偵くん。一つ、忠告してやるよ。
わかっているとは思うが、奴らはプロだ。下手に関わると今度はそんな
かすり傷じゃすまなくなるぜ?」
「余計なお世話。オレがどうなろうとお前の知ったこっちゃないだろう?」
キッドの傷だらけの体を見てるから、奴が今までどれだけやばい橋を渡ってきたかは充分、わかっている。
もともと泥棒なんていう闇の稼業をしているわけだから、それなりに危険も
つきまとう訳であって。
だからこそ、そのテのことに素人であるオレを小ばかにした台詞が言えるだろうけど。
腹が立った。無性に!
そう思ったそばから、奴の人を食った笑みがオレの神経を逆なでする。
だから少し感情的になりすぎていたかもしれない。
「お前こそ、どうして、何で奴らを追ってるんだよ?!」
「それを先に聞いたのは、オレだ。」
キッドはオレとは対照的に、余裕の笑みで冷静にそう言い放つ。
落ち着け!
冷静にならなければ!!
オレは必死に自身を取り戻して、今の状況を考えた。
キッドは奴らを獲物だと言った。
コイツも知ってるんだ、組織の事を。
知りたい!
組織に関する事なら何でも!!
オレは覚悟を決めた。
「いいぜ。その代わりオレが答えたら、お前の答えも聞かせてもらう。」
「OK。」
キッドがオレの出した提案を快諾しかどうかは定かではないが、
とりあえずは乗ってきた。
これにかけるしかない!
オレは一つ呼吸を置いて、自分と組織との事を語り始めた。
「ちょっと前に、奴らがヤバイ取引してる現場を偶然目撃して以来
口封じのため、命を狙われてる。」
オレはあえて「コナン」に関する事を言わなかった。
キッドはオレが「コナン」だったことをおそらく知っているが、
その原因が組織にあることまではまだ知らないはず。
例の薬と組織との関係をキッドが知れば、必然的に灰原の存在も
浮かんでくる。
キッドが組織をどういう理由で追っているかは知らないが、
目的がわからない以上、元組織の一員の所在をそう簡単に明らかに
するわけにもいかないだろう。
やはり不必要に情報がもれるのは避けたい。
オレの言葉にキッドはまるで能面のような顔で、
そこからは何の感情も読み取る事はできなかった。
「じゃあ、名探偵は奴らに面が割れてるわけだ。」
「面どころか、素性もバレてる。」
「よく今まで生きてこれたな。」
確かに。そういや、その後やつらが積極的に殺しに来た事はないし。
案外、オレが大人しくしていれば実は何事も怒らないかもしれない。
ま、そんなつもりはさらさらないけど。
とりあえず、こんなところでキッドを納得させられないだろうか?
何を考えてるか解らない相手に、手持ちのカードを全て見せたくはない。
まぁ、もともと大したカードを持っているわけでもないが。
「キッド、お前はどうなんだよ?」
すると、キッドは不敵な笑みを浮かべ、ベットに腰掛けたまま
手にしていたパール・リングを一際高く宙に放った。
リングは窓から差し込む光に反射して、きらきら光りながら
きれいな弧を描きそのまま、部屋のドア近くに置いてあったゴミ箱に
ストン、と、入った。
「お、おい!!」
「それは返す必要の無いガラクタだからさ。」
わかってるけど、ここに捨てるなよ!!
足がついたらどうしてくれる!!
「手に入れたい宝石があるんだ。奴らよりも先にね。」
え?
オレはキッドの話の先が聞きたくて、
口を開きかけたその時、玄関のチャイムが鳴った。
あ・・・!
灰原かもしれない。まずいな・・・
こんな話題の途中で灰原の登場は好ましくない。
どうしよう、悪いが出直してもらうか。
オレが対処に困っていると、キッドはにっこり笑って告げた。
「お客さんだぜ?」
どうぞ、っと玄関に行くよう促され、オレはせっかくの話題を
中断されて、後ろ髪を引かれるような思いがしたが、
仕方なく部屋を出て、1Fへ降りた。
部屋を出る時、なんとなくキッドの方を振り返ると
奴が笑顔で手を振っていた。
まぁ、いいや。
続きは後で聞くとしよう。
ドアを開けると、立っていたのは思ったとおりの少女ではなく
サンドイッチの入ったバスケットを持った博士だった。
「哀くんが後で様子を見に来ると言っておったが、
とりあえずろくなもんも食べとらんと思ってな・・・。」
「・・・あ、ああ、サンキュー、博士。」
もう少し早く持ってきてくれれば良かったのに。
オレはとりあえず博士に礼だけ言って、
今、取り込んでるから、と追い帰してしまった。
悪いな、博士!!
そして、急いで階段を駆け上がり、キッドがいるはずの部屋へ戻ると
そこはもぬけの殻だった。
唯一、奴がいた証拠として残っていたのは、ベットサイドに置かれた
一枚のカード。
「この借りは近いうちにお返しいたします。
美しい赤毛の少女によろしく。
怪盗キッド 」
あんにゃろ〜!!逃げやがったな!!
オレはカードを握りつぶして、部屋の窓から外を見る。
もちろん奴の姿なんて、そこにはとっくにないのだけれど。
あ、そういえばアイツ、リングは持って帰っただろうな?!
オレは慌ててゴミ箱を見ると、なんとそのまま入っていた。
・・・どーすんだよぉ〜、これ。
オレはがっくり肩を落とした。
ったく、面倒なもん、押し付けやがって。
仕方ない、あとで博士のとこ持ってって、なんとかそれとわからないように
処理してもらうとしよう。
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